最終更新: manjukaiju 2022年01月16日(日) 17:21:34履歴
出典:歌ってみた
ステージに立って最初に視界に飛び込んだのは、たっくさんのハートマークとコメント。
何もない空間に浮かんでは消えていく。
あたし達が歌って踊れば、その数はどんどん増えていく。
それなら、と客席に向かってアピール。笑顔なら、誰より作り慣れてる。
ほら、ハートマークがまた増えた!
ギラギラと照らす明かりが、ステージを、客席を駆け巡る。
その光で一瞬見えるお客さんの目にもハートマーク。
いいねいいね、もっともっと! もっとだよ、ほらほら!!
「あたしのこと、もっと知りたい〜?」
その声に、大歓声が上がる。
でもザンネン、そんな簡単に教えるわけないじゃん。
ライブははじまったばっかなんだし!
ステージライトはめまぐるしく色を変え、時にポップに、時に妖艶に、少女達のシルエットを映し出す。
タイトなシルエットの衣装に、獣の耳と尻尾。
異形の美しさを得た彼女達を、異形と化しそうなほど興奮した観客の歓声が迎える。
夢みたい。……あれ、ここって夢みたいな世界なんだっけ?
どうでもいいや。だって、こんなにたっくさんのお客さんがいるんだもん!
すごいよ、すごいすごい! うわあ、叫びたくなってきた……!
「わたしを見て!」
見てる。
たくさんの人が、わたしを見てる。
誰もわたしを無視しない。みんなが……見てる!
あぁ……最高に気持ちいい! このまま、死んじゃってもいいぐらい!!
ぶんぶん、ぶんぶん、ブランコがゆれる。
ぐるん、ぐるん、世界がまわる。
ひらひら、はらはら、ハートが飛び散る。
ヴィッテが笑えば、ハートがいっぱい!
おっかしー! たっのしー!
ブランコから無邪気に手を伸ばす少女。
あわや落ちるのでは。その危うい様子に、観客は魅入られる。
ハートをつかみ、無邪気に微笑む。
幼い少女が見せる素の表情に、観客はまたも魅入られる。
彼女の奥に潜む『何か』に気づくこともなく。
こんなものじゃ終わらせない。
ララを見てもらう。ううん、見せつけてやる。今夜は眠れなくなるぐらい、その胸に刻みつける!
「まだまだいけるよねー!?」
大声で煽れば、それの100倍は大きい声で、レスポンスが返ってくる。
しっぽまでビリビリと震える感覚。そうだ…ここが望んだステージだ!
『不思議な力を与える。ステージを用意する。誰もがあなたに注目する』
団長の言葉、最初は信じなかった。
そんな都合のいいことなんてない。世界はいつだって冷たい。
信じたのは、その後の言葉があったから。
『代わりに、全てを捧げてもらいます』
いいよ。ララの全部、持っていきなよ。
その代わり、全部奪い返すから!
このサーカステントは不思議な空間だ。
ここではすべてが思うがまま。
物理法則すら無視できる。
こうしてハットから鳩を出すことも、指先ひとつ。
「種も仕掛けもございません」
……ふふ。冗談ぬきで、本当にそうなんだよ。
ああ、とっても愉快。
このブランコだって、ちゃんと吊られてるのかあやしい。
動きがダイナミックすぎるからね。
でも、お客はみんな喜んでいる。
仲間達も、ちぎれんばかりに手を振っている。
そして私も、高揚している。
珍しく、ね。
こんな昂ぶり、子供の頃に味わったきり……いつまでも、続けていたい。
玉乗りなんて、“あっち”では無理だけど、ここでならラクラク。
これも耳としっぽのおかげなんですって。団長が言ってたわ。
ま、バランスを取るのは得意だし。
上を見上げたら、ハートマークがいっぱい。まるで桜の花びら!
お客さんからの「いいね」って気持ちを、全身で浴びてるみたいで…正直、クラクラしちゃう。
つついたらふっと消えちゃいそうで、こわくて手が出せないけど。
「ミュー、すごいすごい!」
はしゃぐヴィッテの声に、今までで一番の笑みを返すミュー。
満足そうに仲間を見、客席を見回す。
世界のすべてを見守るような、慈愛の笑みで。
化粧道具、アクセサリー、食べかけのお菓子、そして血痕。
ぐっちゃぐちゃになった楽屋を、チノが黙々と片付ける。
そんなにがんばって片付けたって、元には戻らないのに。
ヴィッテが暴れ出した時、お腹の中を冷たい手で直接ぎゅってつかまれたみたくなった。
あたし達、マジでヤバイもんに関わっちゃったんだって。
でも、さ。力は力。利用してやるんだ。
だって——
「見てないで、あなたも手を動かして」
チノの言葉に、わざと大きくため息をつく。
「めんどいけど、仕方ないかぁ」
こんなところで、終わってなんかやるもんか。
鏡の中の自分をのぞき込む。いつもと同じ、いつものわたし。
でも、こんなのおかしい。
ララと口げんかみたくなっちゃって、ぶたれて。
そしたら、スパッと頬が切れて、血が出て。
ぶったララが一番青い顔して、驚いてて。
この傷じゃ、絶対に病院とか行かなきゃって思ったのに。
わたしの顔は、いつもと同じ。傷なんて、どこにもない。
こんなのおかしい……!
『獣化は治癒能力も高めるんです。よかったですね』
団長の言葉が、頭をグルグルと回る。
「でもこれじゃ、まるで……」
化け物みたい。口にするのが怖くて、わたしはその言葉を飲み込んだ。
椅子に座ったヴィッテが足をぶらぶらさせながら、腕についた痣の手当てをしてもらっている。
「ねー、なんでヴィッテの手、こんなになっちゃったの?」
手当てをしていたミューは、目を伏せる。
「……ごめんなさい」
「?」
ヴィッテは何も覚えていない。
自分がニナの血を見て暴れたことも、止めるためにミューが抱きしめ、加減をあやまり痣まで作ってしまったことも。
「なでなで」
ヴィッテに突然頭を撫でられ、ミューがハッと顔を上げる。
「ミューが悲しいと、ヴィッテも悲しいの。だから」
ポロポロと涙を流すミューを、ヴィッテは撫で続けた。
どうして。
頭がその言葉でいっぱいになる。
ちょっと言い合ってただけ。
ショウのため。最高のパフォーマンスにはまだまだ足りないから意見をぶつけてた、それだけ。
でも、どこかでボタンをかけ間違えた。
思わず手が出た。手、だけのはずだった。
なのに、何かを切る感触があって。
自分の手を見ると、猫みたいな鋭い爪がのびてて。
爪の先には、血。ニナの血だ。
「あの……ごめん。そこまでするつもりじゃ……」
なんとか絞り出した声はかすれてて。
どうして。
ララは、そんなつもりじゃ……
ララとニナの口論。その果ては、床に数滴こぼれた血。
ケガこそ浅いけど、心の傷は、きっと深い。
気まずい沈黙。
それを打ち破ったのは、まったくいつも通りの団長だった。
「いいんです。怒りもまた、みなさんの持つ感情。捧げるべき熱意!」
信じられない。この状況でそんなことを言う!? まるで出来の悪い三文芝居!
