最終更新: nano69_264 2012年05月12日(土) 21:01:05履歴
615 名前:あの夏の日の思い出 [sage] 投稿日:2012/01/20(金) 13:47:28 ID:pncy4jYI [2/5]
616 名前:あの夏の日の思い出 [sage] 投稿日:2012/01/20(金) 13:49:44 ID:pncy4jYI [3/5]
617 名前:あの夏の日の思い出 [sage] 投稿日:2012/01/20(金) 13:50:57 ID:pncy4jYI [4/5]
年の暮もせまったその日、わたしとヴィヴィオは一緒にこの年の出来事を振り返っていた。こたつで向かい合いながら、わたしは年賀状を書き、ヴィヴィオは今年の十大ニュースを考えている。
「ヴィヴィオー、十大ニュースはもう選び終わった?」
「うーん、まだー。あと一つなんだけど」
選ぶことが多すぎて、十にまとめきれないらしい。そんなヴィヴィオの姿が、自分の子供の時と重なり、おもわず笑ってしまう。しかし、ヴィヴィオの次の一言を聞いた瞬間、わたしの顔はそのまま凍りついてしまった。
「一番は絶対決まってるんだけど。夏にママたちと山に行ったこと!」
「…………………………え?」
ヴィヴィオが言ったことがどういうことであるか理解するために、しばらく時間が必要だった。
(…山に…行った?)
おかしい。
私の記憶では、夏に行ったのは海のはずなのだ。仕事が忙しく、フェイトちゃんと同じ時に休みをとる事が出来たのは一度きり。だから山に行ったなんていう出来事は無かった。
無かったのだ。
「行ったっけ?」
もしかしたらヴィヴィオの勘違いではないだろうか。そう思って確認の為に尋ねてみる。するとヴィヴィオは、わたしが大切な思い出を忘れてしまったと思ったのだろう、少し怒り気味な表情になった。
「忘れちゃったの、ママ!?あんなに楽しかったのに!フェイトママとなのはママと、三人で遊びに行った、たった一つの思い出なのに!?」
そう言われてもまったくその出来事を思い出すことはできない。確かにわたしたちは海に行ったはずなのだ。浜辺で潮干狩りをしたことも、クジラを見たことも、ヴィヴィオに泳ぎを教えたこと、私が覚えているのはそんなことだ。ヴィヴィオが今話したことは、まったく記憶にない。
わたしがすっかり忘れていると思ったのだろう。ヴィヴィオは立ち上がり、アルバムを持ってきた。
ヴィヴィオがむくれた顔で指をさす先には…。
(う…そ…?)
確かにわたしとフェイトちゃん、そしてヴィヴィオが、どこかの山で記念撮影をしている写真があった。
慌てて日付を確認してみる。
日付は間違いなく、わたしたちが海に行ったはずの日、新暦76年8月2日だった。
「なのはママ、大丈夫?」
しばらくむくれていたヴィヴィオだったが、わたしの青ざめた顔を見て心配そうに尋ねてきた。
「う、うん。大丈夫だよ」
嘘だ。
本当は頭が混乱して、今にも破裂してしまいそうだ。
(わたしたちは海に行ったはず。でもこの写真の日付は間違いない。ならわたしの思い違いなの?)
考えれば考える程、わけが分からなくなってくる。
海に行った方の思い出では、フェイトちゃんがカメラを忘れてしまい、記念撮影をすることができなかった。だから形に残る、その上で日付を証明できるものはな…い…。
(待って)
そう言えば、一つあった。アルバムに残せないと、ヴィヴィオがしょげかえっている姿を見て、近くで海の絵を描いていた画家の人が、わたしたち三人の絵を描いてくれた。その絵は確か、自分の部屋の窓に飾っている。
わたしはヴィヴィオに断りを入れて、自分の部屋に向かった。
わたしの目的の絵は……はたして窓に飾られていた。
サインされている日付も全く同じ。
新暦76年8月2日。
(何で?どういうこと?)
