■2007/7/2、by dancingdog


既出情報:このサイトの【ストリップ発言録】および別サイトの
http://www.geocities.jp/dancingdog2nd/ma-hatsugen.... 現在見ることができません
をチェックして下さい。

01: 名前:いちファン投稿日:2005/03/08(火) 01:17
劇場やテレビ、ラジオで聞いたり、本や雑誌で読んだりしたストリップに関する発言を皆で集めてみませんか。
踊り子さんに直接聞いた面白い発言なども歓迎です。ただし、関係者に迷惑にならないように十分配慮して下さい。
【例】2005年1月、ジョージ川上がショーアップ大宮を辞めるときの挨拶で『ストリップは永遠です』



■2007/7/2、by dancingdog

2007年6月30日、TBSラジオ
『土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界』
:バーブラ・ストライサンドの「追憶」が流れたあとで永六輔が話した。

聴きながら渥美清のことを思いだしていたんだけど、なぜかというと谷幹一さんが亡くなったから。渥美さんが田所君といっていた焼け跡の不良少年時代に僕は仲がよかったんです。役者になる前に。

僕も放送の仕事をし始めて、いつかテレビをやるようになったらば、必ず渥美ちゃん呼ぶからねって約束していたんです。テレビが始まったとき、渥美清と谷幹一と関敬六と3人でスリーポケッツていうチームを作ったの。3人で浅草で頑張っていたんです。

僕がその時点で知っているのは渥美清だけです。だからテレビが始まるとき渥美清のところに行って、やめられない?って言ったの、3人組を。一人になって欲しいって言ったの。「出来ない」って。古い仲間で、ストリップ劇場からやっている仲間だからやめられないって言ったの。

その時、谷幹一さんが「やめろよ、一人で出て行けよ。そのかわり、成功したら呼んでくれ」って。渥美ちゃん一人だったらなんとか行けるかもしれないから、まず出て行ってくれって、言ったのは谷幹一なんです。それでスリーポケッツが解散するわけよ。

■2007/7/14、by dancingdog
TBSラジオ、2007年7月11日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』
:ゲストに夏木マリが出演して五月みどり、大沢悠里と話した。


(夏木)ほとんど地方のキャバレーしか回ってないときに、ヤケクソでやっている時にね…。

(大沢)どんな病気だったの?

(夏木)低色素性貧血っていって、急性の貧血なんです。血が薄くなっちゃたりする病気で、心臓が弱かったら死んでたみたいなんですけど、強かったみたいでね。輸血して助かったんですけども。

仕事の状況がよくなくなって、今はミュージカルとかはオーディションがあるけど、当時なくて。歌うたっているというのでミュージカルを誘われたんです。ミュージカルというか歌とダンスの舞台で。ミュージックホールという所が、私がやる気になった現場なんですけど。

(大沢)みんな踊ったりしているところを見ると、いいもんだなと…。

(夏木)初めてプロのダンサーのお姉さん方とごいっしょさせて頂いて2カ月たったんですけど。朝昼晩、朝昼晩ってすごいハードなんですよ、舞台が数が多くて。今まで、ボーッと仕事してきたんですけど、みんな踊りが好きで一生懸命やっている、しかも楽しそうだ。

(大沢)日劇って、日劇ミュージックホールよ、丸尾長憲さんの方よ。出してるの?

(夏木)そうです。マヌカンさんって、おっぱい出してるダンサーの方に混じって私、歌うたったんですけど、踊りながら。なんとなくプロ根性をたたき直されたっていうか、初めてやる気になったんですよ、そこでプロを見てね。

(五月)どういうところでやる気が起きるかわからないわね。

(夏木)反省していろいろ稽古に行きだしたりしたとかが大きかったですね。

(大沢)そういうの見て触発されてね、みんな一生懸命踊ってね、お客さん楽しませるためにね。私も何回も見にいきましたけどね。

(五月)私も見にいったな、若いころ。

(夏木)あそっこって、お客さんがインテリジェントな方が多いです、監督とか作家とか。

(大沢)そう、それから外人も多かった。

(夏木)あそこでやっていた何ヶ月かで、五社監督とか、劇団未来劇場の里吉さんとかディレクターの方が声かけて下さったんです。

■2007/7/17、by dancingdog
『浅草ロック座 昭和末年』写真・勝山基弘/文・池内紀、久世光彦、東八千代/美術出版社/1995年

(久世)立て直してどのくらい経つんですか?

(東)丸10年になります。私は、照明とか音響にカネをかけるなんていうのは、ぜんぜん考えてなかったんですよ。でも10年前で2億ちょっとかかったんですよ、照明と音響で。

うちの子どもに「なんでそんなに……」と言ったら、コンピューターを使うと1人で何人分かの人件費が安くなる。それと、色がきれいに出る。何人でやってもコンピューターほどの色は出ない。

そんなこと、もったいないと思ったんだけど、「まあ、やってみろ」と言ったんです。それでやめればいいのに、また追加になるんですよ。

(久世)ああいうものはどんどん進歩だけはしますからね。

(東)ええ。それで、まあ、いいやと思っていたら、子どもの考えがよかったんですね。今はご覧の通りたくさんのお客さんに喜んでもらってます。

はじめは、おかしくなったら困るな、勘当しなきゃしょうがないなと思いましたけど、私、いまは尊敬しています。

(久世)彼はテレビで、ぼくらのところで一緒に仕事をしていたから、やっぱり新しいことが好きですよね。

(東)恒久(斎藤恒久現社長)はフランスに住んでいたことが多いので。けっこう向こうのほうで勉強してましたから、たぶん、そういうものを考えていたんでしょう。

(池内)じゃ、さっき見せていただいたああいうレヴューのかたちって、フランスのレヴューの……。

(勝山)最近のロックの舞台ってムーランルージュとかクレージーホース、それからリドなんかの乗りですよね。

■2007/8/13、by dancingdog
『荷風さんの戦後』半藤一利/筑摩書房/2006年


(昭和)26年2月11日の『(断腸亭)日乗』に面白い記載がある。

「午後ロック座。募集踊子の審査を見る。帰途合羽橋飯田屋に飲む。」

これだけであるが、間違いなくヌード嬢の採用試験がこの日に行われたのである。記録によると、応募者は実に115名の多数であったという。

『日乗』ではさも自分は傍観者であるかのような書きっぷりをしている。事実を知るとちょっと唖然となる。伊藤道郎、秦豊吉、浜本浩、水ノ江滝子ら審査員を率いて、荷風が審査団長であったのである。そればかりではない。誰よりも早く試験場に、黒の背広に駒下駄でやってきて、あれこれ指図するというハッスルぶり。

小門勝二氏の書く荷風の回顧談がある。「A・B・Cの3段階に点を分けてつけることは大変でしたぜ。小屋のほうじゃ足を活発にはねあげる子がいいなんていってましたが、ぼくはからだの動かしかた、からだの線のきれいなのがAです。ダンスなんかの素養は問題じゃないな、絶対に。そういうのじゃないとストリップのスターにはなれないものですよ。ダンスがうまくて、顔が綺麗で、脚線美……というのが第一条件じゃないな。そんなら素人の中からさがすなんていうことはないもの」

■2007/8/22、by dancingdog
2007年8月11日、TBSラジオ
『土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界』

「乙女探険隊がゆく関東新地図」というコーナーで「コント山口君と竹田君」が新宿駅南口界隈について話した:


(山口):国際劇場というビルがあるんですけど、5階のストリップ劇場で僕ら働いていたんです。

(竹田):(以前)秋葉原の電器屋さんで販売員として務めていました。

(イズミ):山口さんがいらした新宿国際劇場に竹田さんがいらしゃってお二人コンビを…。

(山口):新宿ミュージック劇場っていう、もう跡形もないんですけども…いまカラオケボックスになっていて、しみじみ見てるんですけど。

(竹田):ここでコントやっていたんですけど、昔、山口さんは厳しい人でね、毎回、やる前と終った後で正坐で、反省会もやった人なんです。

(山口):あの時、ストリップ劇場にいただけに、早くここを出なきゃいけないという意識があったものですから…空気に流されないように、今考えるとオカシナコトやってましたよね。