怒りに飲み込まれたかけたその時、気づいてしまった。
団長は役者よろしく、まったくよどみなくしゃべり続ける。
まるで——用意されたセリフを読み上げるように。
こうなることを想定してたんだ。僕らが取引した相手は。
違うの。ララもニナも、いつもは優しい、いい子。
今日はちょっとケンカしちゃったけど、すぐに仲直りできる。
違うの。ヴィッテはいつもニコニコしてて、すぐに甘えてきて。
イタズラは好きだけど、ものを壊したりなんかしない。
だから違うの。
目の前で流れてる血も、暴れて壊れていく楽屋も。
こんなのは違う。違う違う違う……!
ヴィッテを力の限り抱きしめ、祈るようにささやく。
「大丈夫よ何もない何もないからいつものあなたに戻ってヴィッテお願いだから」
お願い、壊れないで。
愛する仲間。わたしの居場所。
壊れないで——
大きなテーブルに、豪華な料理。きっちり並べられたナイフ&フォークを見て、嫌な記憶が蘇る。
家ではよく見た光景。
格式ばったマナーに、作り笑い。正直、おいしいと思ったことなんて一度もない。
なんて嫌な記憶はどこかに飛んでくぐらい大騒ぎのディナーになった。ま、このメンバーだしね。
「ネフィ、これもおいしいよ」
いやいや、チキンまるごととか食べられない……はずなんだけど。
こっちに来てから、妙に肉が美味しく感じるんだよね。肉汁があふれててキラキラしてて……
あぁ、かじりついて、骨までしゃぶりつくしたい……!
「このパスタ、最高にヤミー! だからほらほら、ララも食べて!」
「そういう問題じゃ……! ……まぁ、おいしそうだけど」
そう言って、パスタを頬張るララ。あ、気に入ったみたい。耳がぴょこんって動いた。
「おいしいよね!」
「……まぁ。でも、ララのお肉取ったのは忘れないから!」
そう、実はわたしがララのお皿にあったお肉を一切れ、勝手にもらっちゃったのです。
「行儀悪いよ、ニナ」
「だからこうして謝って、パスタもあげたし〜」
「反省してない!」
「ごめんってばぁ〜」
謝りながら、こんな風に食べるご飯って最高! そう思った。
「このチョコケーキおいしー! オペラ、だっけ?」
「ヴィッテは本当にお菓子が大好きね」
「栄養バランスの偏りは心配だけど」
「今日ぐらいはいいと思うよ」
「ね、ケーキもいいけど、このパスタもおいしーよ!」
「隙あらばパスタをお皿に盛ろうとする……わんこパスタか!」
「わんこパスタ? わんちゃんと一緒に食べるの? 楽しそうー!」
「…………」
「「「ヴィッテかわいすぎか!!!」」」
突然、団長が夕食に招待してくれた。
しかもとびきり豪華なやつだ。
なんでも、『あっち』の世界でパフォーマンスをすることになったらしく、その前祝いってことらしい。
めっちゃうれしい……!
あ、もちろんパフォーマンスがだよ。ごちそうに釣られるほど、ララはガキじゃないし。
「えー今宵は、来るべき新たな挑戦に向けて、英気を養うためのディナーであり……」
「フォークとって! あとお皿足りない!」
「お水お水〜! 意外と辛かった!」
「お肉、相当奮発したね」
「はむ……はむ……」
釣られはしないけど、目の前のごちそうはきっちり全部、食べ尽くす!
大騒ぎのディナーが終わり、今はまったりお茶タイム。
はしゃいでたニナやヴィッテは、半分眠りかけてる。満腹だしね。
私は黙って、ディナー前の団長の言葉を思い返す。
「『あちらの世界』に打って出て、我らのパフォーマンスで人々を瞠目させる、絶好の機会です!」
あの瞬間だけ、みんなのおしゃべりが止まった。
逃げてきた場所。見捨てられた場所。
そこでもう一度叫ぶことができる。私達はここにいるぞって。
——本当に、できるんだろうか。
「チノ? 難しい顔をしてたけど……」
「なんでもない。ミュー、コーヒーのおかわりをもらえる?」
「眠れなくなっても、知らないわよ」
「今夜は眠れそうにないよ」
みんなでお食事なんて、とっても素敵!
それだけでも最高なのに、今日は、今日は……!
「ミュー、それはなんだい?」
「カレーよ。欧風シーフードカレー、とってもおいしいの」
「こっちのお皿は?」
「グリーンカレーね。辛さが最高! こっちはガラムチキンマサラカレー! んん〜、いい香り! 夏野菜たっぷりのカレーもあるわよ」
テーブルいっぱいのカレー! もう、最高……!
「ね、そんだけカレー食べて飽きないの?」
「……カレーはいくら食べても飽きないでしょう?」
ニナって、時々おかしなことを言うのよね。まぁ、そこもズレててかわいいのだけど。ふふっ!
マジになるなんて、ダサイと思ってた。
マジメにやるとか、空気読めないやつだって。
でもさ、みんな見てたらさ、やらなきゃって。
負けたくないじゃん。
だって現実世界でステージに立てるんだよ?
全力でやりたいじゃん!
そんなことを考えてたら、コケた。
『ははっ、ダッサ』
あたしの中の誰かが嗤う。
そんな誰かをぶん殴るように、バン! と床に手をつく。
立ち上がれよネフィ、へばってるヒマなんかないし!
