東京外国語大学の総合科目「生涯学習論」を受講している学生のフォーラムです。生涯学習の理論と実践に関心のある方なら誰でもアクセスできます。

2 アレクサンダー・カップの生涯

 アレクサンダー・カップ(Otto Emmerich Alexander Kapp)は1800年1月28日、現在のバイエルン州オーバーフランケン地方の山間の田舎町ルートヴィヒスシュタット(Ludwigsstadt)で、副司法官を努めるJohann C.W. KAPPの8番目の子どもとして生まれた。幼少期をそこで過ごしたのち、おそらくこの地域の中心都市であったバイロイトのギムナジウムで学んで大学に進み、20歳前後でプラントンの教育論に関する論文を書いて博士号を取得した(1821年に刊行した著作,任慮書が既に「哲学博士」となっている)。
 その後、遅くとも1828年までには、兄が校長を務めるヴェストファーレン州Minden市のギムナジウムの上席教員となった(彼の著作△慮書がそうなっている)。
 そして1832年には同州ゾースト市のアルヒ・ギムナジウム(Archigymnasium) の主席教員となり、その翌年andoragogik概念を提起した『個人教育学および国家教育学としてのプラトンの教育論:その実践哲学』を公刊している。ここには1854年まで勤務して、教育と研究に従事した。
 54歳で職を辞したのは、5月革命流産後の反動的圧力の結果と考えられている。彼は革命実践には加わらなかったが、革命への共感を公言することを憚らなかったという。彼はスイスのチューリッヒに亡命的な移住を行い。そして61年から郊外のフルデルン(Flundern)地区に子女学校(Töchterinstitut)という教育機関を開設し、運営にあたった。63年にはその近郊のヴィチコン(Witikon)村(現在はチューリッヒ市に編入)でスイス市民権を取得して帰化し、69年10月9日にフルデルンで死去した。72年に死去した妻Ottilie (von) Rappardとの間に4人の子供(Agnes, Caecilie, Marie, Otto)を儲けている。

- (4)1534年に創立され、1543年には宗教改革期の代表的人文主義者メランヒトンを校長に招聘したという伝統のあるギムナジウム。
(5)以上に関してはルートヴィヒスシュタットの地域史研究者(Stadtarchivar)Siegfried Scheidig氏から提供していただいた情報に基づいて記述した。

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