(竹田):気に入らないと、星一徹みたいに机ひっくり返したんですから。

(山口):またお前、自分だけ好感度上げようと思って。(笑)

(竹田):山口さんロマンポルノが好きでね、毎週土曜日、見に行っていたんです、寺島まゆみさんが好きだったんですよね。

(竹田):一日500円しかもらってませんでしたから、カツ亭っていうカツ屋さんでゴハン買って、立食いウドン屋さんに寄ってオツユをかけてもらって、ネギをサービスしてもらって、生卵かけて、それで1日過ごしたんです。

(山口):ストリップ劇場の売れない芸人というのは知れ渡っていましたから。この界隈の人達は下町的な人と人のつながりを感じさせてくれてましたね。

(イズミ):おふたり、高島屋の方面を走っていらしたとか。

(山口):デビュー前に、コントするのに体鍛えなきゃならないっていうので、千駄ケ谷のほうまで一周、毎日コント終りに走ってました。ステージでチョビヒゲ描いてるんでけど、落とすの忘れて走ったこともありました。

(永):昔はテレビのディレクターも劇場に通っているのがいましたよ。最近不勉強、今いないよ、そういうの。

(山口):ですよね。僕らも、劇場に来られて、君たちは使えないって駄目出しされたこともありました。何度かチャンスがあったんですけど。

(永):テレビに出てる人を使うのがテレビの人だからね。自分の足で歩いていないからね。

(山口):よその局で使っている人を自分の局でまた使うという。

■2007/8/27、by dancingdog
『遊びの道巡礼−平身傾聴裏街道戦後史』小沢昭一・永六輔/ちくま文庫/2007年

(小沢昭一):浅草に安来節が来てから何年になるんでしょうか。

(天野豆子):40年になるんじゃないですか。

(小沢昭一):昔は、色っぽいことでも売ったんじゃないですか。

(天野豆子):赤いものがチラチラするだけで、よろこばれたご時世ですからね。

(小沢昭一):いまは、黒いものがチラチラしてもよろこばない。ピンク色のところをチラチラさせなきゃよろこばない。

(天野豆子):ピンク色ですか。

(小沢昭一):肉色というか、スキヤキに使う高級品のような色。なかには、煮つまったときの色もおります(笑)。

(天野豆子):浅草じゃ、そこまで見せないでしょう。

(小沢昭一):そのへんを豆子さんにうかがいたい。

(天野豆子):むかしはありましたね。女剣劇でみせるのがありましたけど、ようつかまって(笑)。

■2007/9/8、by dancingdog
『遊びの道巡礼−平身傾聴裏街道戦後史』小沢昭一・永六輔/ちくま文庫/2007年


(小沢)はじめまして小沢でございます。

(一条)一条さゆりと申します。

(大満)「ヌードインテリジェンス」の大満です。

(永)僕はもうドキドキしちゃって…。

(小沢)憧れのスターだから。

(一条)とんでもない。

(永)ヘンですねェ。一条さんの顔をまともに見たの初めてです。

(小沢)どこをまともにみていたの(笑)。

(永)僕ね、ジーッとみちゃうでしょう。そうすると、顔がみられなくなっちゃうんだ。なんだか悪いみたいな気がして。

(一条)いらしゃいます、絶対に顔をみない方が(笑)。

(小沢)どうしてだろう、僕は見較べるのが楽しみですよ。

(大満)顔をみない人の方が助平なんです。それはやりたいからで、見較べるのは、これは単なる研究熱心(笑)。

(一条)お年じゃないですか、永さんはお若いから。

(小沢)永さんは多少お若いですが、昭和初期に生まれたものは、戦争が終ったころがちょうど青春時代ですね。われわれ、あの焼け跡をさまよい歩いていたころに、バカッとストリップが出てきて、あれがぼくらの心のなぐさめだったり、ささえだったり、勇気づけだったりしたものですので、忘れられない…。

(大満)あれを最初見たときは、びっくりしましたね。ぼくは特攻隊の生き残りなんです。女のコが足を上げたら、パンツのあそこが濡れていた。汗で濡れていたのかどうか知らないけど、あれは強烈だったね。

(永)ぼくだって、ジプシー・ローズが死んだとき、一日中悲しかった。

■2007/9/10、by dancingdog
『遊びの道巡礼−平身傾聴裏街道戦後史』小沢昭一・永六輔/ちくま文庫/2007年

(大満)万博のはじまる半月ほど前に、府警本部が館主をみな集めた。府警本部は取り締まるために、一課長が転勤してきたわけです。その人が、むかしのショーチームのときの、ぶよぶよのパンツはいて踊っているのしか見たことがないというんですよ。

東京からお客さんが来て、警察庁の方だと思うけれども「大阪のストリップはすごいじゃないか、見たか」「見たことない」「じゃ見に行こう」というので行ったら、やってるやってる。で、レスビアンなんて言語道断だってわけよ。

(小沢)戦争前から急にいまのを見たら、そりゃびっくりしますよ。

(大満)「三波春夫より五百円高いなんてもってのほかだ」というんですよ。大阪は全部締めようじゃないか、波状攻撃で徹底的にやるという。

■2007/9/17、by dancingdog
『色の道商売往来−平身傾聴裏街道戦後史』小沢昭一・永六輔/ちくま文庫/2007年


(小野)花電車だけど、あれは見せるだけで乗せないからついた名前だと思うでしょ。

(小沢)そういいますね。

(小野)ちがうんですよ。初代の花電車は、玉ノ井の森ヤエコという女の子で、いつでもたくさんカンザシをつけてるんだ。だから、花電車をやる前から、まあ、おヤエちゃんてまるで花電車みたいねっていわれたのが、森ヤエコなんだね。

あんまり顔もよくないので、売れなかった。ある夜、上海帰りのセーラーかなんかに「あっちのほうに行くと、あそこで芸をして稼いでるよ」って話を聞かされて、トレーニングした結果、編み出したわけなんだ。昭和の初期7、8年ごろ…


■2007/10/11、by dancingdog
TBSラジオ、2007年9月7日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』
:浅草キッドの水道橋博士がゲスト出演してフランス座当時の話などをした。


(大沢)掃除とかするんですか?

(博士)僕はひとより30分早く起きて、便所掃除していました。みんな歳下で、その中でボクは浮いていて、つまはじきにされるんじゃないかと思って…。

(大沢)かわいがってもらったでしょ。裸も見飽きた?

(博士)いい裸と悪い裸がありますから。年金支給者みたいな人も踊っていらしゃいますから…。

(大沢)コントやってたの?ウケル?

(博士)客が二人か三人なので、ウケてるのか勘違いしてるのか分からないんですね。いない時もありましたからね。


<略>


(博士)日給1000円だったんで。16時間労働、8時間小屋で働いて、後、8時間社長が経営しているスナックで働いて…。20年前、タケシさんが修業していた頃と変わらないんですよ。実は、給料が出ていたんですけど、経営者の社長が着服していたんですよ。

だけど、その分、買い物してきたら、おこずかいくれたり、お風呂連れていってもらったり、踊り子さんにお世話になったり、寄生する形で、人情を分かっていく、芸人の仕組がわかっていく、システムができていましたね。

(大沢)宮崎県知事もやっていたの?

(博士)一時期フランス座にいましたね。1番弟子なんですけど、すぐに謹慎になるんで。弟子順が一番下になるんですよ…。


<略>


(博士)僕がフランス座に行っているのを、親戚にフランスに留学しているって説明していて、下積みなのに外遊していることになっていたんですね。

(さこみちよ)見栄っ張りだったんだね。

■2007/10/15、by dancingdog
TBSラジオ、2007年10月5日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』

:リスナーが投稿するH話を大沢悠里が面白可笑しく読む「お色気大賞」の過去放送分から選んで再放送していた。ホルター心電図の24時間の記録データを患者と検討している会話を待合室で聞いた人が投稿した話。


(医者)これは病院を出たところですな。ここは駅の階段ですね。ここは電車に乗った。それから駅の階段。それから歩くと。ここで休むとありますね。休んでいる間の記録が変ですね。何か動悸がするとか、気が付きませんでしたか。どこで休んでましたか。

(患者)劇場です。芸術劇場なんですけどね…さゆりさんの。

(医者)有名な石川さゆりさんの?

