無重力の中、手足と壁を使って方向転換をしながら、アーガマの通路をシンは進んだ。
 絶えず循環していく冷たい空気の中で、左右を見回し、求める人影を探す。しかし見つからぬまま、格納庫へと到達した。
 そこは、さながらもう一つの戦場だった。
 先刻の戦闘の爪痕をそこかしこに残した多くの機体が、急ピッチで修理作業に入っている。あちらこちらで整備士たちによる資材や時間との戦いが繰り広げられ、その作業音と声で、自分の声さえ聞くのが難しいほどの雑多な喧騒ができあがっていた。
 その中をかいくぐるように通り抜け、シンは求める機体の前まで辿り着いた。
 コクピットに向かうまで、あともう床を一蹴りといったところで、不意に背後から声をかけられる。
「やあ、シン・アスカ。皆とは和解したのかね」
 唐突な呼びかけに、シンは振り返った。
 整備を終えたところらしいロジャーが、奥からやってくるところだった。背後に、彼のみが操ることのできるビッグオーが、格納庫の一角を占拠する格好で鎮座しているのが見える。
 何気なく問われた内容に、シンは反応に悩み、口をつぐんだ。
 自分とZEUTHの和解という結果を、この眼前の交渉人が是と思っているのか、それとも非と断じたいのか、泰然とした声からでは一概に判別できない。
「……セツコさん、見ませんでしたか」
 薄い緊張を覚えながら、シンはあえて別のことを訊ねた。
 元々あまり会話をしなかった間柄のせいか、対峙すると反射的に気後れが生じる。力関係や派閥といったものではなく、単純に日常会話をするか否かという部分で親近感の度合いに差は出てしまう。年長組や若者組という風に明確に色分けているつもりはないが、ZEUTHの中でもシンが気安く喋れるのはやはり同年代が圧倒的に多かった。
「彼女ならまだバルゴラかもしれない。整備前に手伝いは必要かとノーマンが声をかけたが、もう少し一人で調整すると言っていたそうだ」
「そうですか」
 ならば、まだあそこにいるのかもしれない、とバルゴラのコックピットを見上げる。
「デスティニープランに、君は未来を見たかね?」
 ごく何気なく放たれた問いに、シンは動きを再び封じられ、振り返った。
 ポーカーフェイスを駆使するのが交渉人の必要最低条件だと理解はできても、実際に自分が見定められる側にあると思うと、反応に躊躇する。
「……あんたから見れば、一度でもあれにすがった俺は、有罪ですか」
「いや」
 彼は悠然とした笑みと共に、緩やかに否定した。
「君が信じようとした理由を、私は多分、理解できる」
「え?」
「逃れようのない悲しみを、それで救えると信じたかったのだろう?」
 これほどの喧騒の中で、彼の声はそれだけが独立した特殊な旋律のように、耳に届く。
「だが現実から目を背けることは、結局何の解決にもならない。問題を先送りにすればするほど、むしろ取り返しがつかなくなる一方だ」
「俺が選ばないって、最初から分かってたみたいに言うんですね」
「そうだな、そんな気はしていたよ。行き着く先をもう知っている君だ」
 浅く、かすかに遠くを見る眼差しで、彼は苦みばしった笑みを見せた。そして悠然と去っていく。
 一方的に示された理解に顔をしかめ、シンは唇を噛み締めた。
 振り捨て、床を蹴る。
 メインカメラを生かしているなら外が見えているだろう。そう軽く考え、コックピットキャノピーをノックしてみる。
「セツコさん」
 わずかな時間を空けて、音を立ててキャノピーが空いた。
「シン君?」
 身に纏っていたパイロットスーツは既に脱いで脇に追いやり、軍服にスカートといういつもの身軽な格好で操縦席に座っていたセツコの目が、シンと合う。
 セツコの身体に怪我がないことに思わずほっとした瞬間、ほとんど誤差なく、セツコの瞳がシンの全身を頭から足元まで一度見やり、同じようにその細い肩が緩んだ。コンソールを操作していた指が置かれる。
 が、そこから何を話せばいいのか躊躇する気配が生まれ、彼女が遠慮がちに微笑んだ。
「……もう、皆とは話した?」
「はい」
「怪我はない?」
「大丈夫です。セツコさんこそ、大丈夫ですか」
「え?」
「あ、ええと、味覚じゃなくて。怪我、してないですか」
 なぜそこでわざわざ訊き返されるのか一瞬悩み、ミネルバがZEUTHを離脱する前に知ったセツコの身体状況を思い出してシンは言い足した。
「うん、大丈夫。ごめんね、整備が終わったら私から会いに行こうと思ってたんだけど……」
「や、それはいいんです。俺もセツコさんに話したいことがあったんで」
「話したいこと?」
「はい」
 コックピットの縁に腰かけるようにして、シンはセツコと向き合った。喋り出すのを彼女が待ってくれているのが分かる。
 緊張のせいで、喉が渇く。離れていた時間はそう長いものではないというのに、戦ったという事実と、彼女が望まぬ未来へ自分が進もうとした罪悪感のせいか、握りこんだ手のひらに汗が滲んだ。
 固い空気共々、どうにか緩和できないかとシンは手のひらの汗を乱暴に服で拭い、セツコに手を伸ばした。
「あの、喉、渇きませんか。食堂で水でも――」
 シンが手首を掴んだところで、不意をつかれたセツコがハッと目を見開いた。
「いいの!」
 咄嗟に、勢い良く身を引こうとする。が、無重力でその力は弱くしか働かず、ハーネスベルトをしていなかった彼女の身体がシートから浮き、シンの方へと引っ張られる。
「やめて!」
 愕然と身を竦ませたセツコの悲鳴が、格納庫全体に広がる喧騒にかき消されて、シンにのみ届いた。
 切り裂くような怯えに、シンはぎょっと動きを止めた。
 そして見開いた視界の中で、信じられないものを目の当たりにした。
 シートを離れるに従い、彼女の大きな瞳からまたたく間に焦点が失われていく。
「な……」
 驚きに言葉を失った直後、掴んだ手を振り払われたかと思うと、今度は逆に手をぐっと強くつかまれた。
「誰にも、言わないで」
 声を低く殺し、しかし切迫した眼差しがこちらを見据えてくる。
