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初公開:2023/01/07


流星群を初めて見た夜のことは、今でもはっきり覚えています。

あれは子供の頃、初めて大人の許可を取らずに外へ出た時のことでした。
数十年に一度出現するというなんちゃら流星群を見ると息巻いていた悪友に半ば唆(そそのか)されるように、部屋の外へ飛び出したのです。

夜の世界は、憂鬱な昼間とは一転して非日常で、圧巻の一言に尽きました。
夜空を覆い瞬く大量の星々と、その合間を縫うように何本もの光の尾を引く流星群の数々。普段なら幻想的で神秘な眼前の光景にさぞ興奮したことでしょう。

ですが、いま思い出しても恥ずかしいのですが、その時の僕は運動終わりで酷くお腹が空いていて、あろうことか夜空の星々を眺めながら、「美味しそうだ」と思ってしまったのです。
当時、嗅いだことも見たこともない“チョコでコーティングしたパン”なる存在に心を奪われており、あろうことか真っ暗な夜空をチョコに、煌めく星々をコーティングした砂糖菓子に見立て、夢想してしまったのです。

僕がありのまま感じたその話を友人に披露してみると、彼らは一瞬ポカンとした後に、すぐに夜の世界に反響するほどの笑い声を響かせました。その時になって僕は心で感じた気持ちを他人へ素直に話すことの、ある種の危険性を学びましたが、同時に、僕を誘った彼らの笑いが悪意のあるものではなく暖かいもので、なにかこそばゆい感覚であったことを今でも覚えています。

結局この歳になっても幻の“チョコパン”なるものにはありつけていませんが、僕にとって満天の星空と流星群は、今も「美味しそう」という食欲を与え、同時に少年時代に感じた少しの気恥ずかしさを思い出させてくれる存在なのです。

ですので、いま上空で綿あめのように弾け、散り散りになっていく流星群の尾を見て「ああ、お腹が空いたなあ」と思ってしまうのは、きっとごく自然の生理現象なのです。
夜空の中で数百本程度に分かれた光の尾は、瞬く間に僕の立っている方へぐんぐんと加速して迫りました。そして次の瞬間に、綿あめとは比べ物にならないほど大きな炸裂音を響かせ、その場で勢いよく爆ぜました。

「テペロ君、大丈夫ですかッ?!」

爆風で吹き飛ばされ転がった僕に駆け寄り心配そうに声をかけたのは、昼間に出会った社長さんという人物です。普段の話し方や振る舞いは変人なのですが、緊急事態になるとどうやらまともになるようです。

「やっぱりここは危険デス、はやく家に戻りましょうッ」

数秒遅れで、頭を激しく揺らされた時のような不快感が伝わり、流星群だと思った光の尾は、遠くから放たれた魔法の光弾で、僕のいる隊を狙い発射されたということだけかろうじて理解できました。

返事もできないことを深刻と見たのか、社長さんは有無を言わさず僕を抱え上げ、陣地のある教会まで下ってきました。市街地でも、既に激しい銃撃戦が展開されていました。

「大丈夫?」

鈴鶴(すずる)さんという味方の女性が、ぐったりとしている僕の様子を見て訝しげに訊きました。僕は咄嗟に、「大丈夫ですよ」と答えようとして、唇が無自覚に震え、声も出せない状態にいることに驚愕しました。震えはすぐに手先から全身にも伝わり、まるで生まれたての子鹿のように身体の制御ができなくなったのです。

「無理もないデス。いきなり“大戦”を経験するのは荷が重い――」
「敵に非戦闘員の彼の話をして一時停戦を申し入れるべきね。此処にいては無事を保証できない――」

唐突に、彼らの話し声が次第に耳から遠のいていく感覚と同時に、視界が暗転し始めました。
物理的に彼らの距離は離れてはいないのに、二人の存在が急速に離れていくような異変の正体は、過去に何度も経験しているから理解しています。二人が離れているのではなく、僕の意識が二人から離れていく途中なのです。

