『テンプル神殿異聞その1』


「神殿んんっ!? あたしがそんなところに行ってもいいのかな」

第51回キングダム対エンパイアの野球の試合は、無事終了した。
試合は、新戦力の野球人形『コナミ』の活躍もあってキングダムの辛勝。
近年に勝る白熱した戦いは、試合直前の騒動とあわせて、のちのちまで語り草となるものであった。

「そう。アキミさんは、テンプル神殿に身を置くつもりはないかしら?」

アキミは、『コナミ』誕生に貢献した人間として、特等席(こちらの世界で言うバックネット裏)での観戦を許されていた。
試合の興奮冷めやらぬその席で、同じく『コナミ』誕生に貢献したハヅキから、アキミは声をかけられた。

「なに、あたしの前歴を知ってのこと? ミユキさんに懺悔でもしろって言うの」
「別にシスターになれとか、そういうことじゃないわ。そもそもわたしだって正式なシスターじゃないもの。
 テンプル神殿は、例のバケモノ神父がむちゃくちゃにしてしまったから、立て直さないといけないんだけど、
 どうにも人手が足りなくて。わたしと一緒に、働いてみる気は無い? もちろん報酬だって出すわ」
「うーん、働いてみる? って言われても……あたしに神殿での仕事なんかあるかなぁ。
 神の教えは説けない。力仕事なら男の方が使えるだろうし。まさか暗殺だの錠前いじりだのの腕前が役に立つの」

アキミは、スラム街でギルドに所属しないモグリのスリを働いているところを、コナミに捕えられた。
とっさにアキミは、舌先三寸で冒険者コナミに自分を雇わせた。そのため、なんとか官憲やギルドに突き出されずに済んだ。
その時アキミはコナミのことを“なんというお人好し”と思い、半ば呆れていたのだが、
実際はコナミたちとドラゴンの山を踏破したり、砂漠のダリ遺跡を捜索したり、魔王城に招待されたり、古代超兵器ゴーレムと戦ったり、
前金1000Gを足しても割に合わないぐらいこき使われたので、その呆れた感情はすっかり失せていた。
特にダリ遺跡での『キレ○』や『シンカー+2』といった高性能パーツは、アキミがいなければそう何個も見つけられなかった。

「そんなことはしなくていいわ。アキミなら単なる用心棒でもじゅうぶん心強いし、
 退屈になったら、コナミさんとの旅の時みたいに、宝探しにでも行って一山あてるのもいいじゃないかしら」
「そんなに融通が効くんだ」

寝場所には困らず、おそらく食事にも困らず、退屈になったら遠出して宝探しにでも行けばいい。
アキミからすれば、かなりお気楽な身分である。少なくとも、シーフやアサシンよりは暮らしやすいだろう。
しかし、アキミは浮かない顔をしていた。

「面白い話なんだけどさ〜」
「なにか、まずいことでもあった?」
「まずね。トレジャーハントは流石にひとりではきついわ。サポートがいないと安定しないし。
 もしひとりでそんなに稼げる仕事だったんなら、あたしはスリなんかしてないわよ」
「うーん、ちょっと考えが甘かったかな」
「まぁハヅキが手助けしてくれるっていうなら、一発当てられるかもしれないけど、もう一個気がかりが……」
「……気がかりって?」

アキミは親指で空を弾く仕草をして見せた。

「……神殿住まいじゃ、賭場には行けないよね」
「あ、そういえばアキミはよく行ってたわね」

アキミは博打をこよなく愛する性分であった。それも、イカサマの手口にまで精通する、筋金入りの博打好きである。



「まぁ、賭場くらいならミユキさんに言ってなんとかして……もしもだめだったら、出稼ぎの時にこっそりと行けば」
「え、いいの?」
「だってわたしは、これからも正式なシスターになるつもりないし。聖職者なんかもうこりごり。
 博打ぐらいでうるさく言うつもりはないわ。あ、でもわたしがこんなこと言ってたのは内緒にしてね?」
「それは当然よ」

アキミとハヅキは、ともに砂漠の亡霊やらエルフやらロック鳥やら高位悪魔やら殺戮兵器やらと渡り合った仲である。
気心の知れた仲間と、たいした不自由も無く暮らしていける。当たり前のようで、なかなか手に入らない生活。
アキミにとって、思い浮かべるにはどうにも眩し過ぎる光景だった。

