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JPモルガン
ウォール街の歴史は、JPモルガンの歴史といっても差し支えないだろう
1913年に連邦準備法が制定されるまで、米国は中央銀行を持たなかった
それまで中央銀行の役割を果たしたのが、JPモルガンで、英国で金融業
を営んでいた父親JSモルガンの事業と、JPモルガンの米国事業を統合した
1890年以降が、JPモルガン帝国の約一世紀にわたる栄光の歴史である

JPモルガンがどうすごかったかというと、3度の大恐慌と、複数の恐慌に
つながりかねない事件を全て、米国政府にかわり自社一社で救ってきたからだ

最盛期は、JPモルガンのパートナー達が、米国の金融、鉄道、公益事業会社に
72の取締役を兼務していた
また、息子のJPモルガンジュニアの時代には、世界各国の債券発行にモルガン
がからまなければ成功しないとまでいわれたほどだ

JPモルガンは今でこそ株式会社でチェースと合併したが、設立以降ずっと
プライベートカンパニーのままだった、そのプライベートカンパニーが、
上場企業のほとんどを傘下においていたのだから、その実力のほどが理解出来よう

JPモルガンは看板を出さない事でも有名で、JPモルガンの住所
WallST23番地を目指して世界中から企業家たちが訪れていた

1933年にグラススティーガル法が制定されたのをきっかけに
(グラススティーガル法 商業銀行業務と証券(投資)銀行業務の分離)
JPモルガンは、商業銀行に、同社から独立したモルガンスタンレーは
投資銀行へと分割された

例えシティーバンクのサンフォードワイルCEOがどうがんばっても
今後JPモルガンを超える金融帝国は現れないだろう


(国際経済新聞特集 ニューヨーク投資紀行より抜粋)

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