[27] Nameless sage 2007/09/17(月) 00:02:52 ID:SA8dCW/3
[28] Nameless sage 2007/09/17(月) 00:03:39 ID:SA8dCW/3
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[31] Nameless sage 2007/09/17(月) 00:05:59 ID:SA8dCW/3
[32] Nameless sage 2007/09/17(月) 00:06:48 ID:SA8dCW/3
[33] Nameless sage 2007/09/17(月) 00:07:33 ID:SA8dCW/3

 明かりの灯らない部屋。窓を閉め、ボロボロのカーテンで閉ざされた部屋に彼女はいた。

「はぁ、あ、あ……」

 美しかった金の髪は痛み、長い間手入れをしていないことが伺える。艶を失い、べっとりと顔に張り付いた
それを不快に思う事すらできず、彼女はただ光のない瞳を虚空に漂わせていた。
 細い、枯れ枝のような腕が震えながら持ち上げられる。その腕に走る無数の傷。それを一つ一つ撫でなが
ら、掠れた声を出し続けた。
 その腕に、ゆっくりと刃が当てられる。
 暗闇の中、唯一の光を見つめ、彼女は口元を歪ませた。

「……」

 無言でその手首に紅い線を走らせる。
 紅。
 この世で、一番嫌いな色。
 そして、一番見てきた色。

「もっと……しないと……」
 
 慣れきった痛みに顔をしかませる事無く、彼女は刃をずらし新しい傷を腕に刻む。たちどころに溢れた血液
は流れ落ち、彼女の座るベッドのシーツに染みをつくった。
 紅く斑な、もう元の色を忘れてしまったシーツだった。
 傷の痛みに思考を停滞させながら、彼女は埃で曇った鏡に見入る。その目の前にある紅い瞳。一つだけの瞳
を同じ瞳で睨み、唇を噛んだ。 

「早く手当てしないと死んじゃいますよ? いいんですか?」

 不意に、楽しそうに笑う女性の声に振り返り、無表情のまま自分の腕を指す彼女を見た。

「いつまでもそうやって。そんなことしても無駄だって、言ったと思いますけど」

 それに首を横に振って否定する金髪の彼女に、桜色の髪を腰まで垂らした彼女は口をゆがめたまま、彼に頼
まれて持ってきた救急箱を投げつけた。
 床に落ち、ばら撒かれた包帯と消毒液を見ずに、そのまま出ていった彼女を見ずに、鏡を見続ける。
 これが、大切な人を壊したものと同じもの。
 一つだけ残ったそれは、かつての輝きを宿していない。けどそれでいいと、彼女は笑いながら本物の代わり
に鏡像を叩きつけた。
 何度も何度も。傷だらけの手を更に破片で傷つけながら。
 何度も何度も。
 償いように自分を傷つけ続けた――――。

「あれ、どうしたのエリオ君?」
「なんでもないよ」

 扉を閉め、背中越しに自傷行為に耽る育ての親の声を聞きながら、彼女は管理局の制服を来た彼に笑った。
 彼はそれに笑みを返し、一歩近づいて彼女の唇を舌で割る。

「はぁ、んんっ……えりお、くん……えりおくんは、ちがうよね……?」

 彼女が彼の制服のボタンを外し、彼の大きな手が彼女の服を剥いでいく。露になったやや小ぶりの胸。その
柔らかさを楽しみ、耳元に吐きかけられる彼女の熱い息を感じながら、彼がその尖った乳首を口に含み、舌で
転がして上目遣いに彼女を見た。
 微笑の中、彼女はいつもどおり嬌声をあげ、抱きつき快感をむさぼっていく。

「えりおくんは、あの人みたいに……んんっ、壊れた不良品なんかじゃ、ない……?」
「当たり前だよ。僕をあの人と一緒にしないで欲しいな」

 目の焼きついて離れないのは、自分達を強くしてくれた彼女の壊れた姿。
 耳に呪いのようにこびりつくのは、未だ聞こえる育ての親の懺悔の声。
 未だ心を苛むのは、彼が涙を流して生まれた子を抱きしめていた姿。
 そしてそれは。
 十年前から何も変わらない。

