すっかり眠りに就いた太郎と新を見つめながら、梅子は穏やかに微笑んだ。
新と並んで夢の世界の住人となっている太郎が、ここ数日妙に聞き分けが良かったことを思い出して、梅子は一人溜め息を吐いた。
きっと、子供なりに感じることが有ったのだろう。
可哀想なことをしてしまった。
「ごめんね…」
きっと、明日起きたら安心して笑ってくれるだろう。

「二人とも寝たのか」
風呂から上がってきた信郎は、二人の息子を見ると目を細めた。

「うん」

起こさないように二人の息子の小さな頭を撫でる信郎の表情はこの上なく穏やかで、梅子は気付かれないように笑みを深める。
こんなに良い父親になるなんて、想像出来なかった。
大体にして、自分達が母となり父となる等、想像さえしたこともなかったから、それも当たり前なのかも知れない。
昔から、ぶっきらぼうでも面倒見は良かったから。
そんな信郎にくっついているのが、幼い梅子には楽しかった。

「ノブ」

お父さん、と子供達の前で呼ぶのも慣れたのに、未だに子供の頃からの呼び名の方が自然な気がするのは、きっとノブも同じなのだろう。

「なんだ?」

子供達から梅子へと視線を向けた信郎を見つめ返す。
あんなに悩んでいたのが嘘のように、自然に言葉を交わせることが嬉しかった。

「ありがとう」

伝えたいことが沢山ありすぎて、結局はそれしか出てこなかった。
信郎に不器用だと言った自分も、相当に不器用な人間らしい。

「おう」

それでも、嬉しそうに笑ってくれた信郎には、伝わったのだろう。

見つめあう二人の距離が自然と縮まって、信郎の手が梅子の頬に触れた。
その手に導かれるように目を閉じると、信郎の唇がそっと重なる。
ただ重ねただけで、どんどん鼓動が早まり、信郎が触れる唇と頬が熱を持ったように熱い。

唇を離した二人は、堪らずに笑いあった。

「…何だろうな」
「…何なのかしらね」

数え切れない程交わしてきた口付けも、まるで初めてのような恥じらいと緊張が二人を包む。
まるで、何もかも全てが初めてで、手探りだったあの頃に戻ったようだった。

「初めての時みたい…」

ただ唇同士を重ね合わせただけの、信郎との初めてのキス。
それだけで、梅子は蕩けてしまいそうな気持ちになって。
キスという行為自体にも、そんな自分のことも恥ずかしくて、暫くはまともに信郎と話すことも出来なかった。
そんな自分の姿を思い出して、梅子は小さく笑う。

「なんだよ」
「何でもない」

そんな梅子を見て不思議そうに首を傾げる信郎を、梅子は穏やかな表情で見つめる。
そうやって初めてを積み重ねて、私たちは今ここに向き合っていられる。

「ノブ…」
「ん?」

鼻の奥がツンとするのを感じた梅子は、信郎の胸に顔を埋めた。

「好きよ…」

声が震えるのは、泣きそうだからじゃない。緊張しているからだ。

「梅子」

ノブはきっと気付いている。
それでも、何も聞かずにただ抱き締めてくれる。
温かい体温と、微かな工業用油の匂い。
前に、信郎が梅子は消毒液の匂いがすると言っていたのを思い出した。

「俺も…愛してる」

多分、私の想いを全て分かっている訳では無いのだろう。
それでも、一番欲しい言葉を、必要な時に必ずくれる彼が好きだ。

「ノブが側に居てくれると…嬉しい」

まだ、信郎への気持ちを意識し始めた頃、姉兄にそう言ったことが有った。
あの時の自分とは、きっと違う。
嫉妬したり、ちょっとしたことで不安になったり。
こんなにも、この人を愛してるー…

信郎の浴衣の袖を引っ張ると、それに気付いた信郎が梅子の顔を覗き込む。
近くなった距離に、今度は梅子からキスをすると、それを合図に何度も繰り返される行為に、やっと距離感が元に戻ったように梅子は感じた。
長い口付けが終わると、梅子は満たされた気分で信郎の胸に頬を寄せた。

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