19世紀末、Percival Lowellは「直線・幅一定・放射状から火星の運河は
デザインされたもの」と推論した。このLowellを
インテリジェントデザイン支持者Jonathan Wittは、否定された科学の例として挙げている。
Lowell, following the scientific consensus of his day, believed that Earth was unremarkable in the universe, and that since it was unremarkable, the rest of the solar system and universe must be teeming with intelligent life. Astronomers now know that this assumption--called the Principle of Mediocrity--is false. Most immediately, Earth and the advanced life it holds are unique in the solar system.
その時代の科学的コンセンサスに従っていたLowellは、地球が平凡であると考えた。そして、地球は平凡だから、太陽系と宇宙のその他の部分も知的生命に満ちていると考えた。平凡の原則と呼ばれる、この仮定が間違っていることを、今の天文学者たちは知っている。地球と地球上の発展した生物は、太陽系で唯一のものだ。
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Jonathan Witt: "Percival Lowell, Mars and Intelligent Design" (2006/03/13) ]
Lowellが他の天体、特に火星に知的生命が存在すると結論したのは、まさしく
デザイン推論によるもの、すなわちインテリジェントデザインと同じものだった。しかし、それについては特に気にしないJonathan Wittである。とにかく、地球以外に(知的)生命が存在するという主張は容認しがたいようだ。
ただし、これはキリスト教全般に言えることではない。
異星人の存在を信じることは、カトリックの教義に反しないようだ。また、そもそも、水星人・金星人・火星人・木星人・土星人などが存在するか否かは、自然科学の問題であるとともに、神学問題でもあり、
長々しい論争の歴史があった。後に、ラヴクラフトが充満への欲求と呼ぶ考え方がある。神はムダなものは創らないので、恒星があれば周りに惑星があり、惑星があれば人類が存在するはずというもの。この流れに、水星・金星・火星・木星・土星・月などの人類の聖霊たちお話したと主張したSwedenborgがいる。
インテリジェントデザインの建前としては、神以外のインテリジェントデザイナーを容認し、
SETIはインテリジェントデザインのデザイン推論だとも主張している(実際は
「SETIはデザイン推論」ではないが)。しかし、実際のところ、古代異星人説のような、インテリジェントデザインのバリエーションと言えるものを容認する例はほとんどない(おそらく
実際に容認するのはBeheだけ)。