(患者)さゆりはさゆりでも一条さゆりのサヨナラショー。つまりヌード芸術劇場なんですね。

(医者)あー、それでか。あんた心臓悪いんだから、ああいう所に行かないようにしなきゃ。他に趣味ありませんか。写経でもやったらどうですか。

(医者)劇場出て、歩くと。食事ですね。何食べました。焼き肉定食2人前。食べすぎですね。70になるんだから。煙草は吸うし、肉食はするし。

(医者)ここで仕事とありますが何。掃除ね。休む。夕食ね。後片付けね。それから就寝ね。ここのところ変な記録がありますね。何かありませんか。

(患者)実は昼間見たショーのこと思いだしまして、久しぶりに何して…やってしまいました。

(医者)最後までいったんですか。駄目だなあ。するとここは睡眠ではなくてデータは仕事に入る訳だ。手仕事だ。長い時間かかってますね、15分くらい。危なく腹上死…あんた一人暮しだから、手仕事中だから過労死っていうところかな。あんた歳なんだから、こういうことは止めなさいよ。

■2007/12/12、by dancingdog
http://intro.ne.jp/contents/2007/10/08_1704.html
『INTRO』

:映画に関するWEB頁。


(膳場岳人氏が映画『裸の女王 天使のハメ心地』を紹介した文章から引用)


何といってもストリッパーをヒロインとした映画、というのがいいじゃないですか。ストリップ、行ったことありますか?私は学生時代に大阪は十三、渋谷、川崎などのストリップ劇場に何度か足を運んだことがあります。

劇中、「ストリップは女のからだを最高に美しく見せる」という台詞があるんですが、正にその通りだと思います。あれって女性の美しさを最大限引き出すショーであり、装置なんです。

■2007/12/24、by dancingdog
『浅草の百年』神山圭介/踏青社/1989年

その小屋の楽屋で裸の踊り子に囲まれている荷風先生がおり、文化勲章の<ショウ>とヌードの<ショウ>が、奇妙に結びつくところに浅草ストリップの「ふしぎな味わい」、その本領があったのだった。

30年頃でもすでに、酔客が舞台にむかって、「芝居なんか見にきたんじゃねぇぞ、早くハダカを出せ!」と怒鳴るようになって、「何とかしてストリップ劇場の中から、かつてのように新しい軽演劇の茅を生み出したいものと」努力していた劇作家の水守三郎らを嘆かせるのではあるが(高見順編『浅草』、「レヴューからバーレスクへ」より)。視点を変えれば、舞台の質をよくするのも悪くするのも、興行師や踊り子ではなく、観客かもしれない。

■2008/1/3、by dancingdog
写真集『ザ・ストリップ』週刊実話別冊/日本ジャーナル出版/2008年
:付録DVDより、西野さゆきの発言。

踊り子になる前にステージを見たときに、すごいキレイなお姉さんが踊っていて、衣装着てる時もキレイだったんですけど、裸になったときに、すごいキレイで天使みたいで…踊り子さんって天使みたいだなと思って。

■2008/1/11、by dancingdog
写真集『ザ・ストリップ』週刊実話別冊/日本ジャーナル出版/2008年
:付録DVDより、若尾光の発言。

子ども家庭と両立してやってきましたから、この道はありがたいです。やめれないって状態で、元もと踊りが好きで、この業界だから踊っていきたい。限度は超えてますからねハハハ。


※ストリップはマイナーな業界である。だからこそ、その許容力は大きい。それに感心させられることもあるし、時には困ることもある。

美人でなくても、おばさんでも、体にキズがあっても、前衛芸術的ダンサーでも、裸にさえなれば舞台に上がれる。今は劇場が減ったから、そうでもないかな。

私自身は、若くてキレイな子のほうが嬉しいけど、許容力のあるストリップはいいと思う。

■2008/2/1、by dancingdog
日本テレビ、2008年1月24日
『ダウンタウンDX』
:諸星和巳がビートたけしの話をした。


僕が20代前半の頃、たけしさんは、よく僕の部屋に遊びに来ては、ストリッパーを呼んでいた。

そして僕に照明係をやらせるのだが、毎回たけしさんは「もっと上手く当てろ!光の当て具合で見え方が違うんだ」と言ってきた。

僕が悩んでいた時なんです。相談にのってくれたのがたけしさん。メシ連れていってもらったり、師匠のようなものなんです。

毎回…僕の部屋に来ては、ストリッパー呼ぶんですよ。自分の人生に置き換えてみろ、明かりの当てかたによっては自分の光りかたが違うだろ、訳わからないこと言って…。

たけし軍団に入れと言われたことあるんですよ。芸名が、『そんまんま諸』だったんですよ。嫌だと言うと、わかった『諸もろだし』とか言って…。

■2008/2/11、by dancingdog
TBSラジオ、2008年2月6日
『誰かとどこかで』
:永六輔による品格の話。


選挙で珍しく品格があると思った人が当選するじゃない。あっという間に品格がなくなりますね。なんだろう品格って。

お経のほうでいうと、「ひん」と読まないんですね「ぼん」と言うんです。上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(かぼん)。それぞれがまた上中下3つに分かれている。

上品が正しくて、下品が正しくないじゃなくて。下品の中にも真実があるし、下品の上もある。

政治家なんて上品っていないですよ。ストリッパーの仕事していても、とっても品がある裸ってあるでしょ。

せめて中品にいて欲しいと親に言われたことがあります。

上品はくたびれるし、下品もハタ迷惑でしょ。


■2008/4/14、by dancingdog
TBSラジオ、2008年2月20日
『講談社ラジオブックス』
マギー司郎(著)「生きてるだけでだいたいOK」の朗読から:

横浜の『生麦ミュージック劇場』がマジックで初めてお金をもらった仕事です。夏だった。どうして記憶しているかというと、踊り子さんたちが全員裸だったから。ストリップ劇場だとは知らないで行っているのよ。

楽屋を訪ねたらみんな素っ裸で窓を開けて涼んでいる。クーラーなんてなかったから。手鏡で大事なところを映して毛の手入れをしている人もいる。びっくりしたよ。成人していたけどウブなコドモだったから。

舞台も大変だった。お客さんの目的はストリップだからマジックの時間は基本的に腹が立つ時間帯なわけ。いつもスミマセン、スミマセンとあやまりながらやっていた。その癖は今でも抜けないの。40年も前のことだけど昨日のような気がするねえ。

僕のギャラは手取で1日700円、お客さんの木戸銭は千円くらいしたと思うよ。当時は、定員200から250人の劇場がいつも一杯だったよねえ。立たないようにって言われて座っているんだけど、踊り子さんが裸になった瞬間「ワー」っとみんな席から立つんだよ。「見えねー」ってお客さん同士でもめて。混んでいるときは従業員が竿をもって、立ち上がったお客さんの頭をたたいていたよ。

■2008/4/15、by dancingdog
TBSラジオ、2008年2月20日
『講談社ラジオブックス』
マギー司郎(著)「生きてるだけでだいたいOK」の朗読のあとのインタビューから:

同じ境遇で、同じ舞台で立っているじゃないですか、踊り子さんと僕はね。優しいですよ。「買い物、いって来て」っていうのも自分で行けるんですけど、お釣をあげたいから…気遣いがあるんですよね。踊り子のお姉さんからすると、僕なんかは弟みたいな感じで育てて頂いた感じですよね。十日、十日で地方巡業。一座みたいな感じで。1年とか2年とか。家族ですよね。

楽屋で、踊り子さんの出産、2回立ち会ってますけどね。そういう時って、すばらしいなと思いますねえ。昔は、お産婆さんが楽屋にきてくれて。お産婆さんの言う通り、みんなバタバタ動くんですよ。自分のお姉さんが子供を産むような感じですよね。

一週間か十日で、女性はもう舞台に出るんですよ。フィナーレとか僕が赤ちゃんを面倒みるとか。本当の家族ですね。人の命の大切さとか、すばらしさを見てきましたからね。勉強になりますよね。

■2008/4/21、by dancingdog
TBSラジオ、2008年2月25日
『コラムの花道』
町山智浩がアカデミー賞関係の映画について話した:

