二人は傘の中に気恥ずかしい空気を纏いながら帰路についていた。

「ずっと‥ずっと一緒に居て…」「あぁ。」

『あれはOKってことだよな?結婚…結婚してくれるって言ってたんだよなぁ?一緒に居てって言ってたしあれはOKなんだよなぁ…いいんだよな?なんだか夢の中に居るみたいで信じられないって言うか…』

信郎は歩きながらグルグルグルグル一人考え込んでいた。

「ノブ‥ちょっと診療所で待っててくれない?」
「あ‥あぁ、そうだな。うん、ちょっと寄って行こうかな。」
途中で小雨になった雨に包まれながら二人が下村家の前に着いた時、梅子が信郎にそう告げた。
梅子は面会が許されたことを建造に知らせ、信郎が悶々としながら待つ部屋に戻ってきた。

「お待たせ。ねぇノブ、私たち結婚するってことで良いのよね?」
梅子が子猫のような丸い瞳で信郎の目を覗きこんだ。

「あぁ。付きあうかどうかを飛び越して結婚だなんて言うから驚かせちまったか?
俺は‥俺と同じで色々ダメな梅子ががんばって勉強して医専に合格して医者になって‥同じ医者の松岡さんと付き合った時…ああ梅子はもう俺とは違う世界に行っちまったんだと、どこかでそんな風に思ってたんだ‥」
診療所のベッドに腰かけながら、信郎は俯いてそう呟いた。

「そう…だったんだ‥」
「あぁ。‥医専に行って俺の知らない所で楽しそうな梅子が遠くなったって言うか。俺の知らないことがどんどん増えてるって感じてた。
勝手だよな。お前がここで診療所を開くことを決めた時、俺が知ってる梅子が戻ってきたみたいで嬉しかったんだ。見合いの日のことも…梅子は梅子のままだなぁって…。」
大きな背中を丸めながら、信郎は思いのたけを素直に言葉にしていた。

「バカねぇ…ノブ。」
「悪かったな、バカでよっ!」
信郎は梅子の居ない方にぷいっと顔をそむけた。

「ねぇノブ…私はノブもすごく成長したと思ってるわ。今は諦めず懸命に取り組んでる。自分にしかできない仕事がしたい‥ノブはそう言っていたでしょう?
私も同じよ。だからノブの気持ちが良く分かるわ。内容が違うだけ‥医者も工場の仕事もやりたいことは同じよ。そうでしょ?」
梅子は改めて言葉にしてこなかっただけの思いを優しい声で信郎に告げた。

「…ありがとな、梅子。お前にそう言ってもらえると嬉しいよ。すごく嬉しい。」
「…ねぇノブ。今までは改めて言葉にしなくてもって思ってたけど、これからは嬉しいことも嫌だと思うこともノブのことをもっと知りたい。私も知って欲しい。そんな夫婦に…私はノブとそんな夫婦になりたいな‥」
梅子は足をブラブラさせながら、隣の信郎にそっと肘を押しつけた。

「あぁ…そうだな。………あのな…梅子、俺たち‥まだ他にも知らないことがあるんだ。わかるか?」

「え?そんなのある?」
梅子は大きな目をきょろきょろしながら真剣に考えている。

「あぁ。俺たちはまだ、なんだその、男と女としてはお互いをまるっきり何も知らねぇ…」
「あ‥そ、そうね。確かにそういう面は…し‥知らないわね‥。」
信郎の言いたいことにピンときた梅子は耳まで真っ赤にしながらコクコク頷いていた。


「その、なんだ。えっと‥」
信郎は隣に座る梅子に顔を向けながら声をかけた。
微笑みながら梅子が信郎の首筋にスルリと飛び込んできた。
「ノブ、これからもよろしく!」

信郎はそんな梅子の細く温かい身体をぎゅっと抱きしめた。
「あぁ。ずっとこうして二人で年をとって行こう。」

信郎の瞳には梅子が映り、梅子の瞳には信郎が映っていた。
信郎は梅子の唇にゆっくり丁寧にくちづけをした。

幼馴染みのふたりが、結婚を前提に男と女として一歩ずつ近づいた、はじまりの夜だった。

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