地上でゼロの指揮の下行動する事となったSBのメンバー、ロックオン・ストラトスは、プトレマイオス内の格納庫に収められた愛機の中
  で溜息をついた。

   整備中、荒々しく怒鳴る少女の声と、それに負けず劣らず大声を響かせる男が少女を追い掛け格納庫にやって来た。モニタで確認
  したところ、ゼロが率いている黒の騎士団の制服を着ている。――紅い髪の少女には見覚えがあった。騎士団のエースパイロットで、
  紅いKMFを駆る……確か、カレンと言う名前、だった筈だ。分厚いマニュアルか何かを抱え、MSと向かい合う様にして並んでいるKMF
  の前で脚を止めると、カレンは男――短髪に浅黒い肌の日本人だが、ロックオンは全く名前を知らない――を振り返るときつく睨みつけ、
  叫んだ。
  「ゼロは違うって言ってる!第一C.C.には役職が無かったじゃない!」
  「そんなもん堂々と愛人だって言う訳ねぇだろうよ!役職がなかったのはアレだ、余計な責任で自分の女が苦労するのは嫌だって
  事だろ?はっ、他の組織の連中にも認められる手腕だか何だかしらねぇが、ソッチの事もお盛んで……」
  「好い加減にして!ゼロを侮辱するのは私が許さない!」
   ……やりとりから分かる事は、騎士団内での指導者の女絡みの話で、男の戯言にカレンが本気になって怒っている、と言うところか。
  しかしそんな内輪揉めをこんな所で繰り広げなくとも良いだろうに、と思う。あちらの事情も複雑の様だが、整備は済んだのに降りりにくく
  なってしまう。盗み聞きしていると言われるのもまた心外だ。
   二人は相変わらずロックオンの存在には気付かないまま言い争いを続けている。カレンの激昂する姿に少し怯んでいた男は、何かを
  思いついたようににやりと笑って、身をカレンの前に突き出し指を指した。
  「そりゃあアレか?カレン。お前が零番隊隊長だから、親衛隊隊長としてゼロに酷い事言われるのは堪えられな〜い、って奴か、それとも
  自分だってゼロの愛人になりたいのに、既にいるなんて認められない!って奴か、どっちだ?」
  「な、玉城アンタ何を言って――そ、そんな訳ないでしょ!私はただゼロを信頼してるからっ……!?」
   態と身をくねらせて悶える少女のフリをする男に、カレンは真っ赤になって絶句する。否定するよりも早く顔に出てしまったその反応は、
  他人のロックオンから見てもカレンが、ゼロを「信頼する指導者」以上に思っている事は一目瞭然だった。当然、同じ騎士団の男――
  玉城もその如実な反応に一層ニヤニヤとさせ、ムキになって怒鳴るカレンの前で大袈裟に腕を組んで、
  「けどまぁ、カレンにゃゼロの愛人なんて到底無理だろうけどなあ。そもそもそのでかい胸以外女らしいトコなんて何もねぇし、マジで女と
  して見てりゃ、自分の親衛隊なんてさせないだろうぜ?」
  「……ッ!」
   いい気になって話している男は、自分の言葉の優越感に浸りきってしまって、カレンの一瞬泣き出しそうな位にくしゃりと歪んだ顔には
  気付かなかったようだった。そんな表情を隠すようにカレンは顔を俯かせている。見てしまったのは、ロックオン唯一人。もう一度溜息を
  吐いて、ロックオンはスピーカをオンにした。
  『そういう身内の話題は、第三者がいるかもしれないような場所でやらない方がいいぜ?』
  「ぁ――…!?」
  「な、何だ!?」
   自分達だけだと思っていた二人は、から聞こえる声に呆然とし、男は声の方向すら分からずに慌てて視線を泳がせている。カレンは直ぐに
  声のする方向の機体に気付いたらしく、ロックオンがハッチを開けた時には、しっかりと彼の蒼い瞳で捕えていた。勿論、驚きと焦りをその
  顔に覗かせたまま。昇降台から降りていく最中になってようやく男の方がロックオンに気付き、指を突き出して怒鳴り始めた。
  「てめぇ!盗み聞きしてやがったな!」
  「言い掛かりは止してくれ。そっちが勝手にこんな所で痴話喧嘩を始めたんだろ?他人の色恋沙汰には興味が無いんで他言する気は
  ないけどな、次からは場所と相手を選んだ方がいい。少なくとも、年頃の女の子にする話題じゃない」
