☆3荀 |
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曹操の参謀。
若い頃、「王佐の才あり」と評された名士。
もとは袁紹に仕えていたが、大業を成す事の出来ない人物だと判断し、曹操が人材を集めている時に、その幕下に加わる。
曹操は「我が子房」(前漢の功臣)だと喜んで迎え入れた。
曹操が董卓のことを尋ねると、乱のうちに命を落とすと予言してみせた。
容姿端麗で威厳があったが、人には謙虚な姿勢で接し、身内を贔屓せずに公正な人事を行ったため、
推挙する人物はほとんどが適任者だった。
曹操の戦略はその大半が荀の立案であり、演義では「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」を提案。
劉備が頼ってきた際は、その才を見抜き、殺すように進言する。
袁紹軍との戦いにおいても袁紹陣営の弱点を論じて講和案を退け、曹操に決戦を決意させた。
曹操は荀の功績をたたえ、三公に推挙したが、これを拒み続けた。
のちに魏公推挙騒動(漢の中に新たな国「魏」ができるということ。曹操を始めとするほかの者たちはそれに賛成する)
が持ち上がるとこれに異議を唱え、憂悶のうちに病死する。
演義では空の器(用済みという意味にも取れる)を曹操から贈られ、毒を仰いで自殺する。
人物評が正史に残っていることが珍しい中で、伝の記述が同世代の人物の中でも極めて多く、荀の名声の大きさが伺える。
後世、曹操とその腹心は簒奪者として評判が悪いが、荀だけは例外だったという。
若い頃、「王佐の才あり」と評された名士。
もとは袁紹に仕えていたが、大業を成す事の出来ない人物だと判断し、曹操が人材を集めている時に、その幕下に加わる。
曹操は「我が子房」(前漢の功臣)だと喜んで迎え入れた。
曹操が董卓のことを尋ねると、乱のうちに命を落とすと予言してみせた。
容姿端麗で威厳があったが、人には謙虚な姿勢で接し、身内を贔屓せずに公正な人事を行ったため、
推挙する人物はほとんどが適任者だった。
曹操の戦略はその大半が荀の立案であり、演義では「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」を提案。
劉備が頼ってきた際は、その才を見抜き、殺すように進言する。
袁紹軍との戦いにおいても袁紹陣営の弱点を論じて講和案を退け、曹操に決戦を決意させた。
曹操は荀の功績をたたえ、三公に推挙したが、これを拒み続けた。
のちに魏公推挙騒動(漢の中に新たな国「魏」ができるということ。曹操を始めとするほかの者たちはそれに賛成する)
が持ち上がるとこれに異議を唱え、憂悶のうちに病死する。
演義では空の器(用済みという意味にも取れる)を曹操から贈られ、毒を仰いで自殺する。
人物評が正史に残っていることが珍しい中で、伝の記述が同世代の人物の中でも極めて多く、荀の名声の大きさが伺える。
後世、曹操とその腹心は簒奪者として評判が悪いが、荀だけは例外だったという。
このページへのコメント
>空の器
吉川三国志では、『曹操が自身で封をした弁当箱』になっている(中身が空なのは同じ)。報告すれば、どっちに転んでも嘘吐き呼ばわりされ、お礼をしなければ無礼者になる…追い詰められた荀が、という話になっている