おもしろかったのはオリジナル脚本賞を取った「ジュノ」という映画なんですけどね。シナリオライターの女の人はねディアブロ・コディ。豹の毛皮みたいのを着て出てきたんですよ。この人はストリッパーをやっていた人なんですよ。ブログにストリップ日記を書いていたんですよ。それで見つけられて、才能あるからシナリオ書いてみないって言われて書いたのが「ジュノ」なんですよ。それでいきなりアカデミー賞取っているんですよ。

■2008/4/24、by dancingdog
TBSラジオ、2008年4月12日
『宮川賢のパカパカ行進曲』という番組で、毎週テーマを設定して、話を募集し、電話してきたリスナーが面白話をしている。この日、帽子をかぶるとSMAPの中井に似ているというリスナーがストリップ劇場にいったときの話をしていた:


モギリのオジサンが僕の顔を見て「あれっ、SMAPの中井君?」「違いますよ」「お忍び?どうぞ、どうぞ」ってVIP待遇で一番前の席に座らせてくれたんですよ。

外人のダンサーのショーの後でサービスタイムになって、お客さんがダンサーの胸を触れるっていうサービスがありまして、順々にいくんですよ。僕の番になって。やたら長く揉ませてくれるんですよ。「カモーン、ナカーイ」って言っているんですよ。

周りのお客さんも「中井」「中井」とかって言っていて。違うって言うんですけど。外人が特別に僕の顔を胸で挟んでくれたんですよ。その瞬間、隣りのオヤジが本気でキレテ、「中井だけズルイぞー!」って叫んで…。

すぐ帰りました、その後で。

■2008/5/6、by dancingdog
TBSラジオ、2008年4月17日深夜
『宮川賢のバツラジ』
花電車のヨーコが電話で出演。鉛筆を性器で割る音などを聞かせたりした。その後の会話から:

(宮川):どうしてもお伺いしたい質問なんですけれども、ヨーコさんとするとめちゃくちゃ男は気持がいいんですかね。

(ヨーコ):最中にはあんまりワザは使わないんですけども、一戦終ったあとに、男性が小さくなっていくと抜ける抜ける抜けるっていうシチュエーションがあるじゃないですか。その時に、抜けそうになるのを吸い込んで途中まで吐いて、吸って吐いて、吸って吐いて、吸って吐いて二回戦というのは出来ます。

(宮川):文字通り内助の功。

■2008/6/19、by dancingdog
TBSラジオ、2008年6月18日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』

:ゲストにフリーアナウンサーの徳光和夫が出演。昔、なんでもプロレス風に実況中継するという番組があり、ストリップ劇場に実況席を作って放送したことがあった。

(徳光和夫)「…いよいよローザゆきさん、さあ長襦袢から伊達締に…」 みたいな。そういうことやったんですよ。

(五月みどり)おかしい。今、やってほしい。

■2008/8/5、by dancingdog
東京新聞、2008年7月23日
『ローカルニュース世界編』(ニューヨーク・加藤美喜)
:ラスベガスで、80歳の現役ストリッパーが話題を呼んでいる。

AP通信によると、女性は芸名テンペスト・ストームさん。南部ジョージア州の出身で22歳の時、父親の性的虐待から逃げてロサンゼルスへ。ウエートレスなどを経てショーガールになった。胸の美しさが評判になり、スターの地位を築いた。エルビス・プレスリーやフランク・シナトラも、彼女の舞台にくぎ付けになったという。

客を魅了するこつは、「仕事から帰った父を優しく迎える娘のようにほほ笑むこと」。

「年を取ったらセックスアピールがなくなるなんて、ばかげているわ」と笑う。

ショーを見た女性客からは「年をとったらあなたのようになりたい」と激励がやまないという。


■2008/8/26、by dancingdog
日本テレビ、2008年8月24日
『波瀾万丈伝』
:津川雅彦の話。(18歳か19歳で、)日活から松竹に移籍するときに、6社協定で、すんなり行かず、アメリカに行って漫遊した。ニューオリンズでジャズ・ツアーというのに参加したら、ストリップだったという。



本当に綺麗な人達が、もう、はーっ、と思って見ていたら、今踊っていた人が横に座ったの。

漫遊をするときに気をつけろよ、と言われていたの。女性が隣りに座って、「シャンパンいい?」って言ったらボラれてバンバン取られるから気をつけろと言われてたの。

その子が「シャンパン飲んでいい?」ってきたから、「キター」って思ったけど、あまりに綺麗だからね、「ん」って言ったら、この人にもやってくれ、あの人にもやってくれ、あの人にチップやってくれ、この人にチップやってくれ。

アメリカではね、それで全部お金使い果たしちゃって、それ以上の経験は積めなかったの。


■2008/10/27、by dancingdog
TBSラジオ、2008年10月1日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』
:ゲストに「かしまし娘」。ストリップ劇場に出演して受けたことについて大沢悠里が言及して。


(ウタエ):姉妹が3人で楽器もって、みんな歌も気が合うし。私は民謡とか、テルエさんはジャズ系歌うし、ハナエさんは演歌とか、やはり受けたんでしょうね。あの当時。

(大沢):それからラジオからテレビに移るわけ?テレビ時代になってくるわけ。すごいんです、人気がね。


■2008/10/27、by dancingdog
TBSラジオ、2008年10月5日
『安住紳一郎の日曜天国』
:ゲストにラサール石井が出て、目の前でギャグが生まれた瞬間ベスト3という話をした。


コント赤信号で「アニキ、アニキって言って、リーダーが出てきて待たせたな」というギャグが生まれた。

それまでストリップ劇場で、いろいろなネタを作った。それをお全部入れて、なおかつ、自分たちが、かしこまらないで喋れるのは何かといったら、ナメ猫が流行っていたので、暴走族がぴったりくるのではないかということで、パッケージとして作っただけなんです。

中でやっていることは合言葉のギャグだったりするので、忍者でも何でもいいわけで。

リーダーが、恰好つけるために、赤いズボンに白いシャツ着て、矢沢の赤のバスタオルをマフラーのようにして。リーゼントでサングラスをしてたんです。サングラスを取るとラメがついているんです。何故ラメを付けたかというと、サングラスを取っても笑いが起きないんですね。

どうにか笑いが欲しい。チャンバラトリオさんが、やっていたので、スゲ笠を取るとグルグルの眼鏡かけているというのがあって、それをパクろうと。

オレたちも一緒に絡むでしょ。終るとラメだらけ。そのうち、ラメを付けておいたテープを作っておけば、すぐ剥がせると気づいたり。

なぜか福助の足袋も履いている。それもギャグでしたね。全部どこで揃えたんだっていうと、「丸井よ」。クレジットで買ったっていう意味ですけどね。丸井から、「やめてくれ」って言われて。イメージが悪いって。


■2008/11/19、by dancingdog
TBSラジオ、2008年10月19日
『爆笑問題の日曜サンデー』
:8人の証言で江戸川乱歩の人物像を浮かびあがらせていた。その中の一人は、江戸川乱歩がストリップ劇場に通ったことを話した。


乱歩さんはフランス座が非常にお気に入りでですね、裏口から入っていくと、みんな知らない人ばかりだったんだろうね、洋服着た変な奴がきたっていうんで、用心棒みたいなのもいるし。


したら、乱歩さんがね、「おーい、俺を知っているのいないか」って、俺を知っている役者さんはいないかって言ったら、したら女の子たちは知っているわけでね、「乱歩先生だ」「ワー」って大喜びですよ。乱歩さんニコニコしちゃってさ、「おーい寿司頼め、寿司頼め、いくらでも頼め」なんて言ってね。


そうやって楽屋にきて洋服着て座っているとね、とてもいい娘ばっかりなんですよ、話していても。


ストリップを見るのが好きで、見に行くんじゃなくて、ストリップをやっている少女だよね、その人たちがどういう気持であったのか。今とちょと違って生活のためとかね、いろんなことでそういうことやらなきゃならない。若い女性だのに裸になって、それを人に見せて、いいお金になるならいいけど、安いお金で雇われて。


そういうことに対する同情とかね。もちろん小説の材料ということもあったでしょうけども。ストリップの楽屋というのは人世そのものというかね。


■2008/11/25、by dancingdog
『日刊スポ−ツ、2008年11月18日』(ネット版)
:渋谷道頓堀劇場が2008年11月に摘発されたことについて、ストリップ業界に詳しい蛭川虹道氏が疑問を呈している。


