「皆様、ルリアを見ませんでしたか?」
 特徴的な頭飾りをふわふわ揺らして、アルマナ・ティクヴァーがオービットベースの談話室に入ってきた。
「ルリアさん? いや、ここには来てないな」と、雑誌から目を上げて凱。その隣でお茶をいれていた命も首を振る。
「フーレに戻ったんじゃありませんか?」
「ルリアさんなら、さっき見たぜ」
 奥のテーブルでボルフォッグとチェスに興じていた夕月京四郎が、大きなアフロヘアを上げて振り向いた。
「なんだか冬眠に失敗した熊みたいな顔をして、居住区の方で行ったり来たりしていたが。誰か探してるんじゃないのか?」
「ああ、居住区にいたのですね。それならいいのです」
「そういや姫様、知ってるかい? クォヴレーが久しぶりに帰ってきてるんだぜ。会ってきたらどうだい」
「あら、そういたしますわ。では皆様、ありがとうございました。ごきげんよう」
 可愛らしく優雅にお辞儀をして、アルマナはトコトコと居住区の方へ駆けていった。この少女は立場に似合わず、ひどくリベラルな性格だということを皆知っていたので、今やバルマー数億の人民の指導者にして一大カリスマである彼女と、そのたった一人の護衛とが別行動をとっていることについても、とりたてて疑問に思う者は誰もいなかった。

 その頃、ルリア・カイツはまさしく京四郎の評したとおりの、ぴりぴりと憔悴した表情で、居住区のとあるドアの前を行ったり来たりしていた。
(落ち着け……落ち着けルリア……さっと入っていって、渡すだけだ。簡単ではないか……もう時間もないんだぞ……)
「そこにいるのは、ルリア・カイツか?」
「うわひゃあ!?」
 予想もしない方向から声がかけられて、ルリアは飛び上がらんばかりに驚いた。いや、本当に少しばかり飛び上がっていたかもしれない。鋼鉄の意志力で表情を落ち着かせ、廊下の反対側からやってきた相手に向き直る。
「こっ、くおっ、クォヴレー・ゴードン! ひさ、久しぶりだな!」
「ああ、本当にな。俺に何か用が?」
「いやっ、べべ別に何でもない! それではな!」
 それだけ言ってルリアは猛然と、ほとんど逃げるようにして廊下を走り去っていった。クォヴレーはその後ろ姿を怪訝そうに見送り、それからドアを開けて、自分の部屋に入った。

(あぅぅぅ……)
 十秒後、廊下の突き当たりの角を折れてすぐのところで、ルリアは自己嫌悪に苛まれていた。
「またやってしまった……私の馬鹿……」
「まったくですわ」
「きゃーっ!?」
 二度目の悲鳴を上げて振り向いた先には、彼女の主であり至高の守護対象であるところの少女が、眉根を寄せて立っていた。
「ひ、姫様!」
「あなたがどうしてもというから時間をあげたのに、何をしているのです。出航までもうわずかしかないのですよ」
 アルマナは苛立ちも露わに、コツコツと靴の先で床を踏みならす。ルリアは返す言葉もなく、しょんぼりとうなだれて立ちつくしていた。

 話は、神壱号作戦の頃にまで遡る。
 バルマー本星が壊滅した後、アルマナ一行はαナンバーズに身を寄せた。バランとルリアは自ら志願して機動部隊に入り、ごく自然な流れとして、クォヴレー・ゴードンの小隊に組み込まれた。
 クォヴレーという人物を、ルリアはそれまであまり快く思っていなかった。何しろ、アルマナ姫を誘拐した男なのだ。むろんそれには事情もあり、後ではキャリコからアルマナを守ってくれたりもしたが、第一印象の悪さは抜きがたい。元はゴラー・ゴレムという、いわば汚れ仕事専門の日陰者の分際でありながら、アルマナに何かと無礼な態度をとり、にもかかわらずアルマナに妙に気に入られているのも気にくわない。実力を評価してはいても、なんとなく虫の好かない相手だったのだ。
 だが、指揮官としてともに戦ううち、その印象はきれいにひっくり返された。
 クォヴレー・ゴードンは勇敢で、賢明で、献身的な戦士だった。すぐれた技量と的確な判断に、何度助けられたかわからない。バランでさえ、
「あれは、なかなかの男だ」
 と、髭をしごいて認めたほどだ。
 身をもってかばってもらったことも、一度や二度ではない。いらぬお節介だとはねつけてみせようか、素直に礼を言おうかと迷うルリアを後目に、
「無事か? 支障が出たら言ってくれ」
 と、短く気遣いの言葉だけかけて、ふたたび戦場に目を向ける彼の横顔に、頼もしさと安堵を感じるようになったのはいつの頃からだったか。
 ルリアはいつしかクォヴレーのことを、戦友として指揮官として、すっかり信頼するようになっていた。そして、そうなって初めてわかったことだが、実は彼女は、
「頼りになる年下」
 と、いうタイプに、ものすごく弱かったのである。
 苛酷な戦いの中で、信頼が好意になり、恋情になり、寝ても醒めてもクォヴレーの姿がまぶたの裏から離れないようになるまで、さほどの時間はかからなかった。だが、そこから先がいけない。子供の頃にはハザルのお守り、長じてからはアルマナの護衛、それ以外には何一つやったことのない彼女である。恋の仕方などわからない。自分がクォヴレーにベタ惚れであるということ自体、
「あなた、クォヴレーのことが好きなのでしょう? 見ていればわかるわよ」
 アルマナに指摘されて、初めて気付いたくらいだ。
 おまけに、彼女はゼ・バルマリィ貴族である。霊帝がいて、貴族がいて、その下にバルマーの平民がいて、そのはるか下にその他の異星人がいるというバルマー特有の選民意識が、頭の底に根強く残っている。知識のなさ、不器用さに加えてそのプライドも邪魔をして、クォヴレーとの仲はいかにしても進まない。宇宙怪獣との決戦を間近にひかえ、恋人たちや恋人未満の連中が残された時間を思い思いに過ごす、その絶好のタイミングにさえ何一つアプローチできず、結局何の進展もないまま宇宙怪獣は全滅し、真の霊帝が出てきたり死んだりして、長い戦いは終わってしまった。
 クォヴレーはディス・アストラナガンとともに、数限りない平行宇宙群をケイサル・エフェスの怨念から守る旅に出た。果てのない旅ではあるが、ほんの時たま、一年に一度か二度だけこの地球に戻ってくることがある。今回、地球での会議に出席するアルマナに随伴してオービットベースに来たところ、なんと偶然クォヴレーが戻ってきているという。勇気をふりしぼってアルマナに頼み込み、別行動を許してもらったものの、具体的にどうしようかと思い悩んで、プレゼントを贈ろうと思い立つまでに一時間、手持ちの品の中からそのプレゼントを選ぶのに一時間、そしてクォヴレーの部屋の前まで来て逡巡しているうちにまた一時間を費やし、与えられた自由時間がむなしく尽きようとしているのが、今である。