「ところで、ハヅキはその話、あたし以外にはしてないみたいだけど」

それを一度でも不自由無く手にしていた人間なら、即座に頷いていただろう。
勇者コナミ一行の中にも、この提案に深く考えず首を縦に振りそうな人間がひとりいる……役に立つかどうかはともかく。

「そうね。ミユキさん以外にこの話をしたのは、アキミがはじめてよ」
「それは……正直ちょっと嬉しいけど……なんで? さっき言った通り、あたしは神殿なんか似合わない女よ」
「来て欲しい人間の中で、あなたが一番うんと言う見込みがありそうだったから」
「……? どうしてそう思ったの」
「ここで言っていいものかしら?」

ハヅキはあたりを憚る素振りを見せた。キングダムとエンパイアの試合を観戦しにきた、両国の重鎮たち。
それらに混じって、勇者コナミとその一行――アキミとハヅキを含む――も、野球人形のプレイに歓声を上げたり、
試合に伴うお祭り騒ぎを楽しみにしていたり、騎士と格闘家が剣と拳について語り合っていたり、思い思いに過ごしていた。
アキミとしては、特に負い目は無い。知られたら困る過去もあるが、コナミとの出会い方に比べればどれもマシである。
アキミは軽く手振りした。声を落とせば構わない、と。一行はその程度でも通じる関係だった。

「……だって、あなたは身寄りが無いし、これからの行き先も特に決まってないじゃない?」
「ずばり言うわね。普通はもう少し躊躇うところよ」
「あらら、触れちゃいけなかったかしら。ごめんなさい」
「いーのいーの。身寄りが無いのはしょうがないし、行き先がないのはあたしのせい。
 ホント、どうしてこんなに可愛くて仕事もできるアキミちゃんに相応しい場所がないのかなー」

アキミはからからと、女の子らしくない笑い方をした。
コナミに雇われる前から、年齢に似つかわしくない修羅場を踏んできた彼女は、先行きが安定しないことにも危機感が無い。
生きていければ儲けもの。その上で面白おかしくやっていければ万々歳。
加えて、今度の旅はアキミにとって楽しいものだった。スリルと達成感に満ちた冒険の余韻が、先のことを考えさせなかった。

「ところで、そういうハヅキはどうしてテンプル神殿に行くの」
「それは……ミユキさんに口説かれたからよ。ほらわたしって、身寄りも無いし、これからの行き先も決まってないでしょ?
 もともと孤児だから親の顔は知らないし、世話になってたチャーチ教会からは売り飛ばされたし。
 そんなときに、ミユキさんからお誘いを貰ったの。だからわたしは、ミユキさんにお世話になることにしたんだ」
「なるほどね。で、それと似たような身の上のあたしなら、話が通ると思ったんだ」

率直に考えて、悪い話ではなかった。
ミユキやハヅキ相手であれば、短くとも濃い付き合いがあるだけに、アキミも気楽に構えられた。

「……いいじゃないの。オーケー、その話乗ったわ。改めてよろしく、ハヅキ」
「こちらこそよろしく、アキミ。きっとミユキさんも喜ぶわ」

アキミとハヅキは手を握り合った。
誰かから自分が必要とされる嬉しさ、もう天涯孤独には戻れないだろうという幾許かのほろ苦さ、
球場に残った熱気の残り香など、色々胸に去来するものたちを噛み締めながら、アキミはハヅキの体温を感じていた。



テンプル神殿は、アキミにとってそれなりに居心地の良いところであった。
スラム街とは比べ物にならないくらい良い住環境。旅の途中のように、モンスターとの遭遇を警戒し続ける必要も無い。
物価も落ち着いてきて、働けばとりあえず食べられる。身体がなまってしまうんじゃないかと心配になるほどだった。
それにしても、近場のリーベックには悪魔ダンジョンがあり、少し北にはルーフェンの森まである。
いずれも腕試しや金稼ぎに十分な場所だった。ルーフェンの森のエルフとは顔見知りでさえある。エルフたちは良い顔をしないが。

そんな生活が数ヶ月ほど続いたある日。

「勇者トイの宝ぁ? あんたそれ本気で言ってるの」
「そうだよ。俺は勇者トイの子孫なんだ……直系じゃないし、今はすっかり落ちぶれてしまったけどな」

事の発端は、タナカというスラム街から流れてきた男の話だった。
何でもタナカは、200年ほど前に活躍した勇者トイの財宝の在り処を、偶然知ったらしい。
しかしその在り処はドラゴンの山であった。勇者の子孫だが勇者そのものではないタナカには、回収など無理な話である。
そこでタナカは、財宝を山分けにする条件で、アキミに財宝の回収を依頼してきた。