  「……こっちの思慮が足りなかった。以後気をつける。そうして貰えるとこっちも助かるから。――他の誰にも言わないで」
   降り立ったロックオンが男に向かい諌めるように言うと、男は舌打ちして顔を背けた。やれやれと肩を竦め、カレンを見遣る。先ほどの
  動揺を押し殺し、唇を噛んで硬い表情になったカレンは、ロックオンの視線には応えず俯き加減のまま短く謝罪と共に念を押す。組織の
  人間がトップを信用していないようにも取れる発言をしていると他組織に知られては指導者の沽券にも関わってくるだろう。ゼロはいまや
  黒の騎士団のCEOと言うだけではないのだから。

  「ソレスタルビーイングの名に懸けて誓う。他言はしない。これでいいか?黒の騎士団のエースパイロットさん」
   宣誓するように手を挙げてロックオンが頷くと、カレンはマニュアルを抱えたまま無言で踵を返した。マニュアルを胸に抱いたまま、ぱたぱたと
  格納庫を後にするカレンを見送り、「絶対言うなよ!」とカレンとは反対側の通路から出て行く男に頷いて――再び格納庫は静かになった。
   紅月カレン――日本人以外に対しては非常に警戒心が強いようで、騎士団のメンバー以外で共にいる時間の長いコロニーのパイロット
  の二人とも馴れ合う事がないと聞いていたが……正にカレンは噂どおりの少女だった。
   だが利害の一致で作戦行動を共にしているだけの相手に愛想まで望んでいないし、カレンのスタンスは間違っていないと思う。先ほど
  見た、年頃の少女らしい一面の後だと、固い顔も無理に作っているように見えたが、実際のところがどうなのか今後も深く関わる事のない
  相手だけに、事実を知る事は恐らくないだろう。
  「さて、俺も戻るとしますか。――刹那は放っておくと飯もろくに食べてなかったりするから……ん?」
   気付けば何かと世話を焼いてしまっている年下のメンバーを、またも気にしながらカレンが去った方向の出口に向かいロックオンが歩いて
  いくと、カツ……と足の爪先に何かが当たった。とても軽くて硬い感触に視線を下ろしてみると、何かのキーだろうか、紅いラインが入った羽の
  ようなデザインの代物が落ちていた。摘んで拾い上げ、近くで眺めてみる。来る時は落ちていなかった、カレンが去った後に転がっていた物。
  持ち主は恐らく、彼女だ。騎士団の誰かに預けるべきか、それとも――…。
   少し悩んだ後、カレンが去ってそう時間が経っていない事を考えて、ロックオンは足早にカレンの後を追い掛けていった。


  「……まだ何か言いたい事でもあるの?」
   カレンは直ぐに見付けられた。プトレマイオスの艦内ならば幾らでも探し出せる。迷う必要がない。通路の途中で後ろの気配に気付いた
  カレンが振り向き、その相手がロックオンだと分かると途端に警戒したように表情を硬くさせた。これ以上関わるな、話しかけるな、と露骨な
  態度から訴えられながらも、気にする事なく掌に収めていたキーを差し出す。
  「忘れ物だぜ、お嬢さん。ほら、これはアンタのだろ、…――とッ!?」
  「――ッ!?」
   ロックオンの差し出した掌の上にあるそれを確認したカレンの目が、大きく見開かれた。正に奪い取ると言う言葉がぴったり当てはまる
  ような素早く慌てた動きでロックオンの手からキーを浚っていき、握り締めた右手を更に握り締めるように左手を重ねて、まるで誰かの形見
  の如く大切そうに胸に抱き締めている。一瞬呆気に取られたロックオンだったが、如何にそれをカレンが大事にしていたか一目で分かる姿
  に、ほっと息を抜いて微笑みを浮かべた。
  「踏まなくて良かったよ。大事なものだったみたいだからな」
  「――…あ、ありがとう……。これはゼロから貰った、とても大切な物なの……」
   ぎゅっと握り締めたまま、カレンがおずおずとロックオンを見上げて礼を言った。先ほどの念押しする為の形式上の詫びとは全く違う、
  心からの感謝と安堵を、はにかんだ微笑と共に向けて。ゼロから貰った、と言う事が彼女にとってとても大切なのだろう、口にしながら一層
