多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

物語り

記述

1

「覚悟だ」
老人は、その一言を漸く口に出すことが出来た。
鈍色の砂が舞う、鉄の荒野。その最中に、彼は立っている。
白く染まった頭髪は短く刈り込まれ、いかつい体付きは老いを感じさせる事が無い。
着流しの衣をなびかせるその姿は、今の世に絶えて久しい本物の侍だった。
七天八刀"第五位"、伐辰一刀斎は瞑目し、そっと息を吐いた。その手に提げられているのは妖刀【五重剋】。作はかの名工、観栄明。観栄明が走神の滝?の麓で五匹の魔性を素手で絞め殺し、呪われた血を吸わせて作り上げたというその刀は、既に抜き放たれ鈍い漆黒の光を放っている。
そう、【五重剋】の刃は漆黒であった。 闇よりもなお黒い刀身は血を吸えば吸うほど研ぎ澄まされていく呪いの刃である。
伐辰一刀斎は、静かに目を開いた。
背後にある気配―――もはや抑えきれぬ程のその凄絶な殺気は隠す意図を持っていない。すなわちそれは、示威行為に他ならぬ。
「覚悟。 それこそが我が信念。 魂である」
ゆるり、と。彼は身を翻した。背後にある殺気、その正体を確かめる為に。
そして、それは予想通りの相手だった。
「そして・・・・・・汝が私を討ちに来るもまた、覚悟の内」
「彼を殺したのも、その覚悟の上であったと?」
細やかな声は思っていたよりもずっと通りが良く、そして高いものだった。
眼前に立つのは、一人の女だった。
細面に腰に届く長い黒髪、先端で束ねられた髪は風にたなびく度に飾りの鈴を小さく鳴らす。
手折れば呆気なく壊れそうな、そんな娘だった。だが。
老爺は慄いていた。
その娘から放たれる、圧倒的なまでの【武力】の威圧に。
あれはなんだ、と彼は思った。
あんなものは、見たことが無い。いや、自分の前に、いていいはずが無い。
彼はかつて十七の大蛇を斬り殺し、百の鬼の首を取り、五十の剣豪を討ち果たし、遂には青洋に棲む二つ首の龍を倒した。
彼は武家の生まれであったが、彼が生まれた時代、大陸では既に戦乱は収まりつつあった。誇りある家柄の嫡子として育てられていたにもかかわらず、その誇りを彼は周囲に見出す事が出来なかった。
この場所は自分がいるべき場所ではない。自分にはもっと相応しい生き方がある。そして、彼は東方の大陸を出て、西の大陸に向かった。
その大陸の東部で彼は多くの魔性を斬り、剣豪として名を上げた。そこには彼が求めていた戦と名誉があった。
力を試したかった。強くなり、ただ強くなり、自分と言う誇りを確かめたかった。
弟子も何人かとった。厳しく当たったが、生き甲斐を見つけた気にもなった。
ある時彼は自分の限界を試す為に二つ首の龍、業黒に挑んだ。
三日三晩戦い続け、とうとう彼は龍殺しを成し遂げた。
勝った、と思った。自分は誇りを見出したのだ、とも。
しかし、その数日後。よからぬ噂を耳にした。
曰く、龍を殺した者には龍神の巫女の裁きが下る。
龍神信教というものがあるらしい。龍の王たる九龍を崇め、龍に害為す者を邪悪とする辺境の新興宗教。
その第一の巫女は神なる龍より力を賜り、龍に害為す者を尽く滅ぼすという。
冗談に違いない、馬鹿馬鹿しいと一笑に付したが、再び力試しをするため旅に出た矢先、背後から声を掛けられ―――
・・・・・・今に至る。
馬鹿な、と思う。まさかこんなことが、とも思う。
しかし、現実は確かな形をとって目の前に立ち塞がっていた。