 いや、違う。
 見据えているようでありながら――わずかに、焦点が合わない。
 シンは自らの首筋に冷や汗が落ちたのを知覚した。それから、つい先ほど自分が問いかけた「大丈夫ですか」という言葉に対する反応の不可解さも。
「セツコさん、まさか……目」
「……やっぱり、シン君には、すぐ気づかれちゃうと思った」
 シンのうめきに、眉根を寄せながらも、観念したように彼女の唇だけが淡い微笑に彩られた。しかし同時にそれは、もう隠さなくてもいいという安堵をも滲ませたようにも見えた。
「でも何で、ミネルバが離脱する前は……」
 こんなことはなかったのでは、と続きかけたシンの呟きに、セツコの肯定がかぶった。
「うん、その後から。戦いの後にね、バルゴラを降りちゃうと……今は少し、こんな風になるの。もう少し時間が経ったら、降りても問題ないんだけど」
 今は、という単語が、シンを抉った。
 いったい自分がいない間に、幾度の戦いが起き、幾度の不調を経て、ここまで悪化してしまったのか。
 動けないシンを前に、身体をシートに戻して視力を取り戻したセツコが、一足先に気を取り直して穏やかに笑った。
「だから気にしないで。もう少ししたら、治まると思うから」
「気にしないでって、そんなの無理だ!」
「そっか。……ごめんね」
 力ない肯定と謝罪でありながら、それはシンから全ての言葉を奪うには充分だった。なすすべなく、シンは力が抜けた身体を再びコクピットの縁に腰かけさせるしかなかった。
 つかまれたままだった手に、細い力が付与された。
 彼女がまた、微笑む。
「でも、私のことはいいの。こうして戦うってことまで、全部、私が選んだことだから」
 どれだけ問答を繰り返そうと覆せない。
 それほどの澄んだ決意が、そこにあった。
 シンは痛むほど眉間に皺を寄せ、唇を噛みしめた。
 彼女の強さを思い知らされる。どれだけ自分が弱かったのかが明るみになる。
「その選択を、俺は、奪おうとしたんですね」
「シン君?」
「……俺が、弱かっただけの話なんだ」
 触れている手からぬくもりが伝わる。
 頼りないその繋がりを、今でも絆だと信じたい。無論、おこがましいと分かっている。それでも離したくないと思ってしまう。
「デスティニープランで戦争がなくなって、戦うべきじゃない人たちは戦わなくて良くなって、皆が幸せになる。
 そんな未来がどんな姿なのか……ちゃんとよく考えて、プランを信じたわけじゃない」
 懺悔をこめながら、シンはひたすらに喉の奥から言葉を吐き出した。
「でも、信じた。俺がそれを選んだんだ。だってそれをしなかったら、俺は、自分に何の力もないっていう現実を認めなきゃいけなくなるって思ったから」
「そんなことないわ! シン君ができることは、今だってたくさん――」
 はじかれたように顔を上げ、セツコが声を上げた。だがシンは苦い笑みを浮かべ、かぶりを振った。
「ないです。現に、レイも助けられなかったし、セツコさんも助けられない」
「わたし……?」
「俺、セツコさんの身体が心配で、でも俺は頭悪くて……自分で何か考えても絶対失敗すると思ったから、だからプラントに戻った時、スフィアのこと、議長に訊いたんです」
「……スフィアのことを?」
「はい。スフィアは、セツコさんが負うように定められてる運命なのかって。そしたら議長は、スフィアを宿してしまうのが、最初から誰かに振られた役割じゃなくて、グローリー・スターの三人の内の誰かだということなら、それはセツコさんが必ず背負うべきものとは言えない。そもそも、戦争とも無関係に、平穏に生きるべき人だったかもしれないなって」
 シンは目を伏せた。脳裏に、ギルバート・デュランダルの面影を掘り起こす。
 彼が何をどう考え、セツコのことをそう語ったのか、真意はもう分からない。
 だがそんなことは関係ない。
 彼ならば人知を超えた話にも答えをくれるだろうと、そうすがったのは、自分だ。
 深謀遠慮という形容がよく似合った人物だった。
 食えない人物だとどれだけ他の陣営から危険視されても、プラントがこの多元世界に巻き込まれた時にどの国からも侵略されなかったのは、やはり彼がいたからだとも思う。
 彼の方法の裏に犠牲や欺瞞があったことは分かっている。正しいとは言えないことも。
 それでも、自分に限って言えば、そそのかされたとは今でもどうしても思えない。
 この脆い世界で、顔も知らない多くの人々を不幸からすくいあげたかった。それはきっと、本当だ。
「俺がスフィアのことをちゃんと理解してなかったっていうのもあるけど、とにかく議長にそう言われて、俺は、ならデスティニープランが施行されて、後は俺がアサキムさえ倒せば、セツコさんもスフィアや戦いから解放されるって都合よく解釈したんです。だから皆から否定された時も、戦いをやめられなかった。やめたら、セツコさんを助けられない気がしてた。それにレイを一人だけ置いて、レイが世界を憎んだまま死んで行くのを見るのも、辛かったし」
 長くは生きられないと達観していた友人。友人と思っていたのは自分だけかもしれないが、それでもやはり、今も友人だ。
 敬愛する議長と共に最期を迎えられたことが、せめて彼の安らぎになってくれればいいと思わずにはいられない。
「だからセツコさんが俺と交戦して、戦いをやめてくれなかった時も、なんで分かってくれないのかって思ってました」
 己の情けなさを笑い飛ばそうとして、しかし筋肉をうまく動かせなかった。眉間に入れた力を拡散しきれず、変な表情のままで片頬を歪める。
「バカですよ、ほんと。都合いいとこしか見てなくて、俺自身のやってることが、セツコさんのこれまでの戦いそのものを否定するってこと、気づきもしなかった」
 そこまで言い終え、シンは大きく息を吐いた。
 悲劇を通り越して滑稽な喜劇としか言いようがなかった。
 この人に何も失って欲しくないという思いから選んだ方法が、その人物から未来どころかこれまで選んできた過去すら否定し、選択を奪う結末に至るなど、