  ぎゅうっと胸に当てた手を握り締めている。
  「可愛い女の子の役に立てならこっちも満足だ。――今度は落とさないようにな?じゃ、呼び止めて悪かったよ」
  「――ま、待って……っ!」
   用は済んだからと手を振りカレンを通り過ぎて行こうとすると、後ろから慌てた声が掛かった。三歩ほど進んだ足を止めてロックオンが
  振り返えれば、躊躇うような、戸惑うような、複雑な顔でカレンが立ち竦んでいる。警戒する犬猫のような表情とは全く違うその表情に
  少し驚きながらも、離れた距離を戻りカレンの傍まで進む。もじもじと握り締めた手を弄りながら、カレンは上目遣いにロックオンを見上げ、
  小さな声で頬染めながら言う。
  「……さ、さっきは、ごめんなさい……。気を遣ってくれたんでしょ?コックピットの中で見過ごす事も出来たのに、玉城の――…言った事、
  気にしてるつもりじゃないけど、多分……動揺してたのは自分でも分かったから。もしかしたら貴方が態とあのタイミングで出て来てくれた
  んじゃないかって……。なのに、冷たくあしらって、ごめんなさい」
   どうやらカレンの大切な物を拾い届けた事で、ロックオンに対する彼女の警戒が解かれたようだった。言い難そうにしながらも、カレン自身
  ロックオンの機転には気付いていたらしい、それを知りながら冷めた態度を取ってしまった事を今、ぺこりと頭を下げて謝罪した。随分と
  態度は軟化しているが、その変わりように少々ロックオンも驚いてしまう。本来の彼女の性格はこちらなのだろう、素直で、年頃の娘らしい
  少女。だが長引く戦争とその中で生まれた人種間の差別がカレンの心を硬くさせていったのかもしれない。
   ふっと息を抜くと、ロックオンは敢えて細い腕に軽く触れるようにして、大丈夫だ、と微笑み頷いた。恐らく警戒していた時ならば、手を
  近づけただけで払い除けられただろうが――…一度、ぴくんと肩を震わせただけで、ロックオンの方を見上げる目は安堵の色を宿したまま
  穏やかだった。
  「女の子の前でああいう話をするのもされるのも、俺は苦手なんだ。だから気を遣ったって訳でもないが、チャーミングな女の子にこうして
  相手をして貰えるのは嬉しいな」
   悪戯っぽくそうおどけてロックオンが言うと、恥らうよりもカレンは少し寂しそうに視線を落として、薄く自嘲するように唇を歪めた。
  「貴方の相棒には、女として感じられないって言われちゃったけど……。でも、その通りだと思う。そういう台詞は私以外に言うべきよ。
  ――私は、ただ、あの人にパイロットとして認められたらそれでいい」
   最期の言葉はまるで自分に言い聞かせるように、唇を噛み俯くカレン。最初の相棒の下りで、年下の仲間を思い浮かべたが該当せず、
  次に過ぎったのはブラスタの借金持ちだった。恐らくこちらだろう、カレンに直接言ったかどうかは定かではないが、あの性格からして悪意
  でもなくフランクに付き合えると言う意味で言ったと思われる台詞だが、あの場でのやりとりの後では違う意味で取られてしまう。
   クロウの名誉(?)の為にもそれは誤解だと伝えて、少なくとも自分は本音からそう言える言葉を沿え、カレンを真っ直ぐに捉えて頷いた。
  「――相棒?刹那はそんな事言わな、……ああ、クロウの奴か。あいつは女嫌いを公言してるからな、女性を見る目が鈍いのさ。
  相棒になった訳じゃないが、まあ俺の顔を立てると思ってその言葉は許してやってくれ。充分可愛らしい女の子だと思うぜ、カレンは」
  「……ちゃんと、女の子として見られる?」
   カレンの不安げな表情は、見知らぬ男に晒すには余りにも無防備過ぎる顔だ。美少女として充分通じるその顔立ちで、先程のきつい
  様相を見た後にこんなギャップを見せ付けられたら、並みの男ならばフラフラと手を出しかねない。妹として通じるような年頃の娘にまで
  食指を伸ばすような真似などするつもりはないが、何処彼処も男所帯、そんな顔を容易く晒しては危ない――等と、兄妹でもないのに
  つい考えてしまうのは、癖……なのか。年下に対しては保護欲が湧いてしまうのだろうか、自分は。
