D.因数分解ってなんだよ。勝手に分解すんなよ。そのままにしといてやれよ

…以前出会った選手がそんなことを言っていたなあ…って何考えてるんだ俺は?
阿呆なことを考えた自分を自己嫌悪しているとコンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「どうした茜?」
「小波さん、話があるのですがちょっといいですか?」
「ん、いいよ。入りな」
茜に入室を許可すると茜はゆっくりと部屋に入ってきた。
「小波さん、茜は女として魅力ないですか?」
「…な、なにを言っているのかな?」
茜は元気のない表情で上目使いにこちらを見つめてくる。
「だって小波さんは茜のアプローチをことごとく無視してるじゃないですか」
「それは…約束したからだよ」
「茜は怖いんです!小波さんもリンお姉さんみたいに突然消えてしまいそうで!」
…確かに数ヶ月前までいつ死ぬかわからない仕事をやっていた。
その時の俺は…たぶん茜から見たら消えてしまいそうだったのだろう。
「…なるほど。だが約束した以上はまだ俺は茜のことは…」
「わかってます。小波さんがそういう人だと。だから茜は…」
「茜…ごめん」
「ちょっと散歩に行ってきますね…」
「お、おい茜!?」
制止する間もなく茜は玄関へと走り去っていく。追い掛けようと慌てて玄関に出たが、もういない…
「茜…それでも…俺は…」
とりあえず寝間着から外出用のジャージに着替え、茜を追って街へと向かう。
茜がどこへ行くかはわかっている。なら向かう先は決まっている。

公園のとある広場―昔アカネハウスがあったところだ―に茜は座っていた。
「よ、元気?」
「小波さん…」
「アカネハウス…いつの間にかなくなっていたんだな」
「10月頃に台風で敗北したみたいです」
ああ、今年の台風は史上最大勢力だったからな…
「残念です…けど今は小波さんの家がありますから大丈夫です」
「ああ、そうだな。…茜」
「はい!何でしょうか?」
「まだ約束の二ヶ月が残っているけど今だけ約束を破るよ」
「…え?」
「茜、俺と…結婚しよう。ただし、約束を破ったから罰をつけないとな」
「え…あ…はい…?」
「そうだな…俺が試合でヒーローになったらにするか」
不意打ちだったのか茜は目を点にしたままフリーズしていた。
「さてと、帰るぞ茜。明日からいっそう練習を頑張らないとな」
「あ、はい!ふつつか者ですがよろしくお願いします」
「…いや、遅いって」

夜の公園にある街灯が仲良く手を繋ぐ2人の影を照らし出す。
その影の先にある影にもう1人分の影があったのは2人は知らない。
「茜…幸せにね」

『12回裏、ジャイアンツの攻撃は5番、6番が凡退に倒れ、ツーアウトで小波に回ります』
『移籍後開幕戦からスタメンで出場していますが今日は4打数ノーヒットですねえ…』
テレビでは実況と解説がそんなことを流しているだろう。
開幕からスタメンを勝ち取った俺は今日の開幕戦ではノーヒットである。
集中し、打席に入る。バットを構え相手投手を見る。

「ストラーイク!」
全力で振ったバットは空を振り、ツーストライクとなる。
ダメだ…タイミングがあっていない。一旦打席を外し深呼吸する。
深呼吸して落ち着きを取り戻してから打席に入る。とにかく当てよう。当てるんだ!

「ファール!!」
カウントはツーストライクスリーボール。俺はとにかく粘っていた。
投手と互いに汗を額に浮かべ、互いに肩で息をする。どちらが先に諦めるか…根比べだ!

『放送席、放送席。ヒーローインタビューです!』
あのあと俺は失投した球を捉え、サヨナラホームランをスタンドに叩き込んだ。
その結果、開幕戦から茜との約束通りヒーローになったのだ。
「見事な粘りとホームランでしたね。お見事でした」
「はい、とにかく当てていこうって開き直ってから粘り続けられました」
「移籍後初試合ですので何かファンの方に一言お願いします」
「皆さん、はじめまして。今日からお世話になる小波です!よろしくお願いします」
「ありがとうございました。では…」
「あ、あともう一つだけ…今日、一つだけ皆さんに報告があります」
「何でしょうか?」
「今日、この試合を見に来ている中にいる…彼女と、僕は結婚します!」

その後、チームメイトやマスコミから散々追いかけ回されたのは言うまでもないことだろう。

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