踊るララとミューを見てたら、ピピッ! って来たから描いたんだけど……
「めっちゃ上手いじゃん!」
「しかもこれ、アレンジしてるわよね、ポーズ」
「実はちょっといじっちゃったのです。絵の中では自由だから!」
「確かにこっちのポーズがいいかも……ミュー、もう1回これで練習」
「ええ、いいわよ」
なんかわたしのアイデアが採用されちゃった!? えへへ、うれしいなぁ〜
「それじゃ、次はニナも混じって3人で」
「わたしも!? 無理無理、ふたりみたいにかっこよく踊れないし!」
「言い出しっぺがやらなくてどうするの? ほら、グズグズ言わずにやる!」
ヴィッテが練習中、みんなの前で唐突に「歌いたい」とだけ言って、歌い始めた。
ヴィッテの歌声は、甘くて力強いのに、聴いていると切なくなる。
細い足をふんばり、耳と尻尾をピンと伸ばし、まるでひとつの楽器になったように声を出す。
最後の一節が終わって、誰もいない客席のさらに先、真っ暗な空間に最後の音が吸い込まれるまで、その場にいたわたしたちは、誰一人動けなかった。
「……わたし、本気で息止めてた」
「人の練習を黙って見ていたなんて趣味が悪い。声かけてくれればよかったのに」
そう言ってミューお手製のサンドイッチを受け取る。
「ごめんね! すっごいかっこよかったから、思わず見とれちゃって」
「ニナは調子いいんだから」
あんまりのんびり休憩もしてられない。ステージは近い。練習量は足りない。まだ不安。まだ完璧じゃない。
そう考えながらサンドイッチを一口頬張ったら……
「おいしい!」
「よかった。ララの好きな鶏肉がメインよ」
「……ありがと」
まぁ、しっかり休憩も取らないと、よね。
あまり見られたくなかっただろうな、と彼女は思った。
でも、彼女が必死に踊る様は、転んでもなお立ち上がろうとした姿は、いつも凪いでいる彼女の心に、確かにさざ波を立てた。
だからタオルを差し出して言った。
「いいと思う」
本心だった。ある時からなるべく心を動かさないように生きてきた彼女にとって、それは確かな熱い風だった。
黙ってタオルで顔を拭った相手に、彼女は言った。
「一緒に練習したい。ネフィがよければ、だけど」
ミューはレッスンでがんばるみんなのために、差し入れを作ることにした。
「手伝わせてしまってごめんなさい、チノ」
「いい気分転換さ、トマトをひたすら薄く切るというのもね」
トマトを切り終え、ひと息ついたチノ。ミューが作ろうとしているサンドイッチに目をやる。
「サンドイッチというより、ハンバーガーのような厚さだね」
「小さいころ思わなかった? 口いっぱいに頬張っても食べきれないぐらい、ぶあついサンドイッチが食べたいって」
手早く具材を並べながら、これをほおばるみんなの笑顔を思い浮かべる。ミューにとって一番幸せな時間だ。
『なにカン違いしてんの? アイツ』『痛いんだよねー』
やめて……
『ヘラヘラして、余裕ぶってるけど、マジテンパってるし』
やめてやめてやめて!
なんであいつらのこと思い出させるの!?
あんな惨めな気持ちを思い出させるの!?
もうやだ!!
——まだ足りません。さあ、思い出すのです。あなたの傷を。
『トモダチ欲しいんだってさ』『あー、だからなんでもするんだ』
やだって言ってるのに! なんで!!
——これが代価ですよ。力を得るための。
『誰もアイツのことなんか、興味ないのにな』
やめて……! これ以上やったら……ココロが、こわれる……!
力を望む者は、月食の夜、真夜中0時にステージへ——
その場に集まったのは、5人。
時計の針が2本とも頂点を指し示す、その直前。
「わたしも……お願いします!」
現れたニナは小走りで、少女達の作る輪の中に入った。
仲間達はそれぞれの表情で、ニナを迎える。
微笑み、苦笑、力強いうなずき。
その先に、どんな過酷な運命が待ち受けるとも知らずに。
「時間です」
ソートはどこからともなく取りだしたステッキを、高々と掲げた。
「では皆々様、成り果てましょう——『ホンモノ』に」
「ヴィッテだって、歌えって言われたら、あの子みたいにも歌えるもん!」
ライブで見せつけられたのは、圧倒的な『輝き』
かわいくて、歌がうまくて、声もよくて。
みんながキャーキャー言って。
あんな風に歌ったら、きっとみんな褒めてくれる。あんな風に、キャーキャー言ってくれ——
「それは、あの少女のニセモノでしかありません」
——団長の言葉が、突き刺さる。
痛い、いたい、イタイ。
突き刺さった言葉が、じくじくと痛む。
「そこにあなたはいませんよ、ヴィッテ」
じゃあヴィッテは……どこにいけばいいの?
いつものちょっとしたイタズラだと思った。
お気に入りのアクセサリーボックスに、見慣れないイヤリング。
どうせネフィあたりが入れたに決まってる。
「それ……いつも付けてたじゃない」
ミューまで珍しく乗っちゃって。こんなの知らないって言ってるし。
「でも、お父さんからもらった大切なものだって……」
お父さん? パパから、もらった……?
「ララ……なんで泣いてるの?」
鏡を見ると、そこには無表情のまま、涙を流してる自分の姿があった。
「……え?」
分からない。このイヤリングも、なんで自分が泣いているのかも。
ニナが入れてくれたココアをすすりながら、団長の言葉を思い出す。
——『ホンモノ』になるためには、力が必要です。それも、圧倒的な。
——ただ、相応のものを頂戴しないと釣り合いません。
「何を奪われるのかわからない。こんな取引、普通はしない」
「だよね」
そう言って苦笑いするニナ。
チノは、自分の頭についた獣の耳を優しくなでた。
「でも、わたしたちは、もう普通じゃない」
自虐的な笑みを浮かべ、空を見る。
不気味なほど大きな月が、まるでひとつ目のように、ふたりの少女を見下ろしていた。
「ララ達はまだ本当の実力を出し切ってない!」
不本意な形でのライブで不完全燃焼のララが口火を切る。
それに次々と続く仲間達。
さっきまでの落ち込んでいた空気がウソのよう。
そうだ、わたしの大好きな仲間達は、まだまだこんなものではない。
「ヴィッテの歌声をもっと披露できれば、みんなもっと褒めてくれる」
ミューにしては珍しく、団長に意見する。
素敵な、仲間達と歩む輝かしい未来があると信じて。
「今日もウケたね〜! 歓声最高!」
「えー!? 昨日の方がよかったし!」
「にしても、分身の能力ってヤバくね? あたしがこんなにたくさんとか!」
「でも暴走して勝手に増えちゃうのはねー」
「最近じゃ楽屋の空気が重すぎだし、話し相手がいていいじゃん」
ネフィ達の中で、ひとりだけ膝を抱えて俯いているのに向かって、誰かが言った。
「でもこいつってさ、もともと話し相手とかいなかったじゃん」
こいつと呼ばれたネフィは、うつむいたまま考えていた。
(あたしは……いつから間違えたの?)