   刹那やフェルトに対して世話を焼きたがる癖がここでも出て来た事に、ロックオンは内心で苦笑いしつつ、ぽんぽんと細い肩を両手で
  叩いてやる。
  「ああ、充分すぎる位可愛い。ただ、どこも男ばかりでいつ何が起きてもおかしくない状況にいる――少しカレンは警戒心を持った方
  がいい。男はいつだって狼なんだぜ?紳士な奴ばかりだとは思うが、あまり男連中の理性を揺るがさないように――…」
   そこまでおどけて笑い、かぶりつく狼の仕草をしてみせて――カレンの眼差しに、笑い掛ける表情が固まる。片手にまだあのキーを抱き
  締めたまま、もう片手をロックオンの腕に伸ばし、緩く掴む。散々躊躇した後、ロックオンを見詰める、縋るような、訴えかけるような眼差し。
  「……なら――」
   ぎゅ、と腕を掴む手に力が篭った。今度はロックオンが絶句する番だった。おどけた笑みも消え表情が強張り、カレンの手を解こうと
  細い手首を掴む。
  「おい――冗談は止めてくれ。……いや、俺の解釈が間違ってたなら悪い、ぶん殴ってくれても構わないが――…、『そういう』お誘い
  なら、相手が違うだろ?俺は――」
   ゼロじゃない、と言い掛けて――…潤んだ瞳に言葉を飲み込んだ。そんな事、彼女が一番分かっている。分かっていて何故他の男等
  に声を掛けたのか。パイロットとして認められたらそれで充分だと自分に言い聞かせ、人の言葉に動揺し真っ赤になり、彼が寄越したと
  言うキーを宝物のように大事に抱き締めている。それなのに他の男を誘う理由――恐らくは、唯一つ。

  「……馴れ合うのは好きじゃないんだ」
   手首を掴み、少し強引にカレンの腕を引き下ろして離す。
  「それに組織単位で俺達は、アンタ達を信用していない。こうしているのも利害の一致があるからって言うだけだ。それはカレンも同じ
  だろ?お互いの仲間に要らぬ誤解を与えるかもしれない。面倒事に巻き込まれるのはごめんだ」
   冷めた目でカレンを見詰め、視線を逸らしても逃がさないと追いかけて言い詰める。
   互いに信用に至らない、これから先関わるかどうかも分からない、もしかしたら互いに敵同士になるかもしれない――だからこそ。
   衝動的な逃げ場にするには丁度良い。後腐れない関係とやらには都合が良い。――それも理解出来るが、しかし幾つもの組織が
  寄り集まっているこの中で、一定の距離を越えて個人単位とはいえ結びつくのは危うい。特にゼロの存在は全体に関わる影響力が強く、
  そのゼロ直下の黒の騎士団のエースと密会しているとなったら――ウチの煩型は間違いなく怒るだろう。軽はずみな行動は慎め、と
  刹那にも言っている通り、自分が安易な誘いに乗る訳にはいかない。
  「――ごめ、ごめんなさいっ……私、どうかしてた――…貴方にこんな事……っ」
   カレンが俯き、肩を震わせる。声が震えて、顔を上げなくとも泣いているのは間違いなかった。刹那やアレルヤに見られたら何て思われる
  だろう。いや、クリスやフェルトに見られる方がもっと拙いか。これでは自分が女の子を泣かせている図だ。……間違ってはいないのだが。
   ――他の男を誘うと言うなら、もう少し割り切ってドライに考えられるようにならなければ、カレンの方が辛いだろうに。衝動的とはいえ、
  酒に誘うように気安く声を掛けた訳ではないだろう、そんな少女の気持ちを察すると複雑な気分になる。
  「……けど」
   逃げ出すように離れようとするカレンの腕を取った。
  「寂しいと泣き出す女の子を無視するのも、男とちゃ三流だな」
   濡れた大きな青い瞳が瞬きも忘れてロックオンを見詰めた。――ああ、こんな顔されちゃ、放っておけないじゃないか。
   つくづく自分は年下の少年少女に弱い。ロックオンは密かに苦笑を浮かべ気付かれた時せめてティエリアの怒りが想像以上のものでない
  事を願い、そっとカレンの背を押して自室へと促して行った。

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