2

「無論である。彼のを斬った時も、刃を抜いたその時も。 私にあるのは魂への、・・・・・・覚悟」
その言葉に、眼前の女はすうっと目を細めた。
まるで、その言葉で相手の内心を計ろうとするかのように。
実を言えば、今までの言葉は全てはったりである。
【覚悟】だの【魂】だの、自分でも大して考えて使っているわけではない。ただ、このような言葉を使うと周囲は自分をさも思慮深い大人物であるかのように扱ってくれる。尊敬の眼差しで視る。現に、自分の弟子たちは彼をそのように扱っていた。
適当にそれらしいことを言えば相手も臆するし、何より自分に自信が付くのである。彼にとっては、後者の方が重要であった。
しかし、それでも。
(なんという、恐ろしい気迫か・・・・・・!!!)
女はただ徒手で立ち尽くしているだけである。だのに、この気迫。まるで女の後方から突風が吹きつけてくるかのような凶暴な気配が彼に襲い掛かっているのだ。
これが、龍の巫女。
「そうですか。ならば、徒に秩序を乱し、海の守護者たる業黒を滅ぼしたその咎、しかと理解していると。 そういうことですね?」
「いかにも。 そして、私はまだ死ぬわけにはいかぬということも、また」
厳かなやり取り。しかし伐辰一刀斎は内心冷や汗をかいている。勝てるのか。この女に。 己がかつて戦った中でも最強であった龍。その龍をも凌駕せんというこの恐るべき女に、果たして勝てるのか。
「・・・・・・私は」
つと、女が踏み出した。開かれた掌を、ゆっくりと、確かめるように眼前に持ってきて、握る。
細く小さい拳は、しかし彼の目には鋼のそれに映る。
「貴方にどのような理由や信念があろうと、龍を殺すというその行為を、容認する事は出来ません。 それは秩序の崩壊。 平和の破壊。 正しき摂理への、反逆」
「ならば、私は反逆者となるだけである。 娘よ。汝が正義を掲げるならば、私は暴虐と覇道の力を以って悪を示そう。 その道にて見出される我が誇り、それだけが我が魂、我が信念の生くる意味」
考えなくとも言葉は出てきた。それは反射のようなものである。相手が正義を掲げるならばその正対の言葉を。但しそれでいて威厳と尊厳を誇示するのだ。
無論、逆もまた、しかり。
そうすることによって、彼は己が正当性を自分の心に確保した。
そう。
今の自分は、自分自身に誇れる自分である。
それだけで、充分だった。彼が戦うのに、充分だった。
歯を食い縛る。刀は正眼に、目線は相対する龍の如き女。
「正しき龍の意思に基づき、貴方を処断いたします。
・・・・・・徒手空拳、【鉄塊之武?竜神信教"第一位"界竜の巫女
「・・・・・・七天八刀"第五位"【一脚閃覇】伐辰一刀斎」
名乗りを上げ、構えは同時に。互いの視線が交錯し、間にあるのはただ一つの意思。
即ち。
「「いざ!!!」」
討つ。

立会い3

伐辰一刀斎は、かつて神と会った事がある。
幼い頃、自分自身でも覚えていない幼少の頃の話だ。周囲に話しても、誰一人信用してくれなかった話だ。
彼は武家の生まれだったが、山間にぽつんとあるその領地は控えめに言っても僻地であった。
彼は眠くなるような座学を抜け出して、よく山に遊びに行った。
その時、彼は神に出会ったのだ。神という認識に間違いはない。何せ相手がそう名乗ったのだ。
神は鋭い牙で鹿を狩っていた最中だった。怖いもの知らずだった幼子は、その鹿を自分にも分けてくれと頼み込んだ。
最初神は呆然としていたが、しばし考えてからにやりと笑うと、鹿の脚を引き千切り、其処から溢れ出た血を彼の脚に振り掛けた。
―――これで、お前の脚は神の脚だ。
そう言うと、神は笑いながら何処かへ去っていった。
それ以来。
彼の脚は、恐ろしいまでの力を獲得していた。
まず、如何なる雛よりも速く駆けた。そして、跳躍すれば鳥などよりも高く飛び上がれた。
彼はその健脚(という範疇ではないが)によって数々の敵を打ち倒してきたのである。
この度の立会いも、彼の脚は最大限に生きる筈であった。場所は荒野、何も無い錆びの土地である。鋼の大地は力強い踏み込みにしっかりと反発し、彼の身体を前へと進ませた。
その勢いは矢に喩えてもまだ適当ではない。ならば疾風かと言えば、それもまた遅すぎる。
それは、雷そのものであった。
伐辰一刀斎が上段に振りかぶった【五重剋】は漆黒の霧を纏わせながら紫電を閃かせている。彼が一度踏み込めば、その勢いは業火となりその気勢は雷電となる。妖刀の閃きと、神速の脚が組み合わさることによって完成したその初撃は、相手の反応すら許さずに前方の何もかもを消し飛ばす。
比喩ではない。実際に消し炭になるのだ。
幾多の化物どもを撃ち滅ぼした恐るべき一撃、正に疾風迅雷と呼ぶに相応しいそれを、迎え撃つ巫女はあろう事か素手を突き出すことで対処した。
刹那の時間の中、愚の骨頂であると伐辰一刀斎は思考する。
彼の一撃は素手でどうこうなるような次元のものではない。光の如き速度と巨木の如き重量の刃、そして甚大なる熱量が雷となって襲い掛かるのである。
龍の吐息を実際に切り裂いたその斬撃は、肌で触れれば消し炭になるは必定。
だというのに、この相手は躊躇いもせずそれを実行しようとしている。
一体、この女は何をするつもりなのか。
疑念を振り払えぬまま、一直線に刃を振る。刃を吸い込まれるようにして女の右肩に振り下ろされ、そして、
「速い」
彼の篭手に白い繊手が添えられ、
「が、軽い」
まるで横殴りに鉄槌を受けたかのような衝撃と共に腕が真横にずれ、一気につめられた間合いから女は右拳を一挙動で突き出す。
無造作に。まるで気負い無く。
とん、と伐辰一刀斎の胸に当たった細い拳は、そのまま停止し、
「う、お・・・お・・・!」
めりめりと音を立てて僅かに、数ミリ程肉体にめり込み、
「砕」
丁度その奥に位置していた肋骨が音を立てて先端から粉微塵に粉砕されていく!
ぞくり、と瞬間の時間の中で翁は恐怖した。自分の骨が、まるで岩石を叩きつけられたかのように粉々に砕けていく。さして力も込められていないような、些細な動作一つで崩れ落ちていく。
拳打とは、回転運動である。肩と腰の動きを合わせ、体重を拳の先に乗せ、打つ。故にこそ拳には威力が宿るというのに、しかしあろうことかこの女は拳を振りかぶる事もせず、拳を突き出しただけで自分の肋骨を砕いているのだ!
それは如何なる神技なのか。答えが出ぬまま、死の直感を避ける為だけに彼は全力で飛び退いていた。