 手を離すこともせず、話を聞いてくれたセツコを見る。一言も聞き漏らすまいとするように、唇を引き結んで聞いてくれている。
 ここまでくれば全部聞いてもらいたくて、シンは肩を竦めて、笑ってみせた。
「さっき、ここに来る前にロジャーさんに会いました。色々言われたんですけど……俺がデスティニープランを認めるはずないって、悔しいけど、あの人には最初から見透かされてたみたいです」
 あの黒服の交渉人は、とうに気づいていたのだろう。
 それでも誰にも何も言わなかったのは、自分自身で気づかなければ無意味だと、誰よりも彼が知っているからなのかもしれない。
 デスティニープランは、外敵からの侵略も、世界の崩壊も、何一つ起きないことが前提になる。
 人知を超えた運命も、おそらく範疇に収めることはできない。
 天災や外圧によって崩されることのない、安定された世界で生存することが許された人々にのみ適用される幸福。
 それは、パラダイムシティに、似ている。
(そして俺は思わなかった)
 パラダイムシティに生きる人々の話を聞いた時、それが幸福だと、一つも。
 目から鱗が剥がれ落ちるというのは、案外、比喩ではないかもしれないとシンは思った。
 気づかなかっただけで、ずっと前から、答えは出ていたのだ。
「俺がアサキムを倒して、デスティニープランが実行されたとしても、セツコさんの中のスフィアを止めることができないって、今はちゃんと分かってます。それにセツコさんが言ったとおり、俺にセツコさんの戦いを奪う権利はないです」
 そこまで語り、シンは、握る手にぐっと力をこめた。
 不意をつかれて、セツコの大きな目がまたたいた。
 その目を真っ向から見据える。
「でも、一緒に戦うことはできる」
 これから口にする言葉は二度と揺らがない。そんな確信と共にシンは言った。
「俺も戦います。世界を守る為に、これからもずっと」
 一つの予想が脳裏に浮かぶ。
 世界、と今自分が呼んだものの範疇から、きっと彼女は無意識に自分自身を外すだろう。あの男の呪いのせいで当たり前のように。
(だけど、俺は諦めない)
 これから何度、心がへし折れそうになっても、踏みとどまってみせる。考えても誰も分からないのなら、絶望しないという選択肢もまた、選べないはずがない。
 彼女が生き残る方法はきっとある。あるはずだ。
「ってわけで、これからまた、よろしくお願いしますって言おうと……?」
 言いながら、セツコの表情がいつまでも驚いたまま動かないことに、シンの内心に狼狽が生まれた時、突如、彼女の頬に涙がつたった。
「え、セツコさん!?」
「ごめんね、シン君」
「ちょっと待ってください何がですか」
 突如謝られ、ますますうろたえたシンの前で、セツコの目からあふれた涙が、頬を伝う前に無重力に乗って宙に舞った。
「シン君が何をどう考えて戦ったのか、もっとちゃんと考えれば良かったのに……私、戦った時に、偉そうなこと言って……」
「うわやめて下さい! ほんと、俺が馬鹿だったのが原因ですから! だからセツコさんが謝ることなんて全然ない!」
「でも、私の事までそんなに心配してもらってたのに、それなのに――」
「それも俺の勝手でセツコさんが負担に思うところじゃない! ところでバルゴラのコックピットって、こんな風になってるんですね!」
 進退窮まって叫んだ言葉に、セツコの目が反射的にぱちりとまたたき、止まった。
(って、バカかよ俺は!)
 話題を転換するにしてもマシな話題はなかったのか、と自分を罵倒するも遅かった。
 しくじった、とぐるぐる混乱しながらせめてもう少しマシな言葉を探す。
 と、数秒後、セツコが吹き出すように笑みこぼした。笑い声がはじけた途端に、彼女の肩が震えた。
「ご、ごめんね。突然、何を言い出したのかとびっくりしちゃって」
 手で笑い声を抑えながら、緊張が霧散した空気の中で、セツコが残っていた涙を自分で拭った。そして声のトーンを自発的に引き上げた。
「シン君、バルゴラに来るの、初めてだったっけ」
「そりゃまあ。人の機体のコックピットって、案外見たり乗ったりする機会ないですし。カミーユのとかは、似たようなモビルスーツで気になったから乗せてもらったことあるけど」
 重たい空気がどうにか吹き飛ばせたことに安堵しつつ、シンはコックピットの縁から腰を上げた。改めてセツコの周辺を取り巻く、バルゴラのコックピットを見る。
 カミーユ達が敵対していたという、彼らの世界の連邦が建造した機体。モビルスーツと似ているが、やはり細部は違う。
「乗ってみる?」
「あ、だけど目は……」
「目は、うん、もう大丈夫」
 重たい空気に戻すまいとセツコも考えてくれたらしく、シンの手を引っ張るようにして、自分が操縦席を退いた。
 何度かまばたきをし、焦点がずれないことを確かめる。
「じゃあ、ちょっとすいません」
 興味を引かれたのは事実であり、シンは身体の向きを宙で反転させつつ操縦席に収まった。座ってみると、慣れたデスティニーの操縦席とは予想以上に違った。コンソールのキーやモニター画面、シートの感触も違う。
 そして、やはり座ったところで、スフィアの干渉を自分が受けるようには感じられない。もう完全にセツコとのみ繋がっているのだろう。
「キャノピーの開閉ボタンがこれでね、カメラがここ」
「あ、なるほど」
 ヘッドレストに手をかけて横に浮くセツコから教えられ、自機とは違う場所にあるカメラの操作ボタンを押してみる。それまでモニターに映っていた周辺映像の一部が消え、操作に合わせてまた戻る。
「で、そっちの機能が、ガナリー・カーバーでね」
 彼女が身体を乗り出すように腕を伸ばし、シンが置いた指のすぐ隣のキーを押そうと自らの指を伸ばす。伸びた黒髪が揺れ、ふわりとシンの鼻先を揺らした。
 何の前触れもなく、シンの内側に衝動がこみ上げた。
 触れたい。そんな衝動が胸をかきむしった。
「―――」
 一瞬で喉が干上がる。
 目を瞠り、すぐ傍らのセツコを見つめる。
