最終更新: chorus_mania 2023年02月16日(木) 21:23:00履歴
わが心の詩 | ワガココロノウタ | 指示 | 速度 | 調性 | 拍子 | 備考 | |
1 | 春風 | ハルカゼ | 早く、さわやかに | 4分音符=約132 | 変ホ長調 | 4/4 | |
2 | 五月の海 | サツキノウミ | 中庸の速度で、堂々と | 4分音符=約92 | ニ短調 | 5/4 | |
3 | 夢 | ユメ | ややおそく、幻想的に | 4分音符=約80 | ホ短調 | 3/4 | Baritone Solo |
4 | 富士と詩人 | フジトシジン | やや早く、荘重に | 4分音符=約116 | 変ホ長調 | 4/4 | |
5 | 爽やかな別れの日に | サワヤカナワカレノヒニ | 中庸の速度で、心をこめて | 4分音符=約96 | ヘ長調 | 3/4 | Tenor Solo (or Soprano Solo) |
6 | 秋風 | アキカゼ | かなりおそく、憂愁の想いをこめて | 4分音符=約60 | ホ短調 | 2/4 | Solo※ |
7 | 旅人 | タビビト | ややおそく、力強く | 2分音符=約88 | ニ長調 | 2/2 | Baritone Solo |
創価合唱団による委嘱作品。作詩者の山本伸一とは創価学会名誉会長・池田大作氏のペンネームである。曲数が多い事、ソロが多く歌い手の力量が必要な事、それぞれの曲が重厚な事など、数ある多田作品の中でも歯応えのある組曲となっている。この作品が高水準の完成度を得ていることに、当時の多田氏の充実ぶりがうかがわれる。
この組曲の作曲は1月2日から開始されたが、その前日まで男声合唱組曲「水墨集」(委嘱:関西大学グリークラブ)を書いていた。なお、1月2日は作詩者の誕生日でもある。
また、第5曲目「爽やかな別れの日に」は、北村協一氏が男声版への編曲を多田氏に直接依頼し、「関西学院グリークラブ第52回リサイタル」のアンコールにおいて演奏された。
(作曲者の言葉)
昭和56年秋、写真詩集「わが心の詩」を頂いた。その「まえがき」の中の作者の言葉を、私は感動的に読んだ。それは、「激流のごとき日々にも、大自然とひとり対話する安らぎのひとときはあった。努めて、そのような心の余裕をもとうともしてきた。・・・・・(中略)・・・・・四季折々の大自然のドラマを呼吸しつつ、私はいつもうるおいと感動を覚えた。その素朴な心の動きを、私は少年時代から一片の詩に託し、書き記してきた。湧き出ずるままに、ノートの隅に、あるいは日記のページにつづったものである。・・・・・(中略)・・・・・詩の心というものは素朴な人間感情の発露にあると思っている。折にふれて高鳴る生命琴線の調べこそ、赤裸々な人間の詩である。素朴なるがゆえに、心のひだに共鳴の和音を広げてゆくのであろう」の一節であった。
私は23歳の時、「多くの人々に永く親しんで歌ってもらえる美しい日本の合唱曲を作曲し続けよう」と志した。爾来29年間、日本の選りすぐられた詩の中から更に合唱曲に合う詩を選んで、いくつかの合唱組曲を作曲しつづけてきた私は、さきに掲げた「わが心の詩」の作者の巻頭言に、「詩と人との関わり合い」「詩作の原点」が言い尽くされているのをみて、それに感動したにちがいない。
ページを繰り開いていく私の眼に、紛れもなく、すばらしい、そして自然で素朴な詩のかずかずと、それぞれの詩の心をありのままに写し撮った写真のかずかずが広がっていった。
この写真詩集を贈ってくださった創価合唱団のかたに「合唱組曲ができますね」と申し上げた。一連の詩の中に、「歌曲として必要な『赤裸々な人間の心』や『自然な起承転結』が溢れていたからである。
後日、「作詩者の了解をとることができたので、是非作曲してください」とのご依頼を受けた。丁度その頃、私は、ある大学からの委嘱作品を作曲していたので、年内はこれに専念し、翌年のお正月から、組曲「わが心の詩」にとりかかる予定をたてた。計画は一日ずれ込み、北原白秋の詩による男声合唱組曲「水墨集」を1月1日の夕刻に書き上げ、巻末奥書に日付を記した。
翌1月2日払暁より、混声合唱組曲「わが心の詩」の作曲にとりかかった。終日、詩を幾度も読みかえし、7つの詩を選んだあと、巻末の著者略歴をみて、著者のお誕生日が、1月2日であることを知った。
