多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

世界

Paradem-Luk-Skulskusul

パンゲオン世界とは異なる別世界の一つ。
スクルスクスルの楽園とも呼ばれる。
パラデムルクスクルスクスルは「地球人的な外見をした存在」が一切存在しない世界である。
パンゲオンにおいてが伝説上の生物であるように、このパラデムルクスクルスクスルではノローアーが伝説上の生物である。
「地球人的な外見をした存在」がこの世界に侵入すると世界の修正によって瞬時に人外度の高い外見に置き換わる。
ありとあらゆる概念人外度?の高さを基準に構成されているため、この世界では人外度の高さがありとあらゆる能力の高さに直結する。
パラデムルクスクルスクスルでは高人外度の外見を手に入れるために人体に生物学的改造を施す整形手術の権利を巡ってありとあらゆる争いが繰り広げられてきた。

パラデムルクスクルスクスルにおいてノローアーっぽい見た目をした者が戦闘面で目立つ事は世界の意思によって極端に制限されているため、人外度20パーセント未満の者(具体的にはノローアーに獣耳を生やしただけの者など)はどんなに努力したとしても何があったとしても決して強くなれないようになっている。
ノローアーがパラデムルクスクルスクスルに侵入した場合、それがどんな強者だったとしても戦闘力がアルセスと同レベルに固定されてそれからはどんなに努力しても強くなれなくなる。だからといって努力を怠れば当たり前のように体が鈍って弱くなる。
しかし逆にそれゆえにこそ、パラデムルクスクルスクスルには、弱い男、そして弱い美少年や美少女のモテブームがやって来ていた。
なにしろ、誰もが異なるケモノの要素を持つパラデムルクスクルスクスルでは、統一された美の基準というものがない。
それゆえに、誰しもに共通する要素である「弱さ」というのは、評価基準となる「愛らしさ」の一種として受け入れられた。
また、ノローアーが珍しい存在となったパラデムルクスクルスクスルでは、そのような外見は逆に独特な魅力として受け入れられることも多かったのだ。
おまけに、パラデムルクスクルスクスル人は強化改造によって得たケモノ要素を過剰に誇り、その魅力を他者に押し付けがちだった。
あるリザードマン?はその鱗の美しさを愛するあまり全身にニットのおおいをつけ、またある熊人?の女性は毎日自分の毛に丹念にクシを入れ、そこに少しでもゴミを見つけると大声で騒ぎ立てた。
そうした者たちは、他者の行いが少しでも自分の美を傷つけると思えば、即座に過剰なまでの「反撃」を行った。
男性たちは更に酷かった。
彼らは、自分たちの肉体的なパワーが、そのまま性的な魅力であると誤解していたからだ。
ある者は、力の強さを道行く女性にみせつけるために路上のベンチやテーブルなどを残らず叩き割り、またある者は、家や塀を壊し「全ての家を残らず壊せるのだから、自分は誰よりもすごくエライ!」と言い張った。
もちろん、そうした者たちはすぐに警察に捕まったし、ひどく嫌われてもいた。
だが、彼らはどうして自分たちがそこまで嫌われるのかを理解できず、それを弱い者たちによる嫉妬のせいだとこじつけ、逆に他者を憎んだのだ。
だが、もしかするとそれは彼らに「他者に愛される」という経験が無かったせいなのかもしれない。
強さや能力の高さは、それだけでは別に愛される要素になるとは限らない。
そういった特徴は、それによって他者にメリットを与えたり、助けたり支えたりして、初めて評価され承認されるのだ。
自分で自分の長所を決めつけて他者に押し付けるような行動は、どこまでも愛されることからはかけ離れていた。
愛される経験がなければ、そうしたことすらも分からない。
他者を知り、受け入れられた経験を持たない彼らには、どこまでも他者を配慮するような素養が欠けていた。
それは悲劇であり、また喜劇であった。
パラデムルクスクルスクスルの人びとの多くは、突如として強力な力と個性を手に入れたが、彼らはそれを独善的に尊ぶばかりであり、他者に受けれられる振る舞いを学ぼうとはしなかったのだ。
彼らには、あまりに忍耐というものが欠けていた。
それはあるいは、彼らが元々愛されない無個性な弱者であり、力や個性というものに過剰な思い入れやあこがれを抱いていたからなのかもしれない。
飢えたものや乾いたものが食物や水を前にして待つことが出来ないように、彼らは、愛に飢え乾いていた。
だが、あこがれは理解や真の愛からは、最も遠いものである。
強いだけで承認され愛されるのは、WEB小説などのフィクションとマフィアなどのアウトロー集団の中だけである。
しかも、実際にはそうした集団にあっても、強さだけでは愛されない。
真に愛されている「強者」というのは、その強さをもって他者に利益を与えるもの、あるいはそうであると錯覚させるような演出力に長けたものなのだ。
いくら強くても、そうした援助や演出を行えないものは、ただの鉄砲玉として使い捨てられるだけなのだ。
ともかく、そうした次第でパラデムルクスクルスクスルでは、強い者、特にそれを見せびらかそうとする者は、あまり愛されなかった。
その点、ノローアーは違う。
彼らは、すごく弱い。
これは、彼らには平均的なパラデムルクスクルスクスル人は絶対に傷つけられることがないということを意味していた。
しかも彼らは放っておくと、どんどん弱くなる。
バラの花のように、手入れが必要だといっても良いだろう。
つまり、異世界に迷い込んだ彼ら彼女らは、パラデムルクスクルスクスル人の助けを必要としていた。
彼らは手助けに感謝し、先住民であるパラデムルクスクルスクスル人の言うことを良く聞き、失敗を反省して新天地に溶け込もうとした。
言い換えれば、彼らはパラデムルクスクルスクスルの人びとを認め、愛し、必要としたのだ。
「自分を好きになってくれること」これは、強力な愛される条件のひとつである。
もっとも、(たとえばパラデムルクスクルスクスル人の典型的な男性のように)彼らがそれを押し付ければ話は違っただろう。
だが、彼らは実に謙虚だった。
そのため、パラデムルクスクルスクスルでは弱いもの、力をむやみに振りかざさない者が愛されるようになり、フィクションでもそうした男女が魅力的に描かれるようになったのだ。
これは、パラデムルクスクルスクスル人による独自文化の誕生であったと言える。
そしてその独自文化は、彼ら以外のノローアーとの接触によって出現したものなのだ。
そんな文明も、高度人外種の一撃で宇宙ごと破壊される。パラデムルクスクルスクスルは、非常に刹那的な世界なのである。