“力”を手にしてから、みんなおかしくなっちゃった。
「変化こそは成長の証! 喜ばしいことです」
でも、ずっと空気が重くて、疲れてるみたいだし。
「心の問題です。大丈夫、いつしか疲れを感じることもなくなります」
そんな……そんなのおかしい! だって、わたし達は!
「獣の力を手にしたのに、ヒトらしいことをしたい?」
…………。
「結局あなたは、どうなさりたいのですか?」
わたしは……本当は、なにがしたかったの?
彼女の持つ『力』で、夜の空に浮かぶヴィッテ。
その瞳は星空と、禍々しく赤い月を映している。
赤い月の強さと比べて彼女自身の瞳の光は、弱い。
虚空に向かって手を伸ばしてから、ぽつりとつぶやく。
「なんか、つまんないな」
この力のおかげで、ショウはとっても盛り上がって。
みんな、よろこんでくれる。いっぱい「いいね」をくれる。
なのに、なんでだろう。
——このまま、空に消えちゃっても、いいかも。
そんな風に、思っちゃうのは。
「……もう、ほっといてよ」
背を向けて、ネフィがぽつりとつぶやく。
「ほっとかないよ。ネフィみたいな、さみしがり屋」
「そんなわけ……」
「じゃあなんで、楽屋にずっといるの? ひとりになりたくないからでしょ」
「…………」
「ほっといてって言うくせに群れたがる、さみしがり屋」
ララはふっと息を吐き、苦笑とも、微笑みともとれる表情を見せた。
「ララとおんなじ」
「え……」
誰にも弱さを見せてこなかったララが、はじめて見せた顔だった。
ララとニナのじゃれあいで少しほぐれかけた楽屋の空気が、
「うっさい」
というネフィの言葉で再び凍り付く——はずだった。
が、次の瞬間には、ドスンという音と共にネフィは床に尻餅をついていた。
「痛った……!」
その横には、ネフィが座ってたはずの椅子を手にしているチノの姿。
「時間を止めておいて椅子を引いてしまう……我ながら愉快な“力”の使い方だ」
チノはそう言いんがら、自分がこんなにも能動的に動いていることに驚いていた。
まだ諦めたくないのは、ララだけではなく自分も同じなのだ。
ミューは片手に持ったブラシでヴィッテの髪を梳きながら、もう片方の手のひらをくるりと回す。
と、手のひらの上に、おいしそうなカヌレが現れた。
彼女の“力”のひとつだ。
「ヴィッテ、好きだったでしょう?」
彼女の口元にそれを持っていく。
——だが、反応はない。
かつてのヴィッテなら、髪を梳かれている間はずっと足をぱたぱたとさせ、カヌレを前にすれば飛びつくほどの勢いで食べていたのに。
自動人形のような今のヴィッテを前に、しかしミューは気丈にも微笑んだ。
「いらないなら、わたしが食べちゃおうかな」
ララと口論になって、アタマ冷やしに屋根に上がったら、ニナが瞬間移動してきた。
いやその能力、マジでビビるから。
「ガチケンカなんじゃないかって? そんなわけないでしょ。あたし達、いまさらカッコつけても意味ないぐらい、ダッサいところや恥ずいところ、お互い全部知ってるわけでしょ」
「それは……そうかも」
「だからどんなに口げんかしても気にしないし。おまえが言うな! って」
あたしの言葉に、ニナが少しだけ笑った。安心してくれたみたい。
「ていうか久しぶりじゃない? ニナが笑うの」
「ニナ、あなたって、本当に変わらないわねぇ……」
ララのあきれ顔を見ながら、わたしはきっと、すごく驚いてた。
ここ最近は悩んで、ずっと悩んで、ふさぎこんで。
悩みすぎてボーッとして、レッスン中にミューとぶつかっちゃうぐらいだったのに。
『でも、楽しいからいいよ!』
そんな言葉が、自然と出るようになって。
ララにあきれられた。
そっか、いいんだ。
悩みとか不安とか、そういうのが胸やお腹でグルグルしてても、わたしはわたしのまま。
これが、わたしなんだ。
「えへへ〜! ごめん」
練習中に、ニナとミューがごっちん! しちゃった。
救急箱を持ってきたチノ、お医者さんみたい。
「足とかひねった?」
「大丈夫よ。ただ、額が……」
見ると、ちょこっとミューのおでこがぷくっとしてる。
すっごく痛そう! だから……
「痛いのとんでけ、する?」
「ぜひ!」
おでこに手をあてて、いっぱいいっぱい念じて……
「痛いの痛いのー、とんでけー!」
「はぁ……! すごい、本当に痛くなくなったわ!」
でしょでしょー? ヴィッテもママによくやってもらったの。
でも、チノはあきれ顔。なんでだろ?
ショウを終えて、楽屋に戻る。我ながら、なかなかの手応えだ。
「今日も楽しかったー!」
「それと、お腹空いた〜!」
「あらあら。じゃあ、すぐにご飯にしましょう」
もう、ほっとくとすぐこれ。
「ご飯の前にやることがあるでしょ。反省……」
「反省会、だね。もちろん、食事をしながら」
「食事をしながら!」
チノの提案に、ヴィッテとミューがハモって相づちをうつ。
「はいはい。それでいいわ。ていうか、ララもお腹ぺこぺこ!」
たっくさん食べて、みっちり反省会するから!
ショウのあと、楽屋で団長のお小言がはじまったのだけど。
「団長、今夜の売り上げは? 昨日より上がった? 下がった?」
「……上がりました」
ふむ。なら、なにも問題はない。
摩訶不思議な力であれ、我々の歌やダンスであれ、何より大事なのは観客を魅了し、熱狂させること。
そう言ったのは団長自身だ。
まあ、団長に黙ってプログラムの順番を入れ替えたのは事実だけど。
それはそれ、これはこれ。
ステージに立って最初に視界に飛び込んだのは、たっくさんのハートマークとコメント。
何もない空間に浮かんでは消えていく。
あたし達が歌って踊れば、その数はどんどん増えていく。
それなら、と客席に向かってアピール。笑顔なら、誰より作り慣れてる。
ほら、ハートマークがまた増えた!
