南京大虐殺に関する論争の解説と検証

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4.信夫淳平氏の学説

【グース氏記述】
>『戦時国際法提要』(上)照林堂書店 信夫淳平著 P667
 間諜は以前はこれを捕らえたる軍において一応審問したるうえすぐ処罰(多くは絞銃殺)する風であったが、今日ではこれを戒め、陸戦法規慣例集規則の第三条に『現行中捕らえられたる間諜は裁判を経るに非ざれば之を罰することを得ず。』とあるが如く、裁判に付した上でなければ之を処罰するを得ないこととなった。これは一段の進歩である。
(第三条は原文ママ、30条の誤植と思われる)

 陸戦法規というのは、ハーグ陸戦法規のことです。第一回ハーグ会議(1899年)の条約で『間諜の処罰に裁判が義務』という条約が作成される以前は、間諜は即決処刑さる場合が多かったという事になります。「一段の進歩」というのは間諜処罰に裁判が義務という慣習法は存在していなかったが、条約によって人道的に一歩進んだという意味になるでしょう。
グース氏は、この信夫淳平氏の記述が
「間諜処罰に裁判が義務という慣習法は存在していなかったが、条約によって人道的に一歩進んだ」
という意味であると主張します。つまり、ハーグ陸戦規則第30条の制定により、初めて、間諜に対する裁判が義務化されたと主張しているわけです。

しかし、信夫淳平氏の記述を正確に読むと、グース氏の説明がおかしいことに気付きます。この記述を順を追って説明しましょう。(以下、『・・・』は信夫淳平氏の記述)

『間諜は以前はこれを捕らえたる軍において一応審問したるうえすぐ処罰(多くは絞銃殺)する風であったが』
この部分は、さほど論点とはなりません。”以前は、間諜は裁判を行わずに殺害した”、という意味となっています。
ただし、注意する必要があるのは、「以前」という言葉です。ここでは、漠然と「以前」と書いているだけですので、それが、ハーグ陸戦規則制定(1899年)以前なのか、それとも、もっと前を指しているのかは判断できません。
グース氏の主張では、ハーグ陸戦規則制定(1899年)を境に以前である、ということです。

『今日ではこれを戒め』
”今では、この風潮を戒めている”、という意味です。
もちろん、ここでの「今」が、どのような範囲で「今」としているかは判断できません。
グース氏の主張では、ハーグ陸戦規則以降を「今」としていることになります。

『陸戦法規慣例集規則の第三条に『現行中捕らえられたる間諜は裁判を経るに非ざれば之を罰することを得ず。』とあるが如く』
「陸戦法規慣例集規則の第三条(第30条:K−K註)に・・・あるが如く」と記述していますが、これは「ハーグ陸戦規則第30条に・・・あるように」という意味になります。この記述は、ハーグ陸戦規則30条に示された考え方(裁判の義務)を指示しているわけです。
しかし、その考え方がハーグ陸戦規則第30条制定によって初めて定立されたかを判断することは出来ません。

『裁判に付した上でなければ之を処罰するを得ないこととなった』
裁判を行わなければ、これ(間諜)を処罰することが出来ないことになった、という意味です。
この前の記述と合わせて考えるならば、
”ハーグ陸戦規則第30条にあるように、裁判を行わなければ、間諜を処罰することはできなくなった”
という意味となります。 つまり、裁判を行わなければ間諜を処罰することは出来ないという考え方の具体的な表現として、ハーグ陸戦規則第30条を挙げているわけです。

『これは一段の進歩である』
ハーグ陸戦規則30条にあるような裁判の義務化は、一段の進歩だということです。何からの「進歩」かというと、最初に書いた無裁判で処罰を行っていた時代からの進歩だということです。



以上のように信夫淳平氏の記述を検討しましたが、この検討を基に、グース氏の記述を考察します。(以下【・・・】はグース氏の記述)

【第一回ハーグ会議(1899年)の条約で『間諜の処罰に裁判が義務』という条約が作成される以前は、間諜は即決処刑さる場合が多かったという事になります】
信夫淳平氏の文章には、間諜の処罰が無裁判で行われていたという時期が、「ハーグ陸戦規則制定」という起点からの「以前」であることを示す記述は存在しません。信夫淳平氏の記述では、「以前」という漠然とした時期となっているだけであり、ハーグ陸戦条約制定以前なのか、ブリュッセル会議以前なのか、リーバー法制定以前なのか判断することは出来ません。

