本家保管庫の更新再開までの暫定保管庫です。18歳未満立ち入り禁止。2013/2/15開設

【前注意】
・非エロ、葵視点
・カプは男鹿×葵で、既に付き合ってる前提
・エレベーター乗ってる時間長過ぎじゃね? というツッコミは心の中に閉まっておいてもらえると助かります

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「あ〜、映画館って何階だったっけか?」
「えと…9階、だったと思うけど」
「んじゃ9、と」
「…あ、違う! 8階だった!」

ちゃんと見たら「8」のボタンの上に「ムービー」と書いてあったのに。何間違えているんだろう、私のバカ。
見ると、男鹿はもう9階のボタンを押してしまっている。あー…もう。

「ご、ごめん。間違えて…」
「ん? いいだろ別に」

特に気にするでもなく、男鹿が8階のボタンを押し直す横で、私は気付かれないように小さく溜息をついた。
せっかくのデートなのに、いきなり失敗するなんて。それに私、取り乱し過ぎ。
この人といるといつもこうだ。普段はしないようなミスをして、それを取り繕おうとしては空回る。
姐さんは乙女スイッチの接触が悪い。そんなことを言っていたのは寧々だったか由加だったか…。

「きゃっ!?」

そんなことを考えていると突然エレベーターが動き出し、私は思わず声を上げてしまった。
いや、別に突然でもなかったけれど、自分の世界に耽っていた私にとってやっぱりそれは突然で、
思わぬ足場の揺れと慣れないヒールの靴という組合せでは、バランスを崩すのもやっぱり必然だった。
あ、転ぶ。
身体が後ろに倒れるのを感じ身構えた瞬間、背中をとん、と何かで支えられた。
感触でわかる。男鹿の腕だ。

「あっぶねぇ。大丈夫かよ?」
「っ! お…あ、あり…ごめ…」

どうしよう。どうしようどうしよう。お礼が先? 謝るのが先? それよりさっさと体勢を戻すのが先?
ダメ。血が逆流しているみたいでうまく考えられない。だって…近い。
私を支える為に身を乗り出してきた男鹿の顔が、すぐ目の前にある。
こうなると私はあっという間に顔が真っ赤になって、頭は真っ白になる。
恋人同士なんだし、これまでキスもしたことないわけじゃない。それでも急に近寄られると相変わらずパニックになる。
姐さんは恋愛免疫不全障害です。そうからかってきたのは千秋だった気がする。
でも、確かにそう。私のこの恋は成就した後でも落ち着きがない。

「よっ、と」

結局私は礼も謝罪も言わないまま、男鹿に身体を起こされた。ホント、何やってるんだろう。
また溜息をつきそうになったところで、突然、男鹿が私の背中に回した手で私を引き寄せた。

「ひあっ!?」

寄せられたのだから、当然私と男鹿は密着する形になる。
私の耳が男鹿の胸にぴったり重なり、ほとんど抱き合ってるような格好になる。

「お、男鹿。こここ、これ、なな、な」
「あー、いや、こうすりゃ邦枝が転ばねーかなって。……嫌か?」
「う、ううんううんっ! 平気! 全然平気!」

首をブンブン振ろうとしたけど、男鹿の胸に顔が埋もっていてうまくいかない。
だから平気をアピールする為に、少しだけ強く男鹿の腰にしがみつく。
嬉しい。死ぬほど嬉しい。なのに、今すぐ逃げ出したい。単純な闘いなら絶対逃げないのに、今はすごく臆病になっている。
…どうして。私はいつだってこんな沸騰しそうなのに、この人は涼しい感じでいられるんだろう。不満は無いけど、不平はある。
だけどその時、ふうっ、とかなり大きく息を吐く音が私の頭の上から聞こえた。釣られて私は顔を上げた。

「…男鹿?」
「あ、わりぃ。何か安心したっつうか、その、嬉しいっつうか」
「え…?」
「いや、邦枝、何か溜息ついて元気なさそうだったからよ。ちと不安だった」

言って、本当に安堵したように微笑む。その頬がわずかに赤い。ちっとも涼しげなんかじゃない、不器用なで無邪気な笑顔。
ああ、もう反則。反則だからその顔。その気遣い。そんなことされたら、不平も不満も不安も吹き飛んじゃう。
やっぱり、この人が好き。どうしようもなく好き。
もっと好きになりたい。もっと甘えたい。もっと、素直になりたい。だから私も目いっぱいの笑顔を見せる。