ギラギラと照らす明かりが、ステージを、客席を駆け巡る。
その光で一瞬見えるお客さんの目にもハートマーク。
いいねいいね、もっともっと! もっとだよ、ほらほら!!
「あたしのこと、もっと知りたい〜?」
その声に、大歓声が上がる。
でもザンネン、そんな簡単に教えるわけないじゃん。
ライブははじまったばっかなんだし!
ステージライトはめまぐるしく色を変え、時にポップに、時に妖艶に、少女達のシルエットを映し出す。
タイトなシルエットの衣装に、獣の耳と尻尾。
異形の美しさを得た彼女達を、異形と化しそうなほど興奮した観客の歓声が迎える。
夢みたい。……あれ、ここって夢みたいな世界なんだっけ?
どうでもいいや。だって、こんなにたっくさんのお客さんがいるんだもん!
すごいよ、すごいすごい! うわあ、叫びたくなってきた……!
「わたしを見て!」
見てる。
たくさんの人が、わたしを見てる。
誰もわたしを無視しない。みんなが……見てる!
あぁ……最高に気持ちいい! このまま、死んじゃってもいいぐらい!!
ぶんぶん、ぶんぶん、ブランコがゆれる。
ぐるん、ぐるん、世界がまわる。
ひらひら、はらはら、ハートが飛び散る。
ヴィッテが笑えば、ハートがいっぱい!
おっかしー! たっのしー!
ブランコから無邪気に手を伸ばす少女。
あわや落ちるのでは。その危うい様子に、観客は魅入られる。
ハートをつかみ、無邪気に微笑む。
幼い少女が見せる素の表情に、観客はまたも魅入られる。
彼女の奥に潜む『何か』に気づくこともなく。
こんなものじゃ終わらせない。
ララを見てもらう。ううん、見せつけてやる。今夜は眠れなくなるぐらい、その胸に刻みつける!
「まだまだいけるよねー!?」
大声で煽れば、それの100倍は大きい声で、レスポンスが返ってくる。
しっぽまでビリビリと震える感覚。そうだ…ここが望んだステージだ!
『不思議な力を与える。ステージを用意する。誰もがあなたに注目する』
団長の言葉、最初は信じなかった。
そんな都合のいいことなんてない。世界はいつだって冷たい。
信じたのは、その後の言葉があったから。
『代わりに、全てを捧げてもらいます』
いいよ。ララの全部、持っていきなよ。
その代わり、全部奪い返すから!
このサーカステントは不思議な空間だ。
ここではすべてが思うがまま。
物理法則すら無視できる。
こうしてハットから鳩を出すことも、指先ひとつ。
「種も仕掛けもございません」
……ふふ。冗談ぬきで、本当にそうなんだよ。
ああ、とっても愉快。
このブランコだって、ちゃんと吊られてるのかあやしい。
動きがダイナミックすぎるからね。
でも、お客はみんな喜んでいる。
仲間達も、ちぎれんばかりに手を振っている。
そして私も、高揚している。
珍しく、ね。
こんな昂ぶり、子供の頃に味わったきり……いつまでも、続けていたい。
玉乗りなんて、“あっち”では無理だけど、ここでならラクラク。
これも耳としっぽのおかげなんですって。団長が言ってたわ。
ま、バランスを取るのは得意だし。
上を見上げたら、ハートマークがいっぱい。まるで桜の花びら!
お客さんからの「いいね」って気持ちを、全身で浴びてるみたいで…正直、クラクラしちゃう。
つついたらふっと消えちゃいそうで、こわくて手が出せないけど。
「ミュー、すごいすごい!」
はしゃぐヴィッテの声に、今までで一番の笑みを返すミュー。
満足そうに仲間を見、客席を見回す。
世界のすべてを見守るような、慈愛の笑みで。
化粧道具、アクセサリー、食べかけのお菓子、そして血痕。
ぐっちゃぐちゃになった楽屋を、チノが黙々と片付ける。
そんなにがんばって片付けたって、元には戻らないのに。
ヴィッテが暴れ出した時、お腹の中を冷たい手で直接ぎゅってつかまれたみたくなった。
あたし達、マジでヤバイもんに関わっちゃったんだって。
でも、さ。力は力。利用してやるんだ。
だって——
「見てないで、あなたも手を動かして」
チノの言葉に、わざと大きくため息をつく。
「めんどいけど、仕方ないかぁ」
こんなところで、終わってなんかやるもんか。
鏡の中の自分をのぞき込む。いつもと同じ、いつものわたし。
でも、こんなのおかしい。
ララと口げんかみたくなっちゃって、ぶたれて。
そしたら、スパッと頬が切れて、血が出て。
ぶったララが一番青い顔して、驚いてて。
この傷じゃ、絶対に病院とか行かなきゃって思ったのに。
わたしの顔は、いつもと同じ。傷なんて、どこにもない。
こんなのおかしい……!
『獣化は治癒能力も高めるんです。よかったですね』
団長の言葉が、頭をグルグルと回る。
「でもこれじゃ、まるで……」
化け物みたい。口にするのが怖くて、わたしはその言葉を飲み込んだ。
椅子に座ったヴィッテが足をぶらぶらさせながら、腕についた痣の手当てをしてもらっている。
「ねー、なんでヴィッテの手、こんなになっちゃったの?」
手当てをしていたミューは、目を伏せる。
「……ごめんなさい」
「?」
ヴィッテは何も覚えていない。
自分がニナの血を見て暴れたことも、止めるためにミューが抱きしめ、加減をあやまり痣まで作ってしまったことも。
「なでなで」
ヴィッテに突然頭を撫でられ、ミューがハッと顔を上げる。
「ミューが悲しいと、ヴィッテも悲しいの。だから」
ポロポロと涙を流すミューを、ヴィッテは撫で続けた。
どうして。
頭がその言葉でいっぱいになる。
ちょっと言い合ってただけ。
ショウのため。最高のパフォーマンスにはまだまだ足りないから意見をぶつけてた、それだけ。
でも、どこかでボタンをかけ間違えた。
思わず手が出た。手、だけのはずだった。
なのに、何かを切る感触があって。
自分の手を見ると、猫みたいな鋭い爪がのびてて。
爪の先には、血。ニナの血だ。
「あの……ごめん。そこまでするつもりじゃ……」
なんとか絞り出した声はかすれてて。
どうして。
ララは、そんなつもりじゃ……
ララとニナの口論。その果ては、床に数滴こぼれた血。
ケガこそ浅いけど、心の傷は、きっと深い。
気まずい沈黙。
それを打ち破ったのは、まったくいつも通りの団長だった。
「いいんです。怒りもまた、みなさんの持つ感情。捧げるべき熱意!」
信じられない。この状況でそんなことを言う!? まるで出来の悪い三文芝居!
