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女性医師殺人事件1(〜2009年)-女性医師殺人事件2(2010年)-女性医師殺人事件3(2011年)-女性医師殺人事件4(2012年)-女性医師殺人事件5(2013年)-女性医師殺人事件6(2014年)-女性医師殺人事件7(2015年〜)

2010年

  • 2010年3月? 山田實NPO釜ヶ崎理事長と上田假奈代ココルーム代表が結婚。しばらく 雲隠れ
  • 2010年4月? 釜ヶ崎の人たちや本田哲郎神父が事情聴取を受けた[1]。
  • 2010年5月23日
矢島祥子さんを偲ぶ集い
  • 2010年8月5日
飛松探偵が事件の依頼を受ける。
  • 2010年8月16日 毎日放送VOICE
  • 2010年8月21日 TBS報道特集
川で見つかった女性医師の死…鳴り響いた携帯電話と手紙の謎
  • 2010年9月2日 テレビ朝日
追跡!真実の行方 〜大阪・女性医師変死〜
Dailymotion動画
YouTube(現在非公開)
  • 2010年9月14日 共同通信
女医死亡で公安委に苦情 遺族「事件の可能性」
  • 2010年9月25日 TBS報道特集
女性医師の不審死?…川に浮いていた、ある重要な物

11月14日4時過ぎに勤務先を最後に行方不明。

11月16日1時20分千本松渡船場の船着場で遺体発見。

死亡推定時刻11月14日午前中

遺体の後頭部には生前できた打撲痕があった。

遺体を発見した釣り人によると船着場のタイヤの所に頭が引っかかっていた。

片方の靴が一緒に浮かんでいた。

一日半も遺体と靴が一緒にあるとは考えにくい。

水死から時間を置かずに発見されたのではないかと飛松氏は指摘する。警察が発表した死亡推定時刻が根本から覆される恐れがある。

遺体のポケットに入っていた携帯電話。家族がかけると15日午後まで呼び出し音が鳴っていた。

携帯電話はこの時まだ川に水没しておらず、祥子さんは地上で生きていた可能性が出てくる。

胃には消化されにくい豆類のかけらだけが残っていた。

死亡する直前まで電話にも出られず、食事も取れない状況に置かれていたのではないかと飛松氏は話す。15日の夜に何者かによって殺された、もしくは拉致されて殺されたということができる。

警察は発見された靴のDNA鑑定を行うとともに、付着していた砂を分析し祥子さんの足取りを調べ始めた。飛松氏の調査で祥子さんが疾走する10日前に自宅近くのクリーニング屋さんに冬物のセーターを4枚出していることがわかった。

Dailymotion動画
Youtube
  • 2010年10月5日 朝日新聞
さっちゃんの死の真相を知りたい
  • 2010年10月26日 フジテレビ
'10/10/26 大阪 西成 34歳女医 「家族が追う"死"の真相」スーパーニュース(権利所有者によりブロック)
  • 2010年11月8日 テレビ朝日
  • 2010年11月23日 テレビ朝日
真実の行方「大阪市・女性医師変死から1年」(10/11/23放送)(現在非公開)
  • 2010年11月29日 テレビ朝日
  • 2010年12月1日 西成署の捜査説明
1.祥子さんの足取りに関して、今迄調査した防犯カメラの記録が報告されました。勤務先近隣の防犯カメラ。診療所を出たと思われる短時間以内には映っていない。住まい近隣の防犯カメラ。隣のマンションと斜め前のコンビニの防犯カメラは、管理者のミスで録画されていなかった。防犯カメラについての双方の報告は遺族の調査結果と異なる。

2.自宅に帰った足取りが確認されていない状況で、下宿が異様なまでにきれいに掃除されていた事を遺体発見日(16日)に遺族は確認してビデオ撮影。

3.本人・第三者を含め、指紋が確認できなかった。失踪直後から捜索願が出されてからも警察や勤務先職員が訪室しているが、施錠しないまま丸2日間近く放置されていた。(今は公表できないその他状況もあり、遺族は、「自宅に戻っていない」と認識している。)西成署は其の点について解答しない。

4.診療所の防犯システムについて。祥子さんのシステムカードにより退出した際に警報が発動され、33分間解除されなかった。(通常誤作動であれば、本人からの誤操作報告をすればシステムは復旧するので緊急出動はない。今回は緊急出動した。)このようなことは過去に例が無い事であり、遺族は、ここから、事件が始まったと考えている。