「もういいのです、姫様。ご迷惑をおかけいたしました。艦に戻りましょう……」
 ルリアはすっかり意気消沈している。
「何がいいのです。次はいつ会えるかわからないのですよ? ここで言わないでいつ言うのです」
 対照的にアルマナはやたらと乗り気である。基本的にこうした波風が楽しい性格なのだろう。目を伏せたルリアの肩をつかんでゆすぶらんばかりに、
「ズフィルードの神子、全バルマーのアイドルたるこのアルマナ・ティクヴァーの第一の騎士が、そんな弱気でどうします。いいですかルリア、さっきフーレの管制室へ行って、制御パネルの中にジュースをこぼしてきました」
「え゛」
「これで出航は一時間ばかり遅れるはずです。その間に勝負を決めるのです。それからこれ」
 さらりと言いつつ、アルマナはドレスの胸元から小さな透き通ったびんを取り出してルリアに握らせた。
「皇家秘蔵の香水です。部屋に入る前に、ちょっとだけお付けなさい。ちょっとだけですよ」
 主人の暴挙に唖然としている侍従の背中を押して、クォヴレーの部屋の前まで運んでくる。それからドアをノックすると、さっと自分だけ廊下の角まで駆け戻った。
「誰だ?」
 ドアの向こうからクォヴレーが答える。その声でルリアは我に返り、たちまち紅潮する。一瞬、逃げ出したそうなそぶりを見せるものの、もう一度ドアの方を振り返り、覚悟を決めたらしい。何度か喉をおさえて咳払いをした後、
「あー……ル、ルリア・カイツだ。その」
「ルリア? 鍵はかけていない、どうぞ」
 アルマナからもらった香水を、手首と耳のうしろに吹き付けて、深呼吸をしてから、ドアを開けて室内に入る。廊下の向こうでアルマナが、小さくガッツポーズをとった。