今回の容疑になっているといわれるインスタントカメラの撮影は、ほかのどの劇場でも普通に実施しているサービス。それだけになぜ、渋谷道頓堀劇場だけが摘発を受けたのか、不思議に思います。


都内には6つほどストリップ劇場がありますが、今はどこも不況のあおりを受けて客入りがよくないのですが、道頓堀劇場はその中でも比較的人気を集めている劇場で、20代後半の熱狂的なファンなども足を運んでいます。


最近の各劇場は、入場料金だけに頼っていられないこともあり、インスタント撮影が最大の収入源になっているのが現状です。収入はストリップ嬢ではなく、劇場に入ります。そのため劇場も積極的に撮影を促します。20年以上前からあったサービスですが、ここ数年どこも熱心に行っています。1枚は500円ほど。人気嬢は1日で100枚以上撮影します。かつてステージに客を上げて過激なサービスを実施した時期もありましたが、数人の客しか楽しめないこともあって、公平に楽しめるサービスとして客からも人気が高いのです。



※2008年11月19日時点、ネットで検索したところ、「過激なショー」だという表現で警察情報をたれ流している多くの大メディアに比べると唯一まともな記事だ。コストを示さずに売り上げだけを示して、いかにも過激なショーで暴利を得ている劇場という印象を与えている大メディアもあった。


ほとんど報じていないメディアもあるが、TBSの報道番組(森本毅郎のラジオ番組、爆笑問題のTV番組とラジオ番組)のように繰り返し警察情報をたれ流す例もある。TBSラジオの娯楽番組ではストリップに関する面白話を頻繁に放送していることを考えるとTBSの報道の質の悪さが目立つ。


TBSの日曜日午前中の爆笑問題のテレビ番組では、道劇摘発のニュースで踊り子の本名や年齢や写真まで出していた。そのあとで、出演者であるタレント兼業の女性医師の出演した映画でのセックスシーンを流していた。劇場という閉鎖空間でのストリップと、日曜昼のTVでのセックスシーンと、どちらが公然とワイセツをたれ流しているか明白だろう。

■2008/12/1、by dancingdog
『週刊大衆、2008年11月24日』
:原芳市の舞姫伝説より。

やはり、1回だけの人生だから面白いのだ、といい直さなければならない。

結奈美子の1回切りの人生の選択は、踊り子になることが全てだったのだろう。中学生の頃から踊り子になりたかった。

それは、単純な理由からだった。漫画『俺の空』で出てきた踊り子がカッコイイと感じたからだった。

高校生になった奈美子は、踊り子になるために日舞を習い、モダンもクラシック・バレエも手ほどきを受けた。ひたすら踊り子になるために。

そして、踊り子になったのだ。

自分の意思で、なりたいものになれた数少ないヒトにちがいない。

「踊ることが全てです。ベッド・ショーを演じてファンの皆さんをエロい気分にさせることが、全てなんです…」

■2008/12/4、by dancingdog
『週刊朝日、2008年5月16日号』(asahi.comに転載されたもの)
:永江朗による「小沢昭一座談3 本邦ストリップ考−まじめに」の書評から。


オカミの手にかかると、呑気なストリップ興行もたちまち下劣でいやらしいものに変わってしまう。いわゆる「オープン」は、一連の踊りの流れのなかで表現される。ところが警察=検察は文脈を無視してそこだけ拡大するから異様な感じとなる。

■2008/12/10、by dancingdog
『S&Mスナイパーのインタビュー記事』(ネット版)
:咲きほころぶ踊り子たちの肖像 舞姫爛漫 第2回「きらら☆」(写真・文・インタビュー=インベカヲリ)より。

…それから最終日にそのお客さんから劇場にお手紙が届きました。内容は、死のうと思って死ねず、ふらりストリップに入って、た またま見たきらら☆のそのステージはお客さんが少ないのに一生懸命演じてるその姿を見て、死ぬのがばかばかしくなったらしいです。そんなことってあるんで すねー。けど一人でもそうやって救えたのかもって思ったらこっちまで救われます〜(笑)。ほんと旅は人生の道標なのです〜


■2008/12/31、by dancingdog
『週刊大衆、2009年1月5・12日』
:原芳市の舞姫伝説より。

帰る観客たちの満足そうな顔は、誰もが至福感に満ち溢れ、穏やかささえ持っているように見えた。

ここに犯罪の匂いはない。それなのに、公然猥褻罪という、何だか異臭漂う罰が存在することが嘘のように感じられてしまうのは、ぼくだけではないだろう。

被害者なんていないんだ。皆、しあわせな顔しているじゃん。

誰も戦っていない。今、踊り子たちだけが、戦っているとしかいいようがない。昔、歌舞伎も戦っていた。出版人も戦っていた。

踊り子たちの献身をストリップ劇場に見に行こう。ストリップ・ショーは、人生讃歌なんだと思う。輝きに満ちた、神聖な王道だと思う。そこに生きる喜びがある。そこにこそ生きる実感がある。

※同感です。


■2009/1/13、by dancingdog
『S&Mスナイパーのインタビュー記事』(ネット版):咲きほころぶ踊り子たちの肖像 舞姫爛漫 (写真・文・インタビュー=インベカヲリ)より、公然わいせつ罪での逮捕歴がある踊り子へのインタビュー記事から抜粋。


踊り子A「負けるもんかって思いましたね。もうこの世界長いんで、簡単に辞めようなんて思いませんよ。私は厳しい環境に立たされると反骨精神が湧いてくるんですよね」

踊り子B「事情聴取をされるんですけど、ストリップを観たこともない人が調書を取ったんですよ。全部一から説明しなくてはいけなくて、警察は『法的に決められていることだから、これは悪いことなんだよ』とか言っていて」「調書を取られてみて、ストリップを見たことのない人たちにもっと足を運んで欲しいと思ったんです。アンダーグラウンドな感じじゃなく、場末感がなく。敷居は高く、志も高くっていう」

※カメラマンの原芳市が書いたように、踊り子は戦っている。それにしても、法に関る仕事をしているのに、警察官は法律も知らないのか。ストリップが違法だと書いてある条文などありはしないのに。


■2009/1/21、by dancingdog
TBSラジオ、2009年1月10日
『宮川賢のパカパカ行進曲』という番組で、毎週テーマ設定して、話を募集し、電話してきたリスナーが面白話をしている。この日のテーマ「ついていって大失敗」に応募した女性の話:

熱海で宴会が終った後、男性陣が連れだって出ていくので、小料理屋に行くんだと思い、こっそりと付いていった。しばらく歩いていくと男性陣たちはストリップ小屋に入っていった。ところが、その事実がどうしても信じられず、3700円を払い、小料理屋であることを願いつつ小屋を覗いてみた。70代のおばあちゃんが踊っていた。

次ぎの日、何であんなとこに行ったの?と男性陣に聞いたら、「怖いものみたさだよ」って言われた。


■2009/1/26、by dancingdog
TBSラジオ、2009年1月23日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』
:ゲストに三波伸介の息子の三波伸一が出演。

三波伸介の妻は、ロック座・フランス座の踊り子だった。渥美清とデビューが同じ時期だった。二人が親しく話しているのを見て、三波伸介が嫉妬したことがあると、息子が話していた。

■2009/2/9、by dancingdog
TBSラジオ、2009年1月27日
『コラムの花道』
:町山智浩がイスラエルの映画「バシールとワルツを」を紹介した中での発言から。
歌舞伎町に昔ストリップバーがありまして、ミラノ座の下にあったんですけど。友達がナンパした女がイスラエルの女兵士だったんですよ。そのナンパした女の子の話なんですけど、お父さんモサドだったんですよ。イスラエルの情報機関でミュンヘンの暗殺部隊のモサドですけど。お母さんは反戦運動家だったんですって。モサドって、FBIとCIAの仕事両方やるグループなんですね。何度も反戦運動家の女の子を捕まえて取り調べしているうちにデキちゃったらしいんですね。結婚して生まれたのが彼女で、歌舞伎町でストリッパーやってましたけど…。

