最終更新:ID:pjdQ/+iBvA 2016年08月22日(月) 22:57:58履歴
☆4貂蝉 |
正史にその名前は見当たらず、架空人物説が有力である
董卓が専横を極めた際に王允の養女として登場
憂いを帯びた表情で沈んでいた貂蝉を見つけた王允。「何を憂いているのか」と問うと、「天下のことを」と答える貂蝉
それを見た王允は、呂布と董卓の中を引き裂く「美女連環の計」を思いつき、貂蝉に打ち明け、承諾を得た*1
李儒の諫言*2により一時は計そのものが頓挫しかかるが、貂蝉は一芝居を打ち危機を脱した
紆余曲折の末、最終的に董卓が殺害されると呂布に連れていかれる
しかし、すでに己の役割を果たしていた貂蝉は自害して果てた
・・・のは吉川三国志での話。演義では呂布と行動を共にしている
のみならず、呂布が曹操に攻められて下ヒに追い詰められた際、陳宮の献策した「掎角の計」を正妻の厳氏に大反対されて悩む呂布に相談された時、
「私の身を案じてむやみな出撃は控えてください」と、(厳氏の肩を持つような)微妙な発言をしている
最終的に呂布はこの計を断念。これで呂布軍の運命も窮まった
そして貂蝉自身も、呂布の死とともに人知れず演義の舞台から退場していくことになる
董卓が専横を極めた際に王允の養女として登場
憂いを帯びた表情で沈んでいた貂蝉を見つけた王允。「何を憂いているのか」と問うと、「天下のことを」と答える貂蝉
それを見た王允は、呂布と董卓の中を引き裂く「美女連環の計」を思いつき、貂蝉に打ち明け、承諾を得た*1
李儒の諫言*2により一時は計そのものが頓挫しかかるが、貂蝉は一芝居を打ち危機を脱した
紆余曲折の末、最終的に董卓が殺害されると呂布に連れていかれる
しかし、すでに己の役割を果たしていた貂蝉は自害して果てた
・・・のは吉川三国志での話。演義では呂布と行動を共にしている
のみならず、呂布が曹操に攻められて下ヒに追い詰められた際、陳宮の献策した「掎角の計」を正妻の厳氏に大反対されて悩む呂布に相談された時、
「私の身を案じてむやみな出撃は控えてください」と、(厳氏の肩を持つような)微妙な発言をしている
最終的に呂布はこの計を断念。これで呂布軍の運命も窮まった
そして貂蝉自身も、呂布の死とともに人知れず演義の舞台から退場していくことになる
民間伝承では、呂布の死後の貂蝉について二つほど話が伝わっている
一つは、劉備が手に入れたのだが、あまりに劉備がデレデレするあまり関羽が斬り殺してしまう、というもの
もう一つは、曹操と関羽が奪いあいになるが、最終的に曹操が折れる、というものである*3
どちらもなぜか関羽絡みである
吉川三国志では、貂蝉(便宜上、『初代』とする)を忘れられない呂布が、似た人物を探し出して『二代目』を名乗らせる描写がある
あまりの落差に、吉川氏も同一人物と考え難かったのだろう
『初代』の遺した置手紙を読んだ呂布が、真意を悟ってその遺骸を古井戸に投げ捨てる描写があるが、
やはりそれだけ未練を残していた、ということか
一つは、劉備が手に入れたのだが、あまりに劉備がデレデレするあまり関羽が斬り殺してしまう、というもの
もう一つは、曹操と関羽が奪いあいになるが、最終的に曹操が折れる、というものである*3
どちらもなぜか関羽絡みである
吉川三国志では、貂蝉(便宜上、『初代』とする)を忘れられない呂布が、似た人物を探し出して『二代目』を名乗らせる描写がある
あまりの落差に、吉川氏も同一人物と考え難かったのだろう
『初代』の遺した置手紙を読んだ呂布が、真意を悟ってその遺骸を古井戸に投げ捨てる描写があるが、
やはりそれだけ未練を残していた、ということか
このページへのコメント
中国四大美女の一人に数えられる程有名だが、残念ながら『貂蝉』の名前は史書にはない模様