 作りつけのベッドと椅子と机、それにわずかばかりの本とデータディスク。初めて見るクォヴレーの部屋は、想像した以上に殺風景だった。
「……何もない部屋だな」
 クォヴレーは机に向かい、時代がかった大きな革表紙の本を読んでいた。ルリアの素直な第一声に、本を閉じて立ち上がる。
「それはそうだ、滅多にいないからな。ここがまだ俺の部屋として登録されていること自体、特例だ」
 銀河の彼方へ旅立った天海護の隊員コードがいつまでも有効だったように、クォヴレーがこの世界を去った後でも、彼の名前でオービットベースに部屋が確保されているのだ。大河長官の特別のはからいによるものである。
「だが、そのおかげで戻ってくるたびに、ここでこうしてくつろぐことができる。長官には感謝している」
 机のふちを指先で撫でるクォヴレーの表情がやさしい。その横顔に見とれていたルリアは、我に返って慌てて居ずまいを正し、差し出された椅子にいささか乱暴に座った。椅子を譲ったクォヴレーは、ベッドに腰を下ろす。
「それで、何の用件なんだ? さっきも来ていたが」
「あっ、ああ、うん。それは、だな。えっと」
 何度も咳払いをしたり、必要もないのに服のすそを整えたりしてから、ルリアはやっとポケットから小さな包みを取り出した。
「あ、アルマナ様をお救いしてくれたことに、個人的な礼をしていなかったのでな。とっておくがいい」
 クォヴレーが受け取って、包みを開く。中には、銀色にほのかに輝く金属製の、懐中時計のようなものが入っていた。
「これは……」
 留め金を押すと、精巧な飾り細工の施された蓋が開き、大小さまざまな七つの円盤が配置されたパネルが現れた。円盤にはそれぞれ長針、短針、秒針、それに日付を表すらしい小窓がついており、すべて違う速度でゆっくりと回転している。まさしく、懐中時計である。
「七つの星の時間を計れる、星間時計だ。お前達がオリハルコニウムと呼ぶ金属で作られていて、けっして狂うことがない。いくつもの世界を旅するなら、役に立つこともあるだろう」
 クォヴレーはじっと黙ったまま、何度も蓋を開け閉めしたり、耳に当てたりしている。とっておきのものを選んだつもりだったが、気に入らなかったろうか。ルリアは急に不安になって、
「言っておくが、本来ならお前などの手に入るような品ではないのだぞ。何しろ霊帝陛下から直々に……いや、つまり霊帝ルアフから、いや霊帝じゃない……つまりその、私の勲功によって皇家から与えられたもので、だから今は別に……じゃなくて、当時の私にはそれはもう大変な……」
 言葉を継げば継ぐほど、自分でもだんだん何を言っているのかわからなくなって、一体この時計が本当に人に喜んでもらえるような品なのかどうか、それすらわからなくなりかけたところで、
「……ありがとう。大切に使わせてもらう。本当に、ありがとう」
 いくらかはにかんだ、心底嬉しそうな笑みを向けられて、一気にルリアの心は溶けてしまった。
「あっ……あ、ああ。その、使って、くれると、私もうれしい……」

 それからしばらくは、ルリアにとって至福の時間だった。プレゼントというものを貰った経験のほとんどない(そもそも彼には、戦闘以外どんな経験だってほとんどないのだ)クォヴレーは、ルリアのこの贈り物を子供のように喜んだ。そして、巡り歩いてきた様々な平行世界のことどもを、問われるままにいくらでも話してくれた。
 ルリアにとっても、男性の部屋で二人きりなどという状況は子供の頃以来である。ハザルの遊び相手をつとめるのはお役目であったから、仕事抜きでは実質初めてともいえる。ましてハザルはあのとおり、面白い話などできる性格ではない。クォヴレーとの談笑に、ルリアは時を忘れて引き込まれていった。
「……それで、そのトウマという男がアルマナにずいぶん気に入られていた」
「馴れ馴れしい。何故その世界の私は斬って捨てんのだ……ところでこの部屋、空調は効いているのか?」
 ふと会話が途切れた折りに、暑さを感じてルリアは天井を仰いだ。頭部から肩にかけてをすっぽり覆う侍従の装束は、ただでさえ暑苦しい。なのに、さっきから室温が上がっているような気がする。体の奥から熱がのぼってきて、肌が妙に汗ばむ。
「室温は通常通りだ。もう少し下げるか?」
 クォヴレーがエアコンのパネルに手を伸ばしかけた時、ポーン、とやわらかい電子音が鳴った。机の上の時計が、ルリアが来てからすでに三十分ほどがたったことを告げている。アルマナは、フーレの修理に一時間ほどかかると言っていた。
(あと、三十分しかない)
「いや、構わない。そのままでいい」
 思った途端、とっさに手が動いて、クォヴレーを制止していた。そして、わずかにためらった後、ルリアは頭を覆う紫色の頭巾をひと思いに脱ぎすてた。
「ふう……」
 頭巾の内側にまとめられていた髪が、ほどけて背中に流れる。ウェーブのかかった長い栗色の髪をゆすって風になじませると、こもっていた熱が散っていき、心地よくルリアは息をついた。と、クォヴレーが何だかぽかんとした顔でこちらを見ている。
 当然だろう。ズフィルードの巫女の侍従は神職であり、肉親以外の前で頭巾を取ることは許されていない。神職の女性が男の前で頭をさらすのは、「あなたを夫にします」という強いプロポーズの意味を持つのだ。
(ちょっと、大胆すぎたろうか……)
 しかし、あと三十分が過ぎてしまえば、次はいつ会えるかわからない。たとえ慎みのない女だと思われても、このチャンスを逃したくはない。地球にだって、一期一会という言葉があるではないか。
 じっと見つめてくるクォヴレーの視線が痛い。思い切って、こちらから訊いてみることにする。
「……い、言いたいことがあるなら、早く言えばいいだろう」
「ああ……いや、頭巾を取ったところを初めて見た。そんなに髪が長かったんだな」
「は!?」
 猛烈に聞き返してしまったあとで、ルリアは思い出した。
 そういえば、クォヴレーにはバルシェム時代の記憶がないのだ。ということはつまり、教養あるバルマーの軍人階級なら当然知っているはずの常識も、彼の頭の中にはないということだ。
 ふだんは不自由なくコミュニケーションできているし、あれから一年近くたっているので何となく、思い出しているのだろうと思いこんでいた。底知れない脱力感に襲われて、ルリアはがっくりとうなだれた。
「ど、どうした?」
 クォヴレーが心配そうに覗き込んでくる。何も知らないくせに。バルマーの常識も、私の気持ちも、なんにもわかっていないくせに。
(……もう、こうなったら)
 脱力の底から怒りに似た感情が、ふいにこみ上げてきた。すっく、と椅子から立ち上がり、クォヴレーの顔を真正面から見すえる。長身のルリアは、年下のクォヴレーと並ぶとほとんど頭の高さが変わらない。気圧される彼をそのまま押していって、ベッドのきわまで追いつめると、ごくり、とひとつ唾をのんで、
「クォヴレー・ゴードン! わたしと、ち、ちぎ、契りをむすぶがいい!」
「ちぎ……何?」
 クォヴレーが面食らっている隙にすばやく頭をつかみ、ルリアはクォヴレーのうすい唇に己の唇を押しつけた。
「む……っぷ」
 意外に柔らかな彼の唇を味わう、というほどの余裕はなく、息が苦しくなるまで唇を合わせていたルリアは、いったん身を離すと顔中を真っ赤にして息をつく。銀色にきらめく涎が一筋、二人の唇をつたった。自分がしでかしたことが信じられない。カイツ家の嗣女としての規律と慎みはどこへ行ってしまったのか。
 クォヴレーが唖然とした顔で、口元をぬぐう。
「これは、一体、何の……?」
「まだわからないか、馬鹿!」
 ルリアはもう半泣きである。「わた、私は、お前を…お前のことが、だな……! そっ、その……」
 ここに至って、ようやくクォヴレーの瞳に理解の色が浮かんできた。男のくせに細い指先で、唇の感触を確かめるようにさすりながら、
「……間違っていたらすまない。もしかして、俺に特別な好意を持っている、と言いたいのか?」
「………っ」
 ずばりと言われると、やはり恥ずかしい。言葉を返すことはできず、ただ頷いてみせると、クォヴレーは何とも言いようのない顔になって黙り込んでしまった。
「と、年上は嫌いか?」
「好きも嫌いも、俺は女性とそういう関係になったことがない。好みなどわからない。ただ」
 クォヴレーはそこで言葉を切って、彼にしては珍しいことに、いささか決まり悪そうに頭をかいた。
「さっき、頭巾を取ったろう。あの時、俺は……何と言っていいのか……どきりとした。つまり…………綺麗だと思ったんだ。とても」
「……!」
 クォヴレーの白い頬が、ほのかに紅く染まっている。安堵と、歓喜と、いろいろな感情が一気に噴き出してきて、ルリアはほとんど泣きそうになった。おずおずとクォヴレーの胸に顔を寄せると、クォヴレーもぎごちなくルリアの背中に手を回し、そっと抱きしめてくれた。