■2009/2/28、by dancingdog
テレビ朝日、2009年2月10日
『草野キッド』

漫才コンビの浅草キッドが浅草フランス座にいた当時の話。玉袋筋太郎が夜、屋上で煙草を吸っていたら、隣りのビルの窓に水道橋博士の部屋が映っていた。見ると博士がマスターベーションしていた、と話していた。

■2009/3/13、by dancingdog
『S&Mスナイパーのインタビュー記事』(ネット版)

:咲きほころぶ踊り子たちの肖像 舞姫爛漫 (写真・文・インタビュー=インベカヲリ)より、天羽夏月の話。


世間的にはストリップなんてって言われるかもしれないけど、私は誇りをもってやっている。

踊れるならダンサーでいけばいいとか言う人もいると思うけど、そうじゃないと思うんですよ。だってダンスにはジャンルがあって、遊びを入れるといっても限られちゃうじゃないですか。でもストリップって無限でしょ。いろんなことをやっていい、自分のカラーが出せればいい。



■2009/5/25、by dancingdog
TBSラジオ、2009年5月22日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』

:リスナーが投稿するH話を大沢悠里が面白可笑しく読む「お色気大賞」の過去放送分から選んで再放送していた。

エレキブームと言われた頃。団塊の世代ど真中の私は、高校生のときに同級生たち5人編成のバンドを組んでいてドラムスとヴォーカルをやっていました。当時、クラブ、ディスコ、ライブハウスなどなくて、そのかわりダンスホールがありました。

立川駅のそばにあったダンスホールの専属バンドのオーディションを受けまして、その店ではじめてのエレキバンドとして契約をかわしまして、高校生で週3回の営業をはじめました。

その店ではね、タンゴやワルツなどの社交ダンスから、流行の横浜ジルバなど、オトナのコンボバンドが演奏しておりまして、ショータイムには同じ経営者が経営する1階のキャバレーからストリップダンサーが上がってくることになっていました。バンドに合わせてストリップをやり出すわけです。

契約時には、そんなこと聞かされておらず、ストリップのバック演奏のとき、ダンスに適した曲の持ち合わせもなく、唖然としておりました。

ダンサーのおねえさんが、「何でもいいからさ、ドラムでもリズムきざんで、はやくやってよ」と恐い顔で言うので、「すぐやって」ではなく「速いテンポのドラム」をやればいいと勘違いしまして、ベンチャーズの「ワイプアウト」をオリジナルより速くたたき始めました。

♪ダダダダダンダ、ダダダダダンダ…♪

それを聞いたストリップのおネエさん、ビックリしたような顔していましたが、踊らないわけにはいかず、速いリズムに合わせて、ケツは振るは、オッパイ揺らすは、脚あげてオマタ拡げるは、「ハッ、ハッ、ハッ」。わたしは面白くなってしまって、ドラムソロのパート2回のところを3回やってしまいました。

速いリズムで踊りおわったおネエさんは、ナマリながら「ハア、ハア、なに踊らせるだよ、あんたあ」と言っていました。よく見たらおネエさん50歳は過ぎていました。


■2009/6/8、by dancingdog
TBSラジオ、2009年6月4日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』

:芸能界裏情報というコーナーで。

(大沢):元グラビアアイドル小向美奈子がストリップ出演することについて以前の所属事務所が出演禁止を求める仮処分申請をしました。事務所を解雇されるときに当面、芸能活動を自粛する、AVやヌード関連に出演しないという同意書を交わしていました。しかし小向さんは明日、強行出演するとも伝えられております。

(ウツギカズオ):小向美奈子さん。今年でしたね。覚醒剤の使用がありまして逮捕されまして。初公判で即日判決がありまして懲役1年6カ月、執行猶予3年。大泣きして記者会見。親元に帰っていました。最近、浅草ロック座にゲスト出演が明らかになりました。・・・裁判所から仮処分決定がでまして出演してはいけませんと。だからと言って、逮捕されるわけではないので。出たからどうだというわけで…。元事務所が、損害をこうむったからと言って、お金を払ってくれと申し立てができるというわけ。

なんで、昨年9月に契約解除して、なおかつ、今年になってこういう一項をかましてくるのか理由が分からない。ただ、小向さんのお父さまが、そうとう心配していることは間違いない。覚醒剤の判決がでたあとウチに戻ってきた。医者にみせて、親元に置いておきたかった、お父さん。

それが、今まで住んでいたマンションを引き払いますと、出ていったまま行方不明になっちゃったんですね。お父さんとしては、非常に心配していた。その矢先にストリップ。おそらくは前の事務所にお願いしたということなのかもしれない。どこが本当のことか、よく分からない。

(大沢):この「ゆうゆうワイド」やっていた女性ディレクターの友だちが踊っているんです、たまにね。私も付添いで、よく見にいきます。今回出ません。女の子も見にいくんですね。

(陣内キミコ):キレイらしいですよね。


■2009/6/15、by dancingdog
TBSラジオ、2009年6月8日
『荒川強啓デイ・キャッチ!』

:小向美奈子のロック座デビューのニュースについてゲストの大川興業総裁の発言。

(アナウンサー):…記事によりますと、ニュース番組での露出したことは広告費に直すと2億円ほどの価値があったそうです。

(大川総裁):クチコミで拡がったほうがいいです。小向美奈子が本気でストリップをやっているかどうか、毎日通っている人が見れば一発で分かるんです。広告で2億円の価値じゃなくて実収入で2億円にしたほうがいいです。テレビで騒がれて行くんじゃなくて、じわじわと行く人は長年に渡って応援しますから、こちらのほうが効果ありますよ。


■2009/8/24、by dancingdog
TBSラジオ、2009年8月19日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』

:ゲストに演出家の蜷川幸雄が出て、「昔、日劇ミュージックホールの演出をしたことがある」と話していた。



(蜷川):宝塚って風呂場から発展したって。それを真似てですね、後ろはお風呂屋の富士山の絵を書いて、第九(?)に合わせてみんなオッパイ出したり、パッと脚開いたり、いろいろやったんです。

(大沢):うれしかったでしょ。

(蜷川):うれしかった。面白かった。

(大沢):いくつぐらいのとき?

(蜷川):40ぐらいですかね。

(五月みどり):全部そういうのがプラスになっているところありますよね。

(大沢):あの頃だれでした? R・テンプル?

(蜷川):忘れちゃったなあ。誰だったのかなあ。


■2009/10/5、by dancingdog
TBSラジオ、2009年9月28日
『小島慶子キラキラ』

:ビビる大木が一人旅で下呂温泉にいったとき、ストリップ劇場をみつけて入った話。

(大木):中に客は3人組の男子が一組、ボクいれて4人です。平日にいったのでガラガラだったんですよ。60分だかショーがあるっていうんで、全部みたらオレもいやだなって思って帰ろうと思っていたら、先に3人組が帰ったんですよ。いよいよ踊り子さんと1対1ですから。踊り子さんも2人なんですよ。交互に10分くらいずつ踊るみたいな。

(小島):プライベートダンサーズですよ。

(大木):一番後ろに座っていたんですよ。すぐ帰りやすいように。そしたら踊り子さんがボクしかいないってことに気づいて踊りながら「お兄ちゃん一人だから前に来なよ」って言って。

(小島):あー帰れない。

(大木):仕方なく最前列でショーを見ようと。まあ話しかけてくるんですよ。踊りながら。どこから来たのとか、一人なのとか。

(小島):それペローとかしながらですか?

(大木):そうですよ。ああどうも、一人ですハイ、偶然通りかかってハイ。<どこに泊まっているの>どこどこ旅館の。<ああ、あそこいいわよね>いいです。

(小島):わー世間話。

(大木):なんなんだよコレって。帰れない、帰れないって思って。俺が勇気をだして帰った場合、この人達はどうするんだろうって思ったんですよ。

(小島):帰ったからおしまいねってことなの?

