インドネシア語勉強会、インドネシア豆知識、インドネシアデザイナー作品紹介など。Indonesia channel

このページで書いている内容は友人を含め、日本に生活している外国人に”日本の疑問”について質問したときの回答です。
すべてが経験・および個人的な意見が入っていますので一部の声として思ってください。

■日本ではなぜ”青信号”と呼ぶのでしょうか?
参考回答:ヤフー知恵袋
青信号は英語では green light といいます。
日本で一番最初に道路に信号機が付いたのは1930年(昭和5年)、当時の信号機は左から「緑」「黄」「赤」、それぞれを「緑色信号」「黄色信号」「赤信号」と呼んでいました。
設置場所は東京・日比谷交差点で、そのときの警察庁の告示には「緑色信号ハ進行スヘキコトヲ示ス」とあり、法律の上でも「緑色信号」が正しく、青信号とは言いません、緑色を採用したのは世界標準がすでに緑色だったからです。

しかし、日本では古来より緑色のものを「青い」と呼ぶ習慣があり、緑色の野菜を「青果」と呼んだり新緑の緑を「青葉」と呼んだりします(青野菜の英文はgreen vegetable)、このため世間ではいつしか「緑色信号」を「青信号」と呼ぶようになります。

このような社会情勢により昭和22年の法改正で実態に合わせて法律でも「青信号」と呼ぶようになりました。
また昭和46年以降製作された信号機は、色覚障害者が緑色を識別しにくいことを考慮し、CIE規格の緑の色度範囲の中でなるべく青に見えるような色度を採用しており、近年は青色ダイオードの信号機採用などもありより青に近い色で光るように変更されています。

したがって、法律改定以来60年以上「緑色だけど青信号と言います=進んでもよい」と刷り込まれておりいまさら緑色信号にすると法律を変えなければならないし大混乱すると思います。

■日本人は親切だとよく言われているがそれは本当?
友人のコメント:
1. 急いでるのにエレベーターが開いたら外の何人かがどうぞどうぞ・・・・って延々と譲り合い。腹立って静かに中からドアを閉めた。静かにスッキリ!!YEAH!!

2. One time this lady got into an argument with a guy because he basically pushed her and she yelled after him “The least you could say is excuse me” and he stopped and then yelled at the lady for blocking the door while looking at her phone when everyone was trying to get off…neither was right really…but it was one of the loudest yelling contests i ever seen.

3. I lost my 5000 yen umbrella, my commuter pass, cell phone, disney land entrance ticket etc....but somehow I managed to get them back, without loosing anything. These can only happend in Japan !!!

4. 日本ではサービスレベルが高いと良く言われているけど、ときに親切すぎると感じたこともあるな。買い物するときや髪を切ったあとに、店員が出口まで送って深くお辞儀していた→やりすぎと思う

電車・通勤ラッシュに関する出来事が多いようですね

■インドネシア人ですと言ったら・・ああ知っているよ、バリ島でしょう? と何回も言われたのがきっかけで、インドネシアの中でも特にバリ島が人気があるのはなぜでしょうか?

インドネシアは島国のため(約17,000以上の島)ですが、その中でバリ島がリゾートだけではなく、住民がほとんどヒンドゥー教であり、宗教的な事もあり特殊です。(インドネシアはイスラム教が主体の国です)

ジャワなどインドネシアの他の島では其の後イスラム教が流入し盛んになっていきましたが、バリのみがバリヒンドゥーを残してこのヒンドゥーの儀式や習俗が色濃く残った為、それが19世紀になって欧米に紹介されました。この為欧米から多数の芸術家がバリに来た為、その指導などもあってこの儀式などは観光産業として洗練され、バリはより観光地として有名になりリゾート化しました。

観光地化されているとは言え、先進国では失われた精霊信仰や独特な宗教観に根ざした生活が残っている事と、リゾートである事、昔から芸術家が良くすんでいた為、欧米向けに理解しやすい洗練された文化もある事などから人気。

■日本語には主語がないのはなぜ?
参考:通弁サイト
日本語に主語がないというのも、日本人の「アイデンティティ」の弱さ、もっと厳密に言うならば、集団(全体)と溶け合った自己、他の存在と同一化した自分というところから来ているのかもしれません。西洋の住居がカギのかかる個々の部屋をユニットに構成されているのに対して、日本の家屋は、障子や襖(ふすま)といったソフトなボーダーで仕切られているだけです。また、自分の自己紹介には、所属している会社や団体の名前を出すことが多いのも事実です。組織のなかでも、各自の分担範囲はさほど厳密ではなく、みんなで気を利かせあって、調整しながらひとつのことを成し遂げようとする伝統があります。

こういったことから、日本人の「個」は、「集全体」にほぼ等しく、同時に「集」は「個」でもあると言えます。「同じ釜の飯を食う」などと言い、同一の集団に所属している他の存在との境界がゆるく、心理的には「同一」であろうとするのです。だから、上記のような主観的な文章が成り立ち、心理的・心情的な共感という暗黙の了解があるからこそ、主観的でありながら客観的にもなりうるのです。つまり、主語はこの際、誰でもいいのです。もちろん、これは、通常、公に発信するコミュニケーションにはそのまま当てはまりませんが、日本語表現の本質として、文章を作成するときのベースになっているような気がします。言い換えれば、このベースが押さえられていれば、その日本語表現はどこまでも自然な日本語らしくなるというわけです。





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