 服を脱ぐところをまじまじと見られるというのは、恥ずかしいものだ。たとえ、好きな男にであっても。
「しかし、やはり急ぎすぎなんじゃないのか。無理はしなくても」
「う、うるさい、いいんだ!」
 クォヴレーはすでに服を脱ぎ、ルリアが裸になるのを待っている。告白したその場で、こんなことになるのは確かに、はしたないを通り越して急すぎると、ルリアだって思いはする。しかし、この機会を逃したら次はいつになるかわからない。いかにうぶなルリアといえど、思いを告げただけでこの先いつまでも満足していられるほど子供ではない。そして何より、体の奥に燃え上がりはじめてしまった何かを、自分でも止めることができなかった。
 最後の下着を脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ姿になってクォヴレーの前に立つ。すらりとした肢体には余分な脂肪の一片もなく、ほどよく鍛えられた筋肉の曲面をおおって、褐色の肌が美しく起伏している。小ぶりな乳房の頂点には淡い、ほとんど肌の色より淡いくらいの桜色をした突起が、つんと上を向いていた。
「綺麗だな……」
 素直な感想に、ルリアは拗ねたような顔になってうつむいた。手で前を隠して、そそくさとベッドに歩み寄る。
「こ、このようなことをした経験はないのだろう?」
「ああ」
「なら、私に任せるがいい」
 ルリアにだって経験などないのだが、そこは年上の意地というものがある。突っ立っているクォヴレーを促して、二人でベッドに横たわる。
「ええと、……たしか、こう……」
 引き締まったクォヴレーの胸板や二の腕に、おずおずと指を這わせる。昔読んだ恋愛小説や、聞きかじった女官達の艶談などの知識を総動員して、ぎごちなく愛撫のまねごとをしてみていると、クォヴレーがふいに手を伸ばして、ルリアの耳の下あたりをつい、と撫でた。
「ひゃあんッ!?」
 とたん、ルリアの体に電撃が走った。触られた場所から甘い痺れが伝わって、動きが止まってしまう。クォヴレーの指先はそのまま顎をとおって首筋を撫で、さらに鎖骨へと伝う。鎖骨の中央部からさらに下へ移動しようとしたところで、ようやく動くようになったルリアの手が必死で止めた。
「お、おま、お前っ! 経験はないと言っただろう!」
「経験はない。だが、以前に少しだけ本で読んだことがある」
「なっ、ちょっと待……ふあ、んくぅっ!? うあ、あっ!」
 もう片方の手も使い、クォヴレーは乳房の周囲をまるく撫で、脇腹をやさしくさする。手のひらの感触、指先の軌跡が、おそろしく的確にルリアの敏感な場所をさぐり当ててきて、声をこらえることが
できない。
 そういえば、クォヴレーは入門書をすこし読んだだけで完璧に刺繍をこなしてみせたことがあるらしい。学習能力が異常に高いのだろう。ゆだってしまった頭でそんなことを思い起こしながら、ルリアはクォヴレーの愛撫に翻弄されていく。汗のういた褐色の肌を、白い指がなめらかに移動する。甘い声をあげてそれに応えるうち、へその下を通り過ぎた指先が、ルリアの最も秘密の場所に到達した。
「はああああーーっ!?」
 その場所に触れられた衝撃は、それまでとは比較にならなかった。のしかかっているクォヴレーの体が跳ね上がるほどに、体が勝手に弓なりにのけぞってしまう。ルリアとて年頃の女性である。クォヴレーのことを想い、一人でその場所を慰めたこともある。しかし、初めて触れる男の指は、信じられないほどに強烈だった。
「だ、大丈夫か?」
 クォヴレーが、おそるおそる顔をのぞき込んでくる。あまりの反応に驚いたのだろう。なんとか息をととのえ、目尻にうっすら涙を浮かべて、安心させるようにルリアは頷いてみせた。
「一体……何の本を読んだのだ?」
「恋愛小説の一種だと聞いた。もういらないからと、アラドがくれたものだ」
 あの頬のぷにぷにした少年も、それなりに男だったということらしい。クォヴレーがためらいがちに体を離した。
「それで、次は俺がしてもらう番らしいんだが……」
 クォヴレーの股間には、どちらかといえば細身の体躯に似合わぬ、それこそアキシオンバスターのような隆々としたものが、すっかり準備を終えて立ち上がっていた。ルリアにとっては、初めて目にする男性器である。
「ず、ずいぶんと大きい……ものなのだな」
「平均サイズよりは、大きめらしい。あまり比べたことはないが」
 もう少ししたら、これが自分の中に、クォヴレーの指先だけであんなことになってしまった場所に入ってくるのだ。そんなことを想像したらなんだか頭がぐるぐると回り出すようで、ルリアはかぶりを振って気持ちを無理に落ち着かせると、キッと見上げた。
「ど…どうすればいいのだ?」
「最初は……手でしごく。それから、口で…」
「く、口!? ま、まあ、やってみるか……」