ひどい眠気、そして迫りくる吐き気。

意識を手放す直前、最初に脳裏に浮かんだのは、今日次々に起きたとても不思議な出来事たち。
そして、瞼の裏に浮かんだ最後の光景は、途中で引き返した小高い丘を無事登りきり、純美な夜空をその丘の頂上から眺める風景だったのです。






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アラウンド・ヒル 〜テペロと妙な村〜

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先ほどお話しした、今夜の異常な事態から遡ること半日ほど前。
僕を取り巻く環境は、まだ平穏そのものでした。

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パキリと、森の中で僕の汚れたブーツが枯れ枝を踏み抜いてしまえば、頭上で小鳥が軽やかな囀りを始めます。もう一度別の小枝を踏めば、別の小鳥も続いて鳴きだす、なんと平和な光景でしょうか。これが今日何度目かの出来事でなければ、僕は今頃小鳥と一緒にハミングしセッションを楽しんでいたかもしれません。

「これは迷ったか、困ったなあ」

眼の前の木々の配置には見覚えがあり、そのうち手前の古ぼけた大木の表皮には、遭難防止のために数日前に僕自身がナイフで削った印が見えました。
このような経験は初めてではありませんが、空腹で目眩が収まらない今の状況下では些(いささ)かタイミングが悪いと感じました。カーゴパンツのポケットをまさぐっても、数日前の木の実の殻ぐらいしか出てきません。
気を紛らわせるために、ナイフの削り後から少しでも樹液が出てないか目を凝らしてみたものの、めくり上がった樹皮の生々しい白さがまるで嫌らしい紳士のむき出しになった白すぎる歯のように見えて、余計に気が滅入るだけでした。

背中を大木につけ休息を取っていると、突如背後からか細い鳴き声が響きました。いつの間にか小鳥の演奏会は終わり、鬱蒼(うっそう)と茂った森には風音以外の音が消えていました。
空腹を堪えて振り返りましたが、目標の存在を視認できると、手に取ったサバイバルナイフを鎮痛な思いで仕舞いました。

「なんだ、猫かあ」

野生の黒猫の、野生らしからぬ呆けた鳴き声でした。たくさんの落ち葉が連なったふかふかの土の上で気持ちよさそうに丸まっています。
旅を続ける中で色々な動物を狩ってきましたが、猫はどうにも調理する気になれません。彼らは集団生活を好まず単独で行動する習性があると聞きます。その自由奔放でマイペースな性格は、不思議と今の僕自身にも当てはまるのではないかと思いました。
彼らの自由を奪うことは、ふらふらと旅を続けている僕の首を切ることとまるで同じように思えたのです。
気がつけば僕も大木を背に座り込み、他の獲物を探すことも忘れ、遠くからぼうと眺めることにしました。

暫くして、この黒猫について二つの事実を発見しました。

まず、人を怖がらないことです。野生の猫は外敵への備えから感性を人一倍尖らせ通常であれば近づくことさえ容易ではありません。黒猫は途中でこちらに気づいたように一瞥だけくれましたが、フンと鼻息を鳴らしすぐに二度寝に戻りました。明らかにこちらを外敵と見ていないか、それとも知能の低い動物だと見ているか、もしくはその両方だと考えているに違いありません。

次に、黒猫の毛並みの良さです。野生特有の毛羽立ちはなく、明らかに誰かが毛づくろいをしたかのようなツヤと高潔さを備えています。一方で僕自身はあちこちに跳ねたクシャクシャの髪型に血色の悪い顔色で、むしろこちらのほうが余程野生児らしい気がします。
少し複雑な気分にこそなりはしましたが、

「こいつの住処に付いていけば、もしかしたら人里に出られるかもしれないな」

と、すぐに考えを切り替えたのでした。

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深山幽谷(しんざんゆうこく)な森林地帯に人間の痕跡があるのか不安でしたが、黒猫の後をついて歩けば、果たして到着した彼の住まいは、奇妙な“塔”でした。

煉瓦でできたとんがり帽子のような塔の鋒(きっさき)は、心なしか少し傾いており、全体的にくしゃりと歪み、薄気味悪く感じます。仮にここで怪しい黒ミサを開くと言っても建物自体の禍々しさに気圧され信者は二の足を踏むことでしょう。