 呼びかけようと口を開きかけ、しかし半ばでやめた。その過程を飛ばし、意を決してシンは動いた。
 素早く両腕を伸ばして、彼女の身体を向き合う格好に引き寄せる。次いで、その細い首元に頭をうずめるように抱きしめた。
「きゃっ!? あ、あの……シン君?」
「ごめん。……ちょっと、このまま」
 たじろぐセツコの声が降って来ても、抱きすくめる腕から力を緩めなかった。
 額に触れる首や、背中に回した腕から、彼女の熱が伝わってくる。
(生きてる)
 そう思った途端、閉じたまぶたの奥で涙腺が痛みを発する。
 当たり前だと笑い飛ばすこともできないほど、戦場はすぐそばにある。
 この熱を自分が奪うかもしれなかった。改めてそう想像しただけで、己への憤りで肺の辺りが熱く歪んだ気さえした。
 ふっと、かすめるようにセツコの手がシンの髪に触れた。
 ためらいがちに指先がそっと撫でたかと思うと、表面からほんの数筋だけを指で梳かれる。
 不思議な触れ方だった。そこから感情が流れこんで愛着を持つのを防ぐように、遠慮がちに。人が恐いというよりは、人に印象を残すことを恐れているように。
 目を閉じているせいで余計にその感触がよく分かる。おそらくそこが境界線で、それ以上触れて来てはくれないだろう。何となしにそう思った矢先、思いがけずその境界を飛び越えられた。
 ぎゅっと、頭を抱きかかえられる。
「ごめんね」
 それまでと違う懺悔だった。
 くぐもって聞こえたのは、耳を腕で塞がれているせいか、声自体がささやきに過ぎないせいか。
「何がですか」
「あの時、撃ったこと」
「……俺も撃ち返したから、おあいこです」
 この人に怪我をさせなかったことについては、自分を褒めたい。そんなことを思う。
 武器を向けることは、どんなに気をつけようと不測の事態をもたらす。宇宙空間ならば尚更だ。
 どれほどコックピットを外して戦闘不能にしようと思っても、相手の動きを読みきることは不可能であり、誘爆の可能性も残る。撃ってしまったという事実は、殺すかもしれなかったということだ。
 セツコがかぶりを振った。気にしないでいいと言うように。
「シン君が怪我しなくて、本当に良かった」
「俺のことはどうでもいいです」
 気遣われ、嫌な予感がしてシンは顔を上げた。予測どおり、薄く震える口を引き結んだセツコの両目から、一度引っこんだはずの涙がまたこぼれていた。
「セツコさん」
 泣かないで下さいと続けようと思った。途中までは確かにそのつもりだった。
 が、気づけば涙がつたう彼女の頬に口づけていた。
 驚いた彼女の目から涙が一粒だけこぼれて宙に飛び、シンのこめかみに落ちる。
 目が合い、沈黙が落ちる。静寂の中で、今度はセツコが顔を近づけ、シンの頬に落ちた己の涙を唇で吸った。
 三度目は、どちらからともなくもっと熱を分け合える場所を探して、唇を触れ合わせた。
 乾いた唇同士が触れた後の躊躇は、もう生まれなかった。彼女の柔らかな唇を甘噛みしながら何度も味わう。
 こぼれる甘い吐息が皮膚を通して神経を煽る。
 激しさとはまた違った。生き物同士が互いの生存を確かめるかのごとく、形容しがたい静寂の中で互いの唇から熱と水分を分け合い、自らに供給している錯覚を覚える。
 感情表現すら慎ましい彼女の、その命の火がまだ燃えさかっていることを知らせるように、触れ合わせた舌が熱い。
 だが、これで充分だと満たされることを、シンの本能は拒絶した。
 その先の交わりを一度知ってしまった獣が、腹の奥で低く咆哮を上げる。
 もっと、と浅ましい感情を立ち上らせ、脳髄を痺れさせる。
 指先が触れている背中の、服ごしでも分かる細さと柔らかさに、前触れなく意識が絡み取られた。閉じた目の裏にあの日のことが甦る。
 明かりを消した部屋の中で、浮かび上がるように白かった彼女の肌。理性を屈服させる甘くかすれた喘ぎ。
 血が熱を持ち、一度脳裏に浮かび上がったその像が、消えなくなる。
 ここがどこかを思い出せ、とパイロットである部分が常識を告げてくる。
 だが一度覚えた劣情は、冷静さを欠き、渇きを満たそうと、シンの指先を本能に従わせた。右手でコンソールに触れ、今しがた教えてもらったばかりのキャノピー開閉ボタンを押す。完全に閉まったところで自動ロックがかかる。同時にカメラも止めた。音が遠いせいで向き合っていると元からさほど気にならなかったが、消したことで完全に独立した空間になる。
「んっ……」
 口づけの合間に、セツコの上擦った息がこぼれた。恥じらいに紅潮した顔が、シンの行動に気づいて後ろを振り返ろうとする。
 そのわずかな時間すら離れることが惜しく、セツコの背中に回した手で彼女の肩を押さえこみ、再び唇を貪る。
 先ほどよりも強く。
 突如増した激しさに困惑を隠せず、それまでシンの行動を受け入れていたセツコの身体から、たじろぐ気配が芽生える。
「シン…君…?」
 その声を、物足りないと思ってしまう。あの時のように、もっと切ない声で呼んで欲しい。その声を聞きながら、目の前にあるこの肢体を、自分の手で暴きたい。
 そして全ての場所があの夜と同じように熱いのか、確かめたい。
 戸惑いを見せながらシンの口づけに応じていたセツコの舌先から、その時、それまで存在していたかすかな抵抗が消えた。
 シンの行動の何もかもを受け入れるべく、己の意思を諦めたかのように。
「―――っ」
 身の内からはみ出そうになった牙の獰猛さに気づかされ、渾身の力で、シンはセツコの身体を自分から引き剥がした。
「すみ、ません」
 愕然と目を剥きながら、足元へと視線を外す。
 首筋を冷や汗がすべり落ちた。
(俺は、違う)
 あの男と同じように、自分の欲望だけで彼女を傷つける人間にならない。
 そう自らに言い聞かせるも、説得力はまるで浮かび上がらなかった。実際にこの手は今、何をしようとしたか。
 してはならないことをしてしまった事実に、奥歯を折れるほど軋ませた。