「確かにドラゴンの山には、金目のものがあったけどね……ドラゴンが勝手に集めたものにしか見えなかったよ」

実際アキミは、勇者コナミとともにドラゴンの炎を掻い潜り、ドラゴンの巣にあった体の珠を回収してきた経験がある。
回収の際、行きがけの駄賃とばかりに金目のものを巣から奪ってきたりもした。
ドラゴンは、金目のものを好んで巣に溜め込む習性があるのだろうか。まるでカラスである。

「なんとか頼まれてくれないか? 俺が壷を割って地図を見つけてしまった以上、
 俺が宝を回収するか、地図を隠し直して一族に伝えなければならないんだが、勇者トイ一族といっても今はこのザマだ。
 俺の次の代があるかどうかも分からない。そうなったら、ご先祖に顔向けできないだろう」

アキミは心の中で眉に唾をつけた。以前、コナミが大盗賊ガイドウの宝の件で、おぞましい目にあったのを思い出したからだ。
宝こそ手に入れたが、金と引き換えに出来ない精神的な何かを奪われていた。自業自得だと思ったアキミは助けなかったが。

「まぁ……条件次第では考えてもいいわ。宝が見つかったら、8:2でどう? 勿論2はあんたよ」
「おい、元はといえば俺の家の宝なんだぞ。せめて3はよこせよ」
「だめ。あんた、前金無しでしょ。勇者コナミだってあたしを雇うときは前金を払ったわ。
 それにあたしが宝を持ち帰りそこなっても、あんたは何の損もしないけど、あたしは死ぬかもしれないんだよ?
 勇者トイが、本気で宝を隠そうと思ってたら、そう簡単に見つかるところに隠したりしないだろうし」

結局タナカは、アキミの口説に折れて宝の地図を見せた。
もったいぶって出された宝の地図は、それらしい外見をしていた。それはますます、アキミにガイドウの宝を連想させた。
アキミはトイの財宝にまったく期待していなかったが、タナカの話に乗ることにした。
そろそろ賭場が恋しくなってきた。ちなみに、リーベックにアキミが楽しめるほどの賭場はない。

「……というわけで、あたし出かけるから」
「ひとりでドラゴンの山に行くのかしら。ちょっと心配ね」
「大丈夫よ? わたしだってついていくから」
「……それでもふたりよ。しかも、あるかどうかも分からない宝を探すなんて」

ミユキは、しばらくアキミの話に難色を示していた。
ドラゴンの山に埋まっているらしい、200年前の伝説の宝を掘り出しに行く、それも女の子ふたりで。
ダリ遺跡でたくさんのパーツを見つけた実績が無かったら、まず冗談と笑われるところである。

人手不足のテンプル神殿で、自分のみならずハヅキまで引き抜いて遊びに――名目は出稼ぎだが――行くということに対して、
アキミも気が咎めるところはあった。トイの宝もついでに探すつもりではあったが。
だからアキミは、ミユキが彼女らの出発を渋る理由を、神殿の人手が足りなくなるからだと考えていた。
ミユキは何か言いたげな様子であったが、ハヅキが続けて説得すると、気乗りしなさそうに頷いた。

「はぁ、これが信用の差ってやつかしらねぇ」
「そう気を落とさないで。むしろここであっさり頷かれたら『あなたはいなくても構わないです』と言われたようなものじゃない?」
「まぁね……それにしても、ミユキさんがあんな煮え切らない顔をするなんて、珍しいわね」

アキミから見て、ミユキはシスターという職業が似合わないぐらい果敢な性格だった。
彼女はデスアキホの魔手から唯一脱走し、非戦闘員としてではあったが、コナミの旅に最後まで同行した。しかも自分の意思で。

「いいじゃない、せっかくうんと言ってくれたんだから。……無理を言ったから、少しは稼いでこないとね」
「それはあたしにどーんと任せなさい!」

アキミとハヅキは、意気揚々と神殿を出発した。
ハヅキにとっては、野球人形の一件以来の神殿からの外出だった。



「どうしたのハヅキ、顔色が悪いわよ。明日もこの街で休んでいこうか」
「心配しないで……わたしのことはだいじょうぶだから、神殿に帰りましょう?」

アキミたちの最初の遠征は不発に終わった。
トイの宝の地図に従ってドラゴンの山を探索して見たものの、地図の指し示す場所はゴブリンの棲み処と化していた。
ゴブリンどもの眼を盗んで調べてみれば、出てきたものは少々の金目のもの。
それらは全部集めて売り払っても、アキミが久しぶりの博打で稼いだ金に及ばなかった。

