- 築上町(旧築城町)
伝法寺(でんぽうじ)という所に“知恵の文殊さま”と親しまれている正光寺というお寺があります。
ここには「後藤又兵衛の手水鉢」があり、こんな話が伝えられています。
戦乱の世もおさまった江戸時代の初め、雲水(諸国を行脚して歩く僧)に姿をかえた後藤又兵衛が伝法寺を
訪れました。ここに、宇都宮家の姫君「鶴姫」が庵をむすんでひっそりと暮らしていると伝えきいたからです。
かつて又兵衛は、主君であった黒田長政の命によって、鎌倉以来のこの地の城主宇都宮鎮房(しずふさ)を
討っています。黒田氏の録を離れたいま、その娘鶴姫に討たれようというのです。
しかし、鶴姫はいまでは出家して尼僧姿、そしてまた又兵衛も雲水。ともに仏につかえる身であれば、
親のかたきを討つの、討たれるのとはかけはなれた世界にいます。結局、又兵衛はこの地にとどまり、
鶴姫につかえたと伝えられます。
鶴姫の住む庵は、宇都宮氏が入府したときに建てた正光寺にありました。保護者を失って荒れたこの寺を再興したのも
又兵衛ということです。そして知将鎮房をしのんできざんだのがこの手水鉢だといわれています。
歴史によれば、鶴姫は、天正十七年(一五八九)鎮房が討たれたとき、山国川のほとりで自害し、又兵衛も
大阪夏の陣(一六一五)で戦死したと伝えられていますが、この地ではこの話を語りついで、薄幸の姫君と心優しい
武将をしのんでいます。
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