- 筑後市
慶応年間といいますから、今から百年以上も前のことです。筑後市の赤坂(当時は久留米藩)
という所に、身寄りのないお婆さんが、身の回りの世話をする娘さんと二人で暮らしていました。
娘さんは猫を飼っていました。ところが、おばあさんはその鳴き声を聞いただけで、
食事ものどを通らないほどの大の猫嫌いだったので、いつも猫をいじめていました。
ある日、台所をのぞいていた猫は、お婆さんに捕まってしまいました。
そして、真っ赤に焼けた火ばしを後足に押し当てられたのです。
猫は悲鳴をあげ、一目散に逃げました。ところが運悪く、裏の井戸に落ちて死んでしまいました。
その夜のことです。ガタゴト、ガサガサという音で、お婆さんは目を覚ましました。
それは、台所の方から聞こえてきます。
「また、野良犬か野良猫じゃろう」と、お婆さんはローソクを手に、そっとのぞいてみました。
ローソクの明かりに照らされた光景は、まことに奇妙なものでした。
ナベやカマ、スリ鉢などが、まるで生き物のように、こちらに動いてくるのです。
気味悪くなったお婆さんは「シッ、シッ」と追い払ってみましたが、それらは今にも
飛び掛らんばかりに近づいてきます。お婆さんは恐ろしさのあまり、一晩震えていました。
それからというものは、毎日毎日、夜になるとナベやカマが騒いだり、雑巾が顔をなでに来るなどで、
お婆さんは気が変になり、とうとう寝込んでしまいました。
この話を聞いた村の若者たちは“化け物退治”に出かけました。ところが、いざとなると昼間の自信は
どこへやら、真っ青になって逃げ帰ってきます。
そして「きっと猫のたたりに違いない」と言って恐れました。
この話が広まり、世間が騒ぐので、久留米藩主は
“いたずらを止めよ。さもないと獣類は全て殺してしまうぞ”という立て札を立てました。しかし、
騒ぎはいっこうにおさまりません。ついに、村をあげての獣狩りが行われることになりました。
キツネ、タヌキ、野犬、野良猫といった村に住む全ての動物が捕らえられました。
そして最後に、近くの山の中で、化け物の正体と思われる一匹の大きな猫が射止められました。
それからは、化け猫騒動もピタリとおさまり、赤坂は再び平和になりました。この地には最近まで、
このときの久留米藩の立て札が残っていたそうです。
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