パラデムルクスクルスクスルの起源

パラデムルクスクルスクスルは、石油や天然ガスなどの資源の枯渇から始まった。
運輸、防寒防暑、農作物や家畜の養育、そして医療用品などの生活に不可欠な素材の欠乏……。
それは、まぎれもなく人類の黄昏の時代だった。
そうした時代に生きた人びとの一部は、こう考えた。
この危機は、人類が生きる道を誤ったことに原因がある、と。
それゆえに、彼らは既存の「人間」概念を捨てた。
「人間」のカタチを変えることによって、その巻き起こす問題や欠点から逃れようと、そう目論んだのだ。
もっとも、その手段としてとられたのが「遺伝子改造」という最新科学の結晶であったのは、なんとも皮肉なことであったが……。
そして彼らは、自分たちの身体を改造した。
さまざまな動物の因子をその体に取り込み、既存の「人間」の姿を捨て去ったのだ。
イルカとなり海に潜るもの、コウモリやフクロウの耳を得て夜を生きるもの、単純に大きな体や身軽な手足を得たもの……その変容は多様であった。
実のところ、それには思想だけではなく実用的な面も十分にあった。
エネルギー資源が枯渇した時代では、毛皮や身体強化による行動範囲の拡大は「新たな資産」として彼らの生存を存分に助けてくれたからだ。
肉体の変異により、旧文明の特徴であった機械技術への依存を無くす、それもまた遺伝子改造の大きな目的のひとつであったのだ。
もっとも、そうした改造を受けた多くの人びと、少なくともその第一陣は、もはやそうした機械技術の恩恵を受けることが出来ない貧困層や被差別民族ではあったのだが……。

パラデムルクスクルスクスル人

少女世界きゆらに住むきゆら人?は、結局少女神きゆらただ一人であるように、パラデムルクスクルスクスルも一つの終局を迎えてしまえば、そこで暮らしているパラデムルクスクルスクスル人はただ一人の孤独な存在になってしまう。
ただし、こちらは他の世界にお菓子化の影響をもたらすことはない
パラデムルクスクルスクスル人の影が落ちる異世界は、ウロコが生えたり獣毛でもっふもふになるのだ。
それゆえ、極まったパラデムルクスクルスクスルはあらゆる違法な無毛魔術師、もとい無毛な違法魔術師?の垂涎の的となるのだ。
もっとも、それはただ一人の存在しか許さない極まった世界であるがゆえに、誰もその世界の実情を知らず、そこに住むパラデムルクスクルスクスル人のことを知ることが出来ない異界ではあるのだが。
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