文重明こと許巣父(1831-1911)は漢朝セリカ帝国後期の官僚、政治家。文重明は字で、号は世清。人間正藍旗人。元は下級の学者の家柄であったが、明帝の信任を受けて栄達し、都察院御史、吏部尚書などを歴任した。
李紫雲の駙馬許由?の父親で、後に「烈秀」と諡され、文華殿大学士の位を追贈された。字が3文字と長大な為、人々からは略して「許文公」、「重明公」などと呼ばれた。

生涯

1831年、盛京にて正藍旗人許子祥の子として生まれる。父子祥は当時最大の儒学の大家として誉高く、学者達を取りまとめる国子監祭酒の地位まで至ったが、権官に諂わぬ態度が廷臣達の忌避を買い、讒言を受けて1839年に蘇州知府に左遷された。
父について南方に渡った巣父は、父の名を慕って集ってきた多くの人士と交わりを深め、儒学の経典の註釈編纂にも参加するなど、若年の頃から才能を発揮していた。
1856年に進士及第(第3位探花)し、盛京に出仕。父の後を引き継いで国子監の博士に就任し、儒学を講じた。
1861年、新たに即位した明帝に才能を見込まれて召し出され、監察御史として地方官僚の不正調査に赴く。
清廉で剛直な性格であった巣父は、監察御史に就任すると広大な帝国の全土を旅し、僅かでも地方官に不正があればそれを報告して罷免する様上奏した。また、彼は地方官が罷免された地域では暫しの間代理人として政務を取ることもあったが、その際は民衆を思い遣って慈悲深い統治を敷いた為大いに慕われ、新たな任地に向かおうとする彼の馬車の轍を追いかけて、「どうか留まってくれ」と懇願する人々の涙で川が出来るほどだったと言う。
1876年には都察院左御史、1880年には吏部尚書の高官に上り、宮廷内の綱紀粛正に辣腕を振るった。人々の伝説に曰く、巣父は真実を見極める黄金の鞭を持っており、嘘をつく者があれば1人でに動いて打ち据えるのである、と囁かれたという。
1883年、巣父は勅命により明帝が鍾愛する蘭陵公主李紫雲の傅役に任ぜられる。この時彼は皇帝から、幾人かいる息子達の中から1名を学友・補佐役として彼女の側に置く様求められたが、彼は悩み抜いた末に末っ子の由をそれに選び、紫雲とともに自ら教育に当たった。
巣父の指導は相手が誰であれ容赦は無く、いつも皇帝から下賜された教育用の鞭を身に帯びて2人を指導したという。特に息子には皇女の側仕えに相応しい教養と、いざという時の為の武術を徹底的に仕込み、「鬼師父」と紫雲に評される程に厳しく当たった。
しかし、彼は決して暴力や恐怖によって2人を支配しようとはせず、常に筋道だったまっすぐな手法をとった。例えば彼は、ある時紫雲のいたずらに対し、連帯責任として2人ともに食事抜きを言い渡したことがあったが、その際には自分にも責任があるとして丸一日断食をしたという。
このことから紫雲は巣父を「尚父」と呼んで慕い、もう1人の父親として常に敬意を払っていた。
1894年、李紫雲が大将軍として北漢事変に従軍すると、巣父は周囲の制止を押し切って強引に従軍した。伝えられるところでは、彼はもし彼女が敗れる事があれば、まず自分が身代わりになって死ぬ覚悟であったという。戦後英雄となった彼女の手で彼はバトゥルに推挙され、明帝より「恭勇バトゥル」の称号を与えられた。
1900年、許由と李紫雲が結婚し、息子が駙馬都尉の称号を与えられると、巣父も皇女の義父として三等公爵に封じられる。この時彼は皇帝から長年に渡る功労を賞され、内閣大学士に任ずる旨の打診を受けたが、老年を理由に謹んで辞退したという。
1901年、顕帝即位と共に致仕。彼の計らいにより、仏山周辺に家宅を与えられ隠遁する。晩年は孫である青雲、紅珠、金珠の成長を楽しみに暮らしており、息子に対するのとは打って変わって3人を溺愛していたという。
1911年死去。死に際して「烈秀」と諡され、生前には叶わなかった内閣大学士・軍機大臣の位を追贈された。

「文重明」

許巣父はよく「名前の長い人物」の例として引き合いに出されることがあるが、その理由は極めて珍しい3文字の字にある。その由来は定かではないが、まことしやかに伝わるところでは父親が子の名前を付ける為に家の典籍を当たっていたところ、門前に見窄らしい格好の老人が訪れ、
「この子はいずれ大賢として国を支える様になろう」
と予言したという。そのただならぬ雰囲気に圧された父親は、老人に名を尋ねると、
「文重明」
と名乗って風のように去っていった。(「紫龍列伝」)
いずれにせよ巣父が著名になってからは、「文重明」という名も全国的に広まり、やがて演劇や講談の題として用いられる様になった。その為現在でも駙馬都尉許由の父親、といえば許巣父ではなく「文重明」の方が著名である。

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