「すみません。俺、まだ、さっきの戦いのせいで……気持ち、落ち着いてないみたい、です」
 弁解になり損なった呟きだけが、かろうじて口からこぼれる。
「すぐ、出て行きますから」
 早く彼女を視界から外さなければ、何をしてしまうか分からない。自己嫌悪に駆られてバルゴラから離れようとし――不意に手を取られた。
「行かないで」
 顔を上げると、悲しげな表情とぶつかった。
 この人にまた重荷を背負わせてしまう。その恐怖に駆られ、シンは反射的にうめいた。
「俺は大丈夫です。だから、俺が悲しんでるように見えるからって、セツコさんがやりたくもないことはしなくていいんだ」
「そんなことない!」
 思いがけず強く否定され、ぎゅっと手を握られた。振り払うこともできない強さで、シンを繋ぎ止める。
 セツコの眉が寄せられ、その表情が曇った。
 まるで願いをこめるように目を閉じ、シンの手を己の胸の前に引き寄せる。
「前にね、できることなら何でもってシン君が私に言ってくれたの、覚えてる?」
「……覚えてます、けど」
 彼女が何を言おうとしているのか分からず、シンは口を引き結んだ。
 今でもその気持ちは変わらない。
 いや、もっと強くなっている。
 そうなったのは、馬鹿な話だが、あの行為の直後だった。気を失った彼女の髪に触れた時、自分の気持ちを思い知った。指を離そうと思ったのに、彼女が起きるまで離せなかった。
 人でなくなることが恐いと、腕の中で泣いた、細い身体。
 その涙を止めたい。泣き顔が印象的で、でもそれ以上に笑った顔が綺麗なこの人を、自分が、笑わせ続けたい。
 そう思ったというのに、現実は涙を止めるどころか自分が泣かせてしまっている。
 あの夜を過ごしたのに、今もこんなことをしているのに、未だにセツコにどう思われているのかまるで自信が持てなかった。
 嫌われてはいないだろう。多分。
 だが、どれだけ好きだと言おうと絶対に信じてもらえないと分かっているこの距離を、どう思えばいいのか。
「私も、同じ気持ちなの。だからね、シン君も願って」
「願うって、何を」
「シン君が願いたいこと。どんなものでもいい」
 はかない声が、促してくる。
「私に未来はないし、あげられるようなものがあるのかも分からないけど……シン君にあげられるものがあるなら、全部、あげたいから」
「………」
 優しい理不尽に、矛先のない怒りがあふれそうになり、喉が灼けた。
 彼女の身体を抱きつぶして、叫びたい。その、存在しないと思いこんでいるものが、欲しい。
 けれどそれを口にしても、やはり叶わない。彼女自身が信じない限り、生まれない。
 叶わないのなら、今、何を言ったところで同じだ。
 絶対に叶わないことを、だからシンは口にした。
「俺のこと、好きになって下さい」
 セツコの目が見開かれた。
 唇を噛んだかと思うと、言葉を探してか、視線がさまよった。先刻の涙によって淡く揺れる瞳が困り果てたように伏せられ、また新たな涙を滲ませる。
 口が一度開かれ、思い直してか閉じられる。それから更に長い時間をかけてもう一度、音もなく深く、彼女が息を吸いこんだ。
 そして、まるでこの世界で放つ最後の言葉のような不思議な響きで、彼女の唇が動いた。
「ずっと前から、好き」
「……その答え、きついです」
 予想をはるかに越える手ひどい返答に、まともに表情すら作れなかった。笑って受け流せず、痛みを浮き上がらせる涙腺を気力だけで塞き止める。
 これはきっと罰だ。
 よりによって一番欲しかった言葉で、嘘をつかれる。これ以上最低の罰など知らない。
 やり場のない悲しみに苛まれた時、ふわりと抱きしめられた。
「シン君」
 名を呼ばれるだけで、内に潜む獣が再び牙を剥いた。
 これほどに理性が打ちのめされてなお、そんな獰猛さを見せた本能に、シンは必死で抵抗して頭を振った。
「駄目ですセツコさん、今俺に近づいたら……」
「いいの」
「俺は何も奪いたくないし、何も背負わせたくない!」
「違うわ。私が、あげたいだけ」
 涙声で、けれど笑顔と共に至近距離から告げられ、シンは言い返す言葉を失った。
 それでもまだ、手足は動く。今すぐ彼女の身体を突き離して、彼女が自分自身を犠牲にすることを避けるようにすることは、きっとできる。
 だが、結局、できなかった。
(俺は、最低だ)
 己を罵倒し、そうして目を閉じ、手の力を緩めず――彼女がついてくれた優しくて残酷な嘘に、乗った。
 密閉空間になった狭いコックピット内部で、再び、唇を触れ合わせる。
 粘膜同士が触れ合うごとに情動が強さを増した。
 自らの奥底で飢えている獣を押さえつけながら、シンはセツコの両肩を掴み、そのまま腕へと触れた。
 服の上からでさえ分かるほど細かった。しなやかな二の腕も、最初に掴んで知っているはずの手首も、肩も。
 そして、たった一人で孤独な道を歩いていけるほどに、強靭だった。
(どうして)
 唇の熱が混ざり合って、どちらの方がより熱いのか分からなくなる。自分の中から滲む熱に、向ける宛てのない怒りがあることだけが分かる。
 絡まる舌先の唾を、シンが奪うよりも早く、セツコが飲みこんだ。
(なんで、そんなに優しいんだ)
 理不尽さで、また熱が高まった。
 ついてくれた嘘に、溺れたくなる。明日すら信じない彼女の中で、唯一、今自分から彼女に伝わる熱だけが拠りどころなのだと信じそうになる。
 いや、むしろそうなって欲しいと、強くシンは願った。
 未来が存在しないことも、人でなくなる恐怖も、忘れて欲しい。
 彼女の荷物を全部、この細い肩から取り去りたい。捨てることができないというなら自分が預かりたい。
 そうやって一瞬だけでも、全ての不安と悲しみから解放できるのなら。
 だというのに、セツコの火照った息が耳元にこぼれる度に、欲望に荒くなる己の呼吸を自覚させられた。
 ほんのかすかに滲み出した汗と一緒に、ひどく劣情を誘う甘美な匂いが鼻腔を通る。
 もしこの世に全知全能の何かとやらが本当にいるというのなら、くたばれこの馬鹿、とシンは内心で罵倒した。