【「一段の進歩」というのは間諜処罰に裁判が義務という慣習法は存在していなかったが、条約によって人道的に一歩進んだという意味になるでしょう】
信夫淳平氏の書いた「一段の進歩」 の意味は、間諜処罰に裁判が義務付けられていない時代と比べ、裁判が義務付けられたということは、「一段の進歩」だということです。
もちろん、すでに述べたとおり、「間諜処罰に裁判が義務付けられていない時代」が何時であり、それが義務付けられたのが何時なのかを、信夫淳平氏は明示していません。
グース氏は、自説に都合の良いように、「間諜処罰に裁判が義務付けられていない時代」をハーグ陸戦規則制定以前と書いてますが、信夫淳平氏の記述ではそのようなことを示す記述は存在しません。これは、存在しない信夫淳平氏の見解を作り出していることになります。



すでに示されたマルテンスの記述にもあるように、間諜に対する裁判の義務は、ハーグ陸戦法規(1899年)以前から認められていましたので、グース氏が主張するような、ハーグ陸戦法規以前は間諜の裁判義務がなかったということはありえないのです。


このページへのコメント

未だに南京大虐殺等という明らかな捏造を本気で信じているとは、お前
ら反日ブサヨク共はどれだけ頭がお花畑な輩共なんだ?
お前ら反日ブサヨク共は南京大虐殺論争について、さも反日ブサヨク側
の勝利で決着が付いたように語っているが、そのような事実は当方が知
るかぎり存在しないんだが?

まず南京大虐殺があったかどうかについてだが、当時の資料で南京攻略
戦前に南京城内の安全区を管理していた「南京安全区国際委員会」が
食料配給の試算のために行った人口調査で、南京人口は約20万人と認識
されている。
そして、南京陥落の3ヶ月後に同じく「南京安全区国際委員会」の事務局
長であったルイス・S・C・スマイスが実施した戦争被害調査(スマイス
報告)では南京の人口は25万人とされている。

つまり、中国が唱える「犠牲者30万人説」が正しいとするなら、当時の
人口を超える人間が殺害され、且つ大量虐殺が行われている現場に、三
ヶ月で虐殺前よりも多くの人口が移り住んだことになる。

また、攻略戦終了後一ヶ月と経たない1938年1月1日、南京自治委員会の
発会式が挙行されている。式場には南京難民区に避難していた3万人の
市民も詰め掛け、新政権の出現を日の丸と五色旗を振って祝い、国民政
府の悪政を非難する主意書および同政府と絶縁して目指す政治を示す
宣言が発表されている。

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%94%BB%E7%95%A5%E6%88%A6

お前ら反日ブサヨク共はこういった歴史的事実を知らないのだろうか?
これらの事実からすれば、「戦闘が行われた都市だから当然死者はいた
だろうが、それが虐殺と言えるものではない」と考えるのが普通ではな
いだろうか?

更に言えば、1938年(南京陥落の翌年)には日本軍の進軍を遅らせる為、
中国軍(国民党)が黄河の堤防を決壊させ莫大な被害を出す事件があっ
たが、その際、日本軍は避難する民衆を救助し「中国軍により破壊され
た堤防の修復作業」まで行っている。
(因みに中国軍は民衆や民衆と協力して救助作業や防水作業を行う日本
軍を攻撃した)

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6

こんな事をする軍隊が、都市1つの住人全てを殺すようなことをするだ
ろうか?

これだけの事実が有りながら、戦後半世紀経っても未だに増加を続ける
被害者数を言い張る中国の言が正しいと言い張るのであれば、まず被害
者の遺体、遺骨、遺品など何でも良いので被害者が存在するという証拠
の提示が第一なのではないだろうか?

お前ら反日ブサヨク共は日中戦争で南京問題は散々槍玉に挙げるくせに、
その半年後に起きた国民党軍による黄河決壊事件の際、日本軍が被害者
救助や堤防修復に尽力したのに対し、本来人々を守るべき中国側が日本
軍、及びそれに協力する市民や救出された被害者に対し航空機まで用い
た攻撃を行い、更に当初「洪水は日本軍の攻撃により発生した」と虚偽
の発表を行っていたという点を同等に取り上げない時点で、お前らの主
張は片手落ちどころか両手落ちと言わざるを得ない代物でしか無いだろ
う。

以上、反論できるなら反論してみろ。但し証拠付きでな。
尚、反論は↓此処でも受け付けて居るぞ。
ttp://jipangbito.blog93.fc2.com/blog-entry-54.html

0
Posted by ロン・セガン 2023年08月27日(日) 06:29:27 返信

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