 脚を広げて座ったクォヴレーの股間に体をはさんで、ゆっくり顔を近付けていく。近くにくるとそのものはいっそう魁偉で、強い匂いと熱をはなっていた。その匂いを吸い込むと、うっとりと頭がしびれてしまう。羞恥心や、ためらいや、そんなものもこの目の前の赤黒い棒が溶かしてくれるようで、ルリアはそっと手を伸ばし、クォヴレーに触れた。
「あ……脈打っているのだな…」
 固いような、柔らかいような、不思議な感触で、そしておそろしく熱い。指先から伝わってくる脈動は、そのままクォヴレーの鼓動だ。それを感じて、ルリアの鼓動もひときわ速くなる。おずおずと指をからめ、手を上下させてみる。
「こ、これでいいのか?」
「ああ……いいはずだ。俺も初めてだが……気持ちいい、と思う……」
 声が少しうわずったようになっているところを見ると、彼も緊張しているのだろう。そう思うと、気持ちが少しだけ楽になる。次は、口だ。正直、そんな方法があるなどとは想像したこともなかったが、今そのものを目の前にしてみると、赤黒く充血し、ぴくぴくと蠢動する、男性の欲望を形にしたようなそれに口づけるのは確かに、愛撫として正しいのだと思えてくる。吸い寄せられるように、ふくらんだ先端の部分にルリアは口づけた。
「あぅっ……」
 と、かすかな声がクォヴレーの唇からもれた。まぎれもなく、快楽の呻きだ。撫でさすりながら、いっそう強く唇を押しつける。舌を出して舐めてみると、また違った呻きが上がり、ルリアは嬉しくなって、棒キャンデーをしゃぶるようにぺろぺろとクォヴレーを舐め上げていく。やがて、熱いキャンデーが先端から根元までまんべんなくルリアの唾液をまぶされ、てらてらと濡れ光るまでになると、いったん口を離し、唇をぬぐって息をついた。肉の幹はルリアが触れる前より、一回り大きくなったように見える。
「この次は……どうするのだ。このまま続けていいのか?」
 自らが育てた猛々しい肉塊をうっとりと眺めながら、目だけ上げてクォヴレーに問いかける。すると意外なことに、クォヴレーはやや気まずそうに目をそらした。
 訝しげにルリアは身を乗り出す。もしかして、何か間違ったことをしてしまったろうか。それならば、はっきり言ってくれればいいのだ。手の中の熱い幹をぎゅっと握り、眼差しで問いつめること数秒、クォヴレーは恐る恐る、といった様子で口を開いた。
「言いにくいんだが、……その……次は、胸で挟んで、していた」
「………」
 自分の胸元を見下ろす。形はきれいだと自負しているものの、年下のアルマナにカップで二つほど負けているのがひそかなコンプレックスになっている、控えめな胸の控えめな起伏。
「……そこは飛ばす! 次!」
「あー、では、そのまま口で……」
 やり場のない憤懣を乱暴な口づけに託して、奉仕を再開する。かすれた声が頭上で聞こえ、見上げるとクォヴレーが心地よさをこらえるように眉をしかめていた。これは奉仕であると同時に支配でもあるのだと、ルリアは妙に納得する。牡としてのもっとも枢要の部分を、この手と口の中に握っているのだ。すっかり忘れていた年上としてのプライドが、今更のように戻ってくる。
「ふふ、こうするのが、気持ちいいのだろう……はぷ」
 余裕の笑みを浮かべてみせたりして、クォヴレーの頬が赤らむのを確認すると、満足げに肉幹に戻る。濡れた真珠色の唇で、クォヴレーを何度も何度も呑み込んでは吐き出し、ひくひくと脈打つ血管を小さな舌先でそっとなぞっていく。先端の割れ目からにじみ出る透明な液を、自らの涎と混ぜて舐めとり、塗りたくる。ルリアは覚えたてのこの淫戯に夢中になっていた。
「う、く……! ル、ルリア、そろそろ……」
 クォヴレーの腰が、ふいに大きく震えた。ルリアの肩に手がかかり、ためらいがちに押し戻そうとする。だがルリアはそれを押し返し、かえって深くクォヴレーを呑み込む。もう限界が近いから、ルリアの口の中にぶちまけてしまう前に離れてほしい、という、それはクォヴレーの当然の気遣いだったのだが、ルリアはそれを、「クォヴレーがますます気持ちよくなっている」という意味にのみ受け取った。愛撫の勢いを増しこそすれ、離れるつもりなどない。そして、ほどなく当然の結果が訪れた。すなわち、
「うあっ…!」
 ルリアの口の中に、ぶちまけてしまったのである。
「んぐっ!? んっ、んっ!?」
 いきなり舌の上で炸裂した熱いものに、ルリアは驚愕しつつも、ほとんど本能に近い何かでもってそれを口中へ受け止めた。熱く、濃厚で、いくらか苦みのあるそれは、びくびくと震えるクォヴレーの先端からとめどなく噴出し続け、口の中に溜めきれなくなって、飲みくだそうとしたまさにその瞬間に、ルリアはようやくそれが何であるかに思い至った。
(これは……クォヴレーの…精……!? 私、わたし、飲……!!)