怒りに飲み込まれたかけたその時、気づいてしまった。
団長は役者よろしく、まったくよどみなくしゃべり続ける。
まるで——用意されたセリフを読み上げるように。
こうなることを想定してたんだ。僕らが取引した相手は。
違うの。ララもニナも、いつもは優しい、いい子。
今日はちょっとケンカしちゃったけど、すぐに仲直りできる。
違うの。ヴィッテはいつもニコニコしてて、すぐに甘えてきて。
イタズラは好きだけど、ものを壊したりなんかしない。
だから違うの。
目の前で流れてる血も、暴れて壊れていく楽屋も。
こんなのは違う。違う違う違う……!
ヴィッテを力の限り抱きしめ、祈るようにささやく。
「大丈夫よ何もない何もないからいつものあなたに戻ってヴィッテお願いだから」
お願い、壊れないで。
愛する仲間。わたしの居場所。
壊れないで——
大きなテーブルに、豪華な料理。きっちり並べられたナイフ&フォークを見て、嫌な記憶が蘇る。
家ではよく見た光景。
格式ばったマナーに、作り笑い。正直、おいしいと思ったことなんて一度もない。
なんて嫌な記憶はどこかに飛んでくぐらい大騒ぎのディナーになった。ま、このメンバーだしね。
「ネフィ、これもおいしいよ」
いやいや、チキンまるごととか食べられない……はずなんだけど。
こっちに来てから、妙に肉が美味しく感じるんだよね。肉汁があふれててキラキラしてて……
あぁ、かじりついて、骨までしゃぶりつくしたい……!
「このパスタ、最高にヤミー! だからほらほら、ララも食べて!」
「そういう問題じゃ……! ……まぁ、おいしそうだけど」
そう言って、パスタを頬張るララ。あ、気に入ったみたい。耳がぴょこんって動いた。
「おいしいよね!」
「……まぁ。でも、ララのお肉取ったのは忘れないから!」
そう、実はわたしがララのお皿にあったお肉を一切れ、勝手にもらっちゃったのです。
「行儀悪いよ、ニナ」
「だからこうして謝って、パスタもあげたし〜」
「反省してない!」
「ごめんってばぁ〜」
謝りながら、こんな風に食べるご飯って最高! そう思った。
「このチョコケーキおいしー! オペラ、だっけ?」
「ヴィッテは本当にお菓子が大好きね」
「栄養バランスの偏りは心配だけど」
「今日ぐらいはいいと思うよ」
「ね、ケーキもいいけど、このパスタもおいしーよ!」
「隙あらばパスタをお皿に盛ろうとする……わんこパスタか!」
「わんこパスタ? わんちゃんと一緒に食べるの? 楽しそうー!」
「…………」
「「「ヴィッテかわいすぎか!!!」」」
突然、団長が夕食に招待してくれた。
しかもとびきり豪華なやつだ。
なんでも、『あっち』の世界でパフォーマンスをすることになったらしく、その前祝いってことらしい。
めっちゃうれしい……!
あ、もちろんパフォーマンスがだよ。ごちそうに釣られるほど、ララはガキじゃないし。
「えー今宵は、来るべき新たな挑戦に向けて、英気を養うためのディナーであり……」
「フォークとって! あとお皿足りない!」
「お水お水〜! 意外と辛かった!」
「お肉、相当奮発したね」
「はむ……はむ……」
釣られはしないけど、目の前のごちそうはきっちり全部、食べ尽くす!
大騒ぎのディナーが終わり、今はまったりお茶タイム。
はしゃいでたニナやヴィッテは、半分眠りかけてる。満腹だしね。
私は黙って、ディナー前の団長の言葉を思い返す。
「『あちらの世界』に打って出て、我らのパフォーマンスで人々を瞠目させる、絶好の機会です!」
あの瞬間だけ、みんなのおしゃべりが止まった。
逃げてきた場所。見捨てられた場所。
そこでもう一度叫ぶことができる。私達はここにいるぞって。
——本当に、できるんだろうか。
「チノ? 難しい顔をしてたけど……」
「なんでもない。ミュー、コーヒーのおかわりをもらえる?」
「眠れなくなっても、知らないわよ」
「今夜は眠れそうにないよ」
みんなでお食事なんて、とっても素敵!
それだけでも最高なのに、今日は、今日は……!
「ミュー、それはなんだい?」
「カレーよ。欧風シーフードカレー、とってもおいしいの」
「こっちのお皿は?」
「グリーンカレーね。辛さが最高! こっちはガラムチキンマサラカレー! んん〜、いい香り! 夏野菜たっぷりのカレーもあるわよ」
テーブルいっぱいのカレー! もう、最高……!
「ね、そんだけカレー食べて飽きないの?」
「……カレーはいくら食べても飽きないでしょう?」
ニナって、時々おかしなことを言うのよね。まぁ、そこもズレててかわいいのだけど。ふふっ!
マジになるなんて、ダサイと思ってた。
マジメにやるとか、空気読めないやつだって。
でもさ、みんな見てたらさ、やらなきゃって。
負けたくないじゃん。
だって現実世界でステージに立てるんだよ?
全力でやりたいじゃん!
そんなことを考えてたら、コケた。
『ははっ、ダッサ』
あたしの中の誰かが嗤う。
そんな誰かをぶん殴るように、バン! と床に手をつく。
立ち上がれよネフィ、へばってるヒマなんかないし!
