福岡県の郷土のものがたりです。

読み方は「みかさのもりのいわれ」
  • 大野城市

神話のなかの人物か、それとも実在の人物か…。

神功皇后についてはさまざまに憶測されていますが、九州北部、特に福岡県は神功皇后伝説が多いことで知られています。

これは、そのなかのひとつです。

荷持田(のとりだ、甘木市秋月野島)に住む豪族、羽白熊鷲を従わせようと、

神功皇后の軍勢は、宇彌(粕屋郡宇美町)から松峡宮(まつおのみや、朝倉郡夜須町)へ向かっていきました。

ちょうど筒井(大野城市)にさしかかったときのことです。

いたずらなつむじ風が皇后のかぶっていた笠をくるくると舞いあげてしまいました。

驚いたお供の人が急いでその笠を追いかけましたが、笠はどんどん空を飛んでいって、

およそ一キロメートルも離れたところにある山田の森の大きな楠のこずえにかかってしまいました。

ようやく森にたどりついたお供の人がこの笠を取ろうとしましたが、

高いこずえに笠のひもが巻きついてどうしても取ることができません。

その騒ぎを聞きつけて、村人たちも集まってきました。

お供の人の困りはてた様子を見た村長は、これは森の神さまにお願いして取っていただく以外に方法はないと思い、

舞いを奉納することにしました。

早速、森の前の田んぼの中で、舞いがはじまりました。するとどうでしょう。

こずえにからまっていた笠のひもがひとりでにするするととけて、笠はひらひらと舞人の上に舞いおりてきました…。

以来、皇后の笠がとんだところを「笠抜ぎ」笠のかかった山田の森を「御笠の森」舞いを舞った田んぼを「舞田」

と呼ぶようになったということです。

昭和二十年代までは、田んぼの中に島のようにうかんだ大きな「御笠の森」が

県道三六号線からも見ることができたということですが、いまではすっかり住宅にとり囲まれて森も小さくなりました。

また、神功皇后の笠がかかった楠の孫の木にあたるという楠の大木も伝えられていましたが、

昭和二十五年に、切り倒されてしまいました。

ただ、昔、「舞田」と呼ばれていたところは、いまは児童公園となっており、子供たちの舞い遊ぶ姿が見られます。

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