「うん、大丈夫。ごめんね、ありがとう」
「おう」
「…ねぇ、男鹿」
「おう?」
「ベルちゃん、寝てるね」

言って、もう一度男鹿の顔を見つめ直す。
私達の暗黙のルール。キスは、ベルちゃんが寝てる時だけ。
伝わるかな、私の精一杯の勇気。
男鹿は一瞬訝しげな顔をしたが、背中ですやすや眠るベルちゃんをちらりと確認すると、真っ直ぐな眼差しを私に向けてきた。
それから優しく私を抱き寄せながら顔を近付けてきて、私は目を閉じて、そして…、

キンコ〜ン

間の抜けた電子音が鳴った。男鹿と私の動きが同時に止まる。これは…マズイ!
エレベーターのドアが開く直前に、私達は飛びのくようにお互いから離れ、ぎくしゃくしながら開いたドアから出た。
あ〜あ、もう少しだったのにな…。

***

「だぁっ! だあぁっ!」
「うるっせぇなぁ、さっきまでぐっすり寝てたくせによ」
「初めての映画館で興奮してるんじゃない? 映画が始まったら大人しくなると思うけど」
「だったらいいんだけどよぉ…」

相変わらずベルちゃんの世話に悪戦苦闘する男鹿の姿は、言ったら悪いかもしれないけど可愛らしい。
結構上映時間ギリギリにチケットを買ったこともあり、私達は後ろの方の席に座ることになった。
ベルちゃんも楽しめるようにとアニメ映画にしたけれど、意外に私達と同い年ぐらいの人もたくさんいる。

ふと見ると、私達よりもっと前の方、ちょうど真ん中ぐらいの席に古市君とラミアちゃんがいるのがわかった。
何だかラミアちゃんは膨れっ面で、古市君は弱々しく笑いながら必死に謝り倒している。あの二人の日常風景だ。
いいなぁ、と思う。あんな風に端から見ても微笑ましいカップルに私達は見えているのかな?

それにしても…さっきは本当に惜しかった。でもよく考えると、あんな誰に見られるかもわからない場所でキスをねだるなんて…。
ひぁ、ひああぁ、今思うと相当に恥ずかしい! だけど…男鹿はどうだったんだろう? 男鹿も私と同じように残念がっているのかな?
男鹿の表情を覗き込もうとしたその時、映画館の照明が落ちた。どうやら予告が始まるらしい。もう暗くて男鹿の顔は見えない。
はぁ、どうしてこうもタイミングが悪いんだろう。また溜息が出そうになるのを下を向いて必死に飲み込んだ。


「邦枝、俺ちとトイレ行ってくるわ」

不意に呼びかけられて男鹿の方を見ると、ベルちゃんを抱えて立ち上がっている。

「あ、うん。行ってらっしゃい」
「…で、わりぃんだけど、その間ベル坊預かっててくれるか?」
「え? いいけど…」

男鹿が私にベルちゃんを渡そうと前屈みになり、私は座ったままベルちゃんを受け取った。
あれ? だけどこれっておかしい気がする。だって…

「ねぇ、男鹿ってベルちゃんと離れられないはずじゃ――」

疑問を口に出そうと顔を上げた瞬間、言葉を…というか、唇を塞がれた。
多分、私は思いっきり目を見開いてしまっていたと思う。だって、こんないきなりなんて。
いくら映画館が暗くても、誰が見てるかわからないのに。ベルちゃんも起きてるのに。
――ルール違反の唇がそっと離れる。男鹿は私に抱き着いているベルちゃんを持ち上げて自分の肩に乗せ直した。

「あー、うん、確かにそうだな。何か、えーと、忘れてたわ」
「そ、そう…」
「……よ、よし、行くぞベル坊」
「だっ!」

男鹿が去っていった。残された私は半ば呆然としながら、まだ唇に残る感触に意識が持って行かれていた。
もう、映画どころじゃない。唇の熱が顔から頭から火照らせて、視覚も聴覚も全然機能していないのだから。
ああ、もう……もう! ホントにもう! ずるいずるいずるい!! 私ばっかりしてやられて!
絶対にお返ししよう。まずは、そう、男鹿が席に戻ってきたら、映画の間ずっと手を繋いでやろう。
そう、思った。

〜完〜
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