極めて容赦のない描写がメインになりますので、耐性のない方、および好きなキャラが残酷な目に遭うのがつらい方はご遠慮ください。

111 名前:ジガバチ[sage] 投稿日:2011/04/13(水) 20:18:25.97 ID:HznG44RO [1/11]
春。生命の息吹が感じられる季節ですね。
おひとつ、投下させていただきます。
虫、蟲、産卵、寄生。そんなキーワードで、お付き合いいただくか、
スルーいただくか、お決めください…

じゃあ、いきます。



「ジガバチ…?」
「そう、ジガバチ」
新緑の中、電話の向こうにいる兄さんが発した名前を、私は繰り返す。


私の住む家は山のそばにあり、買い物をするにはなかなか不便な場所にある。今日みたい
に、コンビニに行くだけでも、山道を歩いて小山を越えなければならないくらいだ。
そういうわけで、子どものころから足腰は鍛えられた。だけど、私はいわゆる体育会系と
呼ばれるタイプではない。かといって、お勉強ばっかり好きなタイプでもない。なんてい
うか、どっちでもなくて、目立たないタイプだと思う。世間話をして、一緒にお弁当を食
べるような友達はちゃんといる。でも、放課後には部活に行ったり、街に遊びに出かけた
りする子がいるなかで、私はひとり山道を歩いて帰るのが日常なのだ。
まあ、淡々とした学校生活を不満に思ったことは無い。
私は、ひとりでいる時間が好きなのだろう。本もマンガも好きだし、庭の手入れなんかも
楽しい。小学生のころは、先生も知らない花の名前を並べた詩を、国語の時間に提出した
おかげで、花博士なんて男子に呼ばれたこともあった。

今日は、朝からいい天気だ。いつもお世話になっているコンビニで、マンガ雑誌を買った
私は、家までの道をのんびりと歩いていた。
中学三年に進級し、私は受験生というやつになってしまった。まだ詳しいことは何も考え
ていないけど、これから忙しくなるのは確かだろう。本格的に気持ちを切り替えるのは、
夏くらいからでいいのかな。でもそれまでは、こうしてのんびり過ごしていいのかな。そ
ういえば、先週から新しく載ってたマンガがあったっけ…

気持ちのいい風が吹く山道を歩きながら、私は色々と思いを巡らせる。ふとトートバッグ
に目をやると、小さな虫が張り付いていた。
「あ、やだ…」
布製のバッグに張り付いていたのは、ハチのようだった。暖かくなってきて、冬眠から覚
めてきたのだろうか。アシナガバチに似ているけど、ちょっと違う。妙にスレンダーな体
型で腰が千切れそうに細い。全身が黒くてアシナガバチのような模様が無く、細い腰から
ふっくらした尻にかかった一部分だけが赤く見える、不思議なデザインのハチだった。
「んー、君はだれだい?」
頭の中が新作のマンガで満たされていたおかげで、わざとらしくハチに話しかけてしまっ
た。人に見られたら恥ずかしい姿だ。
「ちょっと面白いね。失礼するよ…」
カシャッ
私はケータイを取り出し、カメラでハチを撮影した。普通の女の子なら悲鳴をあげちゃう
相手かもしれないけど、住んでる場所が場所なので、私はわりとこういう相手に耐性があ
る。さすがにゴキブリとかは勘弁だけど。

「こいつ、なんていう虫?やばい?…っと」
メールに画像を添付して、簡単な文章を打ち込む。そっけない文面だけど、兄さん相手な
のであまり気にしない。
兄さんは大学生で、春から東京に出て一人暮らしをしている。田舎育ちなので色々と戸惑
うことも多かったようだけど、どうにか最近は軌道に乗ってきたようだ。時々、緑が恋し
いなんて、メールで嘆いているあたり、やっぱり兄妹だなと笑ってしまった。小さいころ
から山を二人で駆け回って遊んでいたのを思い出す。兄さんのような人間が近くにいなか
ったら、私はもう少し、おしとやかな女子に育っていたかもしれない。というか、兄さん
がいたから同年代の子とズレて育ってしまったのだろうか。
幾度も兄さんと駆け回った山道に立ち止まり、私は返事を待つ。返事は、意外とすぐにや
ってきた。