「もしかして、ドラゴンの山で拾った金目のものが呪われてたのかしら」
「……っ! の、呪いっていうのは……?」
「剥き出しの金目のものには、たまにそういうブツがあるのよ。呪いだとしたら、確かに早く神殿に行くべきね。
 ……ごめんね。あたしのわがままに突き合わせたばかりに、ハヅキにもミユキさんにも迷惑をかけて」
「ううん、わたしのほうこそ、サポートするなんて調子の良い事言って、足手纏いになってごめんなさい」

さらに悪いことに、ハヅキの体調が日に日に悪くなっていた。
そのため、アキミもあちこち寄り道するのを自重し、神殿への帰り道を真っ直ぐに辿っている。
ちょうどキャッスル城で一晩休んでいくことになったため、王宮の医師にハヅキを診せてみたが、
連日ドラゴンの山を探索したことによる疲労が溜まっている、としか言われなかった。毒や病気の類ではないらしい。
アキミの危惧通りに、ドラゴンの山のガラクタで呪われたとしたら、文字通り骨折り損のくたびれもうけである。

「ハヅキー、ごはん貰ってきたよー。あ、開けなくていいから、あたしが開けるよ」

ハヅキがベッドから身を起こしかけたときに、アキミは部屋の扉を開けていた。
ふたりはキャッスル城下の宿屋に部屋をとっていた。特に分ける理由も無いため、相部屋である。

「さすが勇者様御用達の宿屋は違うわね。店の人、あたしたちのこと覚えてたわよ。
 しかも急なお願いも聞いてくれたわ。消化のいいもの頼んだから、冷めないうちに食べましょ」

アキミが手に乗せていたトレイには、湯気を立てる汁物が二皿。
彩りは無いが、料理を冷めにくくする深い皿。柔らかく煮られた米に、適度なスパイスが食欲をそそる。

「あれ、アキミもそれなの? わたしに付き合うこと無いのに……」
「気にしなくて良いって。あたしだけ美味しいもの食べるのも気がひけるし、それに……」
「それに?」
「……ひとりで食べても、ねぇ。前はそんなこと考えもしなかったのに」

アキミは備え付けの卓と椅子を運んで、ハヅキのベッドのそばに座った。
トレイを卓に置く。銀の匙で食事を掬う。軽く息を吹きかけた後に、ハヅキに目を合わせて、

「ハヅキ、口あけて」
「あの、アキミ? わたしは自分で食べられるから」
「いいから、口あけて」

子供のような扱いに、ハヅキは赤面していたが、アキミが目をきらきらと輝かせて迫るのに押されて、口を開けた。
ゆっくりと、宝箱の錠前をいじるよりも慎重な手つきで、アキミは匙を運ぶ。くちびるに匙が触れる。

「どうかな?」
「もう少し、熱いままのほうがいいかな。冷めちゃってる」



再びアキミは皿に匙を潜らせる。

「いや、もういいから、気が済んだわよね?」
「気が済んだ? 何の話かしら。まだたくさん残ってるじゃない。もしかして食欲無いの」

アキミの目の輝きはますます増していた。

「ぜったいあなた楽しんでるでしょ?」
「そんなこと無いって。あたしのごはんが食べられないっていうの」
「アキミが作ったわけじゃないでしょうに」

ハヅキは半目でアキミを睨んだ。その視線に力は無かった。
数息、ふたりは見つめ合っていたが、やがてハヅキが観念して口を開けた。嬉々としてアキミが匙を取る。

「あっ――」

互いに不慣れな動作だったせいか、二口目をアキミはわずかに零してしまう。
くちびるから尾を引く雫に、アキミは咄嗟に指を伸ばす。ハヅキの白い肌に指先を滑らせて、垂れかけた雫を拭う。
慌てた勢いで、アキミの指先がハヅキのくちびるに触れる。かすかな息遣いを、繊細なそれで感じる。

ハヅキは顔をくすぐった感触にきょとんとしていた。アキミが描いた軌跡を、自分の指でなぞってみる。
顎に近いところからはじめて、くちびるまで辿り着くと自分の息遣いを感じる。アキミもそれに触れたことは、すぐに察せられた。
粗相を詫びながらアキミが用意した手巾に、黙って口元を拭わせる。柔らかい布の感触は、指先のそれとは違っていた。