 ごくん……

 気付いたときには、もう喉が動いてしまっていた。強烈な匂いを持つ濃厚な粘液が、クォヴレーの出したそれが、今まさに喉奥をずるり、と通り過ぎていくその感触で、ルリアの中の何かが弾けた。
「んっ……ん、んんんんんんんんんんッ!!!」
 びくん、ぶるん、と、クォヴレーの射精に劣らぬ勢いで、ルリアの腰が跳ね上がった。ぱたぱたと、ベッドの上に雫がこぼれる。褐色の肌にどっと汗が浮いて、がくがくと震える唇からクォヴレーのものがこぼれ出、それに続いて、飲みきれなかった白液が口元から垂れ落ちて肌の色と美しいコントラストを作る。ようやく射精の余韻から醒めたクォヴレーが、突っ伏しているルリアをあわてて抱き起こした。
「だ、大丈夫か? すまない、その、ああなる前に離れようと思ったんだが……」
「の……」
「の?」
 意外にたくましい腕に、力の入らない手でしがみつき、ルリアはかすんだ視界の中になんとかクォヴレーをとらえた。ぽろぽろ涙をこぼしながら、ろれつの回らない舌を動かして、たどたどしく言葉をつむぐ。
「の、の、飲んでしまった……お、お前の、お前の…を……し、し、しかもそれで、す、凄い、すごく……イッ…てしまって……私、なんて、なんて淫らな……はしたない……」
 舌の上にはまだクォヴレーの味が残っている。一言喋るたびにじんじんと口の中が痺れるようだ。自分がこんなに淫乱だなんて、思いもしなかった。男の精液を飲むなんて、どちらかといえば陵辱に近い行為だと、普段の潔癖なルリアなら考えるはずだ。それをこんなにも甘美に感じ、あまつさえそれだけで絶頂を迎えてしまうなんて。自分は一体、どうしてしまったのか――
 絶頂の余韻の中で、自己嫌悪とも陶酔ともつかない感情に溺れるルリアをすくい上げてくれたのはクォヴレーだった。泣きながら震えるルリアをやさしく抱き寄せ、口元の白濁をぬぐうと、ぎごちなく、だが優しくキスをしてくれたのだ。
「あ……」
 一瞬だけ驚いたものの、すぐにうっとりと目を閉じると、クォヴレーの舌が入り込んでくる。先ほどはルリアの方から強引に奪ったのだから、キスをされたのは無論初めてである。ルリアの小さな舌の上を、クォヴレーはゆっくりとなぞり、白濁の味を洗い落としていく。やがて、口の中がすっかりクォヴレーの唾液の味に塗り替えられた頃、二人はそっと唇を離した。
「落ち着いたか?」
「…ああ……」
「その……さっきのことだが」クォヴレーは顔を赤らめて、おかしいくらい真面目な表情をして、ルリアの顔を正面からのぞき込む。
「あまり、気にすることはないと思う。我慢できなかったのは俺だ。それに、男は少し淫らなくらいの女を好むものだと、俺が貰った本にも書いてあったし、その……俺も、ルリアが今みたいになるのは、嫌な気分じゃない。無論、つまり、俺に対してだけ、そうなるのなら……という意味だが」
「……ばか」
 ルリアは泣き笑いのような顔になって、クォヴレーの頭をそっとこづいた。銀色の髪に腕を回し、ぎゅっと抱きつくと、クォヴレーも優しく抱き返してくれた。

