極めて容赦のない描写がメインになりますので、耐性のない方、および好きなキャラが残酷な目に遭うのがつらい方はご遠慮ください。

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等一切関係ありません。


要するに僕は、とことん感動しない性質なのだ。
どうにも人生がつまらない理由もそれであろう。なんというか、心が動かないのだ。

今だってそうだ。

先程殺した少女の死体を傍らにこうしてタバコなんぞ吸っている。
殺人者になった感慨もぼんやりとしたもので、一番キラキラした生命力の盛りである少女を嬲り殺したというのに、すでに日常に埋没しつつある。
そう、「なあんだ、こんな程度か」と、冷めてしまっている自分がいるのだ。もっと、ドキドキすると思ったのにな。
とかく妄想に耽りがちな僕は、事を成す前から想像ばかりが先行してしまっているため、現実に直面した時点ですでにそれは色褪せてしまっているのだ。
いつだってそうだ。現実は想像と比べてどこか味気ない。

昔から僕は、一般的に言われているグロテスクな画像みたいなものを好んで見ていた。
別に精神異常者というわけではない。カッコいいからといったことでもない。エロスとタナトスがどうのと講釈垂れたいわけでもない。
ただ、それくらい刺激が強くないと僕はどうにも感動というものが出来ないのだ。性根がとことんまで鈍感にできてしまっているのだ。
繊細な人間はちょっと画面に出血シーンがあるだけでキャアだのワァだのと言うが、僕にはその神経が羨ましかった。
過激なものを好むのは、決して褒められることでは、ない。
むしろ薄味なものをしっかりと感じ取れることこそ素晴らしいのであって、それが出来る人間の人生とはかくも感動に溢れていることだろう。
一方の僕ときたら、鈍感というか、愚鈍というか、魯鈍というか、常に鈍いという言葉が付きまとう。
そんなわけだから、刺激を強く強くしていかないと、なんというか、どうも心が動かないのだ。
みんなが感動する場面で、しっかりと感動できる。泣ける場面で泣ける。笑える場面で素直に笑える。
そうした人間に僕もなりたかった。そうすればこんな事件も起こさずに済んだだろうに。

「なぁそうだろ?」

死体は何も答えてくれなかった。
生前の苦痛に見開いた目は、もはや何も見ていない。

物心ついた頃から、そうした僕の無感動体質というものは目立ってしまった。
「あの子はちょっと変わってるから」などと言われ続けてきたが、裏での大人同士の会話の中で「表情が無い」という声を聞いたことがある。
まったくその通りで、誰が転校しただの誰がケンカしただのという出来事に、僕は敏感に反応することができないでいた。
よくもまぁ彼らは素直に笑ったり泣いたりできるものだと不思議に思っていた。もちろん、それを直接言葉に出すことはなかったが、他の子供はそれを察知していた。
彼らは僕の表情に、何か不吉な雰囲気のようなものを感じ取っていたのだろう。当然避けられたし、煙たがられた。
自分が普通の人間とどこか違うというのは、むしろ負い目であり、本当に変わった人間はそれを必死で隠蔽しようとする。
僕も僕で、それなりの負い目を感じていたものだから、なるべく表情豊かに、と取り繕って生きていた。
「なるほど、今のは面白いんだな」と思えば笑うフリをし、「これは悲しい出来事なんだ」と分かれば悲しい顔をした。ただし涙だけはどうしても流れなかった。
しかし、そうすることにより、僕はようやく周囲と馴染めて、人並みの平穏を手にすることができた。人並みの感性を持てるということは、途方も無く素晴らしいことだ。
親や親戚の前でも取り繕わねばならない僕が言うのだから、きっと間違い無いだろう。

