蔡琰とも呼ばれる。博学にして弁舌に巧みで、さらに音楽に精通していた。
切れた弦がどれだったかを正確に当てるほどの才色兼備の女流詩人。
董卓の残党によって乱が起こると、匈奴の騎馬兵に拉致され、
南匈奴の劉豹の側室にされ、匈奴に12年住む間に劉豹の子を2人をもうけた。
その後
曹操が烏丸族を征破。もともと蔡琰の父、蔡邕と親しかった事もあり、彼女に身代金を払って
帰郷する事となったが産んだ子はそのまま匈奴に置き去りとなった。
この時の、子との別離の苦痛を詩にしたものが胡笳十八拍(こかじゅうはっぱく)となる。
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