「あんな昔のこといつまでも引きずってるなんて、馬鹿みたいですよ。フェイトさん」

 何も変わらない。けれど、もう終わったことだった。


魔法少女リリカルなのはStrikerS
―Nameless―
最終話


 眼前に迫り来る拳。それに腰を抜かしながら、少年は目の前の彼女を見上げ表情を引きつらせていた。

「動きは悪くないけど。ちょっ強引過ぎたかな。真正面からなんて、簡単に通用しないよ」

 拳を戻し、デバイスを待機状態にした彼女――――スバル・ナカジマ戦技教導官が腰を抜かす少年の手を取
り立ち上がらせる。
 ふらふらと、今にも崩れそうな今期入隊の新人達の不甲斐なさに苦笑しつつ、自分もそうだったかもと思い
出す。クスクス、と思い出し笑いをしながら新人達を並ばせ、高らかに今日の教導の終了を告げると、緊張し
た空気は消え、新人達は一斉にその腰を地面に預けうな垂れた。

「相変わらず厳しいわねー、ナカジマ教導官?」
「この子達がだらしなさ過ぎるの。あたしは普通だよ? ランスター執務官?」

 腰を抜かしたままの新人達が訓練場から逃げていく中、持っていたドリンクと共に、ティアナが労いの言葉
をスバルに投げる。
 慌ててそれを受け取ったスバルが、ぷはぁと一息で飲み干して、いつものように二人は本局の通路を並んで
歩いた。

「あんた、お昼はどうするの?」
「んーまだ決めてないよ。ティアは?」
「私もよ。なんなら外で食べる? バイク出すわよ」

 いいねぇ、と瞳を輝かせながらスバルがティアナの腕を絡め取る。それに頬を染め、形だけ抵抗しながら共
に歩くティアナ。その二人のエースの姿に、すれ違う局員達が苦笑を混ぜて視線を向けていた。

「あのさティア、あたしね。明日お休みなんだぁ」
「あっそ、私は仕事よ。一人で食べ歩きでもしてなさい」

 年甲斐もなく頬を膨らませるスバルにため息を吐き、ふと、ティアナが視線の先、見慣れた人物を目にとめ
る。
 いたのは、また何か失敗したのか、ペコペコと頭を下げる金髪の人物と彼女の上官の赤い髪の人物。

「スバル、こっちから行きましょ」
「えっ、うん……でも、いきなりどうしたの?」
「別に。ただ、惨めだなって思っただけ」

 別にもう終わったこと。
 それを引きずっている姿には、ただ苛立ちしか沸いてこない。
 そう、気づかれぬよう唇を噛んだティアナがスバルの腕を引き、歩く速度を早くした。

「さっきの、フェイトさんだったね」

 その足が、ぴたりと止まる。

「エリオも、あんなに怒らなくてもいいのにね」

 やはり、隠し事は出来ないらしい。
 もう、十年以上の付き合いだ。鈍感なようで鋭いスバルは簡単に見抜いてしまう。

「あんな姿でいつまでもいられて。エリオとキャロの身にもなってみなさいよ」
「そうだね。何の意味ないのに」

 無表情のまま、スバルは呟いていた。
 その奥にある感情は読み取れない。きっと、何十年経っても分からないだろう。それ程までに深く、何も見
つからない表情だったから。
 自分のように惨めだと思ったのか。
 同情したのか。
 悲しみに耐えているのか。

「あんなの、とっとと忘れたほうが楽なのにね」

 その表情が途端に変わる。無表情から満面の笑みへ。けれど、本質は何も変わっていない笑み。
 スバルはそんなティアナの感情に気づいているのか気づいていないのか、今度は逆にティアナの腕を強引に
絡め取り走り出す。
 途中何度も局員にぶつかりそうになり、何度も転びそうになりながら、子供のように走っていた。

「ティアー、明日休み取っちゃいないなよ! 明日は一日中遊びたおすのっ!」
「い、いきなりなによっ! そんな急に出来るわけないでしょっ!?」

 そう叫びつつも、頭の中で考えた。
 明日を休みにして次の日を激務にするか、それともなんら変わらない日々にしてしまうか。
 考えた末、取ったのはスバルの腕を引っ張りバイクを飛ばすこと。