そんなこんなで生きてきて、やがて思春期を迎えた。
友人たちが「変態だ変態だ」と言っている性的情報に、僕は積極的に接近していった。
それも当然だろう、初めて見たセクシーヌード写真集やらは、当時性的に無知な僕に鮮烈な感動を与えてくれたのだ。
まだ小学校の高学年程度であったが、その手のものを親に隠れながら熱心に探し回った覚えがある。
ところが中学生くらいになると、今度はそうした情報に飽き飽きしてしまい、もっと過激なものをと探し回らねばならなくなった。
射精の興奮というものを味わいたくて味わいたくて奔走する姿、今考えればなんと滑稽なことだろうか。しかし充実はしていた気がする。

やがて、どんなに過激なものを見ても新しい感動が味わえなくなった。
市販されている中でもかなり際どいとされるものを手に入れても、ネット上のどんな情報を見ても、限度というものがそこにはあった。
こうなると、本物の体験しかないと思ったのだが、そう簡単に女体というものが手に入るわけではないので、ここは妄想に妄想を重ねた。
「世の大人たちがあれほど熱中するセックスというものは、とてつもなく甘美で、脳髄をとろけさせるような刺激があるはずだ」
そう考えて必死にマスターベーションを繰り返したのだが、これが失敗だった。

偽りの人並みを演じながら生きてきた僕は、高校へ上がったころにはそこそこの人気が出るようになった。
なにせ、間違えないように間違えないようにとリアクションを考え続けてきたのだから、女子が好みそうな反応というものもすでに心得ていたのだ。
「なんてイヤなヤツだろうか」という良心の呵責も少なからずあったが「きっと教室中見渡すこの全員がそうやって生きているのだろうな」と考えることで心を軽くした。
やがて、彼女ができた。初めての彼女だった。もう記憶も薄れてきたが、そこそこの美少女だったに違いは無い。
恋愛というものにも熱中した時代もあったが、想像を裏切らないその女の子のリアクションに次第に辟易としてしまい、セックスさえ出来ればもう構わないだろうと思っていた。
しかしどうだろうか、自室に呼んだ際、実際に行為に及んでみたのだが、これが想像の遥か下を行く官能しか与えてくれず、僕は心底失望した。
何度も行為をしてみたが、すればするほど、腰を振るのも作業で、キスをするのも定型の仕儀にしか思えなくなったのだ。

何度か女を取り替えてみたものの、これも同じで、刺激に大した差異などなかった。
いや、本当は差異があるのだろう。あるのだろうが、鈍感にできている僕にはそうした機微が感じ取れずにいたのだ。
これが僕に大層なショックを与えたのだ。世間一般で言われているセックスだセックスだというものにほとんど興味を失ってしまった僕は、孤独になった心地がした。
単純に頭が悪いのかしらと思い、勉強などしてみた。それも結局は成績が上がるのみであり、かえって自分の置かれた状況を言語化できるようになってしまっただけに止まった。
受験勉強などは、完全に作業の一環としか感じられなかったので、およそ想像通りの成果が出たことに対しても感動など覚えられず、合格だ不合格だと一喜一憂するクラスメイトに混じりながらも、心が冷えていた。
大学に通い始めるのと同時に、風俗で遊ぶことも覚えた。

夜遊びを好んでいた先輩とやらに紹介され、色々な様態の風俗に行ってみた。
もちろん、新鮮な感動を覚えたのは初回のみであり、一度行った店に二度行く気がどうしても起きなかった。愚鈍な僕はすぐに飽きてしまうのだ。
様々なプレイができる店にも行った。SMだの、人妻だの、外人だの、女子高生らしき子がいるところだの、妊婦とセックスできる店にも行った。
それぞれがそれぞれの感動と官能を与えてくれたが、どうにもこうにも飽きが来てしまい、悪くすれば「なぁんだ想像よりも下か」といった有様。
その先輩は僕のことを「普段は真面目ぶっているがとんでもないド変態」と称してくれたのだけれども、本当にそうだろうか。
傍から見ればその通りかもしれない。でも、実際のところは通常の人間が味わえる感動を感知することができずに動き回っていただけに過ぎない。
この頃から友人に薦められてタバコも吸うようになった。
みんなが好んで吸うそれをどうして僕は見逃していたのだろうと、改めて自分の鈍感さに辟易したが、セックス同様、感動などそこに無く、気づけば日常に埋没していた。
ああ、いったい、刺激の行き着く先はどこだろうか?
そんなことばかり考えていた。やがて大学二年のとき、とあるフランス人哲学者のエロティシズム論というものに出会った。
「なるほど、禁止を侵犯してゆくことをエロティシズムと捉えているのか」
あまり熱心に読み耽ることはなかったが、そのことだけはなんとなく頭に引っかかり、そして僕は緩やかに犯罪者への道を歩んでゆく。

