すべては成り行き、互いに求めたのは愛でも情でもない。どちらも他人と馴れ合う性格ではなかったし、
  偶然近い立場と距離に居たと言うだけ。人形と何ら変わらない消耗品の部下達よりもまだ話せる相手だった。
   気心知れた、とまで言って良いものか――自分にしては馴れ合いが過ぎる気もしたが、人を食ったような
  その性格や言動は嫌いではなかった。閉鎖的な環境において、知らぬ間に蓄積するストレスや鬱憤を、
  互いに温もりで解消していたのか――…あの頃はそんな事、考えようともなかったが。

   疑問にも思わなければ、意義も見出そうとしなかった。ただ、自分の近くにいた。嫌いではなかった。
   相手もそのようだった。だから関係があった。それだけだ。……それだけ、だったのだ。

   求める時すら何も言わなかった。抱きたい、の一言すら不要で、拒絶された事はない。素振りは見せるが
  拒む手に力は篭められておらず、唇を塞げば応えるように舌を絡めてきた。相手から誘われる時も同じで、
  部屋に誘ってくるか、もしくは煽るような微笑みを浮かべながら己の顔を覗き込んでくる。抱いて欲しい、
  等と言う言葉は一度も聞かなかった。
   ベッドで交わす事もあれば、本来行う場所ではない所でも肌を重ねた。誘われた時は良識に欠けると
  呆れたものだが、断る事はしなかった。ベッドよりも更に無機質な空間で得た熱は、何時もより確かに
  熱かった。
   そういえば余り喘ぐ声を聞かなかった。目を閉じて、殺すように唇を噛み、時折耐え切れず色付いた
  それが解けて微かな声が漏れる。騒がしく啼かれるよりも、耳元に掛かる湿った吐息や密やかに響く喘ぎが
  心地良いと感じていた。
   返される愛撫も丁寧だったが、口に含みながら挑発するように視線を向けるので、それに応えるように
  時には乱暴に口淫を求めた。だが結局のところ、その乱暴さすら相手に誘導されていたのだと、今となって
  思う。果てた自分よりも、口内に浴びている相手の方がずっと満たされた顔をしていたのだから。
   足を掲げても、腰を抱いても、恥らう素振りは見せなかった。そんな初心な女ではないと分かっていた
  から構わない。だが口で触れようとした時だけ、息を飲む音がして――だからその時は敢えて音が響くよう
  触れてやった。
   求め合い、高め合って果て――そんな後でも直ぐに抱き合う身体を離していた。必要以上の馴れ合いを
  望まなかったから。行為が終えれば、触れている理由はない。肩に抱かれたいとも言われなかったし、
  そうしてやろうとも思わなかった。互いが満足した、ならばそれでいい。後は汗を流すなり、そのまま疲れに
  従って眠るだけ。

   眠っている時、ふと何度か温かい体温に包まれている事があった。子を抱き締めるように、己を身体を
  柔らかい女の肌が抱いていた。顔の近くにあるのは柔らかい乳房で、髪に触れるのは規則正しい呼吸。
  何をやっている、と言うつもりで顔を上げ、穏やかに眠る寝顔が見えて振り払うのを躊躇い、そのまま
  放っておいた。汗で冷えた身体を体温が程好く温めていて、目を瞑れば簡単に眠りに落ちていく――。
   心地良かったといえば、そうだ。だから何度かそんな風に抱かれていても、不満は言わなかった。
   目覚めれば自分を抱いていた女はさっさと身支度を終え、部屋から去っている。母親のように己を
  抱き締めていたことが嘘のように、あの猫のような笑みを浮かべ、同志の一人として仲間と共に立っていた。


   仲間より近く、恋人よりも冷めた関係だった。
   大切だと思ったこともなければ、言った事もない。
   愛しているなどと思ったこともなければ、言われた事もない。

   だが――…



  「ふぁぁぁ〜……」
  「あれ?アクセルさん、寝不足ですか?」
   大きな欠伸を零していると、艦長――今は戦艦ナデシコに身を預けている――のユリカが声を掛けてきた。
  重たい肩をコキコキと慣らしつつ、答える。
  「ん〜、何だか夢を見てたような、見てなかったような。そんな感じですっきり眠れなかったんだな、これが」
  「やっぱりナデシコじゃ落ち着きません?ベッドの具合とか……」
  「いやー断然こっちの方がいいね!逆に贅沢すぎて眠れなかったり?貧乏性ってのは哀しいよなあ。
  せめて添い寝してくれる可愛い女の子でもいりゃ、ぐっすり快眠できるんだろうけど」
   食事も美味いし!と別の所を主張しつつ、冗談めかして一人身の寂しさをネタに、笑って――
  みたものの。
   そんな冗談の中に、妙な確信めいたものを感じた。
   そうだ。人の体温。呼吸。心音。柔らかな肌。それに抱かれて眠る、心地良さ――………。
  「……んん?」
   一人、首を傾げる。まるでそんな経験があったような、気がして。だが、はっきりと思い出せない。相変わらず
  記憶は霞がかったままだ。隣ではユリカが、アキトと添い寝……と妄想を広げてうっとりしている。いつもと
  変わらない艦長に苦笑していると、艦長を呼び戻す艦内アナウンスが流れた。慌てて駆けて行くユリカに
  手を振り、一人残されると、艦から望む暗い星の海を眺めてから、反射してそこに映る己の姿を見詰める。
   自分にも、そんな女が居たのだろうか。居たなら――今頃どうしているのだろう。
   その相手に、自分は優しくしてやれて居ただろうか。そのぬくもりに返せるものが、あっただろうか。
   妙なざわめき。不意に込み上げてくる、不安。訳も分からぬ後悔。ただ、漠然と。

  「いるんなら、抱き締めて欲しいね。……ぐっすり眠れるように」
   誰に語るでもなく、茶化したような調子はいつものまま、けれど呟く己の顔に冗談の笑みはなかった。
   誰もいないからこそ、誰にも見せない弱々しい苦笑が浮かぶ。失ってしまった記憶の中に、その温かさが
  あるのなら、取り戻したいと願う。
   きっと。記憶ごと失って後悔するほどには――そんな相手が本当に居たとして――情があったのだろう。
  確信は持てないがそう思う。

   そして、何故だろうその温もりがもう、ずっと届かない気がした。
   自分の行方知れずの記憶より更に、ずっと遠くにいってしまうような――これは、予感か。それとも。

  「あーやめたやめたっ!辛気臭いのは俺らしくねぇ!さーて、気分転換に食堂にでも行くとしますかね」
   訳の分からない靄を振り払い、声を上げて、それ以降もう考えない事にした。
   いつか記憶は戻る。その時すべてが分かる筈だ。それでいいじゃないか。そう自分に言い聞かせ、
  足早にその場を後にする。


   多分、愛してはいなかった。その状況になければ、触れ合う事すらなかったかもしれない。
   ――だが。
   

   記憶も、何もかも、消えかかった時。
   自ら呟き求めたのは、その女だった。 

   二度と戻らないあの温もりをくれた、その女だったのだ――。






  end

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