「明日なんて言わない! 一日半、遊び倒そうじゃないの!」
「うん、その意気その意気。でもティアー、飛ばしすぎて事故らないでね」

 それに応えて、速度を上げた。
 流れる風景。全身に当たる風を感じながらどこまでも。

「ねー、ティア。そういえばさぁ、あの子段々似てきたよねー」

 不意に、エンジンの稼動音に負けない声量でスバルが叫ぶ。
 何よ、と振り向かずスバルに意識を向け、彼女の言葉を待つ。

「髪とかさー、二つに結ってすっごい可愛いの! お辞儀するとねっ、それが揺れてっ――――」
「聞こえないっ! もっと大きな声で言いなさいよっ!」

 だがやはり、この風に声は流れてしまう。呼ばれなれた自分の名前は聞こえたものの、その他の事はさっぱ
りだった。
 もう一度、スバルが叫ぶ。
 息を大きく吸い。
 ティアナの耳に届くように。

「あの子だよ! あーのー子! お母さんに段々似てきたねーって!」

 その名前に、ティアナがあぁ、と納得した。
 もう、笑顔で話せるくらいに、スバルにとってはどうでもいいことになってしまったんだと。
 ただその笑顔が、昔とは全然違う気がするのが堪らなく嫌だった。


* * *


 んしょ、と可愛らしい声が聞こえた。

「んんっ……うるさいなぁ……」

 次は、ドスンという重たい何か、まるで重なった本を床に置いたような音。
 んしょ、ドスン、んしょ、ドスン、んしょ、ドスン――――。

「うるさいよぉ……お願いだから静かにして……」

 耐えかね、ソファに寝ていたユーノが起き上がり辺りを。
 そこにいたのは騒音の元。自分の安眠を妨害したにくき敵。その揺れるツインテールに狙いを定め、

「こらっ! ユーノパパ寝てるんだから静かにしなさい!」

 全く予想外の方向。積もりに積もった本の山から、聞きなれた声と共に現れた白い手に妨げられた。

「ヴィヴィオいたんだ」
「うん、この子がユーノパパのお部屋そうじするーって」

 横に結った髪を揺らし、本の山から姿を現したヴィヴィオが口端を吊り上げて笑う。
 彼女の視線の先、涙目で暴れている少女は姉の力に抵抗しようとツインテールを逆に引っ張り、それに更に
涙を浮かべて、姉の瞳を睨みつけた。

「お姉ちゃん離してよっ! 今日はユーノパパのお部屋掃除するって決めてるのっ!」
「だからっ、ユーノパパお仕事で疲れてるんだからっ、大きな音出しちゃ駄目なの!」

 互いに頬を膨らませ、姉妹が火花を散らせている。
 怒るべきなのは、大人気なく妹の髪を引っ張っている姉なのか、父の安眠を無視して騒音を立てている妹か。

「分かった。二人とも、ここ座ること」

 考え、二人を同時に起こることに決めた父が、対面に座る二人を怒りとは裏腹に静かに諭していく。
 感情的にならず、まだ半分寝ぼけたままなのを全力で隠して。

「ねぇ、ユーノパパ。今日はどうするの?」

 その最中、もう殆ど聞く体制ですらなかったヴィヴィオが、身を乗り出してそう伺った。その紅と緑の瞳が
輝く中、まるで休日に遊園地へ父を引っ張る子供のように。
 これが、今や各部署で引っ張りだこの魔導師だとは思えない。その様子では、隣にいる妹の方が姉のよう。
 苦笑しつつ頬を掻き、ユーノが今日の予定を頭の中に浮かべて背筋を寒くした。

「んー、ちょっと忙しいかなぁ……ははは……」
「えー、ヴィヴィオ遊びに行きたかったのにぃ!」
「にゃはは、お姉ちゃんパパに迷惑かけちゃ駄目だよ」

 駄々をこねる姉の腕を引き、妹が司書室の扉を開けた。それを父が手を振って見送り、パタン、と小さな音
を立てて騒がしい二人が姿を消した。

「ふぅ……」

 まるで、その騒がしさが室内の空気までもを変えてくれていたよう。
 そんな名残を残して、空気は暗いものに変わっていく。
 ユーノは無言で立ち上がり、スーツの上着を羽織って秘書に視線を送った。