踊るララとミューを見てたら、ピピッ! って来たから描いたんだけど……
「めっちゃ上手いじゃん!」
「しかもこれ、アレンジしてるわよね、ポーズ」
「実はちょっといじっちゃったのです。絵の中では自由だから!」
「確かにこっちのポーズがいいかも……ミュー、もう1回これで練習」
「ええ、いいわよ」
なんかわたしのアイデアが採用されちゃった!? えへへ、うれしいなぁ〜
「それじゃ、次はニナも混じって3人で」
「わたしも!? 無理無理、ふたりみたいにかっこよく踊れないし!」
「言い出しっぺがやらなくてどうするの? ほら、グズグズ言わずにやる!」
ヴィッテが練習中、みんなの前で唐突に「歌いたい」とだけ言って、歌い始めた。
ヴィッテの歌声は、甘くて力強いのに、聴いていると切なくなる。
細い足をふんばり、耳と尻尾をピンと伸ばし、まるでひとつの楽器になったように声を出す。
最後の一節が終わって、誰もいない客席のさらに先、真っ暗な空間に最後の音が吸い込まれるまで、その場にいたわたしたちは、誰一人動けなかった。
「……わたし、本気で息止めてた」
「人の練習を黙って見ていたなんて趣味が悪い。声かけてくれればよかったのに」
そう言ってミューお手製のサンドイッチを受け取る。
「ごめんね! すっごいかっこよかったから、思わず見とれちゃって」
「ニナは調子いいんだから」
あんまりのんびり休憩もしてられない。ステージは近い。練習量は足りない。まだ不安。まだ完璧じゃない。
そう考えながらサンドイッチを一口頬張ったら……
「おいしい!」
「よかった。ララの好きな鶏肉がメインよ」
「……ありがと」
まぁ、しっかり休憩も取らないと、よね。
あまり見られたくなかっただろうな、と彼女は思った。
でも、彼女が必死に踊る様は、転んでもなお立ち上がろうとした姿は、いつも凪いでいる彼女の心に、確かにさざ波を立てた。
だからタオルを差し出して言った。
「いいと思う」
本心だった。ある時からなるべく心を動かさないように生きてきた彼女にとって、それは確かな熱い風だった。
黙ってタオルで顔を拭った相手に、彼女は言った。
「一緒に練習したい。ネフィがよければ、だけど」
ミューはレッスンでがんばるみんなのために、差し入れを作ることにした。
「手伝わせてしまってごめんなさい、チノ」
「いい気分転換さ、トマトをひたすら薄く切るというのもね」
トマトを切り終え、ひと息ついたチノ。ミューが作ろうとしているサンドイッチに目をやる。
「サンドイッチというより、ハンバーガーのような厚さだね」
「小さいころ思わなかった? 口いっぱいに頬張っても食べきれないぐらい、ぶあついサンドイッチが食べたいって」
手早く具材を並べながら、これをほおばるみんなの笑顔を思い浮かべる。ミューにとって一番幸せな時間だ。
『なにカン違いしてんの? アイツ』『痛いんだよねー』
やめて……
『ヘラヘラして、余裕ぶってるけど、マジテンパってるし』
やめてやめてやめて!
なんであいつらのこと思い出させるの!?
あんな惨めな気持ちを思い出させるの!?
もうやだ!!
——まだ足りません。さあ、思い出すのです。あなたの傷を。
『トモダチ欲しいんだってさ』『あー、だからなんでもするんだ』
やだって言ってるのに! なんで!!
——これが代価ですよ。力を得るための。
『誰もアイツのことなんか、興味ないのにな』
やめて……! これ以上やったら……ココロが、こわれる……!
力を望む者は、月食の夜、真夜中0時にステージへ——
その場に集まったのは、5人。
時計の針が2本とも頂点を指し示す、その直前。
「わたしも……お願いします!」
現れたニナは小走りで、少女達の作る輪の中に入った。
仲間達はそれぞれの表情で、ニナを迎える。
微笑み、苦笑、力強いうなずき。
その先に、どんな過酷な運命が待ち受けるとも知らずに。
「時間です」
ソートはどこからともなく取りだしたステッキを、高々と掲げた。
「では皆々様、成り果てましょう——『ホンモノ』に」
「ヴィッテだって、歌えって言われたら、あの子みたいにも歌えるもん!」
ライブで見せつけられたのは、圧倒的な『輝き』
かわいくて、歌がうまくて、声もよくて。
みんながキャーキャー言って。
あんな風に歌ったら、きっとみんな褒めてくれる。あんな風に、キャーキャー言ってくれ——
「それは、あの少女のニセモノでしかありません」
——団長の言葉が、突き刺さる。
痛い、いたい、イタイ。
突き刺さった言葉が、じくじくと痛む。
「そこにあなたはいませんよ、ヴィッテ」
じゃあヴィッテは……どこにいけばいいの?
いつものちょっとしたイタズラだと思った。
お気に入りのアクセサリーボックスに、見慣れないイヤリング。
どうせネフィあたりが入れたに決まってる。
「それ……いつも付けてたじゃない」
ミューまで珍しく乗っちゃって。こんなの知らないって言ってるし。
「でも、お父さんからもらった大切なものだって……」
お父さん? パパから、もらった……?
「ララ……なんで泣いてるの?」
鏡を見ると、そこには無表情のまま、涙を流してる自分の姿があった。
「……え?」
分からない。このイヤリングも、なんで自分が泣いているのかも。
ニナが入れてくれたココアをすすりながら、団長の言葉を思い出す。
——『ホンモノ』になるためには、力が必要です。それも、圧倒的な。
——ただ、相応のものを頂戴しないと釣り合いません。
「何を奪われるのかわからない。こんな取引、普通はしない」
「だよね」
そう言って苦笑いするニナ。
チノは、自分の頭についた獣の耳を優しくなでた。
「でも、わたしたちは、もう普通じゃない」
自虐的な笑みを浮かべ、空を見る。
不気味なほど大きな月が、まるでひとつ目のように、ふたりの少女を見下ろしていた。
「ララ達はまだ本当の実力を出し切ってない!」
不本意な形でのライブで不完全燃焼のララが口火を切る。
それに次々と続く仲間達。
さっきまでの落ち込んでいた空気がウソのよう。
そうだ、わたしの大好きな仲間達は、まだまだこんなものではない。
「ヴィッテの歌声をもっと披露できれば、みんなもっと褒めてくれる」
ミューにしては珍しく、団長に意見する。
素敵な、仲間達と歩む輝かしい未来があると信じて。
「今日もウケたね〜! 歓声最高!」
「えー!? 昨日の方がよかったし!」
「にしても、分身の能力ってヤバくね? あたしがこんなにたくさんとか!」
「でも暴走して勝手に増えちゃうのはねー」
「最近じゃ楽屋の空気が重すぎだし、話し相手がいていいじゃん」
ネフィ達の中で、ひとりだけ膝を抱えて俯いているのに向かって、誰かが言った。
「でもこいつってさ、もともと話し相手とかいなかったじゃん」
こいつと呼ばれたネフィは、うつむいたまま考えていた。
(あたしは……いつから間違えたの?)
