月の最下層、アビスに存在する『四次元立体』。参加者からは『ブランク』の通称で呼ばれる。
観測するたびにその姿を変え、常に幾何学的な造形を描く直径7mほどの氷の檻。
氷とは言うものの、光を「情報」として吸収して取り込む性質上、色は無く黒塗りに映る。
解析や干渉を跳ね除け、ただ「不明」な存在として浮かび続けるその立体は、まるで月に生じたドット欠けのようでもある。
不気味なオブジェクトではあれど近寄らなければ、直接触れなければ無害なため、余程の物好き以外は周辺に立ち入らない。
内部は月の裏側へ繋がっている、または異界へ繋がっている、或いは没データが隠されている、等々……根も葉もない都市伝説が絶えないのも確か。
そういった噂に釣られ、態々最下層まで訪れてこの立体に近づく者も少なくなく、『檻』に触れては二度と帰らぬ情報の量子となって消えていく。
……そんな無謀な者たちの亡骸から物資を確保できると考えれば、お宝が眠っているという噂もあながち間違いではないのだろうが。
[最深度情報]
宝具によって覆われたアルターエゴ。
月の主催者により生み出され、誕生と同時にその結末までもを演算してしまい、最適な解として「自ら閉じ籠もる」事を選択した。
外との干渉を阻み、同時に自分自身も干渉を行わないことで己を閉ざす。そして彼女は、やがて存在するだけの『情報』となることを望んだ。
他人と関わること無く己だけを維持して在り続ければ、誰にも心を乱されることのない平穏な世界を生きていける……そんな思考が導いた末路。
故に彼女の存在を知っているのは、生みの親である月の主催者、及び数体の管理アルターエゴに留まる。
存在自体が「失敗」であるためか、ムーンセル内のデータベースには彼女の記録が一切記されていない。
誕生の経緯も、誕生までのプロセスや軌跡すらもまるごと欠如してしまっており、まさしくその名を表すように『
空白』だけが残されている。
物理的にも情報的にも抹消された『存在しないアルターエゴ』。彼女にはただ、「存在しない」という事実だけが存在しているのである。
試作品であった
管理用アルターエゴ、試験機である
戦闘用アルターエゴに続く“先行量産型”とでも言うべきアルターエゴ。
多目的用に設計され、異なる世界で観測された人物を基体とした結果――――その少女は演算の末に絶望だけを見出し、殻に閉じ籠もり目を塞ぐことを選んだ。
どう足掻こうとも救いはない。自分が嫌った世界を、苦しんでまで生きる意味など無い。だから、全てを否定して己の世界に引きこもる。
基体として選んだ人物が根底に抱いていた「世界に対する絶望感」が強く抽出された結果であり、少女は抗いすらも無意味と断じ、外の世界から逃げ出した。
昨日も、明日も見えない世界。人が生まれようと、人が死のうと、戦争が起ころうと、国が滅ぼうと、世界が壊れてしまおうと関係ない。
この檻の中にいる限り、自分は自分のままで居られる――――だから少女は、変わらない『今日』を守り続ける。