- 古賀町
粕屋郡古賀町の国立病院の前の小道を、自動車学校の方向に歩いてゆくと、すぐ右側に松林が見えてきます。
その松林を通り抜けると、千鳥ケ池と呼ばれる細長い池の淵に出てきます。この千鳥ケ池には昔からいろいろな
言い伝えが残されています。そのひとつを紹介しましょう。
いつの時代だったのかはっきりわかりませんが、この池のほとりに小さな一軒家を建てて、仲の良い若い夫婦が
住んでいました。この嫁は宗像郡神興村(じんごうむら)から嫁いで来た人で、近郷きっての美人だと評判が高い
人でした。毎日の炊事や畑仕事にも手足の荒れは見せず、透き通るほどの白い肌や、長い豊かな緑の黒髪、
また小ぎれいに整えた身だしなみは、村の人たちのうらやむところでもありました。
ところが、夫には村の人たちにこれほどまでにうらやまれる嫁をもっていながら、なぜがこの嫁に対して
割り切れないものがありました。なぜかといえば、この夫は、
「外から帰って来る時には、表の戸を開ける前に必ずエヘンとせき払いをしてからはいってくださいな」
と、嫁から言われていたからでした。
それでも初めのうちは、夫もよく妻の願いどおりに、エヘンとせき払いをしてから家にはいっていましたが、
たび重なるにつれて割り切れぬ思いはつのるばかりです。ある日、うっかりせき払いを忘れて家の中にはいろうとして
途中で思いだし、戸を開けてからエヘンとせき払いをした時の驚きようといったらそれは大変なものでした。
それからというものは、夫が外出するたびに妻は、
「あなた、お願いですからお帰りの時は、戸を開ける前に必ずせき払いをして、はいってくださいな」
と、何度も念を押します。とうとう夫の方でも、
「こんなに何度も念を押すのにも、何か理由があるに違いない。もしも、妻に何か悩みごとがあって、それをひとりで
悩んでいるのなら、夫としても放ってはおけまい。ひとつここは、こっそりと家に帰って妻の様子をみることにしよう。
そうすれば、私の割り切れぬ思いもスッキリすることだろう」と考えるようになりました。
さて、いつものように夫は妻に見送られて畑仕事へと出かけて行きましたが、きょうこそ妻の秘密を解き明かすのだと
思うと、畑仕事も一日手につかないありさまです。
普段よりも長く感じられた一日の畑仕事が終わり、家路についた夫は、家が近くなると足音を忍ばせて戸口へと
近よって行きました。ソッと戸を開けて中にはいると、夫は用心深く妻がいるはずの奥の部屋をのぞき込みました。
するとどうしたことでしょう。驚いたことに最愛の妻の姿はどこにも見えず、妻にかわって部屋にいるのは大蛇です。
大蛇は火のような赤い舌をペロペロ出し、黒く光る鱗の蛇身をくねらしながら身を繕っています。
夫は腰を抜かさんばかりに驚きましたが、あとの祟を考えると恐ろしくなり、妻には気付かれないように、震える足で
家の外へと逃げ出しました。
戸外に抜け出た夫は、暫く戸口で息を整えていましたが、やがて大きな声で「エヘン」と、せき払いをすると、
そ知らぬ顔をして家の中へはいっていきました。
夫が家にはいると
「お帰りなさいませ。きょうも一日ご苦労様でした。さぞお疲れになったことでしょう」
と、妻がいつものようにやさしい言葉をかけてくれます。
家の中も先ほどとはうって変って物静かです。先ほどの凄まじい妖気は全く感じられません。夫は、いよいよ妻に
気付かれてはならないと思い平静を装いますが、やはり心の動揺は隠しきれませんでした。やがて自分を見る夫の
定まらぬ視線と蒼白な顔色で、自分の秘密を知られたことを感じた妻は、たちまち大蛇となって屋根を突き破ると、
家の前の池に身を沈めてしまいました。
その後、蛇身と化した女房は、この千鳥ケ池の主になったと言われています。
この嫁の里、現在の東福間団地の小高い所には、千鳥様の墓と呼ばれる小さな古びた墓石が残っています。
そして、この女房の名前が千鳥といっていたことから、その女房の投身した池を「千鳥ケ池」と呼ぶようになった
のだと言われています。
また、昔からの言い伝えによれば、昔からこの池では身投げをしても不思議と皆助かり、死んだ者はひとりもいない
ということで、次のような話も残っています。
福間の半右衛門という者が借金に困り、夫婦もろとも千鳥ケ池に身を投げましたが、近くの住人徳三郎に助けられた
ということですし、また蓆内(むしろうち、いまの古賀町)の大工、安右衛門も千鳥ケ池に身を投げたが、この人も
助けられたと言われています。
以来この千鳥ケ池に身を投げる者はいなくなったということです。
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