- 香春町
香春岳には今も野生のサルが住んでいます。時折り、里におりてきていたずらする困り者ですが、
こんな人助けの話も残っています。
戦国時代の永禄四年(一五六一)のことです。豊後の国(今の大分県)の大友氏の大軍に攻め込まれた
鬼ヶ城(香春岳の中腹にあった城)は、火に包まれ落城の時が近づいていました。
城主の原田義種はやむなく、わずかの家来を引き連れて城を抜け出しました。やがて、義種の姿が
見えないのに気づいた敵の軍勢は、必ず討ち果たさんものと厳しい探索を続けます。義種は追い詰められ
穴のあいた大きな老木に身を潜めました。するとどこからともなく数十匹のサルが現われ、穴をふさいで
追っ手のの目をくらましてくれたのです。
九死に一生を得た義種は、東山の里(採銅所)まで逃れましたが、激しく迫る敵の軍勢に、
もはやこれまでと自害してしまいました。
義種の死後、香春一帯は飢きんに見舞われ、疫病がはやりました。バタバタと病に倒れる有様に村人は
「義種公のたたりかもしれない」とその墓を清め、手厚く弔いました。
数日後、村人の夢枕にサルを連れた義種が現われました。
「私は神のご加護により、敵の辱めを免れることができた。これからは、村人が困ったときには
サルを遣わそう」と告げました。これを聞いた村人たちは、早速、義種の霊を生前信仰の深かった
現人神社(あらひとじんじゃ)に祭りました。すると、今まで人目にふれることがなかったサルが、
人里にも姿を見せるようになりました。不思議なことにそれからというものは、大地は富み、
村で流行していた“ほうそう(天然痘)”も夢のごとく消え去ってしまったのです。
以来、この神社は「ほうそうの神社」としてあがめられ、お遣いのサルにちなんで
「おサルさま」と呼ばれるようになりました。また、戦前までは秋の大祭(十月の初申の日)
になると、多くの参拝者で臨時列車が出るほどの賑わいをみせたということです。
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