「もしもしー?」
「あ、兄さん。わざわざ電話じゃくてもよかったのに」
「ん、大学休みで暇だったからな。そっちはどうだ?」
「特に変わったことはないよ。もう桜も散ってきたし、暖かくなってきた。冬物の上着も
昨日しまっちゃった」
「そうか。俺は忙しくて桜を見る暇もなかったからな。羨ましいぜ」
「緑が恋しい?」
「うん。恋しいわー」
「あっなんか今、後ろでウグイス鳴いてるけど」
「マジ?すげえ春っぽいな!東京なんてカラスしかいないからなー」
お互い、久しぶりに声が聞けて心が躍る。遠い地でひとり頑張っている兄さんの話は少し
愚痴っぽかったけど、こんないい天気だから、暗い気分にもならない。色々と近況を語り
合った後、例のハチについて兄さんが話し始めた。

「そうそう、あの写メのやつな。ジガバチだと思うぜ」
「ジガバチ…?」
「そう、ジガバチ」
「ジガ…変な名前だね。珍しいやつ?」
「いんや。その辺ならいっぱいいるんじゃないか。あー、そうそう。ちょっと面白い話、
思い出したわ」
「えー、なに?」
「ジガバチってさ、どういう字書くと思うよ?」
「は?さあ…自分自身とかの自我?」
「俺様は、一寸の虫なれど自我を持ち生きる…ってか!ブー!」
「はじめて名前聞いたんだから、知ってるわけないでしょ」
「あー、すまんすまん。それでな、正解は、我に似るって書くんだよ」
「我に似る…我に似る…ああ、へー」
「羽の音がジガジガ聞こえるらしいんだが、それが呪文になるんだって」
「呪文?」
「地面を掘って巣穴を作るらしくてな、青虫とかを狩ってくるんだ。狩ってきた青虫は穴
の中に引き入れちまう。そして穴のそばで羽を震わせて、呪文を唱えるんだ。ジガジガ、
我に似よ、我に似よ…」
「えーと、はあ、そう…」
「するとやがて、青虫が呪いでハチになってしまい、外に出てくる!…と」
「それってあの、もしかして…」
「すなわち似我蜂!ま、昔の人が考えた話だな。実際は青虫に生みつけられた卵が孵るに
したがって…」
「あーもう、いいからさ。どうせネットとかの都市伝説ネタでしょ?」
「おいこら、違うって、これは民俗学的にだな…」
「怪談話なら夏に帰ってきたときにでもしようよ。こっち夜暗いしさ」
「ははは、すまん。ちょっと調子に乗りすぎたわ」
「いいよ、もう。ちゃんと夏休みには帰ってきてよね」
「気が早いなオイ!まあわかったよ。お前も受験だろ?適当に頑張れよ」
「適当って何よー!」
「気楽に行けってことだよ。はははっ」
「ふふっ、ありがとね。じゃあそろそろ切るよ」
「おいーす」

くだらない話に耳を傾けているうちに、結構な時間が過ぎていたみたいだ。バッグに付い
ていたジガバチも、どっかに行ってしまった。
「ありゃ、せっかく正体が判明したのにね」
地面に置いていたバッグをひょいと持ち上げ、私は歩き出した。
「あれ?」
だけど、歩き出してすぐに、私の足は止まった。
「こんな道、あったっけ」
山道の脇に、小さな獣道があった。小さいころから通っている山道で、私はこの辺りは自
分の庭みたいなものだと思っていた。でも意外と、足を止めてみると新しい発見があるも
のだ。方角は、大体自宅のほうに向かっているようだ。
「近道探索っと!イェーイ!」
こういうときは、迷わず進むものだ。時間もあるしね。