「ごめんね。ちょっと出るから」
「そんな事言わないで、ゆっくりしてあげたらいいじゃないですか?」

 いつも頷くだけだった秘書の反応に内心驚き、ややあってから頷いた。
 久しぶりに、ゆっくり話をしたかったから。

「そうだね。今日はもう戻ってこないから、何かあったら連絡して」

 頷いた秘書の声。それを背中に受けて無限書庫を後にした。
 周りは、音が無くなってしまった様に静かだった。そう感じるほどに、ユーノの心は小波すらない穏やかな
海のよう。
 それを辛く思うことも、もう無くなってしまっていた。

「あ、あの……」

 本局を出るまでの道のり、そんな声に振り返る。
 声をかけたのは、やはりフェイトだった。毎月一回。震え、怯えながら彼女はユーノに声をかける。
 何、と分かりきっている事を口にして、目の前の傷だらけの彼女を視界に映した。

「……治療代……今月も、入れたから……」
「フェイト、もう――――」
「ひっ、あっ……!?」

 そんな事しなくていいから。そう、手を伸ばして突然の悲鳴に遮られた。
 フェイトが人目も憚らず頭を抱えて蹲り、歯を鳴らして震えている。
 震えて、ユーノを怖がっていた。

「い、やぁぁ……許してください……何でもしますから……」

 逃げることも考えず。片方の瞳から涙を流して。失禁までして。
 すれ違う局員が、二人を見る。何事かと視線を向け、フェイトの姿を見てまたか、と嘲笑と共に視線を逸ら
して。誰も助けず笑うだけ。

「フェイト、そんなことしたって何の意味も無いよ……僕は、君を一生許さない」

 きっと、彼女も。

「もう行くから。お金ももういらない。迷惑だから」

 こうやって、フェイトから全てを奪って。
 泣き叫ぶフェイトから視線を外して本局を後にした。
 ――――そして。
 本局を出て車で 1時間もかからない場所。そこに、今も彼女は独りでいる。

「久しぶり。ごめんね、最近ずっと忙しかったんだ」

 前は、何を置いてもいたのに。
 何を犠牲にしても傍にいたのに。
 視線を動かせば、白い花瓶に咲いた花が萎れていた。見なかったことにして視線を逸らし、彼女の事を考え
て手ぶらで来てしまった事を後悔した。
 この部屋は、悲しいくらいに何も無いから。
 夕焼けを怖がるからだろう。窓も無い。ベッドと、萎れた花を飾る台と彼女だけ。そんな、何も無い真っ白
な部屋だった。

「あれからね十年も経ったんだ。もう、あの子も九歳だよ。僕がなのはと出会ったときと同じなんだ」

 そんな白い部屋で、彼は彼女に語り始める。
 彼女の手を強く握り、出来るだけ優しく。
 あの日の自分を思い出して。

「今は、みんな笑ってくれてる。スバルは教導官になったし、ティアナもリハビリ頑張って執務官になれたん
だ。スバルがそうやってすごい喜んでた。喜べるようになったんだ」

 時間の流れは、抗えないほど残酷で。
 残酷だと思ってしまうほど優しくて。
 それでも、肝心なものは埋めてくれないまま、別のもので埋まってしまう。

「僕ももう、慣れちゃったのかな? なのはが笑ってないのに、笑えるようになっちゃった。毎日楽しくて、
仕事も頑張れるようになった」

 でも全然違う。
 スバルの笑顔も。 
 みんなの笑顔も。
 自分の笑顔も。
 フェイトだけは笑わず、今もあの日を彷徨ったままだったけれど。

「そうだ、あの子ね。段々なのはにそっくりになってきたんだ。困ったときとか、なのはみたいに笑うんだ
よ? ヴィヴィオも、僕の事パパって甘えてきてくれて。どっちがお姉さんか分からなくて困っちゃうんだけ
どね」

 こうやって、毎回同じ話をし続ける。
 彼女がどれに興味を示すか。どんな話に反応してくれるのか分からなくて。永延と同じ話をして、ずっと
手を繋ぎ続ける。
 いつか、彼女が反応してくれると信じて。

「でも、その中に君がいない。誰も話題にしてくれない」

 誰も、君の名前を呼んでくれない。
 まるで、最初からいなかったかのように。

「僕も、そうなんだ。今だけ……ここから出たら、もう君の名前を呼ばなくなる。君の名前を忘れちゃうんだ」

 フェイトが羨ましかった。
 ただ彼女の事を考えて。
 彼女の事以外頭に無くて。
 彼女の名前を今も呼び続けられている。
 ――――だから、自分も。
 永遠に呼び続けるために、絶対にしてはいけないことをしてしまった。