 クォヴレーによれば、経験の浅い男女同士は正常位と呼ばれる体位で愛し合うのが一般的だそうだが、そこは無理を言って、ルリアの方がまたがる形にしてもらった。女性がリードする時はこうするものだと、どこかで聞きかじったことがあったからだ。
「リードと言ったって」
「い、いいんだ。年上の言うことは聞け」
 とはいえ、ルリアだって初めてである。仰向けに寝たクォヴレーの股間にそびえ立つものに、なかなか狙いを合わせることができない。何度腰を落としてもいたずらにこすれて、そのたびむずがゆい快感が広がり、焦らされるばかりである。やっぱり素直にクォヴレーにしてもらえばよかったかと、殊勝な後悔が脳裏をよぎりかけた時、
「ふあっ!?」
 ぐちゅ、という粘膜同士のこすれ合う音とともに、突起と穴とが噛み合った。
「あ、あ、あ……、はいッ、入ってくる、クォヴレーが……私の中に、入って…入ってしまうっ……!」
 止められない。腰が勝手に、それを呑み込んでいってしまう。肉が押し広げられ、誰も入ったことのない体内へクォヴレーを受け入れていく。ぞくぞくと背筋を何かが昇ってきて、
「つっ!……?」
 水疱が破れるような、わずかな痛みを抜けると後はもう何の抵抗もなく、クォヴレーのものは根元まですっぽりとルリアの中に収まっていて、ルリアの尻はクォヴレーの腰の上にぺたん、と落ちた。
「あ……あ……っ?」
 今のが破瓜の痛みというものだったのだろうか。話に聞いていたより、ずいぶんと呆気ない。それよりも、自分の中にあるクォヴレーの感触。
「は、入って……ここに、ここにいる、クォヴレーが、ここに……」
 呆然と、ルリアは己の下腹をさすってみる。そこにクォヴレーが収まっているということが、皮膚の下にはっきりと感じられた。その認識だけで再び達してしまいそうになるのを、息をつめてこらえる。クォヴレーが心配そうに見上げている。ぎごちない笑みを浮かべて、腰をゆっくりと動かしてみた。
「あひ……!?」
 ずるん、と自分の体内で何かが動く。膣の中の感覚が異様に鋭くなっている。それの形まではっきりわかるほどだ。亀頭の張り出した部分が、内部の凹凸を一つ一つこすっていくたび、自分の喉から奇妙な声が漏れてきて、止められない。
「アッ、あうっ、こっ、これッ、これはぁッ!? そんな、はふ、あひゃ、そんなことが、ああン、ふゃああっ!!」
「ル、ルリア、ちょっと待、待ってくれ、あぅ、うあ……!」
「く、くおぶれー、クォヴレーっ! わたっ私っ、何だか、変だ、ひは、あっ、変に、変になる、これ、あああ変になるぅッ!」
 ルリアの乱れように驚いたのだろう、クォヴレーが制止するように手を上げるが、腰の動きは止まらない。かえってクォヴレーのさしのべた手が太ももに触れると、その感触さえ跳ね上がるほど心地よく、いっそう甲高い声が上がってしまう。じきにクォヴレーも何も言わず、ただ荒い息とともにルリアのリズムに合わせて腰を突き上げるだけになった。
 全身が燃えるように熱い。腰から下は炎のかたまりになって、同じくらい熱いクォヴレーの腰と熔けあってしまったかのようだ。上下に往復し、前後にゆすられ、また左右に回転する。恋人同士がお互いの唇をむさぼるのに似たそのいやらしい動きは、ルリアがしているのではない。少なくとも、ルリアの意識がさせているのではない。
 ルリアと同じくらい朦朧と上気した顔でクォヴレーが両手を上げ、ルリアの乳房を包み込んだ。その鮮烈な快感に、ルリアはまた跳ねる。
「クォヴレー……クォヴレえ……あっ、はっ、私、はぅうううっ! もう、もう、んっ、駄目だ、ふあ……!」
 ルリアの手が何かを探すようにさまよい、クォヴレーの腕にからみついた。その意図を、ルリア自身ではなくルリアの肉体が求めているものを、クォヴレーは察して乳房から手を離し、やさしくルリアと手をつなぐ。手のひらから伝わる熱が、わずかにルリアの気持ちを落ち着かせてくれる。だが、いずれにせよ、もう限界だった。
「あっ……あっ……あっ、あっ、あっ、あーーーッ!?」
 腰の奥の方で生まれた電撃が、ルリアの背筋をとおって全身を貫いた。クォヴレーの手をしっかり握ったまま天井を仰ぎ、小刻みに震えて硬直したまま、ルリアは絶頂を迎えた。
 力を失った褐色の尻が、どさりとクォヴレーの上に落ちた。腰の動きだけでそれをはねのけるほどの力はなく、手を握られていたので押しのけることもできず、そして絶頂の痙攣をくりかえすルリアの締め付けに耐えるだけの気力は、いかにクォヴレーといえども残っていなかった。
「……あっ!? あっ、熱っ、あづい、あーっ、あーっ、あ゛ーーーーーっ!!!」
 ルリアの一番奥、もっとも秘密の場所で、クォヴレーが爆発した。ついさっき呑み込んだものと同じ濃厚な精を、その熱を絶頂のさなかに叩きつけられ、もう何も考えられなくなったルリアは、波の上に放り上げられた小魚のようになすすべなく泣いた。
 長い、長い静寂のあと、ふるえる褐色の肢体が鎮まり、ゆっくりと、色白だがたくましい胸板の上へとくずれ落ちた。