「ここに人が住んでいるとは考えづらいけど、この中にお前のご主人がいるのかい?」

のっそりと森の中を闊歩する黒猫は、澄まし顔で僕の問いに鼻息一つで応えると、塔の脇に回りさっさと姿を消してしまいました。
僕は塔の入り口たるドアの前に立ち、念のため数度ノックしましたが何の変化もないので、儀礼的に一度深い溜息を吐いた後、扉のコックを回しすんなりと中へ入ったのでした。

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おどろおどろしい外観に比べ、塔の中は存外生活的でした。
玄関には明るい朱のカーペットが敷かれ、その先に広がる居間には小洒落(こじゃれ)たソファや木目調の家具が綺麗に並べられ、落ち着いた空間を小気味よく演出しています。足元にいる大量の猫たちがもしこの演出に携わっているのならば、諸手を挙げて降参する他ないですが、果たしてこの家の主人は、派手さを好まない落ち着いた紳士ではないかと思いました。

ただ、幾らアンティーク好きの主人でも、目の前の柱の存在には困らせられたのではないかと思います。それ程に、塔の中心にそびえる白い柱は異様な存在です。樹齢数百年の大樹のような神聖さもありますが、足元の猫たちは気にせず格好の爪とぎ場として活用しているようで、多くの猫たちが憩いの場として活用しているようです。柱の根元付近は一部分だけかなり削れていますが、まさか塔の傾いている原因はここにあるのでしょうか。

「いらっしゃいませ、不法侵入者さん」

背後から投げかけられた言葉に、驚くよりも前に腰のナイフに手をかけてしまっていたのは僕の不徳の致すところでした。置かれている事態と言葉をすぐに飲み込み、無理やり人畜無害な笑顔をつくり、振り返りました。家人に害がない人間だということを示さないといけないからです。

「すみません、勝手に中へ入ってしまって、実は旅の途中で休めるところを探していて、お外にいた猫ちゃんがこちらに入っていくのを見たものですから」
「こちらこそ貴方を驚かせてしまったようですね、どうぞそのナイフをお仕舞いください。貴方が追いかけたのは、この家の飼い猫ですわ」

僕の背後に立っていたのは、白と黒のツートンヘアをした奇抜な給仕姿の女性でした。恐らくこの塔の主に仕えるメイドでしょう。こちらの一瞬の殺気にも動じず、微笑を崩さない彼女の洗練された所作は、一流のメイドとしての振る舞いを感じました。このような方には変な取り繕いをせず、素直に思いを伝えるのが大事だということを経験則で理解しています。

「実は少しお腹が空いてまして、食べ物を分けてもらおうと扉を叩いたんですが反応がなかったもので、勝手にお邪魔してしまった無礼をお許しください」

メイドは特に意にも介さず、慣れたように一度頭を下げました。

「そうでしたか。生憎(あいにく)とこの家には人用の食料はあまりないのですが、猫用の食料を調理すればお出しできますわ、そちらのソファにお掛けになってお待ち下さい」
「いやぁ、これはどうも、出されたものはなんでも食べますよ」

時にはこうした図々しさを発揮しないと旅を続けることはできません。旅を始めた頃の自分に今の姿を見せたらその豹変した振る舞いにさぞ驚くことでしょう。
メイドがキッチンへ向かったことを確認すると、僕は一度だけ深い息を吐いて、向かい合わせに置かれている深緑のソファに目をやりました。ソファの上には先人ならぬ先“猫”たちが、高貴で無人な様を見せつけるように寝転がっていました。迷惑をかけぬよう端にでも腰掛けようとした正にその時。

“彼”が現れたのでした。

━†━━†━━†━

始めはボンという少し爆ぜる音が遠くから響いたので、先程のメイドが何か焦がしてしまったのかと思いました。
しかし直後に、端にある螺旋階段をバタバタと下る、慌ただしい音が近づいてきたのでただ事ではないと悟りました。