「やっば、こりゃまずいわ…」
迷ってしまった。歩けど歩けど、知っている場所に出会わない。方角は合っているはずな
のに、どんどん周りが深い茂みに包まれていく。
「裏山で遭難なんて、シャレにならないんだけど」
誰もそばにいないので、段々独り言が多くなってくる。
「えーと、とりあえずちょっと休も」
手ごろな大きさの石を見つけて、腰掛ける。
「さて、どうしようかな」
元の場所に戻るのは簡単だけど、折角歩いてきたんだから勿体無い。やっぱり道なんだか
らどこかに通じているはず。
進もうか。
戻ろうか。
迷っているうちに、なんだか眠くなってきた。疲れるほど歩いたっけ。どうだっけ。まあ
いっか。少しだけ眠りたい気分だ。
なんで、こんなに眠いんだろう。


ガサガサガサ
「えっ!」
私は目を覚ます。眠ってしまったのだろうか。
「何、何?」
私、何してたんだっけ?
ここ、どこ?
私、裏山で近道を探してたはず。
「何、これ…」
周りが、やけに背の高い草に覆われて、遠くが見渡せない。社会の教科書に出ていた、沖
縄のサトウキビ畑みたいだ。畑なのか、草原なのか。
ガサガサガサ
「っ!」
そうだ、私は物音で目が覚めたんだ。っていうか、何の音?木々のざわめきとか、鳥の声
とか色んな音がゴチャゴチャになって、私の耳に入ってくる。耳がキンキンする。
ガサガサガサ
何かが、近づいてくる。音が、近づいてくる。
「何なのよ…」

ガサッ
「っきゃあああああっ!」
相手を視界に捉えた瞬間、私はバッグを放り投げて、駆け出していた。
「あぐっ!」
耳にばかり意識が行っていて気がつかなかったが、背の高い草の中にいるのに、足元は河
原のように大きな石がゴロゴロしていた。私は石に躓き、前に転げる。
でも、今は石なんて大した問題じゃなかった。
目の前に、犬ほどはあろうかという、テントウムシが歩いてきたのだ。
「嘘、嘘でしょ!」
普段なら、手のひらを這うテントウムシくらい、怖くも何とも無い。けれど目の前にいる
それは、触覚をヒクヒクと動かし、私に嫌悪感を起こさせる。そして黒光りする華奢な足
は、少しずつではあるが、確かに、私の方向に歩みを進めてくるのだ。
「いや、いや、来ないで…」
言葉が通じる相手だなんて思わない。だけど、祈るように拒絶の言葉を繰り返す。足を捻
って身動き取れない今は、それしかできない。
心臓がドクンドクンと波打つ。
奥歯がガチガチと震える。
永遠とも思える数秒間。
テントウムシは、のそのそと私の横を歩いていった。
私なんてもとから見ていなかったように。

「…はあっはあっはあっ」
目の前が真っ暗になりそうになる。呼吸するのも忘れていた。
「もう、やめてよ…」
私はその場に座り込んでしまった。
「なんなのよ。なんなのよ…」
不安が心の中で膨らんでくる。目じりから涙があふれ、やがて決壊する。心の動揺もまた、
止めることができずに決壊する。
「う、うあああぁぁぁん」
私は何も考えられなくなって、ひたすら泣いた。泣いて泣いて、やがて顔を上げたら、こ
の悪い夢が覚めてくれていると思いたかった。