夕食が冷ますまでもない温度になっても、アキミはハヅキに匙を握らせなかった。ハヅキも最後までアキミの行動を制止しなかった。
さっぱりとした料理の味つけは、湯気のように記憶から消えていた。



(冗談のつもり、だったんだけどな)

その日の夜。
アキミはベッドに転がっていた。自分の腕で自分の身体をかき抱いていた。背中のほうには、相部屋のハヅキが寝ているはず。
けれども、彼女は眠っていない。夜更かし癖が急にぶり返したのか。神殿での朝早い生活に慣れてきたせいか、旅立ちの前のアキミは早寝になっていた。
こんな時間まで起きている日など、最近はなかった。

一度やってみたかったから。軽い気持ちで、ハヅキのくちびるに匙を持っていった。
そのときのハヅキの反応は、冒険しているときには無かった感覚を、アキミに芽生えさせた。
だから、ハヅキに軽く睨まれても、アキミはその行為を続けた。むしろあの表情に煽られたのかもしれない。

何となく胸の奥がざわつく感覚に、アキミは困惑していた。目が冴えてしまっている。
直接背中合わせになっているわけでもないのに、後ろに身体を横たえているであろうハヅキを意識してしまう。

(かわいい――じゃないのよ、もうっ)

初心なネンネじゃあるまいし、とひとり言ちる。そもそも色々とおかしい気がする。
ハヅキとふたりきりで明かした夜は、今夜がはじめてではないというのに。
彼女の困惑を黙殺して遊んでいたせいか。罪悪感というほど深刻なものではないが、やってしまったかという思いはある。
今更になって気恥ずかしさが湧いてきた。これが夕食の時に湧いてきてくれたなら自重できたのに。
持て余したざわつきが眠気に侵食されはじめるまで、アキミはベッドで蹲っていた。

声が聞こえる。
浅い眠りだった。モンスターの襲撃に備えるうちにそうなったのだが、アキミは何故目が覚めてしまったのか、すぐには分からなかった。
明瞭としない意識であたりを窺う。懐に忍ばせた短剣を握る。その堅さが、彼女を覚醒させる。
誰かが床を踏む音はしない。殺気も感じない。不審な薬の匂いもしない。部屋にはハヅキとふたりきり。
思い過ごしか。ハヅキが本調子でない状況で緊張して神経が昂ぶっていたせい、とひとりで納得する。

また声が聞こえる。
今度は間違いなかった。アキミは茹だりそうな心臓を押さえつけて、もう一度周りの様子を確認する――これはハヅキの声だ。
この部屋にはアキミとハヅキしかいない。息苦しそうな声音がする。別の意味で心配になってきた。
外からの侵入者の気配は無さそうだが、これはただごとではない。ハヅキの容態が悪化しているのか。
ハヅキの状態が対処できないほど深刻なものになったならば、何か手段を考えなければならない。
例えば、王宮のあるかないか微妙なコネで強引に人手を借りるとか。

「アキミ……」

空気中に拡散していく呟き。どこか湿っぽくなった夜の帳。
そこには、混乱魔法にかかる直前の感覚に似た、触れてはいけないようなものがあった気がした。
自分の名前が、ここまで熱っぽい響きを持つのかと思って、アキミは背筋がむず痒くなる。頬が火照るのを感じる。

「なんだ、起きてたんじゃない? あなたも眠れなかったんでしょ」

首だけで振り返ったアキミのほの暗い視界いっぱいに、ハヅキの姿が映った。わずかな囁きも届きそうな距離。
その姿にアキミは、洞窟の淫魔(ルーズ)――ハヅキとは似ても似つかないはずの――が二重写しになって見えた。



声さえあげさせずに、ハヅキは馬乗りになってアキミを組み敷いた。
そのまま肩口を手で抑えて、アキミのくちびるを貪る。不意を突いて歯列に割り込もうとしたとき、鋭い痛みが走った。

「いたいわ……もう。噛むことはないでしょう?」
「あんた、これはどういうことなのよ」
「あなたがいけないのよ、全部あなたのせいなんだから」

抵抗する腕を掻い潜って、アキミの服に手をかける。力を込めて押し退けられても、構わず引っ剥がす。
数え切れないほどの魔物を仕留めた腕も、ハヅキに対して抵抗らしい抵抗ができない。
仲間に対して本気で振り払うことを躊躇っているのか、

(それだけじゃないでしょう? アキミ)