(大木):曲の途中じゃないですか。最後まで踊るのかなって思って。代わりばんこ出てくるんで、仕方なくどうしようかなって悩んで見ていたんですよ。後ろから急にオジサンがきて、「お客さん、もうショー終りましたよ。お客さんも好きだね」って。終っても最前列にへばりついて女体を見てやろうというような客に見えたらしくて、違いますって言訳する時間ももらえなくて。最後こうなるのかって思って。

(大木):宿に帰って、けっこう遅かったんですよ。ロビーの人も、<この時間に戻ってくるなんて、大木、一人でストリップ行ってきたんじゃないの>(って思っている気がして)

(小島):それ考えすぎですよ。


※ビビる大木はストリップについてまるで素人のような話をしているが、TVでは浅草フランス座で3日だけ修業したことがあると話していた。私は浅草フランス座には、あまり行かなかったが、たまたま行った日に司会をしていた男がメガネで蝶ネクタイをしていたような記憶があり、もしかするとビビる大木だったのかもしれない。


■2009/11/2、by dancingdog
TBSラジオ、2009年10月30日
『小島慶子キラキラ』

:「あーん怒られちゃった」というテーマで送られてきたリスナーの体験記をパーソナリティの小島慶子が読んだ。パートナーは水道橋博士。投稿者が伊豆の温泉場ストリップに行ったときの話。


(小島):裸で日舞を踊る「あき竹城」さん、そっくりのオバサンに「金返せ」とか「若いの出せ」とヤジを飛ばしていたら、僕らの前にきて仁王立ちで「おいコラ、今に若い女なんかよりすげえワザ観せてやっから待ってろ」と怒鳴られました。

その後、繰り広げられた缶ビールのプルトップを開けてくれたり、吹き矢で風船を割ったりのすげえワザの数々に脱帽、素直に頭を下げて帰りました。

(博士):これは僕が知っている人だと思いますよ。僕が知っている方、自転車ひっぱっていましたからね。フランス座って、僕が修業していた所では。ヒモをアソコに入れて、そのまま自転車を…。僕に「努力すれば自転車も引けるのよ」と諭してくれたんですけど、構造も違うだろうし、これは何の偉業なんだろう、と思って聞いていましたけどね。

スイトンなんか作ってくれるんですよ、今どき。

(小島):ちぎるんですね。

(博士):イヤ、これは普通に、親切に。

(小島):あー、びっくりした。体でスイトン作るんだと思った。棒状にしたものをスイトン状にするのかと思った。ハハハ。

(博士):チクワ切ったりはしていました。あとジュウシマツが出てきたりね。楽屋にジュウシマツ飼っているから、なんでこんなものあるのかなと思っていたら、ある日、その人の股間からジュウシマツが飛び立ち…。

(小島):ジュウシマツもびっくりしたでしょうね。暗いな、狭いなってね。


■2009/11/18、by dancingdog
TBSラジオ、2009年11月12日
『荒川強啓デイ・キャッチ!』

:「メキキの聞き耳」というコーナーで、歌舞伎町案内人・李小牧の話を聞いていた。



(荒川):李さんは日本語べらべら。何年ぐらい、いらしゃるんですか。

(李):21年ですね。1988年、来日…。ずっと歌舞伎町。ついた日から。ラブホテルで。一週間後、同じラブホテルでバイト始まったんですよ。

(荒川):一目惚れですか。何が李さんを惹き寄せたんですかね。

(李):民主主義の日本のスケベの街にきたら男として興奮するし、私、社会主義の人間だからね。全然違う世界で、看板だらけで、いろんなあるじゃないですか。

(荒川):看板だらけで、ネオンがキラキラして妖しげな…。ご出身地にはそういうとこは何もない。

(李):何もない。うちは中国のコウナンショウ(湖南省?)です。湖の南。毛沢東の生まれたところ。

(荒川):今は中国も発展して、日本にどっと観光客が押し寄せます。中国の方々はどのような眼で歌舞伎町を見ていますか。

(李):男たちは昼間、観光してもビジネスやっても夜は歌舞伎町に行くんですね。向うにも有名ですから。男性だけでなく女性も一緒に行きますから。看板見たり、写真とったり。女性たち帰ったら、また外に出てラーメン食べにいくと言いながら風俗の街に行ったりとかね。

(荒川):食べる楽しみも…。

(李):いろんな種類のラーメン。日本のほうが発展してるんで、興味あるし。回転寿司とかね、トンカツとかね、ソバ…中国にないもの体験したいわけで。歌舞伎町だとエビ通り、エビ焼いているの。結構、観光客いくんですよ。

(荒川):お酒がちょっと入りますでしょ。

(李):もちろんね、おネエちゃんいるところね。しゃべらなくても雰囲気みたりとか。

(荒川):家族を帰して、男どもは夜が深まったところで。

(李):やっぱストリップ劇場ですね。一番、人気あるんですよー。

(荒川):そりゃ中国にはなさそうだものね。

(李):ないないないない。彼たちはヨーロッパ行っても、似てるポールダンスあるじゃないですか。そういうのと違って、ストリップはちゃんとストーリーがあって、音楽、照明、ちゃんとやっていることに、皆、感激するんです。

(荒川):ただ脱いでりゃいいてわけじゃない。ストーリーがあって、ショーアップしているところが素晴しい。なるほど。でも、そんななか、石原都知事が浄化作戦をやりましたでしょ。これは、どうなんですか。

(李):2004年からね。街はキレイになったし、監視カメラもつけたんです。事件の発生率も少なくなったし、ヤーさんたちね…。ただ、空いてるハコ、空き室が多いんです。風俗の店が半分以上減っています。

(荒川):寂しいことですか。

(李):オトナの街にはならないくらい変わっちゃたですね。人間的欲望じゃないですか。食欲、物欲、性欲ね。もうちょっとオトナの街を続けて欲しいですね。活気ないですね。もっと知りたかったら私の「歌舞伎町より愛をこめて」という本が出るので…。



■2009/12/27、by dancingdog
TBSラジオ、2009年12月21日
『小島慶子キラキラ』

:昔のストリップ観劇に関するリスナーの投稿を小島慶子が読んだあとで、パートナーの「ビビる大木」が浅草フランス座にいたときの経験談を話した。

(大木):外国人ダンサーの方の香水(の匂い)がすごいんですよ。僕はスペイン人の踊り子さんにホッペにキスされましたんで。本当に好きになりかけました。嫁が浅草で踊ってる…大丈夫かなって思いながら。そこまで考えました俺。本当にキレイでした。陽気で。僕がハタチくらいで、向うが22とか。終ったあと、たまたま廊下にいてホッペにチューしてくれて。世が世なら僕、結婚してますよ、あの人と。

(小島):世が世って何時代?



■2010/2/1、by dancingdog
東京新聞夕刊、2010年1月27日
小沢昭一『この道』(46回)

敗戦による挫折、価値観の転換は、驚天動地そのものだった。特に僕みたいに忠君愛国に燃えていた少年にとってショックはひどかった。でも「こっちの方が楽だな」と思ったお話はしました。もう1つ、戦後の僕に解放感を与え、自由を噛みしめさせたのはストリップではなかったかと思うんです。


■2010/2/8、by dancingdog
東京新聞夕刊、2010年1月28日
小沢昭一『この道』(47回)

ストリップはその後、何年もベンキョウしまして、一条さゆり、桐かおる、お二人の舞台には猥褻も何もフットバス感動を覚え、一条さんからは涙、桐さんからは元気をいただいて、芸能なるものの根源を教えられる思いが募りました。


■2010/2/10、by dancingdog
TBSラジオ、2010年1月30日
『土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界』

「思い出の1枚の写真」というテーマで募集した投稿を紹介していた。永六輔は、昔、芸能史(?)とかなんとかいうテーマで番組かなにかを作ったときに集まった有名芸能人を永六輔自身が写した写真を持って来て、ゲストの豊竹咲大夫に見せた。その中の一人を、こう説明した:

「これは伊吹マリ。日本を代表するストリッパー」


■2010/2/22、by dancingdog
TBSラジオ、2010年2月10日
『大沢悠里のゆうゆうワイド』

:ゲストの朝丘雪路についてリスナーが投稿した文章を大沢悠里が読んでいた。


(大沢):三郷市の方、63歳。
朝丘雪路さんの「雨が止んだら」は私が衝撃を受けた曲でした。また大橋巨泉さんとやっておられた11PMはファンでしたね。お色気番組は若い男性には大好評でした。昔は、テレビで深夜にストリップとか若い女性の行水とかいった番組があってPTAから大ブーイングでした。