「うわあ、今日も失敗だッ」

階段から溢れ出ていた白煙を掻き分けるように、中から白衣を来た科学者然とした男が、ぬっと姿を現しました。

科学者はこちらを見ると動きを止め、
「まさか、実験は成功ッ!?」
「は?」
と、僕の様子もよそに、独りでぶつぶつと呟き始めました。目にかけているメガネ型のオペラグラスのギラギラと光る両目が、よれた白衣のみすぼらしい見た目に反して、人物としての怪しさに拍車をかけています。

「どの猫ちゃんだろう?その金髪、ブチやクロではないな、アオちゃんかな」
「あの、ぼくはこの家にたまたま立ち寄っただけで――」
「ペロちゃんッ!そうか、そのクシャクシャの癖っ毛はッ!ペロちゃんだなッ!」
「いや、ぼくはテペロと言います、旅のついでにここに寄っただけです」
「え、あっはい」

彼は途端に笑顔を消すとすぐに小躍りをやめました。なぜでしょう、少し申し訳ない気持ちになり、居た堪れない気持ちを打ち消すためにも、ここ数時間の事情を彼に説明しました。化学者は先ほどとは打って変わり、ゼンマイの切れた人形のように虚空を見つめ静止していて、話を聞いているのかいないのかわかりませんでした。

「そういえばさっき実験と言っていましたが、なにをされてたんですか?」
「いえ、なんでもないスよ」
「そうですか、ところでまだ名前を聞いてなかったですが、教えてもらえないですか?」
「さあ?」

一変し無愛想に接する彼の様子を見て、途端に目の前の人物が奇妙な塔の主であることを確信しました。当たり前ですが、歓迎されてはいないようです。

「勝手にお邪魔したのはすみませんでした。食事だけいただいたらすぐに帰りますので」
「美美ち良かったね、ぱにゃん」
「び、美々?ぱにゃん?」
「それ名前ス、わしの」

忘れていたはずの頭痛が、ここへきてまた脳内で騒ぎ出しました。
受け入れがたい事態や人を前に警報感覚で主人を闇雲に苦しめないでほしい、と僕は自分の身体に文句を言いたくなりましたが、安心立命のため、こめかみに親指をぐりぐりと押し当て、鼻で深く息を吸い、ひとまず落ち着くことにしました。

「社長(しゃちょう)、お戯れもそこまでに、テペロさんが困ってらっしゃいますわ」

音もなく現れたメイドに二度も反応できなかったのは、またも僕の不徳の致すところです。
彼女の登場で科学者は無言でソファに腰掛けたので、僕も猫たちを刺激しないように慎重にソファの端に腰掛けました。重厚に見えたソファは近くで見ればあちこち猫たちに噛まれているのか、四方から綿が飛び出ていました。

ダークウッドのテーブルにメイドが静かに料理皿を置くと、香ばしいソテーの匂いが鼻孔をくすぐってきました。

「山菜とたけのこで簡単なソテーをつくりましたわ」
「ありがとうメイドさん、ところでいま “社長”と呼んだけど、彼の名は“ぱにゃんさん”ではないんですか?」
「私の名はブラック、ここでメイドをしております、そして彼の名は社長(しゃちょう)、ここの主ですわ」
「他の人たちはみんな社長と呼ぶスね」

手元で膝に載っている猫たちをあやしながら、ぱにゃん改め社長はポツリとそう呟きました。ブラックさんは先程から嫌みなほど微笑を崩さずに、僕たちから少し離れた場所に戻っています。なぜ、社長が一度別の名前で名乗ったのかは今も永遠の疑問です。

これが僕と社長との初めての出会いでした。

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ブラックさんの作ったソテーは本当に美味しく、たちまちぺろりとたいらげてしまいました。こんな料理を毎日味わえるとは猫たちも幸せものです。毛並みの良さも頷けます。

さて、暫くして僕はすぐにこの森に関する情報収集を始めました。図々しいということなかれ、食事の間は空腹を満たすことに夢中で何も考えられませんでしたが、各地を放浪する旅人にとって、情報とは命の次に大事な生命線なのです。重ね重ねになりますが、旅を始めた当時の僕からは比較にならないほど今の僕自身はたくましくなったと実感します。