“力”を手にしてから、みんなおかしくなっちゃった。
「変化こそは成長の証! 喜ばしいことです」
でも、ずっと空気が重くて、疲れてるみたいだし。
「心の問題です。大丈夫、いつしか疲れを感じることもなくなります」
そんな……そんなのおかしい! だって、わたし達は!
「獣の力を手にしたのに、ヒトらしいことをしたい?」
…………。
「結局あなたは、どうなさりたいのですか?」
わたしは……本当は、なにがしたかったの?
彼女の持つ『力』で、夜の空に浮かぶヴィッテ。
その瞳は星空と、禍々しく赤い月を映している。
赤い月の強さと比べて彼女自身の瞳の光は、弱い。
虚空に向かって手を伸ばしてから、ぽつりとつぶやく。
「なんか、つまんないな」
この力のおかげで、ショウはとっても盛り上がって。
みんな、よろこんでくれる。いっぱい「いいね」をくれる。
なのに、なんでだろう。
——このまま、空に消えちゃっても、いいかも。
そんな風に、思っちゃうのは。
「……もう、ほっといてよ」
背を向けて、ネフィがぽつりとつぶやく。
「ほっとかないよ。ネフィみたいな、さみしがり屋」
「そんなわけ……」
「じゃあなんで、楽屋にずっといるの? ひとりになりたくないからでしょ」
「…………」
「ほっといてって言うくせに群れたがる、さみしがり屋」
ララはふっと息を吐き、苦笑とも、微笑みともとれる表情を見せた。
「ララとおんなじ」
「え……」
誰にも弱さを見せてこなかったララが、はじめて見せた顔だった。
ララとニナのじゃれあいで少しほぐれかけた楽屋の空気が、
「うっさい」
というネフィの言葉で再び凍り付く——はずだった。
が、次の瞬間には、ドスンという音と共にネフィは床に尻餅をついていた。
「痛った……!」
その横には、ネフィが座ってたはずの椅子を手にしているチノの姿。
「時間を止めておいて椅子を引いてしまう……我ながら愉快な“力”の使い方だ」
チノはそう言いんがら、自分がこんなにも能動的に動いていることに驚いていた。
まだ諦めたくないのは、ララだけではなく自分も同じなのだ。
ミューは片手に持ったブラシでヴィッテの髪を梳きながら、もう片方の手のひらをくるりと回す。
と、手のひらの上に、おいしそうなカヌレが現れた。
彼女の“力”のひとつだ。
「ヴィッテ、好きだったでしょう?」
彼女の口元にそれを持っていく。
——だが、反応はない。
かつてのヴィッテなら、髪を梳かれている間はずっと足をぱたぱたとさせ、カヌレを前にすれば飛びつくほどの勢いで食べていたのに。
自動人形のような今のヴィッテを前に、しかしミューは気丈にも微笑んだ。
「いらないなら、わたしが食べちゃおうかな」
ララと口論になって、アタマ冷やしに屋根に上がったら、ニナが瞬間移動してきた。
いやその能力、マジでビビるから。
「ガチケンカなんじゃないかって? そんなわけないでしょ。あたし達、いまさらカッコつけても意味ないぐらい、ダッサいところや恥ずいところ、お互い全部知ってるわけでしょ」
「それは……そうかも」
「だからどんなに口げんかしても気にしないし。おまえが言うな! って」
あたしの言葉に、ニナが少しだけ笑った。安心してくれたみたい。
「ていうか久しぶりじゃない? ニナが笑うの」
「ニナ、あなたって、本当に変わらないわねぇ……」
ララのあきれ顔を見ながら、わたしはきっと、すごく驚いてた。
ここ最近は悩んで、ずっと悩んで、ふさぎこんで。
悩みすぎてボーッとして、レッスン中にミューとぶつかっちゃうぐらいだったのに。
『でも、楽しいからいいよ!』
そんな言葉が、自然と出るようになって。
ララにあきれられた。
そっか、いいんだ。
悩みとか不安とか、そういうのが胸やお腹でグルグルしてても、わたしはわたしのまま。
これが、わたしなんだ。
「えへへ〜! ごめん」
練習中に、ニナとミューがごっちん! しちゃった。
救急箱を持ってきたチノ、お医者さんみたい。
「足とかひねった?」
「大丈夫よ。ただ、額が……」
見ると、ちょこっとミューのおでこがぷくっとしてる。
すっごく痛そう! だから……
「痛いのとんでけ、する?」
「ぜひ!」
おでこに手をあてて、いっぱいいっぱい念じて……
「痛いの痛いのー、とんでけー!」
「はぁ……! すごい、本当に痛くなくなったわ!」
でしょでしょー? ヴィッテもママによくやってもらったの。
でも、チノはあきれ顔。なんでだろ?
ショウを終えて、楽屋に戻る。我ながら、なかなかの手応えだ。
「今日も楽しかったー!」
「それと、お腹空いた〜!」
「あらあら。じゃあ、すぐにご飯にしましょう」
もう、ほっとくとすぐこれ。
「ご飯の前にやることがあるでしょ。反省……」
「反省会、だね。もちろん、食事をしながら」
「食事をしながら!」
チノの提案に、ヴィッテとミューがハモって相づちをうつ。
「はいはい。それでいいわ。ていうか、ララもお腹ぺこぺこ!」
たっくさん食べて、みっちり反省会するから!
ショウのあと、楽屋で団長のお小言がはじまったのだけど。
「団長、今夜の売り上げは? 昨日より上がった? 下がった?」
「……上がりました」
ふむ。なら、なにも問題はない。
摩訶不思議な力であれ、我々の歌やダンスであれ、何より大事なのは観客を魅了し、熱狂させること。
そう言ったのは団長自身だ。
まあ、団長に黙ってプログラムの順番を入れ替えたのは事実だけど。
それはそれ、これはこれ。
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