社(しゃ)。
示偏は信仰対象や神祭儀礼に関することをあらわし、土旁はそのまま土地の意味である。シャは後世に変化した音で、古くは「土」と同じト[to]に近かった。「それぞれの土地ごとの守護神」または「それぞれの土地そのものの神格化」を意味し、日本でいう「産土神」に相当する。古代シナでは、農業神である「禝」とセットで祭祀され、「社禝」と称された。
「社」の信仰は、後世「土地公(とちこう)」「城隍爺(じょうこうや)」の信仰へと変化していった。この時期は一説には三世紀頃ともされるが、確かではない。用語としての「土地公」「城隍爺」の出現が三世紀であっても、現在の道教にみられるような「土地公」「城隍爺」になってしまったのは、仏教建築や仏像美術が庶民階層にも広く認識されるようになってからで、隋から五代十国にかけての時期、つまり道教の成立と同時期であろう。
「土地公」は「土地神」「土公神」ともいい、いわゆる産土神である。ただし「土公神」といった場合だけは、陰陽道におけるまったく別の神と同名なので注意が必要である。「城隍爺」は「城隍神」ともいい、城郭都市の中で祭られる産土神である。「土地公」と「城隍爺」の違いは、担当区域が都市か村落かの違いで、本質的な差異はない。
「社」の信仰は、後世「土地公(とちこう)」「城隍爺(じょうこうや)」の信仰へと変化していった。この時期は一説には三世紀頃ともされるが、確かではない。用語としての「土地公」「城隍爺」の出現が三世紀であっても、現在の道教にみられるような「土地公」「城隍爺」になってしまったのは、仏教建築や仏像美術が庶民階層にも広く認識されるようになってからで、隋から五代十国にかけての時期、つまり道教の成立と同時期であろう。
「土地公」は「土地神」「土公神」ともいい、いわゆる産土神である。ただし「土公神」といった場合だけは、陰陽道におけるまったく別の神と同名なので注意が必要である。「城隍爺」は「城隍神」ともいい、城郭都市の中で祭られる産土神である。「土地公」と「城隍爺」の違いは、担当区域が都市か村落かの違いで、本質的な差異はない。
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