 女性をこんな風に作ったせいで、優しくしたい気持ちをねじ伏せられそうになる。
 たとえ、終われば全てを忘れてまた彼女が重い荷物を背負うとしても、こうして抱き合っている今だけは、この手で、口で、全てで、重責を一瞬でも軽くしたいと思っている、この心も。
 抑えらぬまま、セツコの細い腰を片手で引き寄せ、軍服の上着に手を掛けた。
 軍服の上着のボタンを外し、ハイネックインナーをブラジャーごとずらし上げる。
 白い素肌が目に飛びこんできた途端、喉が勝手に鳴った。
 あらわになった柔らかなふくらみを揉み、薄紅色に色づいた胸の突起に指の腹で触れると、ぴくんとセツコの肢体が敏感な反応を返した。更なる反応を求めて突起を口に含ませ舌でなぞると、こちらの頭を抱きかかえたまま、セツコの喉から甘い声がこぼれた。
「……んっ、く……」
 本意ではないと彼女自身が恥じらっているのも分かるものの、どこから出しているのかとむしろシンの方こそ訊きたい声。
 耐えようと努めるせいで喉に絡み、余計に暴力的な甘さを滲ませる。目線のみを上げて顔を見やれば、口に出せずに必死に堪える、好きな女性の顔とぶつかる。
 ただでさえ声と感触で充分に煽られている状況に落とされた爆弾に、シンの下半身に一気に血が集まった。
 しかし、ここで自分の欲望に負けてしまえば、彼女が許そうとも、自分が許せない。
 セツコが覚えている羞恥を押し流したくて、片方の胸の突起を舌で転がしながら、もう一方の突起を指先で挟み、擦る。
「……あっ!」
 二つの異なる刺激にセツコの背筋がのけぞり、耐えようと力を入れた指が、シンの後頭部を支えにする。
 上着の内側でむき出しになった背を、シンは引き寄せた。毎日の訓練があろうと、それでも男の自分からすれば柔肌以外のなにものでもない、しっとりと吸いつく白い肌。指先に伝わる背骨の感触に沿ってゆっくりと撫で下ろしていくだけで、否応なく劣情をかき立たせられる。
「やっ……」
 そのままもっと下へと手を持っていこうとしたところで、羞恥にぎゅっと顔を歪めたセツコが反射的に制止しようと手を動かしかけた。しかし半ばでそれを自発的にとどめる。その結果、右手が所在なげに肩辺りで握りこまれた。
 その指に触れたくなり、シンは顔を近づけ、セツコの握りこんだ指の背を舌で舐めた。驚いて開かれた彼女の指を、二本、口に含む。爪を伸ばしていない指を軽く噛み、舐めると、彼女の真っ赤に染まった顔に更なる羞恥が走る。
 同時に、制服にあるまじき短いスカートをめくり上げ、背骨側から柔らかな双丘を経て、薄布の上から彼女の中心に触れた。
 セツコの身体が硬直し、その反動でシンの口からセツコの指が離れる。
 先ほどのその手のように、羞恥によって咄嗟に背後へ逃れようとしたセツコの太腿を、シンは逃さなかった。背中に回した腕で引き寄せるように彼女の身体を固定し、その両膝を、自分が座るシートのぎりぎり余った左右につかせる。
 無理に膝を開かされた姿勢に、セツコがその先を恐怖して、かぶりを振る。
「シン君、やめ……!」
 聞かず、再びシンは薄布の上から彼女の中心に触れた。
 そこは既に湿り、布の上からでも、その正体がぬめりを帯びた蜜であることを分からせた。
 情欲の証明を求めて、布の両側からその内側へとシンは指を這わせた。
「あんっ!」
 くちゅ、と音を立てて熱い蜜が指に絡みつき、茂みの感触が指に伝わる。はじけた声のあまりの悩ましさに、今すぐこの部分を無理矢理に貫いて喘がせたい、と即座に出てきた己の身勝手すぎる肉欲を、再び渾身の気力で追いやる。
(脱がせるのは……無理、だよな)
 薄々分かっていたが、コックピットで脱がせるわけにはいかない事態に直面し、シンは悩んだ。後で掃除をするにしても限度がある上、もしその交わりによって生み出された液体で機器のどれかが壊れてしまったら目も当てられない。
 既に下半身はズボンの下で勃ち上がり、服の上からでもはっきりと分かるほど今か今かと獰猛に急いている。あと十数センチの位置にあり、シンの指先が触れている、彼女の中心を望んで。
 だがまだ、この場所が受け入れられる状態なのか分からない。
 シンは己の経験の少なさを呪いながら、彼女の秘部を確かめようと、指先をべたべたに濡らす蜜を生み出す秘所に、人差し指を一本だけ埋めた。
「やっ、あ!」
 途端、電気が背筋を駆け上がったように、びくんとセツコの腰が浮き、きゅっと秘所が収縮した。
 彼女の喉から切なげな喘ぎがこぼれ、しかし裏腹に、とろりと蜜が更に滴る。指をしとどに濡らしてくる熱く潤んだ内襞は、動きを止めたシンをむしろ咎めるかのごとく、その瞬間、別の生き物かと錯覚するほど淫らに指をくわえこんだ。
(く、そ)
 いかにその奥が快楽を与える場所であり、また欲している場所であるかを伝えて来られ、欲にまみれた昂揚感と征服感に全身を支配されそうになり、シンは耐えに耐えた。
 指をもう一本増やしながら彼女の奥を押し開くようにクッと曲げ、もう一方の手の指で、その割れ目の前部にあるはずの突起を弄び、きゅっと摘んだ。
「いやっ、あ……!」
 肩に置いた自らの手だけでは支えきれずにしなだれかかるセツコの官能的な喘ぎが、シンの首筋をなでた。彼女の奥が強く締めつけ、一段と燃えるように蜜が奥からあふれた。
 残った指で濡れそぼった割れ目をなぞりながら、狭く圧迫してくる内側に入れた指を、粘膜を擦りながら出し入れする。
「あっ! はあっ………!」
 卑猥な音にすら反応し、快楽を怯えながら享受する彼女の痴態に自分を止められず、シンは指を動かした。シンの指による刺激に追いつけずに、苦しげに背中をしならせ、セツコの細い腰がもどかしげに浮く。
「シン、君」
 困り果てた声に名を呼ばれ、正気がかき消される。
 肌をしっとりと濡らす汗と、鼓膜がやられそうなほどの声のどちらにも共通する甘さ。裸身から滲み出て鼻腔を侵食してくるかぐわしさと、上気した上半身がほとんど裸身に近いという視覚的暴力。