いったい、人はどうして盗撮だの強姦だのをするのだろう?
裸が見たければ風俗へ行けばいいし、乱暴なセックスがしたいならばそういうパートナーと出会えばいい。
なのに、犯罪という形でそれを行うことはつまり、タブーとされている領域に一歩を踏み込む高揚感ゆえだろう。
このタブーの部分が解除されてしまっては、つまり風俗などに行って裸を見るようじゃ、味わえないものがある。ゆえに彼らは性犯罪を犯す。
問題はもう少し複雑であろうが、その時点の僕はそれを結論とした。
そうなると、急に興奮してきて、犯罪をする自分を想像しては射精を繰り返した。その当時の彼女とセックスをしている最中も、頭の中でそれを思い浮かべて射精していた。
それは盗撮や強姦に限らず、痴漢、薬物、窃盗、強盗、児童、誘拐、監禁、拷問、殺人……。

その中では痴漢が一番手っ取り早かった。
胸や尻などを弄ぶことにより、通勤通学という日常を送る女性を、ひょいと犯罪空間という非日常へ連れ去るのだ。
「こんなに普通そうな子が、どうして」という年上女性からの反応。身を強張らせ必死に災いの去ってゆくのを我慢する女子生徒。
その瞬間はさぁっと目の前に虹色の興奮が広がった。「ああ、やはり自分はこういう運命なのか」という諦観も同時に味わった。
無論、これも繰り返すうちにつまらないものに変わってゆくことになるのだが。どうにも僕は刺激に順応してしまうところがある。
それでも、自分の方向性はこれだなという確信を持つ切っ掛けにはなったのだが。

下着の窃盗なども行った。大学内のサークルで遅い時間にシャワーを浴びている女の下半分の衣服などを盗んだときなどは愉快でたまらなかった。
あえて気付いたときの反応を遠目にも見届けずに帰るのだ。それが一等一番の方法であることに気付いたのだ。
そして一人暮らしのアパートに戻り、「ああ、あの子はどうやって帰ったんだろうな」などと妄想してはマスターベーションに耽る。
現実を見てしまうと急に興醒めしてしまう性癖があるため、あくまで想像の余地を残すということにしたのだ。
また、ヒッピーめいた友人に接近し、大麻を吸引してのセックスに及んだことがあるが、これはイマイチ朦朧としてしまい、成果は得られなかった。
しかし、自我をどこかへ追いやるということは好きになり、酒の弱いのを利用して泥酔することが多くなった。
気だるい昼間に目を覚ますと、洗面所の鏡には平凡な青年など映っておらず、どこか堕落の気配を色濃く纏った不吉な人間が映されるのみであった。



「犯罪ってね、意外とバレないもんなんだよ。僕は経験則でそれを知っている。衝動的に犯したものならともかく、よくよく考えて仕組めばそうはバレない。
 もっとも軽犯罪のみだろうけれどね。さて、君の場合はどうかな?もう半月になるけれど音沙汰も無いね。ひょっとしたら君は誰にも知られず殺されて、
 僕がのうのうと暮らしてそれでお終いになってしまうかもしれない。そんなとき、君はどういう気持ちになるんだい?」