5.自転車発見現場近くの木津川縁から、潮流・天候にあわせて、祥子さんの身体状況に合わせたダミーを流して実験したが、2〜3時間で発見現場から更に下流の河口付近まで流れてしまった。

6.遺族は、剖検医師との面談を要請したが、西成署がそれを認めないため、遺族が元東京都監察医務院所長・上野正彦先生に相談した結果を12月1日の面会以前に提出、面会時に改めて剖検医師との面談を要請したが回答は得られなかった。→死亡推定結果について疑問がある。水泳ができる人は、自殺するためには石などの重りをつけないと溺水死は出来ない。祥子さんは水泳が得意であった。遺体に重いし等は付けていなかった。肺から空気が完全に抜けていなかった。

7.絵はがきをもらったと言う男性が「自死した」とテレビ等で公言しているただ一人の人間である件について。この人間の主張に根拠が明らかでないにも拘らず、詳しい捜査・捜査報告がなされていない。しかも、このハガキを根拠に警察は“自死”と決め付けた。

8.PHS 最終受信アンテナについて。
11月15日捜索願と同時に、PHS受信アンテナ位置確認機能による、捜査願いを提出した。15日14時過ぎまで、コール音が鳴っていたことを、家族も西成署捜査関係者も確認している。遺体と共に発見されたPHSの捜査は早期から復旧解析中と報告された。しかし、居場所最終確認アンテナすら報告がない。もちろん受信記録の報告もない。今後、この件についての捜査報告を求めていく。
出典:大変遅くなりましたが、12月1日の御報告をいたします
  • 2010年12月22日 捜査経過報告
1.遺体の近くに浮いていた靴のDNA鑑定結果について 
靴から微量の皮膚片2ヶが検出されましたが、DNA判定できず祥子さんのものと断定できませんでした。また、付着していた砂の分析を試みましたが、有力な情報は得られませんでした。ただ、靴の分析の結果、祥子さんの物であると断定できませんでしたが、警察は、流れのある川で遺体近くに浮いていたことや、祥子さんの靴下に残されていた靴の跡などから祥子さんの所有物である可能性は高いとの見解を示しました。

2.くろかわ診療所の捜査結果について 
11月14日未明、診療所のセキュリティーシステムが発動(警報)した際、祥子さんは、警備会社に連絡すれば警報を解除できることを知っていたにもかかわらず、そのまま放置されていたこと。そして、同日午前中に祥子の行方不明が確認され、16日に遺体で発見されたことから、この場所で何らかの事件に巻き込まれた可能性が非常に高いとして捜査を要請し続けた結果、死後約1年が経過した2010年10月11日に、くろかわ診療所内の捜査(任意)が行われました。捜査の目的は「事件の痕跡が残されてるかもしれないから」とのことでしたが、結果、事件に関係する新事実は何も発見されませんでした。私たちは、この捜査結果以前に、1年以上も捜査されなかったこと自体に強い疑問と不信を感じております。

3.祥子さんの最終の居場所について 
警察は、祥子さんはくろかわ診療所を出た後、自宅アパートから失踪したと説明しました。私たちは、前項のとおり、くろかわ診療所のセキュリティーシステムが発動した時、祥子さんが警報を解除できない状態(拉致等)であったか、もしくは事件関係者が発動させたまま逃走した可能性も否めないため、くろかわ診療所で事件に巻き込まれた可能性が高いと主張しましたが、警察は「警報を解除しなかったのは祥子さんが混乱していたからででしょう」と説明しました。しかし、その状態がいつから発生し、具体的にどのようであったかについては全く説明されません。この点を次回明らかにして頂きます。祥子さんの最終の居場所については、私たちは、くろかわ診療所である可能性が高いと考えておりますので、これから更に検討して反論してゆきます。

4.死因と死亡推定時刻について 
今まで警察は、死亡推定時刻を、死体検案書の2009年11月14日午前と示しただけで、検死結果や鑑定書、そして捜査から祥子さんの死亡推定の変更については一切説明してきませんでした。私たちが、警察の立会いのものと、剖検医師に会って更なる説明を受けたいと申し入れても、鑑定書があるからその必要は無いと、要望を受け入れてもらえませんでした。
出典:大変遅くなりましたが、12月1日の御報告をいたします

脚注

  1. 『飛松五男の熱血事件簿』「大阪西成女医不審死事件」

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