1935年、真如苑の開祖・伊藤真乗は、鎌倉時代の仏師・運慶が刻んだと言われる仏像・大日大聖不動明王と出会います。
当時、航空会社の技術者であった真乗は、この不動明王をお迎えすることを契機に、妻・友司とともに、仏道に入る決意をします。
翌1936年、真言宗醍醐派総本山・醍醐寺にて得度。1939年、在家の修行である
恵印灌頂を修めたのにつづき、1943年に出家の修行の仕上げとも言える金胎両部の伝法灌頂を修めました。
それは、出家・在家の行をすべて継承したことを意味します。
真乗は、修験道の流れを汲む恵印法流を在家法流、醍醐寺三宝院に伝わる三宝院流を出家法流として位置づけ、やがて、出家を基盤とした在家仏教としてそれらを束ね、涅槃経の精神と密教の精神的な力とを込めた、独自の法流・真如三昧耶流(しんにょさんまやりゅう)を創始します。
醍醐寺には、1997年、この法流を顕彰する真如三昧耶堂が建立されました。
真如苑とは「真如三昧耶流」でもあります。