目を見開き、口をあんぐりと開けている少女の死体は、小魚の干物に似ている気がした。
すでに生物としての何かを喪ってしまっているあの感じもそっくりだった。
物言わぬ死体に挑発的なことを呟いてみたのは本心からではない。単純にこれから行うことの興を増すため、演出を施しているだけなのだ。僕はよくそういうことをする。
するとどうだろうか。埋没したはずの日常から少しずつ非日常が浮かび上がってくるではないか。セックスの際に様々な言葉を弄して盛り上げようとするのと同じである。
この子は、まだ使える。僕はそう思った。
緩んだ腹部をゆっくり踏みつけると、生前とは違う柔らかさを感じ、喉奥からコポコポという奇妙な音が聞こえ、唇の端まで血液が込み上げてくる様子が見て分かる。
すると、生と死の輪郭が急にくっきりしてきたように思え、この鈍感な脳に強烈な刺激が起こった。
その体勢のままマスターベーションを行い、少女の顔面に精を放った。もはやまばたきもせず、精液はゆるりと黒目の上をすべって涙の跡と混ざったのだった。

大学も卒業が見えてくると、周囲の友人が急に忙しくなり始めた。
さんざ遊びまわっていた先輩も無事に内定を手にして、4月からは正社員として何某かの仕事をするようだと聞くではないか。
同学年にも、企業を目指して活動をする者もいた。話してみれば、彼は大層欲望が強く、とにかく事業を成功させたくさんの金が欲しいといった調子だ。
おそらく、そういう人間に僕はなれない。莫大な現金を手にしても使い道というのに困ってしまい、結局のところ右往左往と今までの生活を繰り返すのみだろう。
それに、金で買えるものに僕の欲望を満たしてくれそうなものはなかった。
車、家、えっと、それから他に何を買えばいいというのだろう。ほら、こんな調子では金稼ぎだ金稼ぎだと奔走はできない。
きっと社会で一生懸命頑張ってゆこうとする人間ならばスラスラといくつも挙げることができるのだろうが、それが僕と彼らの違いなのかもしれない。
親などの期待を裏切らないために社会人になろうとする人はもっと立派だ。僕は他者のためにそこまで動くことができないだろう。
もちろん、安定や安寧といったものはもっと退屈で、そうしたものを楽しめる神経がどうやら僕には無い。

ならば、どうしようか。当時の僕は珍しく真剣に自分の将来について考えた。
とかく感動が少ないせいか生きている感覚は他の人に比べてものすごく希薄で、犯罪を繰り返した末に逮捕されようとも、それで台無しになるほどの大切な「何か」を持っていない気がした。
僕には、高価な食べ物と、粗末な食べ物の区別が付かない。舌の細胞がどうというより、脳が両者の違いを処理してくれないのだろう。
「美味しい美味しい」と言って食べる人は本当に幸せなんだと思う。
映画を見ても、音楽を聴いても、絵画を見ても、旅行に行っても、みんなが「素晴らしい素晴らしい」と言えば言うほど、期待に満たない結果に終わって自分自身に失望する。
ああ、どうにもままならないな。そう思った瞬間だっただろうか、この事件を起こすことを楽しみに生きるようになったのは。