「全艦異常なし。あと約十五分で地球領海を出ます」
「よしなに。ご苦労さまです、皆様」
 ブリッジにしつらえられた特別展望席にアルマナが腰を下ろし、クルーへねぎらいの言葉をかける。公宙域に出て超空間航法に入ったら、今回の地球での仕事はすべて完了となる。特別席の傍らに立つルリアは、そっと安堵の溜息をついた。
 クォヴレーの部屋で放心状態から回復してみると、すでに出航予定時刻を大幅に過ぎていた。青くなって服を着直し、別れの挨拶もそこそこにフーレに駆け込んで、とっくに乗船していたアルマナの何か言いたげな視線に耐えつつ、出航したのはつい三十分ほど前のことである。
 アルマナにもらった香水は、皇家伝来の媚薬であった。痛みを和らげ、快感を増幅する働きがあり、かつてバルマーの宮廷社交界華やかなりし頃、貴婦人達の愛の遊具として珍重されたものだという。出港直後にそれを聞かされた時には安心したような、情けないような、何とも言えぬ気持ちになってルリアは力無く笑い出してしまったものだ。
「それにしても、残念です」
 通信をルリアとのプライベートに切り替えて、アルマナが不意にそんなことを言った。
「ルリアと両思いになれば、クォヴレーもついてきて私の仕事を手伝ってくれるかと思ったのに」
「そんな目論見がおありだったのですか」
「ちょっとですけど」
 ルリアはもう一度溜息をつく。
「彼には彼の使命があります。そんなわけにも行かないでしょう」
「まあ、ルリアが『彼』だなんて。一時間ちょっとの間に、ずいぶん仲良くなったのですね」
 アルマナがくすくす笑い、ルリアの頬が紅く染まった。
 そっと左手を上げて、袖をめくる。ルリアの手首には小さな銀色の腕時計がはめられていた。どこにでもある、軍用のそっけないクロノメータである。灰色の文字盤に表示されたバルマー式の時刻を、慈しむようにルリアは指先で撫でて、優しい顔になった。

 ルリアの体にとって、今日はいわゆる「危険日」に当たっていた。クォヴレーとの交わりで、赤子を授かった可能性は非常に高い。そのことを思い出したのは服を着ている最中で、さすがに一瞬血の気が引いたものの、もしもそうなったら産もう、とルリアはすぐに決めた。バルマー貴族の辞書に婚前交渉という文字はない。一度でも契りを結んだ以上、ルリアはクォヴレーの妻である。
 クォヴレーには何も言う必要はない。どうせ彼とは生涯にあと何度会えることか、わかりはしない。一夜の愛の形見に、彼の子供を育てるのも悪くはない。などと、ロマンティックな感傷にひたりつつ部屋を出て行こうとしたルリアを、クォヴレーが呼び止めた。
「ルリア、時刻を教えてくれ」
 クォヴレーだって自分の時計を持っているはずだし、おまけに部屋の壁にも立派な時刻表示パネルがかかっている。なぜそんなことを訊くのか訝しみながらも腕時計を見せてやると、クォヴレーは先ほどルリアが贈った懐中時計をさっそく取り出してしばらくいじり回し、七つある文字盤のうちの一番大きいものを、ルリアの時計と同じ時刻に合わせた。これからこの時計は、ルリアと同じ時間を刻むのだ。
「……ありがとう」
「別に、礼を言われることじゃない。必要だからな」
 クォヴレーがそんな心遣いをしてくれたことがなんだか嬉しくて、急いでいるのも忘れて笑顔になってしまったルリアに、不思議そうな顔でクォヴレーは答える。時計のふたを閉じると真面目な顔でルリアを正面から見すえ、
「遅くとも三か月ほどしたら、一度戻ってくるつもりだ。きっとルリアに会いに行く。その頃にはわかっているだろう? その……妊娠、しているかどうか」
「え……」
「責任はとる。普通の父親のようには、できないかもしれないが……できる限りは」

 はにかみながらキスをしてくれた、唇の感触をはっきり覚えている。たとえ世界を隔てて離れていても、この時計の向こうで彼も同じ時を進んでいる。
 何の変哲もない腕時計を、いつまでも幸福そうに眺めているルリアを、アルマナがきょとんとした顔で見上げていた。
「超空間航法、入ります。惑星バルマーIIまで、あと三時間四十分――」


End

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