立会い4

果たして、骨の粉砕は肋骨の一本で止まっていた。だが。
(く・・・・・・腕が)
彼の左腕。その肘から先が、動かない。麻痺したようなその感覚は、恐らく、
「背骨に達したか」
それは剣術家として致命的な負傷を意味する。彼はいまや、超重量を誇る妖刀を片腕のみで持ち上げていた。
眼前の巫女は、拳を前に出し、半身を前に出した構えをとっている。
なんということのない、平凡な構えだ。
しかし、先の交錯で伐辰一刀斎は彼我の力量を正しく理解していた。
自分は、勝てない。
この相手は、格が違う。恐らく相手は、本気すら出していないのだ。自分が全存在を賭けて死闘を繰り広げた龍よりもなお強靭な、神の龍の巫女。
自分が相打ち覚悟で挑んだとしても、彼女の拳は自分の肉体を粉砕するだろう。
(ああ、自分は、敗れるのか)
彼は、敗北を知らなかった。
苦しい戦いを強いられた事は何度もある。その度に負傷し、困難に歯を食い縛ったものだが、その度に己が誇りにかけてと全力で勝ち越してきた。
だが、負けると思った事は、一度たりとて無かった。
その自分が今、敗北を確信している。
幾つもの死線を潜って来たからこそわかる。自分はもうすぐ死ぬのだと。
彼は自分の満足のために生きてきた。誇り、力試し、生きるのに相応しい場所、闘争・・・・・・。
彼の人生は思えばそれだけだった。来る日も来る日も戦いに明け暮れ、そうして至った先が七天八刀の第五位という称号だ。龍殺しという名誉だ。
充実していた。自信を持ってそう言える。彼は既に七十を迎えようとしている年寄りである。長く生きた方だと思うし、子こそ遺せなかったが弟子を迎える事は出来た。
ああそうだ、と彼は思う。今彼が死んだら、弟子はどうすればいいのだろう。
遺された弟子の事を思うと死ぬわけには行かない、と思うが、それは叶わぬ望みだろう。
巫女はじりじりと間合いを詰めてくる。その眼光は氷のように冷ややかであり、一分の隙も無い。ましてや、同情の期待など、抱けよう筈も無い。
伐辰一刀斎は、覚悟を決めた。
いや、既に決まっていたのだ。恐らくは、彼女がその姿を顕したその時から。
この身に降りかかる死の定めが裂けられぬのならば。
せめて、弟子達に恥じぬ、誇りある侍のまま、死のう。
唐突に、伐辰一刀斎は【五重剋】を振り上げ、動かない左腕に突き刺した。
鮮血が噴出すかと思われたが、しかし左腕の血液は黒ずんだ刀身に吸い取られ、溢れる事を許さない。
左腕が干からび、骨と皮だけになる。引き抜かれた刃は、光をも吸い込んでしまいそうな漆黒となっている。
ぐん、と右腕にかかる重みが増し、全身に虚脱感が走る。凄まじい勢いで自分から生命が失われて行くのが分かる。
相対する巫女はしばし呆然として老翁の行為を見ていたが、やがて目を細めると威嚇するように一歩を踏み出す。
伐辰一刀斎もまた、その無二の脚で踏み込もうとしていた。
それは、彼の生涯に於いて、ただの二度だけの敗北の踏み込み。
たった二度。戦いとすら呼べぬその交錯で、しかし彼は最大の満足を覚えていた。
今、自分は戦っている。
圧倒的に強大な相手と。自身の全霊を賭けて、その命を投げ出して戦っている。
踏み出したその速度は、やはり神速。
そうだ。
その脚力、その速力において、彼に追随するものなどいないのだ。それは眼前の巫女とて同じ。喩え戦いにおいて上を行かれたとしても、その速さ、一閃の極みだけは、確実に自分が勝利している――――!
振り下ろした刃を、女は真正面から受けた。
それは女なりの礼儀の尽くし方なのだろう。彼の神速の刃をかわす事無く、女はその両手の平でもって挟んだ。
真剣、白刃取り。
その絶技を事も無げに行った女は、刃を横に倒すと、無造作に放った一撃で伐辰一刀斎の胸を穿ち抜いた。