「や、やめてよハヅキ、冗談きついって、今ならまだっ」
「もう無理よ。耐え切れないの。あなたが……欲しい」

またハヅキはアキミのくちびるを襲った。今度は舌でくちびるを弄び、上から唾液を送り込む。
強張ってしまったアキミの肢体を撫でつつ、脱がせる作業を再開する。アキミの肌があらわになっていく。
細くしなやかな腕。指で触れるたびに反射運動が感じ取れる鎖骨。栗色の髪に指を通す。

「アキミ、もう息が荒くなってるんじゃない?」
「ハヅキっ、どうしてっ……いやっ、やめてってば、あたしはっ」

首筋に指を這わせて呼吸の手触りを味わう。髪で隠れていた耳朶に、ハヅキは迫った。
そこが生暖かい吐息に巻かれただけで、アキミは眉根を寄せる。舌で耳殻を舐る。溝のひとすじひとすじまでが、唾液で濡らされていく。
蠢く粘膜。その後に残る冷たさ。それに浸らせる暇も与えず、ハヅキは耳穴まで侵入する。
舌が捻じ込まれる。音が直接アキミの頭に流し込まれる。ぐちゃぐちゃと下品な水音が、抗いようも無いほど近くから襲ってくる。
未経験のそれらに、アキミは翻弄されていた。背徳感だったり、羞恥心だったりが、代わる代わる顔を出す。

「いいわね、顔真っ赤にして、とっても可愛い」
「ねぇ、ハヅキ、あたしが悪かったから、だからもう冗談はやめて」
「冗談……? わたしは、ここまできて、悪ふざけで済ませるつもりなんかないわ」

(冗談なんかじゃないわ。たぶん、ずっと考えていたことだから)

熱に浮かされた顔つきのまま、ハヅキはアキミの肌を堪能する。胸のふくらみに頬を寄せれば、鼓動が聞こえてきそうだった。
顔が辛うじて分かるほどの夜目で、アキミの身体を眺める。視線に敏感なアキミは、それだけで火の出るような思いをさせられる。
アキミは細身だが、服を脱がせて見れば、女としての柔らかそうな曲線も持っていた。
さらに暗闇にぼうと浮き上がる肌の色が、無残に脱ぎ散らされた服とあわせて、劣情を煽ってくる。

「恥ずかしがるのもいいけど、アキミはきれいよ?」

もうアキミは、まともにハヅキの顔が見られなかった。それなのに、ハヅキの表情が分かってしまう。
振り向いた瞬間の、悪魔女を連想させるような、蕩けきった表情が。

ハヅキはアキミの胸に手を伸ばした。小さなハヅキの手にはやや余るふくらみを、ゆっくりと揉みしだく。
それはアキミをいたわるものではなく、自分がその瑞瑞しい触り心地を愉しむためのものだった。

「ふぁ……はぁ……あ……」
「こうやっておっぱいいじってると、あなたが興奮してるのが分かっちゃうわね?」

優しげな手の動きが、緩急を伴ったものに変わっていく。おもちゃを弄るようにぷるぷると震わせる。
麓から頂に向かって搾り出すように力を込める。堅くなり始めた胸の頂に向けて、ねばつく吐息を吹きかける。

「もっといじって欲しくなってきたんでしょ」
「ひゃっ、そんな、そんなこと」



ハヅキは指をふくらみに食い込ませながら、指の間で胸の頂を挟み込み、しごきだした。
心臓のあたりが締め付けられる錯覚が走る。まどろんでいた官能が身を起こしていく。
反応に気を良くしたのか、ハヅキはもっと大胆な責めに転じる。くちびるに挟む。舌で唾液を塗りつける。
軽く歯型がつきそうなくらいの甘噛み。強く吸い付いて、乳首を口内に閉じ込めて、舌と歯でなぶる。

「ああぁっ、ひいぃぁあっ、だめ、だめだったらっ」

口唇に責められていないほうの頂は、手指が襲い掛かる。抓る。捻る。引っ張る。
口による責めと緩急を連動させて、爪先で焦らすように引っかく。治まりかけたところに、まただんだん刺激を強くしていく。
許容量を超えた激しさに、アキミはいやいやと首を振る。切羽詰ってくるアキミの嬌声に、ハヅキは酔い痴れる。
嗜虐心に意識が浸っていく。可愛らしく、いやらしく、

(もっと、もっと鳴いて。わたしに声を聞かせて?)