(大沢):でも、あっけらかんとしてね。

(五月みどり):テレビで面白いのやると若い人が外にでないから…。

(大沢):いいじゃないですか。


<省略>


(大沢):横浜市の方。
朝丘雪路さんと言えば11PMですね。小学生のころ親父がテレビを見ていて、隣の部屋で寝ていた私は机に乗って背伸びをして欄間の間から覗いていました。

(大沢):子ども、見ちゃいけないってね。教育上よくないから。

(五月みどり):でも、そんなことなかったんですけどね。

(大沢):昔は「ピンクムードショー」なんかあったね。フジTVで。ヌードそのもの。日劇ミュージックホールそのままやっていた番組あったね。


■2010/2/27、by dancingdog
TBSラジオ、2010年2月26日
『小島慶子キラキラ』

:バンクーバー・オリンピックを取材している町山智浩の話。

(町山):あのね、ストリップクラブに行ったんですよ。ヒゲの生えた男がいるんですよ。3人。どう見てもほっぺたとかに毛穴がないんですよ。よく見るとヒゲ描いているんですよ、マジックで。いくつだよって聞いたら、19歳って。アメリカなんかだとライセンス見せないと酒飲ませる店に入れないんですよ。カナダゆるゆる。鼻の下にマジックでヒゲ描いて、ストリップクラブに入って、酒飲んでいるんですよ。

(みうらじゅん):そんな町なんだ。


■2010/4/19、by dancingdog
TBSラジオ、2010年4月17日
『土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界』

:永六輔が、井上ひさしについて話した。


(永六輔):(能力を発見してくれる人がいなくなり寂しいという話に続けて)それも、それまでのつき合いがあるから、ストリップ劇場で。フランス座でね。

僕、学生時代に胸のバッジ外して、帽子も隠してフランス座に行くでしょ、回りに裸の女の人がいっぱいいるでしょ。その中でオロオロしているでしょ、僕は。井上ひさしさんは堂々として、裸のお姉さんを指揮しているから。出番の確認とか。それ見て、うらやましいなと思って。

(外山アナウンサー):永さんは、オロオロしちゃうから?

(永六輔):一人で赤くなって。

(外山アナウンサー):でも、永さんも井上ひさしさんに、ほら、脚本遅れるんだから、早く帰って書けっておっしゃってましたよね。

(永六輔):ああいうこと当人に言わないんだよ、みんな。

(外山アナウンサー):そうそう、井上さんも永さんくらいだってね。舞台の上でも、おっしゃってましたもね。井上さんがお話しになっていて、お時間過ぎて、永さんが歩いていって、話すのいいから、帰って脚本書けよってね。おっしゃっていたの思いだします。


<中略>


(大橋巨泉):正面きってやらないの、井上さんは。いつも笑わせて、だからあの人なかなか書かなかったんじゃない? 正面きってやっちゃえば簡単だけど、もっと平易に、もっと面白くって推敲しているうちに締切すぎちゃったんじゃないかね?

(永六輔):フランス座にいたことって強いと思うんですね。「やめろ、ひっこめ」っていう中でやっていたんだからね。われわれ甘い世界にいる。


■2010/5/13、by dancingdog
TBSラジオ、2010年5月1日
『土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界』

:ゲストの豊竹咲大夫が井上ひさしについて話した。

(豊竹咲大夫):井上さんとか花登筺さん。大阪には花登筺さんっていってね、テレビだったらね、外山さんご存じないかな、「細腕繁盛記」なんていう大ヒット作があったんだけど。いろんなお芝居をお書きになって、「笑いの王国」という一座をこしらえられて、たとえば大村昆さんとか佐々十郎さん茶川一郎さんとか…。大阪のストリップ劇場の間のコントを書いていらっしゃって…。井上ひさしさんも浅草でいろんなこと書いていらっしゃって…。

(永六輔):フランス座でね。

(永六輔):花登筺さんってバーナード・ショーの当て字にしてあんの。

(豊竹咲大夫):花登筺さんは軽演劇の台本を書いていらして後年は「笑いの王国」とかおやりになって、それから藤山寛美さんの松竹新喜劇の本もよく書かれていて…。

(豊竹咲大夫):永さん、僕がうかがいたいんですけど、その時分の井上さんがやっていらしゃったロックあたりの芝居は面白かったですか。

(永六輔):面白いっていうか、やけになってやっていましたね。渥美清、関敬六、谷幹一。井上君が本書いて。「引っ込めー」っていう客に対して喧嘩しながらコントやっている、そういうコントです。

(外山アナウンサー):フランス座のお話ですよね。

(豊竹咲大夫):八波むと志さん達と由利徹さん達が…、名古屋のストリップ劇場があってね、そのコントを見たのが八波むと志さんの最初ですね。

(永六輔):花登筺のことに戻るけれど、「西の花登、東の永」って言われたの。あの頃は。あの人ね、新幹線の中で原稿書くのね。大阪〜東京間で一本書いちゃうの。必ずね座席を二つとるの。空いてるほうに原稿用紙置いて。

(豊竹咲大夫):この方は、本は早かったですね。

(永六輔):遅いけど面白いというのもあるから…。井上ひさしが咲大夫さんのために本を書くっていったでしょ。井原西鶴の。彼はどうするかというと神田に行きます。古本協会の事務所にいって井原西鶴関連の本は全部まとめてくる。トラックに載せて帰ってくるの。それを読むんです。それを知っているから皆な黙っているの。

(豊竹咲大夫):義太夫にはね、文楽にはね井原西鶴の作品がないんですよ。近松門左衛門一辺倒なんです。西鶴のものは皆無にひとしいんですよ。お願いしたいと思っていたんですけど画に描いた餅になってしまいました。


■2010/5/13、by dancingdog
TBSラジオ、2010年5月3日
『誰かと何処で』永六輔+遠藤泰子

:井上ひさしの話。

(永六輔):僕も亡くなった週、何もできなかった。

(遠藤アナ):長いですねえ。

(永六輔):ひさしさんを紹介してくれたのは渥美清さん。浅草のストリップ劇場、フランス座で。渥美ちゃんを訪ねたときに、「こちらフランス座文芸部の井上君」。僕は「トリロー文芸部の永六輔です」。そこで挨拶したのが始まりで、ずーっとお付き合いがあって…。

※「トリロー」=「三木鶏郎」


■2010/5/13、by dancingdog
TBSラジオ、2010年5月12日
『小島慶子キラキラ』

:「捨てなきゃよかった。捨てればよかった」というテーマでリスナーが投稿した話を小島慶子が読んだ。出張先でストリップに誘われてポラロイドを撮影した話。

…全裸でセクシーポーズですよ。その写真はカバンの奥に隠していたんですが、何年か経って忘れかけた頃に女房に見つかってしまいました。いやー怒られました。お金持っていると良くないこと考えるってことで、小遣いカットです。


■2010/6/1、by dancingdog
TBSラジオ、2010年5月30日
『爆笑問題の日曜サンデー』

:「27人の証言」というコーナーで、宝田明が岡田眞澄について話した。


岡田も僕も十代の最後だったんですが、お互い金がないし。あの当時ラーメンが25円だったですよ。2人で一杯とってね、額ぶつけあいながら突っつき合ったことでした。いずれの日か東宝の看板背負ってたつ役者になろうじゃないかってなことで夢が膨らむ話ばかりでした。

東宝で連日レッスンしていたんですが、彼の家が火事になりましてね。食うに困って東宝をやめざるを得ない。彼は一年満足に東宝の演劇研究所で授業受けることができなかったんですね。

彼が日劇ミュージックホールの9階でストリッパー達の間でコントやっているの僕も何度か観に行きましたけどね。やがて水の江瀧子さんに、日活で仕事しないかと言われて、日活に出るようになって、だんだん歳を加えるにしたがって二枚目なんですよね。

■VOL3へ

Menu

このウィキへのゲストの投稿はゲスト用ページへのコメントとして受けつけます。

問題のないコメント投稿を続けた人に各ページの直接編集を許可します。

Menu

ちょっとしたストレスならストリップ劇場で癒されるかもしれませんよ。

ストリップ劇場に行きましょう。

ストリップで癒されないほど重いウツは精神科へ。

管理人/副管理人のみ編集できます