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私の名前

■私の名前■

じりじりとうるさい目覚ましが私を起こすのは、
一体何日ぶりだろう。
ここ最近、そうなるまで寝込んでしまうことは無かった。
昨日は少々疲れすぎた。
最初は梨花の保護者気取りだった私も、
次第にいろいろと忘れてはしゃいでしまった。

主に年齢を。

ともかく、そんなこんなで腰がちょっと痛い。
体がだるい。
それでも私は起きる必要があった。
梨花も私の横で、気持ちよさそうに寝ていた。
寂しいから、どうしてもって言うから……
外見からはとてもそう見えないけど、この子も十六歳なんだ。
普通、こんなことはせいぜい小学生で卒業なんじゃないだろうか。
子供のほうから離れて行く、とよく聞く。
私にはそんな上等な思い出はない。
町内会のおじさん連中の嘆きをまとめた結果だ。

そんなことはどうでもいい。
食材は昨日たっぷり買っておいた。
一週間後に帰ってくる、ジロウさんを盛大に祝うためだ。
我ながら少々やりすぎなんじゃないかと思うけども、
今から驚くジロウさんを想像すると、
少しわくわくした。

幸い、梨花はまだ起きていない。
今日の朝ごはんはフレンチトーストの予定だ。
そんな豪華な朝食じゃないけど、文句は言わせまい。
あの子はあの年の割には甘いものがあんまり好きな様子はなかったから、
ちょっと心配だけども。

ミルクと卵と砂糖を混ぜたものに、食パンを浸す。
バターをしいて温めていたフライパンに、それを乗せる。
簡単な朝食だが、朝に糖分やその他の栄養を取るという意味では、
なかなか効率のいいメニューだと思う。

ちょうどいいタイミングで梨花が起きる。
寝ぼけた目でこちらを見た後、
ぼすんと布団の中に逆戻り。
またすぐに起き上がる気配もなく、そのまま二度寝に突入しそうだった。

「梨花ちゃん? 今日から学校でしょう? おきなさい……」
私は優しく、これ以上ないぐらいに優しく梨花を抱き起こす。
「ん」
梨花が唇を突き出してきた。
「な、何のつもりかしら、梨花ちゃん? ほら、早く!」
最初の優しさをかなぐりすてて、梨花をゆする。
「ん」
再び唇を突き出した梨花に、私はあきれた。
このままでは、本気で梨花が駄目になってしまう。
もうなりふりなんてかまうもんか。
私は梨花を抱き上げて、無理やりテーブルまで引っ張っていった。
「鷹野、ひどい……」
寝ぼけ眼をそのままに、うつらうつらと梨花は言った。
「さあ、朝ごはんを食べて、顔洗って歯を磨いて。制服着なさい」
私は自分でも驚くほどの母親振りで、
てきぱきと朝食の準備を続けた。
コップにミルクをそそいで、出来立てのフレンチトーストを配置する。

「……学校、行きたくないのです……」
「……何で?」
うつむいた梨花は、それ以上はしゃべらない。
「フレンチトースト、食べてみて?」
私が笑顔でそう促すと、梨花は一口トーストをかじった。
「おいしい」
そう言う梨花は、やっぱり下を向いている。

「……言えないのかしら? 元気が無い理由」
「鷹野は、来てくれないよね?」


木造でない校舎に入るのは久しぶりだった。
急激に開発の進むこのあたりで、ついに私立の高校まで出来たのは、
去年のこと。
120人の枠に対して、
200を越える応募があったのは、私立ならではの充実した施設や、
教師陣、そして受験狂とも呼べるぐらいのママたちの熱意の表れだ。
この周辺どころか、鹿骨市全体から生徒が集まるこの高校は、
生徒からも「制服がカワイイ」とかで人気なのだそうだ。
まったく、頭の痛い理由だ。

「私の時なんてねえ、そんな理由じゃなくて」
「ふふふ、鷹野、お母さんみたいね」
梨花と校内を歩いているうちに、
ついつい昔話をしてしまった。
はっとなって口を止めてももう遅い。

「話、聞いてくれるだけでいいから」
教室の前で梨花が立ち止まり、そう告げた。
梨花が教室のドアをノックする。
「古手さん、入ってきてください」
気の強そうな女性の声が聞こえ、
梨花はその言葉のとおり、教室へと入っていく。
私はその後ろから、懐かしい場所へと足を踏み入れた。

もう少しで初老を迎えるであろうその女性教師は、
めがねのズレをなおして、私を嘗め回すように見た。
「失礼ですが、あなたは?」
その質問は当然だ。
前回の面談の時は、公由のおじいちゃんに来てもらったと言っていた。
それが急に、こんな若くて美しい女性に変われば、
驚きもするだろう。