「だめ、なんて嘘ついちゃいや」

ハヅキは一度責め手を離し、脇腹からかすかに浮き出たアキミの肋骨を撫でる。
肢体の曲線美のアクセントになる腰骨をくすぐる。アキミの腰がかすかに浮きかけた。
半ば無意識の為させたことであったが、アキミは自分の動きに気付いてしまった。

「期待してるんでしょう?」
「ちが、ちがうって、そんなことないって、いや、い、あうぅぅんっ……」

ハヅキは脚の位置を直すと、既に潤んでいたアキミの秘所をなぞり、彼女の蜜を陰核に塗り込めた。
無遠慮な手つきに、アキミは思わず背中をのけ反らせる。心の意思に反して、身体が震える。声が溢れてしまう。

「いっちゃったんだ。アキミは、ここがそんなにいいの?」

息も絶え絶えになったアキミを、ハヅキは無邪気に笑いながら見下ろしていた。
みんな同じ、もう少しで、同じところまで墜ちていける。指先に残っていた蜜を、見せ付けながら舐める。

「アキミの味はおいしいね。もっと、もっとわたしにちょうだい……」

アキミがその言葉を理解する前に、ハヅキはアキミの両脚の間に身体を置いて、秘所を指で割り開いていた。
あんまりな格好に、殆ど本能的にアキミは抵抗しようとする。しかし、ハヅキの目の前に晒された秘所は逃げられない。

(みんな同じだから、そんなに怖がらないで?)

「いやぁあっ、やめ……ひゃあんっ、あんんんっ!」

ハヅキは直に秘所へ舌を這わせた。ぴちゃぴちゃとわざとらしい水音を立てて、まだ開かれない入り口を嬲る。
張り詰め始めた陰核を指でいじめる。薄い草叢を撫で付けて遊ぶ。蜜と唾液が混ざり合って、アキミの秘所を覆っていく。
アキミの声は、最早泣き叫んでいると言ったほうが似合うものになっていた。

「うわぁ、アキミのここ、すごい熱くなってる。火傷しちゃいそうね」

アキミの秘所の中に、ハヅキは指を侵入させた。およそひとの身体とは思えない締め付けと熱。
動かすことさえ難しいはずの内奥を、ハヅキの細い指が蹂躙していく。

「いやっ、ハヅキ! ほんとにそこはだめ、だめだから、おねがいっ」
「だめ、もっとわたしと一緒になろう……? 気持ちいいわよ? だから、あなたも――」

指をもう一本増やす。きつい膣内を浅いところから馴らしていく。アクセント代わりに、開いた指で時折陰核を撫でる。
涙声が途切れる。感触を頼りに、蜜を掬い上げて塗りたくる。内奥に打ち込んだ指にもまぶして、抜き差しを滑らかにする。
ざらついた天井を擦って回ると、アキミが悲鳴をあげる。どんな強敵の前でも出さなかったような、怯えの混じった声音。



「ねぇ、アキミ、どうしたの、もっと愉しまないとだめよ?」

ハヅキは、単に慣れない膣内の性感にアキミが戸惑っているものだと思っていた。

(その方が良かった。自分と同じだったら、自分と同じになれる。わたしが同じにしてみせる)
(そうすれば、きっと、夜毎押し寄せるものに、苛まれなくて済むから)

ハヅキはアキミを宥めるために、指による責めを取りやめて、口唇によるそれに切り替えようとした。
舌で秘所の水気を広げようと、秘所の周りから舐め上げた。
蜜とは違う、べっとりと張り付くような生臭さが、ハヅキの味蕾を染めた。

ハヅキは、アキミに打ち込んでいた二本の指を見た。視線を上げて、くしゃくしゃに歪められたアキミの顔を見た。

(いやっ、アキミ……わたし、こんなの、嘘っ)

「あ――わ……わたしっ……」

何か、とても大事なものが、目の前でがらがらと崩れていった気がしていた。
アキミが我に返ったとき、ハヅキはまだアキミのベッドの上に転がっていた。
転がったまま、調子がおかしくなったゴーレムのように、ひたすら何事かを呟いていた。



アキミとハヅキは、数日後にテンプル神殿へ帰り着いた。王宮衛士隊の数人かが、護衛についていた。
アキミがヤマダに無理を言って手配した人手である。

「ハヅキは……あなたに話していなかったのね」

重い口ぶりで事の顛末を話したアキミに、ミユキは抑揚の無い声で話しかけた。
ハヅキは自分の部屋ではなく、ミユキの部屋に置いておかれた。彼女の荷物は、アキミと王宮からの人手が運んだ。
禁治産者のような扱いだ、とアキミは思った。