家の主の社長との会話は難航を極めました。ここの森の抜け方を教えてくれと聞けば「ここはモヘミンチョだよ!」と答え、この先に集落があるのかと尋ねれば「ど、どこだぁ!?」といった具合に返してくるのです。僕はいつか人里離れた村で言葉の通じない部族と出会った時のことを思い出していました。身振り手振りを交えて説明すると、最初は伝わらないまでも十分も経てばお互いの呼吸が掴めてきます。さらにもう十分経てば、ある程度の意思疎通はできるようになるのです。その時は相互に思いやりがあったから成功したのであって、今回のような片方にしか意気込みのないケースでは、幾ら頑張っても暖簾(のれん)に腕押しだということを痛感しました。

「テペロさん、気を悪くしないでください、社長は意地悪をしているわけではなく照れているのですわ。なにしろ村の人以外と会話するのはとても久々なもので」

ブラックさんの口ぶりはどこか嬉しそうでした。話を聞けばここはすでに“Kコア・ビレッジ”という村の中だとのことでした。聞いたことのない名前です。
村民はたった9人しかおらず、さらに皆はそれぞれ離れた場所に住んでいて、社長を含め他の村民と触れ合うことはあまりないそうです。

「僕は“とある集落”を探しているんです、聞いたことはないですか?」

僕がその村の名を告げると、目の前に座る社長は首を横に振りました。

「知らないスね」

今日初めて僕の質問にまともに答えた瞬間でした。
社長の膝に黒猫がぴょこんと飛び乗ってきました。昼間に出会った、毛並みの良い彼です。

「先ほどはその黒猫さんについて行って、ここに着いたんです」
「クロはこの森に慣れてるので。賢い子ですよ」

クロの背中をゆっくり優しく撫でる社長の姿はまるで穏やかな初老の紳士のようで、これが彼の素なのかもしれないと思うと、ほんの少し彼という人物に興味が湧きました。しかし、僕の旅はまだ終わりません。旅の“目的地”に着くまではこの歩みを決して止めることはできないのです。

「長くお邪魔しちゃいました、森の出口も教えてもらったので早々に退散することにしますよ」

僕は自分のリュックを取りに行こうとすっくと立ち上がりましたが、すぐに食後からくる生理反応で欠伸(あくび)が出そうだったので必死に噛み殺しました。誓って欠伸は未然に防いだはずなのですが、どうやら二人にはバッチリと見られていたようです。

「大ハマリだぜ!ときのはぐるまさえ あれば…」
「すみません、これは欠伸ではなく外の空気を多く吸おうと口を長く開いただけでして」
「ふざけてんだべ?もう日が暮れるので休んでいっていいスよ、テペロ君」
「そんな悪いですよ、でも、いいんですかぁ?」

たしかに窓の外はすでに暗く、この家に入ってからだいぶ時間が流れていることを実感しました。

「すでに布団の支度は整っていますわ」

ブラックさんは恭しく頭を下げました。さすがは才色兼備のメイドさんです、こういう時は下手に断らず好意を素直に受け入れることも必要です。

「いやぁ、いろいろ良くしていただいて本当にありがとうございます、でも布団までは結構ですよ、毛布だけお貸しいただければそれで」
「あら、奥に猫ちゃん用の小部屋があるので、それを片付ければ簡易的な客間にはなりますわ」
「魅力的な申し出ですがここで休ませてもらえれば結構です、僕は壁を背にすればそれで寝られますので」
「よのなかどうなっとるんかのう」

繰り返しになりますが旅に必要なものは勇気と気力、そして時々の図々しさです。

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ふと、目を覚ますタイミングというものは、何も悪夢にうなされているだけとは限りません。他の人間の気配を感じ取れば、僕はいつだって気が立ってしまうのです。先程の二人からは不思議とその気配を察知することができませんでしたが、今度は明確に感知できました。

玄関側に一人、誰か立っています。他人に感づかれないように配慮し研ぎ澄まされた気からかなりの手練れであることに間違いありません。だからこそ僕の身体は睡眠を中断し、警戒しろとアドレナリンとアラートを全力で鳴らしているのです。

