南区寺塚の興宗寺の境内に、古くから親しまれている穴観音があります。
穴観音のあるこんもりとした丘は、およそ千四百年前の円墳だといわれていますが
奥壁に観音像など三体の仏像が刻まれている珍しい古墳です。
福岡城の歴代藩主も穴観音への信仰が厚かったと伝えられますが、それにはこんなお話があるのです。
黒田長政が博多へ藩主としてやってきたのは慶長五年(一六〇〇)のこと。
早速、翌春から福岡城築城に着手しました。城内約八万坪(二十六万四千平方メートル)という広壮な城です。
そのため近在の里から、どんどん岩石を切り出していったのです。
そんなある夜、長政は不思議な夢を見ました。
観音様が現れて「私が住んでいる所が壊されようとしています。直ちに工事を中止してください」というのです。
驚いた長政がすぐに調べてみると、壊れかけた洞くつの岩壁に観音様が彫られているではありませんか。
長政はすぐに補修してこの古墳からの採石を禁止しました。
その後、三代藩主忠之が拝殿を建立し、四代綱政が興宗寺をおこしたといいます。
穴観音は、この他にも言い伝えが多く、この奥から福岡城まで「抜け穴」が通じているともいわれています。
また、近年では西郷隆盛の西南の役(一八七七年)の折、福岡党が密議をこらした場所としても知られています。
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