「アキミ。もしあなたが、まだ神殿にいてくれるのなら、あの子から離れないでいてくれるなら、聞いて欲しいことがあるの」

アキミは、やっとの思いで顔を上げた。ミユキの目から逃げそうになるのを、懐剣を握り締めて抑える。

「あの子が……チャーチ教会からバケモノ神父へ売り飛ばされたことは、知ってるわよね」

アキミはミユキの目を見返した。バケモノ神父との二度に渡る戦闘は、未だに鮮烈な記憶として残っていた。
バケモノ神父――デスアキホと名乗っていた――は、神父になりすました悪魔だった。
女を集めて奴隷にし、飽きたら売り飛ばす。リーベックの街から女の姿が消えるほど、それを繰り返した。
そこから脱走したミユキが勇者コナミに助けを求めたことから、勇者たちとデスアキホの戦いが始まった。
このテンプル神殿で、最初にデスアキホと戦った。上級悪魔をも上回るタフな肉体と魔法の実力に、コナミたちは苦戦する。

「あの子は、デスアキホに攫われた女の人の中でも、とりわけひどい目に合わされた。皆までは言わないわ」

デスアキホは本気で戦うつもりが無かったのか、自分の集めた女たちをワープさせると、コナミたちの前から逃げ去った。
コナミたちは、野球人形の一件の途中であったが、デスアキホの悪行を見逃すことが出来なかった。
そしてサンドの街で再戦。デスアキホを退け、囚われていた女たちを解放した。解放された中に、ハヅキも含まれていた。

「デスアキホはハヅキに相当執心していたらしいわ。あなたたちに解放されてから分かったことなんだけど、
 ハヅキにはある特殊な呪いがかけられていた。簡単に言えば、催淫の呪いね」
「……そんな状態で、あたしたちに同行していたというの?」
「呪いは、わたしの魔法で何とか抑えていたの。でも、わたしが未熟だったせいで、解除するまではいかなかった。
 おそらくデスアキホにとどめを刺すしか……デスアキホが再び現れたとき、わたしとハヅキだけでは、あのバケモノには到底叶わないわ。
 だから、あなたたちに同行していたの。ごめんなさい。黙って利用するような真似をして」
「それはあたしだけに言っても、仕方が無いでしょ」

結局デスアキホと遭遇しないまま、野球人形の一件は解決した。一行は解散し、ミユキとハヅキはテンプル神殿に赴いた。
アキミはハヅキに誘われて、ともにテンプル神殿に身を置くことになった。



「あなたに関しては、現在進行形で用心棒やってもらってるから。余計に謝らないといけない。
 あなた以外にも助けを求めるべきだったんだろうけど、信頼できそうな人は皆どこかに旅立ってしまった。
 ……ハヅキがあなたに声をかけたのは、男というものに不信感があったのか、催淫の呪いが悪化したときのことを考えてたのかも」
「それで、あたしがハヅキを神殿から連れ出したせいで、呪いがぶり返したって言うことなの?」
「……端的に言えばそうよ」

どうして言ってくれなかったのよ――と口に出しかけて、アキミは言葉を飲み込んだ。
アキミの外出にハヅキを付き合わせることは、アキミがハヅキに話の流れで約束させたことで、ミユキは関知していない。
そしてアキミが外出を提案したとき、ミユキは首を縦に振らなかった。

「あのとき、どうにも煮え切らない顔してたと思ったら……予想はしてたわね」
「わたしがもっと強く止めていれば、ね。女の子同士なら大丈夫か、と思ったのはわたしの油断だった」

ミユキの話が途切れた。アキミは、ハヅキと歩いていった道のりを、サンドから順に思い起こしていた。
渇きと暑さの支配するサルムス砂漠。死者の都ダリ遺跡。人と魔を分かつクリフの崖。魔王が一番温厚な魔王城。城下街。迷いの森。ドラゴンの山。

「ハヅキは、ずっとあのままなの?」
「今はそっとしておいて。神殿はそういう面倒を見るところでもあるから、ある程度は回復するはずよ」

あれだけ広いこの国で、ハヅキがまともに行き来できるのは、こんなちっぽけな神殿だけだった。
気ままな自分の身の上をハヅキに重ね合わせたことが、アキミには馬鹿馬鹿しく感じられた。
やがてアキミは意識を目の前の部屋に引き戻すと、ミユキに向き直った。

「ミユキさん。あたしは、何かハヅキにしてあげられることはないかな。
 あれから、ハヅキはあたしと話もできていないの。あたしとハヅキは仲間なんだよ。
 下らない呪いのせいで、こんな目に合わされるなんて、あたしはぜったい嫌よ」

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