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生まれたときから

 1986年、ロシアでチェルノブイリ原発事故が起きた年、
わたしは、生まれた。おふくろの話だと、あかごなのに泣かず、
青白かったという。みてもらった医者にビンタではたかれてようやく
泣いた。
実際の境界型人格障害例の多くは、
かなり社会的(かつ性的)な動きをするという。
自己中心の妄想を現実化する能力に長けているのだ。
つまり精力的に他者を巻き込んでいく過程で、
自己実現の充足感を得るということらしい。
たいてい友人のグループなどの小集団や、町内、隣人などの中で起こるトラブルの中心に、
この境界型の人が存在するはずだ。
その特徴といえば一昔前なら電話、
そして今ではメールなどのメディアを利用することを好む。
裏を返せば人に面と向かうことを避ける傾向にある。
でもそんな人はあちこちに増加しているに違いない。自分だってそうかもしれないのだ。
ここでまたカルロス・カスタネダの著書、
「ドンファンの教え」を引用することになる。
本の中で、ヤキ・インディアンの呪術師「ドン・ファン・マトゥス」が
自らの体験を交えて弟子のカルロスに諭す。
その中に「小暴君」というのが登場する。
道を究めようとする人間にはたいてい、それを阻止しようとする者が立ちはだかる。
それを「小暴君」というのだ。
人はその小暴君の支配から脱出することにより、「戦士」になるのだという。
その「小暴君」の存在は境界例そのものだ。ありとあらゆる手を使い、人を支配しようとする。
大分前、まだ若くて世間知らずだった頃、
ぼくもそんな「小暴君」に巻き込まれたことがあった。
ぼくだけではなく、色々なミュージシャンが一人の人間にやられたのだ。
その経験では、各々の人が他者のあらぬ噂を吹き込まれ、
その結果疑心暗鬼の渦巻きが連鎖するに至った。
よく諜報活動の撹乱作戦に使われる手だが、
人にとって人間関係の破綻に動じないことは難しい。
そういう自己実現の過程は、正常ならば「善」に向かうはずだが、
境界例では何かと「悪」をばらまくのが問題となる。
結局その破壊性はその人自身を押しつぶすことになるのだが、
それが蕩尽のルールなのかもしれない。
そう、犯罪とはこういうものだ。
逮捕され名や顔が出ることで犯罪者は心の平安を得るだろう。
そうしてみるとこの世の中、境界のまっただ中なのである。
で、世の中を良い空気にするには、
人それぞれの「善」に向かうことしかないね。
何が善なのか見境がつかないとしても、それぞれの善は「霊性」の中にあるかも。
 
2006年10月24日(火) 10:45:46 Modified by notarejini06




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