ごめん、ちょっと見栄を張りました。

「梨花の……叔母です」
間違って母と言いそうになった。
おそらく、梨花は村の有力者の無茶な支援で、この学校に入ったのだろう。
少なくとも金銭面では村のお世話になっているはずだ。
支援の影響なのか、そのとっさの言葉で先生は納得したようだった。
「お座りください」
私と梨花が隣あって座るように、席が配置されていた。
この微妙にギスギスとした空気は、成績の問題だろうか。
それとも、出席日数の問題だろうか。

「梨花さん、一学期と二学期は良かったのに、三学期は急に悪くなってしまいましたね?」
まったく、何のためらいもなく先生は言い放つ。
具体的に何がどう駄目だったのか、私には分からないが、
具体的にどうと言えない位に、ひどい成績だったのだろう。
先生は明らかに難しい顔をしていた。

「あなたには関係ないわ」
一瞬にして、場の空気が変わった。
さっきからずっとぴりぴりしていたのは、
この教師と反りが合わない、ということなのだろうか。
「り、梨花ちゃん? ちょっと、そんなこと言っちゃ駄目よ!」
「……古手さん、授業態度も悪くなって、先生は悲しんでますよ?」
「何? 生徒の成績が悪くなると給料も悪くなるのかしら?
さすが進学校を生徒も居ないのに言い張るだけはあるわね」
あまりにも酷い梨花の言葉に、私はただおろおろするだけだった。

「古手さん、それに……」
「田無美代子です。姓は違うので」
癖なのだろうか、めがねのズレを再びなおして、
先生は話を続けた。。
「保護者の田無さんにも聞いていただきたいのです」
先生はそう言って、一つの用紙を出した。
春休み前の最終成績表だ。
一学期、二学期と、可愛げの無い数字が続いている。
容赦ないほどの最高評価の嵐に、死ぬほど努力していたその時のことを思い出す。
「梨花さんは、私がほかの学校で見た中でも、なかなか優秀な生徒だといえます。
二十五年の私の教師生活の中でも、数人しか居なかった、と言ってもいいでしょう」

ここで、一つため息をつく。
理由は明白だった。
三学期の成績が、平均をかなり下回っているからだ。
「テストの答案に、名前を書かないのですよ、梨花さんは」
私に向けた言葉だった。
梨花に自分が言っても無駄だから、私から言うように、ということだろう。
「どうして、そんなことをするの? 梨花ちゃん?」
梨花をまともに育てるというのが私の使命だというのなら、
学校の授業をちゃんと受けさせ、学問を修めさせるというのは、
かなり重要なことだ。
特に女性は、自分の道を決めるのに相当の学力が居る。
いくら男女平等を叫ぼうとも、実際の現場で必要とされるかどうかは別問題だ。
はさみが欲しいのにドライバーを持ってこられては困るのだ。
なら、ドライバーがはさみの代わりをするにはどうすればいいだろうか?
十得ナイフのドライバーになればいい。
もしくはなんらかの工夫をして、ドライバーで切断するしかない。

「どうして名前が必要なの? 要らないでしょ」

「梨花!」

初めてかもしれない。
これは、親子の証?
違う。
こんな押し付けの愛情、知らない。
私は知らない。
一瞬、現実を切り離してしまうほどに、
鮮烈な音だった。
そんなに強くない。
私はそんなに強く叩いていない。
違う誰かがやったっていいたいの?

梨花は瞳に涙をためて、教室を後にした。
じんじんと手のひらが痛い。
女の子を殴ったことなんて、初めてだった。
でも、女の子を殴った、なんて思えなかった。
「す、すいません、すぐ連れてきますんで!」
「いえ……もう、次の人が来るので……成績表はお渡ししておきます」
普段はきついであろうその先生も、
その出来事には気おされていた。
私はぺらぺらした紙に書かれた、呪いの言葉を手提げかばんに押し込んだ。

こんなの要らない。
まるで駄目みたいじゃない。
こんなの要らない。
そのままの否定じゃない。
違う。
違う。
梨花はこんな子じゃない。
違う違う違う!

「梨花!」
校舎の裏で、すするように泣いていた梨花は、
手を伸ばした私を見るなり、身をすくませた。
「ごめんね……梨花……」
梨花を抱きすくめる。
こんなにおびえてしまって。
「……ちゃん、付けないの?」
「そんなこと、どうだっていいじゃない……
だって、あなたは大切な家族なんだもの。
ちゃんなんて付けて、あなただけを遠ざけたりしないわ。
いい? あなたは私の……姪なの」
「娘がいいなぁ」
泣いた梨花の涙をぬぐうことが出来なかったのは、
私も泣いていたから。
「最近泣いてばっかりね、泣き虫梨花」
「もっと……泣いていい?」

私は無言で、梨花の頭を撫でてやった。
「やっぱ、泣くのやめる」
「そう、良かった」
そう言う私の目は、まだ涙で濡れていた。
「だって、今日から……書いていいんでしょう?」
いたずらをする時の表情で、梨花は地面に字を書いた。

田無梨花、と。
2007年08月29日(水) 21:01:37 Modified by ID:ir7QVyoGxg




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