悪夢は、終わってくれなかった。
泣くことにも疲れた私は、顔を上げて少し気持ちを落ち着かせた。
横を見れば、相変わらず背の高い草が生い茂っている。上を見れば、雲が浮かんでいるよ
うに遥か上に見えるのが、新緑の木々たち。木々たちの間からは、時折耳をつんざく様な
鳥の鳴き声がこだましている。
「映画だっけ、絵本だっけ。これは」
周りの状況を一通り見ても、やっぱりこれは夢だと思った。夢だとして、どういう状況の
夢なのかと考えると、答えはひとつしかない。
「小さくなっちゃった。ってやつですか」
怖さを通り越して、なぜか笑いがこみ上げてきた。
「あは、あは、あははははっ!」
歪んだ笑い顔を浮かばせて、私はバッグを拾いに歩く。あれだけ必死に逃げようとしたの
に、何メートルも走ってなかった。いや、今の私には何センチの世界なのかな。
女の子なのに、いつも花とか虫とかばっかり眺めてるから、こんな変な夢を見るんだ。
そういや、夢の中なのに夢だと気づくのって珍しいんだよね。でも、いまは気味が悪いだ
けで楽しい夢なんかじゃない。好き勝手することも出来ないし、早く目が覚めて欲しいと
思った。
「んー、んー」
頬をつねってみたり、目を力いっぱい瞑ってから開いてみたり、色々してみた。だけど効
果は無い。
「早く帰って休みたいよ…」
どうしたらいいんだろう。


ォォォオオン!
「?」
途方にくれていた私は、耳障りな音が近づいてくるのを感じた。体を伏せ、様子を伺う。
何かが、飛んでいる音のようだ。
音を立てないように、辺りを見回す。
ブォン!
その時、私の頭上を黒い影が通り抜けた。影は、空中で器用に反転し、ホバリング飛行し
ながら、私の前に下りてきた。
「ちょっと、待ってよ…」
目の前に下りてきた影。つややかに黒く光った相手を、私は知っている。
「ジガバチ…」
あの時、兄さんに教えてもらったジガバチだ。一匹のジガバチが、巨大なジガバチが、私
の前に下りてきた。
相手は地に伏せているが、体長は私と同じくらいだろう。触覚を震わせ、羽を震わせ、大
きなふたつの瞳が私を見つめている。ツブツブが集まった、複眼というやつだ。近くで見
るとこうも気色悪いものだとは思っても見なかった…
チョロチョロと頭部が動き、やがて私のいる方向に向いて止まった。
ザッザッザッ
ジガバチが近づいてくる。
段々とこの世界に慣れてきた私だったが、咄嗟にやばいものを感じた。さっきのテントウ
ムシとは違う。この相手は、確かに私に向かって歩いてきているのだ。
「逃げ、逃げなきゃ」
踵を返して、私は草を掻き分ける。こんな世界で、私がどうしたら危険から逃れられるか
なんてわからない。でも今は、この気持ち悪い相手から遠ざかりたかった。
とにかく今は逃げないと。
ブブン!
背中のほうから、ジガバチの羽音が響いてくる。

「え?何?いやあっ!」
走り出す私の背中に、何かが覆いかぶさる。カチカチした感触が背中に押し当てられると
同時に、背中から胸へと、ほっそりした部分が回される。
しなやかな質感で、張りのある黒色が日の光を反射しているが、微かに産毛のようなもの
が生えているようだ。そして、先端部に行くにしたがって、ささくれたように棘が目立つ
デザイン。
私は知っている。これは昆虫の足だと。
そして、逃げようとする私の顔の横に、最も見たくないものがあった。
ジガバチの、頭部。
表情を変えない複眼が、じっと私を捉えている。触覚は絶えず動き、私の耳元を不気味に
撫でる。そして口の部分もギシギシと動き、まるで何か言葉を話しているようにも見えて
くる。
そんなジガバチの挙動全てが、私の恐怖をどこまでも増幅させる。
「やだやだ!離して!離しなさいよ!」
背中に張り付いたジガバチを振りほどこうとして、抵抗する。そばにあった枝に背中から
ぶつかっていこうとした、その時だった。