それからしばらく、楽しい時間が続いた。
僕が日常生活を送りながら考え続けたのは、僕の心を吃驚仰天させるような事件のプランを如何に立てるかであった。
考えれば考えるほど楽しくなってきたし、先程までの考えを覆すような魅力的な考えが思い浮かぶと嬉しくなった。
それでいながら立派に社会人を始め、それなりに平凡な生き方をしているだなんて、なんて愉快なんだろう。
僕はある時は内装業者になり、使いようによっては危険な工具の使用方法を確かめたりもした。
電気丸鋸は指などあっという間に切り飛ばすだろう。ドリルの刃は頭蓋骨も貫通するだろうか。先に錐で下穴を開けて徐々に広げてゆくのもいいだろう。
これほど太いビスなら手の平を貫通させてもそう簡単に外れることはないだろう。これほど錆びたカッターならば柔肌にギリギリと押し付けるように切り裂くことになるだろうな。
内装業で生活する者が、そうした危険物を購入することは不自然だろうか?友人たちは僕が大学まで出ておいて何故この仕事を選んだことを大層不思議に思っているようだが。
ある時は、金属加工業の派遣社員となり、劇薬の類なども拝借することができた。人体への影響と書かれた注意書きを見ると今すぐにでも試したくなる衝動に駆られた。
いったい、骨にまで到達して徐々に溶かしてゆく痛みとはどれほど神経を刺激するものなのだろう。これは必ず使用してやろう。
他にも出来る限り職を転々としてきた。意図的に動いていたこともあったし、適当に職を探してた時期もある。
友人からは、フラフラしやがって、大学出てダメになったな、などと言われることもあるが、僕には方向性の定まったテーマがあるから問題だとは思っていない。

塾の講師のアルバイトをしたこともあり、そこで女の子を物色した。
ここまで少女に接近し、ゆっくりと品定めをし、おまけに個人情報まで入手できるのだから実に良いものだ。
酷い目に遭わせるのは成人女性がいいだろうか?いいや、なるべく幼く、とはいえ幼すぎず、純粋そうな子こそ悪意の餌食にしてやりたい。そのほうが映えるというものである。
おまけに、古来から少女には神性が宿るとされているではないか。いつだって神事に立ち会うことができるのは処女のみだ。聖なるものこそ冒涜するのが楽しい。
悲鳴を上げるなら声はできるだけ綺麗なほうがいいだろう。容姿が秀麗であるのは言うまでもない。
健康そうな子であることも必要で、生命力の輝いていない子を死なせても面白くないじゃないか。そして何より繊細そうな子。
僕が人生を楽しめないことの対局に立っているような、あらゆる苦痛も敏感に察知できる子がいい。そう考えているうちに、いつしか犠牲者は決まっていた。
正社員だろうがアルバイトだろうが、辞めてしまえばその後が音信不通になろうとも誰もさほど気に留めることはなく、それから約一年後、決行した。

大雨の日、よく氾濫する川がいつものように荒れていて、そこを帰宅路にしている少女が失踪し、下流から靴や通学バッグなどが発見されたなら、まず警察の仕事は遺体探しではないだろうか?
片手間で不審者の情報を集めようにも、そもそも雨で人通りも少なく、傘や合羽で顔が見えないことに不自然は無い。遺体が見付からずに何日も捜索を続けることも、不自然ではない。

現場から十数キロ離れた山のほうに、廃屋があることを僕は知っていた。
大層ワインに凝っていたのだろう、地下室には数本ほど中身が入ったまま残されていた。
狭い地下室に散々響いたのは少女の絶叫。むき出しのコンクリは結局、それを遮り外へ漏らすことはなかった。
彼女は実に様々な悲鳴を上げてくれた。しかも、嬲り方によって、嬲る部位によって、声色は敏感に変化を続けた。
きっとそれぞれの痛みの違いを鋭敏に感じ取っていたのだろう。僕もそれを愉しみ、何度も何度も犯した。
時に泣き叫び、時に痙攣し、時に失神し、時に泡を吹き、時に歯を食いしばり、時に血を吐き、時に嘆き悲しみ…。
そのそれぞれが、とても新鮮で、僕の脳にいくつもの刺激を与えてくれたのだが、次第に官能の質は変わっていった。いつもの、あの感覚がやってくる予感がしたのだ。