「おや、失礼、食後に社長の家の猫ちゃんをあやしにきたんだけど。君は新しい“英雄”かな?」

玄関前に立つ紫紺色のローブを羽織った長身の女性は、鈴の音のような澄んだ声でそう話しかけてきました。しかし、開口一番に英雄であるか否かを問いかけてくるとは、なかなか小粋な質問をするお姉さんだと思いました。

「とんでもありません、ぼくは旅人でこの家にご厄介になっているんですよ」

ナイフの柄からゆっくりと手を離しました。この人が社長以外の残りの村人なのでしょうか。なぜでしょう、目の前の女性はとても穏やかで柔和な表情をしているのに、先程一瞬感じた彼女の気は、常人の域を遥かに超えるものでした。研ぎ澄まされ無駄な気配を一切表さない、並の軍人でもここまでのものは出せないでしょう。

「私の名前は791(なくい)。旅人さん、ずいぶんおかしな場所で寝てるんだね、首は痛くない?」
「ぼくはテペロと言います、どうも普通のベッドで寝ることができない身体なんです、座ったまま寝ないと落ち着かなくて」

その場で立ち上がると、いまさらながら居間の灯りは落とされており、寝ぼけた頭で僕自身が暗闇の中にいることを実感しました。ブラックさんが気を利かせて灯りを落としてくれたのでしょう。玄関側にあるランタンの光が791さんのスラリとした姿を仄かに照らしていました。

「社長は自分の部屋かな?」
「そうだと思います。すみませんいま灯りをつけますね。えっと火種は――」
「ああ、大丈夫だよ」

791さんが一度パチンと指を鳴らせば、居間にあるすべてのランタンの火がポッと灯りました。居間のソファにいた数匹の猫たちがピクリと背を震わせましたが、その他の多くの猫たちは気にせずカーペットの上でくつろいでいるところを見るに、もう慣れているのでしょう。ぽかんと口を開けている僕に気がついたのでしょう。791さんはクスリと笑いかけました。

「“魔法”を見るのは初めて?」
「いや、時間もかけずにこんな早業で明かりを点けるなんて、素直に驚いていました。ぼくにはとてもできないな、と」
「ふふッ、お世辞が上手なんだね、でも意識を集中させればみんなできるようになるよ?」

驚かれた方もいるかもしれませんが、この世界では多くの人が日常生活で魔法を使います。火や水を出す魔法、物を浮かせる魔法など種類は様々ですが、日常に魔の力が介在しているのです。中には魔法を悪魔の代物と忌み嫌い魔法を敬遠する人たちもいますが、僕は好きです。多くの人間は詠唱し魔法を唱えますが、熟練した魔法使いは心のなかで魔法陣を描くことで詠唱せずに即座に使用できると聞きます。老いているように見えない彼女は、相当な才能があるのでしょう。

「ブラックちゃんは外で“準備”をしていたね、社長も忘れていないとは思うんだけどね」
「準備?なにかお祭りでもあるんですか?」

僕の言葉に、791さんはびっくりしたように口を少し開けました。

「あれ、聞いてないの?今日はね――」

彼女の言葉に被せるように、外では大きな炸裂音が響きました。続いて、気の抜けた笛の音の後に同じ炸裂音が二度、三度と続きました。僕は反射的に伏せて、その身をすぐに壁際に寄せました。

「これはッ、砲撃ですかッ!?」

791さんは上品な切れ長の目を驚いたように少し開けると、すぐに朗らかに笑いました。

「ああ、これは違うよ、合図の花火だよ。今日が“大戦日”なんだ」
「え?」
「時間だ、もう戻らないと。社長によろしく伝えておいてよ、今日という日を忘れていなければいいんだけど」

そう言い残して791さんは家を出て行きました。
入れ替わりで、バンという扉の開く音とともに奥の螺旋階段から社長が飛び出してきました。

「忘れていましたッ!今日は例の日ですッ!!」

慌てている社長の足元で飼い猫たちが、「なんだそんなことか」という様に欠伸をかいていました。


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