「なのは……あの子の名前ね、なのはって言うんだ」

 彼女にそっくりだったからか。
 あの子の笑顔に、彼女を重ねてしまったからなのか。
 誰よりも幸せに。誰よりも優しく。そう願う名前が、もう一つしか思い浮かばなくなってしまったからなの
か。

「毎日毎日……なのはって呼んでる。なのはおはよう、なのはおやすみって」

 あの子の名前を呼ぶ度に、彼女の名前を呼んでいた。
 彼女の名前を呼ぶために、あの子の名前を捨て去った。
 捨て去ったはずだった。

「でも、最近は違うんだ……君じゃない……僕は笑顔であの子を呼んでる……あの子の名前だと思って……
なのはって呼んでるんだ」

 それで気づいてしまった。
 なのはの名前を呼ぶために、彼女から名前を奪ってしまった。
 なのはは一人だけのはずなのに、なのはは今目の前にいる筈なのに。自分勝手な思い込みで、もう何も残っ
てない筈の彼女の名前すら奪って、違う誰かを呼んでしまった。

「もう、分からなくなりそうなんだよ。なのはって呼んで……誰を思い浮かべてるのか……だってさ、なのは
って呼んで……声が返ってくるのは一人だけなんだよ?」

 自分の娘じゃない他人の子供。けれど、彼女が愛した子供。そう思って育てようと決心して、いつか、みん
なで笑顔になれると願って。

「お願いだよなのはっ、返事をしてよっ! 約束なんてどうでもいい! もう僕がそんなの破ったんだ! だ
からなのはが何も苦しむことなんか無い! お願いだから……お願いだから返事をしてよ……!」

 返事をしてくれれば、思い出せる。
 返事をしてくれれば、なのはが誰なのか覚えていられる。
 返事をしてくれないと、今いるのがなのはだと思えなくなりそうだったから。

「返事をしてくれない名前なんて……消えちゃうだけだよ……返事をしてくれないと……名前なんて意味無い
んだよ……」

 涙と共に彼が語りかける中、彼女も同じように泣いていた。

「じゃあ……わたしは……だれ……?」

 それは錯覚のなのか、そうではないのか。
 そんな声が聞こえた気がして、彼が咄嗟に彼女を見上げた。

「わたしは……だれ? なのはじゃないの……?」
「な、なのはっ、なのは……なのはだよ……」

 ゆっくりと、首が横に振られる。
 ゆっくりと、言葉が紡がれていく。

「あなたは……なのはってよんで……だれをみてるの? わたし? それともちがうこ?」

 返事をしたくても、呼ばれないと返事なんて出来はしない。
 自分を見て、呼んでくれないと何も返せない。
 何も応えない彼に、彼女はクスリ、と笑い手を離した。

「もう……なのはって……わたしのなまえじゃないんだね……」

 最後に呟いて、それ以上何も返してはくれなかった。
 いくら呼んでも意味は無い。
 それは、もう彼女の名前ではなくなってしまったから。

「ユーノパパ、ママのところ行くなら言ってよー! なのはも一緒に行きたかったのに!」

 病院を後にし、車に乗ろうと思ってその声に視線を向けた。
 いたのは手を広げて走り寄ってくるなのはと、それを見ながら笑っているヴィヴィオ。
 なのはを抱え、頬を擦り付けてユーノが笑う。

「ねぇ、今日はママとお話できたの?」
「ううん、今日も出来なかったんだ」

 残念そうに笑うなのはと、泣き笑いのような表情のヴィヴィオの手を握り車の方へ消えていく。
 そして、呼んだ。
 笑顔で。
 ただ一人を思い浮かべて。

「なのは、今日はパパお仕事お休みだからどこか遊びに行こうか?」

 時間が全てを癒してしまう。
 全てを、新しいものに変えてしまう。
 大切なはずの彼女の名前すら、違う人のものへと変えてしまう。
 そして、もうそれを嘆く心すら、どこかへ消えてしまっていた――――。


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目次:―Nameless―
著者:246

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