拷問を続けて5日目が過ぎた辺りから、あれほど瑞々しく思えた叫び声も雑音にしか聞こえなくなってきた。
たしかに、少女は苦痛の差異を声に出して訴えている。それなのに、きっと受け取る側の僕が、それらの違いが分からなくなってきたのだろう。
犯すときだって、陰茎に伝わるものは普通のセックスと同じでしかなく、苦悶や恥辱の顔もずいぶんと見慣れてきてしまった心地がした。
夢が、ゆっくりと日常に埋没してゆくのが分かる。
あれやこれやと用意した拷問器具の数々も、何度か使ううちに結果が想像できてしまうようになり、まだ使用していない器具すらもおおよその展開が想像できてしまう。
それから更に数日間、嬲り続けたが、さしたる変化も期待できず、徐々に生命の弱ってゆく様子は単純な数式が描く下降線のように思えてならなかった。
もっとも、このままここで殺されると悟ったときの表情、楽に死なせてなどと血を吐きながら命を放棄した表情などは、僕に少なからず感動を与えてくれた。
しかし、僕が掬えたのはその程度であり、無限に時々刻々と変化を続ける少女の姿のほとんどは、感知することが出来ず通り過ぎていった。
どうやら、どこまでも、どこまでもこの脳は鈍感にできているようだ。こうまでしても、鈍感なのだ。救いようがない。

いつの間にやら動かなくなった少女の、右太腿の切断面を火で炙ってみたが反応は無く、徐々に乾いてゆく全身の傷口を見て、心臓が止まったのを確認した。
ところが、完全に死なせるためこめかみの辺りに錐で穴を開け始めると、最後の命を振り絞るが如く暴れ始め金切り声を上げ始めたのはさすがに驚いた。
そこからドリルの刃を挿し込み、頭蓋骨を削りながら脳をかき混ぜると胴体を逸らせピンッと硬直し、しばらく後に脱力し、生命を吐き出した。
きっと両腕両脚があればもっと見ごたえがあったに違いないと、少しだけ残念に思った。

「屍姦も飽きたし、さて、どうしようかな」

僕は自分の思いつく限りの破壊をこの少女に施した。
この十数日間に、一生で味わう痛みの何百倍かを背負わせて嬲り尽くしたという自負はある。
精神的にも何度も痛めつけ、おそらくはこの子のあらゆる尊厳を踏み躙るだけ踏み躙っただろう。
しかし、そのどれもが、こうして思い返してみれば想像上の出来事よりも下回っていたような気がしてならないのだ。
そして、想像では今頃もっと充実感に満ち満ちているはずだったではないか。

「どうするかなぁ。どうせまた新しい子を殺したって、もう心は動かないだろう?」

行き着くところまで行き着いてしまった。その先には今までと同じ空虚が待ち構えていた。
鈍感であるということは、人生をろくすっぽ感じ取ることができないのと同じなのかもしれない。
その挙句がこの事件であり、事実、今でさえ僕はたいそれたことをしたとは感じられず、少女が僕のために嬲られ死んだという以上の意味を見出せないのだ。
なんて希薄な人間なのだろうか。僕はタバコの吸殻を少女の口内に落として捨てた。血溜まりの中、ジュッという音、そして少しの煙を立てて消えた。

「どうすればいいんだろう。どうして僕ばかりがこんなに退屈な思いをしているんだろう」

笑おうと思い笑ってきた。悲しもうと思い悲しんできた。その成れの果てが今の僕で、普通の人間はこういうとき純粋に罪悪感を覚えたりするのだろう。
この子は立派だった。少なくとも精神的不感症にできている僕よりも、ずっと。
自分らしく生きればいいだなんて言葉は嘘っぱちで、僕はもっとみんなと同じような感情を共有していたい。
それもどうやら叶わないと知ったならば、選ぶ道は一つのように思えた。



460 名前:反省文[sage] 投稿日:2013/03/29(金) 22:57:57.88 ID:/m1EG2uK [12/12]


↑貼り忘れました。

男性視点の独白なんて誰が楽しめるんでしょうねぇ。
時折、こうした自分勝手な作品を書きたくなる病気が発症します。
感想など寄せて戴くとありがたいです。あと、ほとんど一発書きなので誤字脱字とか多いと思います。
そのあたりは、別の場所で投稿し直したときに加筆やら修正やらをするつもりでして。

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