「グ、ギャアアアアアっ!!」
言葉にならない悲鳴を上げて、私は絶叫する。
灼熱の痛みを伴う毒針が、背中へと無慈悲に差し込まれたのだ。
痛い!痛い!痛い!
「ぎゃ、ぎゃ、げほげほっ」
激しく咳き込む。あまりの痛さに息が苦しくなって、私は酸欠状態になっていた。
「ああ、痛い…痛いよ…」
うめき声をあげる私を確認したかのように、ジガバチが私の背中から飛び立つ。
「ぶっ」
立つ力を失った私の体が、そのまま前に倒れる。私は顔面から草むらの中にビタンと倒れ
こんでしまった。
「うあ?」
そしてジガバチが私の目の前に降りてきて、止まった。
「うえ?」
私は激痛の中で、空ろな目でジガバチを見る。
ジガ、ジガ、ジガ
耳障りな音が鳴らされる。何の音かも分からなかったが、ジガバチの羽音だったのだ。
相手は、何か意味ありげに羽を振るわせている。威嚇なのか、何なのか。
と、自分が落ち着いて相手を観察している現状に気づいた。
「あれ?あんまり痛く…ない」
背中を刺された激痛は、ほんの10秒ほど前だと思う。だけど言葉に出来ない激痛は、案
外早く去ってしまったようだ。
だが、敵が目の前にいる以上、危ないのは変わらない。何をされるかもわからない。夢の
中で怪物に食べられちゃうなんて、本物の悪夢だよ。

ガシッ
ジガバチが、いつの間にか私の足元に回りこんでいた。どうやら私の足を掴み、引きずろ
うとし始めたみたいだ。
「ちょっと、何しようって」
ズルズルズル
「え、あれ…」
ズル…ズル…
「嘘!体が動かない!」
私の体、どうしちゃったの。痛みのショックは抜けたと思ったのに、全身の筋肉に力が入
らない。華奢なジガバチに引きずられるままに、私の体は砂利の上を滑る。
「助けて!誰か助けてーっ!」
この状況で、誰かに助けを呼ぶことは滑稽だったかもしれない。でも、かろうじて口だけ
が動かせる現状、叫ばずにはいられなかった。
「助けて!いやあーっ!」
ズルズルズル
「いや…助けて…」
ズルッ
私の脛が、空気に当たる。何か穴のような場所に入れられるように感じられた。
「助けて…兄さん…」

ズルッ、ゴトゴトゴトッ
深い縦穴に、私は引きずり込まれた。ジガバチは穴の入り口で足を使って踏ん張っている
のか、また私からは手を離していた。そして私だけは重力にしたがって、穴の最深部へと
落とし込まれた状況。
上を見る。首が動くわけではない。たまたま落ちたときに仰向けになっただけのこと。
「なんなのよ…」
岩壁に囲まれた場所に放り出された私。頭上の岩壁はどこまでも上に続き、はるか彼方に
茂った木々が、そして赤く暮れ始めた空が見えた。
いつのまにか、外は夕方だろうか。
絶望的な場所だ。体が動いても、登れるとは思えない。
もはや私は、抵抗する気も弱くなってきていた。どうせ夢ならいつか覚めるし、ぎゃあぎ
ゃあ叫ぶのもなんだかバカらしいような気分になってきた。
うつろな目で、遠い空を見上げる私。
入り口でこちらの様子を伺っていたジガバチが、逆さになって岩壁を伝い、こちらに向か
って下ってくるのが見えた。

「…」
私の顔に、ジガバチの顔が近づけられる。やはり気色悪いものだったが、こうもパニック
が続くと、頭のほうも麻痺してしまうのか。意外と落ち着いて相手を睨んでやることがで
きた。
「は、ははは。食べるならどーぞ?」
触覚が私の上半身を撫でる。
「目が覚めたら、踏んずけてあげるからね」
薄ら笑いを浮かべながら、強がってみる。私は、いつのまにか悪夢の世界の一員となるの
を受け入れていた。
何をされようが、これは夢。
覚めたら、元の世界に戻るんだ。
サイアクの夢におさらばしたら、ジガバチ一匹踏んずけてやるくらい、神様も文句言わな
いだろう。
だが、相手の行動は、私がまったく予想していないものだった。