 それに加えて、潤んだ目が、助けを求めて見下ろしてくる。
 自らの淫らさを自覚し、嫌悪し、どうしようもなく恥じらいながらも、自分自身では身体を蝕む火照りを鎮められないというように。
 彼女の目から涙がこぼれたのを見た瞬間、己のたがが外れたのをシンは知った
 指を抜き、自分のジッパーを下ろす。熱く硬直した肉棒を外気にさらし、もたれかかる彼女の身体を一度抱きすくめた。
「こんな場所で、ごめん」
 もはや辛抱ならず、謝罪を口にするのが限界だった。
 荒く息を吐きながら、セツコの腰を両側から支える。そのまま、ゆっくりと腰を落とすように誘導した。
 ぐちゅ、と粘膜同士が触れ合う音がし、シンの屹立した猛りが、薄布をずらしてねじこむように、セツコの秘裂をこじ開けた。
「くっ……」
 それは思いもよらぬ新たな快楽をシンの中に爆発させ、これ以上ないほどに全身がかっと熱くなった。
 無重力のせいか、シンの手によって埋めこんでいるようでもあり、同時に彼女が望んで、自重で飲みこんで行くような錯覚をもたらす。
「痛っ……あっ…!」
 内襞を擦り上げて奥に向かうに従って、セツコが痛みに苦しげに眉を寄せた。初めての時と変わらず狭い膣は、二度目の来訪を待ちかねていたように熱くとろけ、絡みついてきた。そのあまりの淫靡な快楽にシンの昂りは限界まで膨張し、理性が吹き飛ぶ。
「は…っ」
 かすれた声を吐きながら、シンは頭を振って汗を飛び散らせた。心臓と同じようにどくどくと脈打つ己の肉棒で、即座に奥まで貫きたい衝動に耐え、今のこの感触を限界まで味わいたくて、できるだけ緩慢に埋めこんでいく。
「いや、こんな……入って……」
 泣きそうな声でセツコが呟き、恥ずかしさに震えてぎゅっと目を瞑った。
 が、肢体はやはり指の時と同じく――いやそれ以上に彼女の困惑を裏切り、シンの猛りを受け入れる必要以上に蜜を熱く滴らせたかと思うと、繋がった部分からシンの肉棒を伝った。
 その情景と感触に、目眩がするほど飢えが満たされていくのをシンは感じた。
 ライトに照らされたこの場所で、我ながらグロテスクな、とても入るとは思えなかった昂りを飲みこんでいく彼女の秘裂。埋めこむ深さが深まるほど快感が走り、なおも欲して内襞がうごめき、こちらを圧迫してくる。
 ようやく全てを収めた結合部の様相は、それをこんな場所でおこなっているという背徳と相まって、これ以上ないほどに淫蕩だった。
 爆発しそうな快楽の中で、シンは、セツコの細い鎖骨を食み、胸に頭をうずめた。柔らかさに危うく吐精しそうになりながら、荒い息をつく。
「セツコさん……動いて、いいですか」
 見上げると、長い睫毛を震わせてセツコがまぶたを上げた。羞恥と快楽の板ばさみで潤んだ目のまま、こくんとうなずいてくれる。
 訊かなければ良かった、と後悔が一瞬走る。また無理を強いたのではないか。
「シン、くん」
 セツコが、不意に口を開いた。
「……はい?」
「出すのはね」
「え?」
 何をかはすぐ分かった。だが、出すのかという問いではなかったことにシンは怪訝に眉を寄せた。繋がった部分から、熱い蜜が収まりきれずにとろりとあふれた。まるで彼女の願いのようにシンに錯覚させながら。
「中で……いいから」
 か細い声で、思いがけぬ許可が先に下りる。
 それは、バルゴラを慮った結果としてか。あるいは先日と同じように、未来がないと彼女が思っているゆえの諦観か。
 それとも。
(……それは、ない、よな)
 三択目を考えかけて、いくらなんでも自分に都合のいい夢に過ぎないと、シンは途中で考えごと放棄した。
 そもそも、答えを尋ねる余裕すら残っていなかった。破裂しそうな昂りが柔らかな肉を求める衝動を一秒すら止められそうにない。
 そして結局また、彼女の厚意に甘えた。
「すみません」
 謝罪し、シンは深く息を吸った。片方で肘掛けを掴んで己を固定し、残る手でセツコの腰に手を回す。
 質量に動けないセツコの内部をわずかに掻き回すようにしながら、細い腰を持ち上げる。
 そして再び侵入した。
 途端にきつく収縮した粘膜を擦りあげながら、最奥を目指す。目が眩みそうな快楽に苛まれながら、彼女を貫き、また浮かせ、少しずつ速く律動を開始する。
 互いの洗い呼吸と、敏感な粘膜同士が絡み合い、潤滑油として動きを助ける蜜が織り成す淫猥な音が響いた。
「あふっ! あっ…!」
 セツコの声からやがて痛みが失われ、艶めいた響きが滲んだ。
 その声に、より一層煽られながら、シンはセツコの柔らかな全てを貪った。
 動くたびに信じがたい快楽に見舞われながら、粘着質な水音と共に猛りを打ちつけ、狭いシートながらも角度を変えて抉る。その度にセツコから堪えそこねえた甘い声がこぼれ、肩に置かれた手がぎゅっと服をつかんでくる。
 自分の上で必死に快楽に耐えて震えるあられもない姿に、更に乱れる様を欲してなおもシンは責め立てた。
 間断なく突き上げる度に、熱く絡みついてくる彼女の腰が、快感を収めきれずに淫らに浮く。
 責めるように、シンはわざとその時だけ緩慢に動かした。
 その度に刺激がまた強まり、残っていた意識を切り刻み、吹き飛ばしていく。彼女の華奢な身体の深奥まで抉るように、シンは獣じみた欲望を本能のままにぶつけた。
 狭い胎内が、貫く度にうごめき、飲みこむ。
「あっ……シン、君……っ!」
 喘ぎながら彼女が呼び、震えから逃れるように身体を固くした瞬間、彼女の深奥がシンの全てを欲するように締めつけた。
「―――!」
 ぞわりと逃れられぬ快楽が全身を駆け上がり、膨張しきった肉棒を引き抜くべきかと悩む時間すら許されなかった。
 次の瞬間、白く濁った欲望をシンは本能のままに迸らせた。
「あ……っ!」
 セツコの声がひときわ高くコックピット内に響き渡り、訪れた衝撃にそのしなやかな身体が仰け反った。
 汗と涙が飛び散る。同時に、収まりきらずに繋がった部分から、どくんとそれ自体が生き物のように脈打ちながら白濁したシンの残滓があふれ、セツコのスカートや薄布、シンの局部付近の服を汚した。
