Twitterの「#いいねした人を同じアパートの住人として紹介する」タグにて書いたSSの原型まとめとなります。オカルト色強め、心霊・グロテスク・サイコな設定多数。

投稿者:毒田


こんばんは。
以前から内藤アパートに関して独自に色々調査している毒田です。
今回ははっきり言って読みにくいです。すみません。

あれから最寄の図書館にある郷土資料や過去の新聞記事、その他文献を出来る限り読み漁りました。
一人で調べきるのは中々骨が折れるので、今回から友人のRにも協力を仰ぎ調査を進めております。
(Rは僕にHNを勧めてくれた張本人ですw)

本題に入ります。

内藤アパートの立つ土地は元々焼け落ちた神社が存在した場所だと以前書き込みました。
当時(天正11年)あの土地を治めていたのは大地主の「有馬安佐衛門」と言う男性です。
神社を焼き払った張本人でもあります。
有馬安佐衛門は神主一家の殺害後発狂し、一族全員が不審死を遂げ血筋が断絶しています。
これを近隣住民は「神主の呪い」として大層恐れ、それ以降もあの土地に好んで赴く者はいませんでした。
安佐衛門亡き後に土地を引き取ったのは「千々石達吉」という男性でしたが、
彼もまた呪いを恐れ、殆ど管理をしなかったそうです。
結局あの土地の管理者は時代の変遷とともに有耶無耶になって行きました。

それ以降文政8年(1828年)まで、あの土地に関する資料は全くと言っていいほど見つかりません。
文政8年、唯一記載があったのは「当時の建物が大火で焼失した」ということだけでした。
上記の文章からあの場所に何かを建造していた事はわかりますが、その詳細が不思議なことに何処にも出て来ません。
大火の原因や死傷者数なども一切不明です。
ですがその後周辺の発展もありあの場所には長屋が建てられ、人が住み着くようになったようです。
そこからはちらほらと記載が増え始めました。
しかしその長屋は定期的に焼け落ちており、嘉永7年(1854年)、安政2年(1855)、安政5年(1858年)には
同年に発生した地震の影響で倒壊・炎上しています。
震源地から予測すると少々違和感がある気もしますが、文献にはそう記載されておりました。
また、この頃から文献に怪談じみた話題が散見されるようになっています。
住人が謎の自害をした、空き部屋で死者に出くわした、土地内でのネズミの異常発生と大量死があった、訪ねて来た者が神隠しに遭ったetc...
そして奇妙なことにこの辺りから文献ごとに起こった出来事の記載が大幅にブレはじめました。
ある本では焼失後手付かずの土地となったとされ、またある資料では再度長屋が建造され直した、
そこに人が寄り付かなくなった、人々は変わらず住み続けたなどバラバラです。
しかし慶応元年(1865年)にはどこの文献も「再び長屋が建てられ、人が住んでいた」としています。

時は更に進み大正11年(1922年)まで一気に飛びます。
その当時土地はかつての長屋を改築し、二階建ての共同住宅として使用されているようでした。
相変わらず奇怪な現象は定期的に記載されておりました。
また、何度か土地の鎮魂や厄払いなどを行ったそうですが、目覚しい効果はなかったそうです。
オカルト色の強い本では
「御祓いに来た位の高い坊主は訪れた翌日奇病で死に、霊験あらたかな大社の巫女は土地を遠目に見るなり逃げ帰った」
と書かれており、とても人の手に負える土地ではないことが示されています。
ですが不思議とその土地は人が途切れる事無く住み続けました。

そして翌年の大正12年(1923年)、かの有名な関東大震災によりその共同住宅はまたも全焼します。
生存者は一人もおらず、全員が屋内で焼死しました。
町の復興と共に共同住宅は再建され、気休め程度の慰霊碑も作られたようです。
そしてそこには焼け出されたり家族や土地を失った者達がまた住むようになりました。

ここでようやく住人に焦点が当たります。
この土地の建造物は焼失と再建を繰り返しながら行き場を無くした者や流れ者が根付くようになったのです。
勿論普通の一家なども生活をしていたようですが。
なんでも皆「土地の管理者を名乗る男」に無償で住処を提供してもらっていたとのこと。

実はこの男性、過去の焼失の記録にも僅かに登場しています。
「燃え盛る建物の中に男の人影を見た」「焼け跡に佇む浮世離れした男がいる」
「長屋の前を通ったときに不思議な男に声をかけられた、振り返ると誰もおらず狐に化かされたような感じだった」
全てがオカルトじみた噂話ですが、この「謎の男」は以前から土地に姿を現していたことになります。
しかし彼が何者か言及する文献はありませんでした。

再建された共同住宅は大正〜昭和にかけて更に改築され、戸数も増えて行き住民同士の交流も盛んになりました。
この辺りから「謎の男」の露出が増え、当時の住人ともやり取りがあった事が記載されていました。
そのどれもがなんともふんわりした情報ばかりで、はっきりと彼が誰なのか突き止めるまでに至っていないのが非常に不思議です。

住民も増えた頃、この建物はまたもや焼失することとなります。
昭和20年(1945年)、東京大空襲。第二次世界大戦の真っ只中でした。
土地は一瞬にして焦土と化したと言います。亡骸の中には「謎の男」とされる遺体も含まれていました。
以前作られた慰霊碑も跡形も無くなっていたそうです。

それから終戦にかけてその土地で「謎の男」の目撃情報が一気に増加します。
それは近所を徘徊していたり、生前の「謎の男」そのままの姿をしていたりと様々でしたが、
最も多く目撃されたのは「手付かずの焼け跡に全身焼け焦げた男性が微笑みながら立ち尽くしている」というものでした。
焼け焦げた人影は表情こそ穏やかですが、恐ろしく凍て付いた目をしており見る者を凍りつかせたと言います。
また、何故か住人で彼に自ら関わろうとする者が後を絶たず、関わった者は皆失踪したり不審死を遂げたりしたそうです。

そして幾度目かわからない再建の時、この共同住宅は「アパート」として甦りました。
その後建て直しや増築を繰り返し現在に至るとされています。

さて、現在に話を戻します。
このアパートと切っても切れない存在の「大家さん」、よく出て来ますよね。
過去に目撃されている「謎の男」との共通点が多いように感じると思います。
「大家さん」は近隣に住む一部の老人達には毛嫌いされているようですが、なんとなく理由がわかった気がします。
この土地に昔から住む老人達には、自らが幼い頃に目撃した「焼け焦げた姿の謎の男」が彼と重なるのでしょう。
僕も「謎の男」は「大家さん」と同一人物だと思っています。
ですが、彼の正体の手がかりとなるものは一切発見できませんでした。
やはり一度本人に聞いてみるべきでしょうか。
今度友人と取材を敢行しようかな。

今回は歴史中心に書かせていただきましたが、実際はもっとオカルティックな話が多かったです。
そのあたりの話も細かく書きたいのですがとりあえず今回はここまでで。
皆さんも火元には十分注意してくださいね。

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