そうして、伐辰一刀斎の生涯の戦いは、幕を閉じた。

立会い5

倒れ臥した老人に、細長い影が差した。
「なにか、言い残す事は」
龍神の巫女は、相手の死の瀬戸際にあってなお無表情を貫いていた。
透徹としたその表情の奥底は窺い知れず、その声もまた色を持たない。
伐辰一刀斎は全身の感覚が薄れ行くのを感じながらも、最後の力を振り絞って言った。
「この・・・・・・刀を。 預かって、くれぬか・・・・・・」
「私が・・・・・・?」
不思議そうに言い、彼の手に握られた黒塗りの刀を手に取る。すると、女は目を見開き刀を凝視した。
「妖刀、ですか」
「左様・・・・・・。それは命あるものの血を吸い力と為す魔性の刃。捨て置くには重過ぎる」
「責任、というわけですか。なるほど。確かに承りました」
頷くと、その柄をしかと握り締める。巨木ほどの重量を持つはずのそれも、超人たるものにとっては棒切れに程度の重さにしか感じないものだ。
「それと、これは汝の気が向いたらで構わんが」
「何か?」
「私の、不肖の弟子が仇討ちにくるやもしれぬ。 汝の足下にも及ばぬ赤子ゆえ、どうか情けをかけてやって欲しい」
それは嘆願だった。彼の最も若い弟子、そして彼に最もなついているあの少年ならば、自分の死を知れば義憤と激情に駆られて女を討ちにくるだろう。
だが、無論のこと勝ち目など万に一つも、無い。
巫女はだが、その頼みに対しては刀ほどの関心を示さなかった。
至極当然、という顔をして宣う。
「私は龍神の巫女。 正しき秩序の体現者たる龍を守る者。 その弟子が龍に害為すというならば容赦はしませぬが、そうでない限り、殺生など、けして」
生真面目な返答は、恐らく本心なのだろうと、短いやり取りの中で把握した女の性格から理解した。
「そうか、そうか。・・・・・・それを聞いて、安心した」
ならば、これで心置きなく眠る事ができる。
ゆっくりと、瞼を閉じる。
思えば、充実した生涯だった。やりたいことを思うがままに為し、自分が思い描くあるべき自分として振舞えた。これ以上の生が望めるだろうか。
「さようなら、凡庸の剣鬼。貴方の魂の行く先に、正しき秩序と平穏があらんことを」
女の声はどこか穏やかなようだった。ああ、この相手は信頼できると、何故か訳も無く思い、もし弟子がこの女と出会ったらどのように接するのかと妙な事を考えたりもした。
今際の時に彼が感じたのは安らぎ。穏やかな空気の中、彼は確かに満足していた。
最後に、弟子たちの姿を瞼の裏に想い描いて・・・・・・

伐辰一刀斎は、荒野の中でその生涯に幕を閉じた。
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