作曲は、自然に、流れるように進んでいった。28年間の作曲活動の中でも、こんなにすがすがしい心で書き綴ることができたのも珍しい。また、作曲しながら、私は幾度か、詩の心の美しさに泣いた。この7つ詩は、曲と共に、終生私の心にも深く刻み込まれることだろう。とりわけ、私の好きな詩の一節は、「爽やかな別れの日に」の次の一節である。
爽やかな日 別れの日から
よしや相見ることの叶わなくとも
わたしはよもや忘れまい
呼び合う心と心の実在を
刹那の永遠にかけて信じよう
なお委嘱依頼者の関係者のブログに打ち合わせ事のエピソードが記されている。
http://muto3137.seesaa.net/article/444688311.html
この組曲の作曲は1月2日から開始されたが、その前日まで男声合唱組曲「水墨集」(委嘱:関西大学グリークラブ)を書いていた。なお、1月2日は作詩者の誕生日でもある。
また、第5曲目「爽やかな別れの日に」は、北村協一氏が男声版への編曲を多田氏に直接依頼し、「関西学院グリークラブ第52回リサイタル」のアンコールにおいて演奏された。
(作曲者の言葉)
昭和56年秋、写真詩集「わが心の詩」を頂いた。その「まえがき」の中の作者の言葉を、私は感動的に読んだ。それは、「激流のごとき日々にも、大自然とひとり対話する安らぎのひとときはあった。努めて、そのような心の余裕をもとうともしてきた。・・・・・(中略)・・・・・四季折々の大自然のドラマを呼吸しつつ、私はいつもうるおいと感動を覚えた。その素朴な心の動きを、私は少年時代から一片の詩に託し、書き記してきた。湧き出ずるままに、ノートの隅に、あるいは日記のページにつづったものである。・・・・・(中略)・・・・・詩の心というものは素朴な人間感情の発露にあると思っている。折にふれて高鳴る生命琴線の調べこそ、赤裸々な人間の詩である。素朴なるがゆえに、心のひだに共鳴の和音を広げてゆくのであろう」の一節であった。
私は23歳の時、「多くの人々に永く親しんで歌ってもらえる美しい日本の合唱曲を作曲し続けよう」と志した。爾来29年間、日本の選りすぐられた詩の中から更に合唱曲に合う詩を選んで、いくつかの合唱組曲を作曲しつづけてきた私は、さきに掲げた「わが心の詩」の作者の巻頭言に、「詩と人との関わり合い」「詩作の原点」が言い尽くされているのをみて、それに感動したにちがいない。
ページを繰り開いていく私の眼に、紛れもなく、すばらしい、そして自然で素朴な詩のかずかずと、それぞれの詩の心をありのままに写し撮った写真のかずかずが広がっていった。
この写真詩集を贈ってくださった創価合唱団のかたに「合唱組曲ができますね」と申し上げた。一連の詩の中に、「歌曲として必要な『赤裸々な人間の心』や『自然な起承転結』が溢れていたからである。
後日、「作詩者の了解をとることができたので、是非作曲してください」とのご依頼を受けた。丁度その頃、私は、ある大学からの委嘱作品を作曲していたので、年内はこれに専念し、翌年のお正月から、組曲「わが心の詩」にとりかかる予定をたてた。計画は一日ずれ込み、北原白秋の詩による男声合唱組曲「水墨集」を1月1日の夕刻に書き上げ、巻末奥書に日付を記した。
翌1月2日払暁より、混声合唱組曲「わが心の詩」の作曲にとりかかった。終日、詩を幾度も読みかえし、7つの詩を選んだあと、巻末の著者略歴をみて、著者のお誕生日が、1月2日であることを知った。
作曲は、自然に、流れるように進んでいった。28年間の作曲活動の中でも、こんなにすがすがしい心で書き綴ることができたのも珍しい。また、作曲しながら、私は幾度か、詩の心の美しさに泣いた。この7つ詩は、曲と共に、終生私の心にも深く刻み込まれることだろう。とりわけ、私の好きな詩の一節は、「爽やかな別れの日に」の次の一節である。
爽やかな日 別れの日から
よしや相見ることの叶わなくとも
わたしはよもや忘れまい
呼び合う心と心の実在を
刹那の永遠にかけて信じよう
なお委嘱依頼者の関係者のブログに打ち合わせ事のエピソードが記されている。
http://muto3137.seesaa.net/article/444688311.html
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