 そしてシンが引き抜くタイミングを逸したまま、セツコの身体から、どっと力が失われた。
「ん……」
 はぁはぁと息をしながら、どうにか気持ちを落ち着かせようと、セツコが涙混じりの表情を歪める。そして、未だ膣を圧迫する異物へ極力刺激を与えぬよう、下半身を動かさないように努めながら、シンに力なくもたれかかった。
「セツコ、さん」
 ふとした瞬間に、射精と共に硬度も緩んだ肉棒がまたあっという間に昂りそうな気がし、そうならぬようにひたすら律しながら、シンは重なり合う形で自分に預けられたセツコの身体を、壊れ物のように抱きしめた。
 この状況では目の毒にしかならない彼女の胸を視界から追いやるべく、裾を引っ張るようにして、めくりあげたインナーを元に戻す。
 熱く火照った彼女の鼓動を服越しに感じながら、そこでシンは途方に暮れた。何かを言わなければと思うのに、何一つ言葉が思いつかない。
 すみません、も、ありがとうございます、も、彼女をただ困らせる気がする。かと言って、無理させましたというのも的外れな気がしていけない。
(俺、なんでこう、馬鹿なんだ)
 不甲斐なくて仕方がない。
 こんな愚かで欲にまみれたやり方ではなく、彼女の荷物を預かるには、もっとマシで確かな方法がきっとあるのだろう。自分が馬鹿なせいで、知らないだけで。
 柔らかな髪がシンの頬をくすぐりながら、セツコがかすかに動き、顔を上げた。
 何事かと問いかけるより先に、無言のまま、穏やかな濃茶の瞳がシンの顔に焦点を合わせてくる。瞬間、シンは言葉を失った。
 白昼夢を見たかとすら思った。
 すべての心残りが消えたような表情をされた。
 傍から見れば、願いごとが叶ったのかと錯覚するほど、とても綺麗に彼女が微笑んだ。
 途端にこみあげた絶望的な情けなさに、シンは顔をしかめた。自分の愚かな行為をそうして肯定する彼女の優しさに、無力さが募る。
(違う、そうじゃない)
 即座に己を叱責し、無力感をシンは振り捨てた。
 その代わりに、苦りきって鉄の味に似た唾を、決意と共に飲み下す。
(俺は、諦めるものか)
 この人の底無しの優しさに、何としても報いたい。
 そうしなければ、いけない。
 自分の中のその気持ちを、もう縋らせる先はない。一刻も早く自分が強くなるしかない。彼女が手離そうとする未来を全部繋ぎ止め、奪おうとする敵から守る為に。
 気を抜けばたやすく絶望しそうになる己の心を容赦なく引き掴み、シンは、これからの戦いに向けて自らを奮い立たせた。


     ※


 格納庫は、戦闘直後の喧騒とは打って変わり、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
 光源すら最低限に絞られ、非常灯だけが赤く、いくつかの出入り口や配線を照らしている。しかしひとたび戦闘の気配がこの宙域を取り巻けば、またすぐ凄まじい緊張と喧騒が光と共に浮かび上がるのだろう。
 その気配は今はなく、ただ冷ややかな闇が、機体を眠りにつかせている。
「バルゴラ」
 数時間前にコックピットを訪れた機体の名を、足元で、シンは呟いた。
 青を基調としたその機体は、揺らがす者が存在しない闇の中で、何の意思も持たぬ無機物であるかのごとく静寂を貼りつかせてそこにいた。パイロットである彼女は、今は自室で眠りについているはずだ。
 孤独に佇むその様は、どこか荘厳にすら思える。
 だが、それは神聖なものでも何でもない。
 ガナリー・カーバーを搭載されてしまっている以上、機体にその意思があろうとなかろうと、搭乗者の命を内から喰らい尽くそうとする、恐るべき悪鬼だ。
 本来は、搭乗者を守るために矛であり盾にならねばならない存在が、なぜそうなのか。
 そしてなぜ、彼女が選ばれねばならなかったのか。
 結局、その答えは出なかった。
 宿命だとは思いたくない。偶然だというのなら悲惨すぎる。
「―――」
 真っ向から睨んだ後、シンは視線を別に向けた。その青い機体から少し離れた、モビルスーツ用のハンガーに掛けられているデスティニーへと。
 自機を含めて、モビルスーツに対する愛着は、無いとは言わない。
 しかし、ザフトでは教わらない。
 教わるのは、モビルスーツはただ『力』であるということ。そして危機的状況に陥った時、機体に無駄な愛着を持ったせいで状況の打開に失敗する事態こそ許されないということだ。
 そんな風に教わるせいか、唯一無二のスーパーロボットを駆るパイロット達はおろか、おそらく他のモビルスーツのパイロットよりも、自分たちザフトの面々は機体に対する愛着が低いのかもしれない、と思う。
 再び視線をバルゴラへと戻す。
「いいか。セツコさんの命を吸い尽くそうとしたら、俺はデスティニーをぶつけてでも、お前を止めるからな」
 真っ向から挑み上げ、鋭く宣言する。
「俺がアサキムを倒すから。だから」
 これだけは誰にも譲るものか、とシンは胸中で固く誓った。
 誰にもこの気持ちは分からないだろう。
 彼女の憎しみと悲しみを自分にだけ向けるよう誘導し、新しく何かを得ることを彼女が望まないように、巧みに仕組んだ男。
 それは、やはり呪い以外のなにものでもない。彼女にとっても、そして自分にとっても。
 わざわざ姿を現す度にオープンチャンネルでセツコに絡む、あの嫌みたらしい顔を思い出してしまい、横っ面を殴り飛ばしたい衝動まで芽生える。
(お前のせいで、俺はお前を倒すぐらいしなきゃ、好きだってことすら信じてもらえないんだぞ)
 理不尽さに、しかし改めてその決意を固めてシンはこぶしを握りこんだ。
 そして、きつく握り締めたこぶしを開いてバルゴラの脚部へと手のひらを触れさせ、こめた願いを託した。
「だからバルゴラ、頼むから……お前も守ってくれよ、あの人を」



おわり。

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