「うむっ!うむうむうむっ!」
最初、何をされているのか分からなかった。
薄暗い中でようやく確認できたのは、私の口に、ジガバチの尻が押し込まれていること。
魚の鱗のように外殻が生えそろった上に、うっすらと毛が生えている。冷たいのか熱いの
かわからない。それが生き物の一部なのか信じられないが、上半身から繋がっているのだ
から、確かにジガバチの尻なのだろう。
「げ、げほっ」
拒絶する私に構うことなく、ジガバチはさらに深く、私の口を汚していく。これ以上入ら
ないと感じたなら、一度腰を引いてから、もう一度深く突き入れる。そんな風にして、よ
り深くへと尻を進ませようとしてくる。
今私がされていることが、人間の行為で何と呼ばれることか。
私は知っている。
性的な知識はネットでもマンガでも、得ることができる。
だけど、私がされていることが性的な行為であるなどと、私は絶対に認めたくは無かった。
これは悪夢であり、昆虫が戯れにやっていることなのだ。
私はそう、自分に何度も言い聞かせた。

グイ、グイ、グイ
何度も、ジガバチの尻が私の喉をつつく。
「あひっあひっ」
されるがままの私だが、アゴが外れそうになって疲れてきた。ただの昆虫が、何のために
こんなことをするのかな。
性器をしゃぶりあったりするのは、人間くらいだと思ってたけど。あはは。
あ、でも今の私は人間じゃないってことになってるのかな。
自嘲気味な気分になっていると、喉の最奥に尻を突き入れていたジガバチの動きが止まっ
た。
「うぁ…?」
喉の奥はゴシゴシと擦られて、感覚がなくなっていた。もはや、毒針で刺されても痛くな
いんじゃないかと思った。でも激痛が走るわけでもなく、そのままの体制でジガバチは動
きを止める。
何をする気だろう?
痛みが走るかもしれないと身構えていた私に反して、ジガバチは何もしてこない。ただた
だじっと動きを止めている。

やがて、ジガバチは私の唾液にまみれた尻を抜き、羽を震わせて上昇していった。
「おわっひゃ…?」
終わったのかと呟こうとして、まだ口の痺れが取れていないので間抜けな声を出してしま
う。
どうやら開放されたみたいだ。
私は少しだけ安心する。

ジガ、ジガ、ジガ
疲れ果ててぼうっとした私の上で、何か音が聞こえる。
すでに日も落ちてしまったみたいだ。穴の中に差し込む光は弱く、周りが見渡せない。そ
のために、耳で捉えられる情報だけが、私の頭に集中的に入ってくる。
「このまま寝ちゃったら、さすがに元の世界に戻るよね…」
耳障りな音も、意識が朦朧とした私には子守唄のように聞こえなくもない。手も足も動か
せないし、このまま意識が飛んでしまえばいい。
はあ、いやな夢だったな。早く帰りたい…
全身の疲れの中で、私は気を失った。


ジガ!ジガ!似我!ジガ!ジガ!




悪夢の世界で夜は更け、やがて朝を迎える。
山の向こうから太陽が昇り、森の中を少しずつ照らし始めていた。
にもかかわらず、私の悪夢はまだ、終わっていなかった。

「うぐっ、おっ、うげえええっ!」
胸が痛い。胸が痛い!
私は身動き取れない中でうめき声をあげる。
「げえええっ!げっげっ!」
目を見開き、気を失いそうになるほどの痛み。
なのに、寝ても苦痛を受けても、私の悪夢は終わってくれないのだ。
「はあっ…はあっ…」
眠りに落ちていたのに、胸の苦しみで無理やり意識が覚醒したと思ったら、まだ夢の中に
いたなんて。
夢の中でこんなに苦痛を味わうことなんて、ありえるのだろうか?

「うええぇ…」
私の体に、何が起きているのか。
昨日と言っていいのか分からないが、一度気を失う前にあったことを思い出そうとする。
その間にも、苦痛はどんどん強まり、私の胸を蝕んでいく。
ジガバチが、私の口に尻を差し込んで、何かをしていた。
それを最後に、ジガバチは飛び去っていった。今日は戻ってきていない。

いや、私が意識を失う前に、もうひとつ何かがあったはず。

「ジガ、ジガ、ジガ、ジガ」
私は、あの時聞いた音を、何度も口に出して呟いてみる。
「似我、似我」
元の世界で、兄さんが楽しげに語っていた話と、自分の聞いた音が重なる。
「うっうぇ!そんな!ことって!」
ギリギリと胸の痛みが増す。胸の痛みの答えは、すでに私の考えの中にある。だけど、あ
まりにおぞましい考えを、私は受け取ることなど出来ない。
「くうっ…」
認めたくない。そんなこと。
だけど、確実に、感触があるのだ。
痛みの中心が、私の中で移動しているという感触が。

ムシャ、ムシャ、ムシャ
空耳だ。そうに違いない。
ムシャ、ムシャ、ムシャ、ムシャ
「げっほ!痛い!痛い!だけど何も聞こえない!聞こえないよ!」
半狂乱になりながら、私は叫ぶ。自分の声で、聞こえてくる音を消してしまいたかった。
「ぐふっ!何も、何も…」
違う。私の胸の中には、何もいないんだから。
何もいないよね。

でも何もいないはずの胸から、血がにじむ。
シャツに出来る赤いシミが、段々と大きさを増していく。


バリッ!バリッ!バリッ!
「い、いやあああああああああっ!!」
私のシャツの下で、認めたくないものが這い出ようとする感触。
「うげえ!痛いいいいっ!」
鋭い大顎が獲物の肉を引きちぎり、噛み砕く。
「ぎゃああああっ!」
ヘルメットのような頭部が、大顎によって穿たれた亀裂を広げ、押し進んでくる。
「やめて、やめて、やめてーーー!」
大顎と頭部が出てしまえば、あとは柔らかい胴体がチュルンと出てくるだけだ。

おぞましい幼虫が、胸の肉を食い破り、そのままシャツも食い破り、私の目の前に現れた。
白かっただろうブヨブヨの胴体は、私の血に真っ赤に染まり、不気味にウネウネと動いて
いる。そして大顎には食い破った私の皮膚とシャツが引っかかったまま、ブランブランと
揺れているのだ。
「はっ、はっ、はっ」
激痛の中で、息があがる。呼吸が出来ているって事は、肺とかは生きているのかな。いや、
これは夢なんだから、常識じゃあ考えられないこともある。夢だよね。夢だよね。
「何で、何で殺してくれないのよ」
眠っても気を失っても元の世界に戻れないのなら、いっそ殺して欲しいと思う。そうすれ
ば、私はこんな苦しみを味わうことも無いだろう。

ムシャ、ムシャ、ムシャ
幼虫が、また私の服に潜り込み、今度はお腹から食い荒らそうとしているようだ。
また痛みが走るが、どうせ気を失うことは許されないのだろう。
「早く、殺してよ…」
段々と、何も考えられなくなる。これは本当に夢なのだろうか。ずっと悪夢だと思ってい
たけど、何かの魔法とかで私が本当に小さくなっていたとしたら、私が死んだらもとの世
界には戻れないのだろうか。
「どっちでもいいや…」
もう考えるのも面倒くさい。私は空ろな目で天を仰ぐ。
「死なせてよ」
暖かく照らす太陽が、血なまぐさい洞窟を静かに照らしていた。



END

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