真相を知るために部屋に来たはずなのに、ますます混乱するばかりだ。
絵の中には確かにわたしたち三人が描かれている。
なぜわたしとヴィヴィオの記憶が食い違っているのか。
なぜ同じ年、同じ日の絵と写真が同時に残っているのか。
あのヴィヴィオは、本当に自分の知っているヴィヴィオなのか。
わたしが、ヴィヴィオの知っているわたしでないのか。
もしヴィヴィオの言っていることが本当なら、ヴィヴィオたちと一緒に山に行ったわたしは何者なのか。
そしてわたしと海に行ったヴィヴィオたちは何者だったのだろうか。
考える程に背筋に冷たいものが広がっていく。
結局わたしは、考えることをやめた。
こたつに戻り、ヴィヴィオに自分の思い違いを謝罪した後、年賀状を書く作業に戻った。
そもそもおかしなことなど起こっていないのだ。わたしが山に行った記憶がないのは、ど忘れしてしまったからだろう。六課が解体されて、今年はいろいろと忙しかった。仕事に追われている中で、その思い出が埋没してしまったのだ。ヴィヴィオが海について言わなかったのは、山の方が楽しかった思い出だったからだ。よく考えれば、わたしは海に行かなかったかと尋ねたわけではない。それなら海について何も言わなかったとしてもおかしなことはない。
ないはずだ。
フェイトちゃんはもちろん、わたしたちが旅行に行ったことを知っているはやてちゃんたちにも、このことを尋ねることはできなかった。もし、山か海かそのどちらかが否定されたとしたら、わたしはもうこの世界を前と同じように見ることができなくなってしまいそうだったからだ。
あの絵は戸棚にしまいこんだ。
処分することはできなかった。
子供の時にキャーキャー騒いでいたような心霊写真の類ではない。霊など、絵の中のどこにも描かれていないし、絵の中のわたしたちにも少しもおかしなところはない。
だからこそ余計に不気味だった。あれを燃やしてしまうと、なにか取り返しのつかないことが起こってしまうのではないか。そんな気になってしまう。
あの絵は、今も戸棚の中にある。
新暦76年8月2日に描かれた絵が。
著者:111スレ614
616 名前:あの夏の日の思い出 [sage] 投稿日:2012/01/20(金) 13:49:44 ID:pncy4jYI [3/5]
617 名前:あの夏の日の思い出 [sage] 投稿日:2012/01/20(金) 13:50:57 ID:pncy4jYI [4/5]
年の暮もせまったその日、わたしとヴィヴィオは一緒にこの年の出来事を振り返っていた。こたつで向かい合いながら、わたしは年賀状を書き、ヴィヴィオは今年の十大ニュースを考えている。
「ヴィヴィオー、十大ニュースはもう選び終わった?」
「うーん、まだー。あと一つなんだけど」
選ぶことが多すぎて、十にまとめきれないらしい。そんなヴィヴィオの姿が、自分の子供の時と重なり、おもわず笑ってしまう。しかし、ヴィヴィオの次の一言を聞いた瞬間、わたしの顔はそのまま凍りついてしまった。
「一番は絶対決まってるんだけど。夏にママたちと山に行ったこと!」
「…………………………え?」
ヴィヴィオが言ったことがどういうことであるか理解するために、しばらく時間が必要だった。
(…山に…行った?)
おかしい。
私の記憶では、夏に行ったのは海のはずなのだ。仕事が忙しく、フェイトちゃんと同じ時に休みをとる事が出来たのは一度きり。だから山に行ったなんていう出来事は無かった。
無かったのだ。
「行ったっけ?」
もしかしたらヴィヴィオの勘違いではないだろうか。そう思って確認の為に尋ねてみる。するとヴィヴィオは、わたしが大切な思い出を忘れてしまったと思ったのだろう、少し怒り気味な表情になった。
「忘れちゃったの、ママ!?あんなに楽しかったのに!フェイトママとなのはママと、三人で遊びに行った、たった一つの思い出なのに!?」
そう言われてもまったくその出来事を思い出すことはできない。確かにわたしたちは海に行ったはずなのだ。浜辺で潮干狩りをしたことも、クジラを見たことも、ヴィヴィオに泳ぎを教えたこと、私が覚えているのはそんなことだ。ヴィヴィオが今話したことは、まったく記憶にない。
わたしがすっかり忘れていると思ったのだろう。ヴィヴィオは立ち上がり、アルバムを持ってきた。
ヴィヴィオがむくれた顔で指をさす先には…。
(う…そ…?)
確かにわたしとフェイトちゃん、そしてヴィヴィオが、どこかの山で記念撮影をしている写真があった。
慌てて日付を確認してみる。
日付は間違いなく、わたしたちが海に行ったはずの日、新暦76年8月2日だった。
「なのはママ、大丈夫?」
しばらくむくれていたヴィヴィオだったが、わたしの青ざめた顔を見て心配そうに尋ねてきた。
「う、うん。大丈夫だよ」
嘘だ。
本当は頭が混乱して、今にも破裂してしまいそうだ。
(わたしたちは海に行ったはず。でもこの写真の日付は間違いない。ならわたしの思い違いなの?)
考えれば考える程、わけが分からなくなってくる。
海に行った方の思い出では、フェイトちゃんがカメラを忘れてしまい、記念撮影をすることができなかった。だから形に残る、その上で日付を証明できるものはな…い…。
(待って)
そう言えば、一つあった。アルバムに残せないと、ヴィヴィオがしょげかえっている姿を見て、近くで海の絵を描いていた画家の人が、わたしたち三人の絵を描いてくれた。その絵は確か、自分の部屋の窓に飾っている。
わたしはヴィヴィオに断りを入れて、自分の部屋に向かった。
わたしの目的の絵は……はたして窓に飾られていた。
サインされている日付も全く同じ。
新暦76年8月2日。
(何で?どういうこと?)
真相を知るために部屋に来たはずなのに、ますます混乱するばかりだ。
絵の中には確かにわたしたち三人が描かれている。
なぜわたしとヴィヴィオの記憶が食い違っているのか。
なぜ同じ年、同じ日の絵と写真が同時に残っているのか。
あのヴィヴィオは、本当に自分の知っているヴィヴィオなのか。
わたしが、ヴィヴィオの知っているわたしでないのか。
もしヴィヴィオの言っていることが本当なら、ヴィヴィオたちと一緒に山に行ったわたしは何者なのか。
そしてわたしと海に行ったヴィヴィオたちは何者だったのだろうか。
考える程に背筋に冷たいものが広がっていく。
結局わたしは、考えることをやめた。
こたつに戻り、ヴィヴィオに自分の思い違いを謝罪した後、年賀状を書く作業に戻った。
そもそもおかしなことなど起こっていないのだ。わたしが山に行った記憶がないのは、ど忘れしてしまったからだろう。六課が解体されて、今年はいろいろと忙しかった。仕事に追われている中で、その思い出が埋没してしまったのだ。ヴィヴィオが海について言わなかったのは、山の方が楽しかった思い出だったからだ。よく考えれば、わたしは海に行かなかったかと尋ねたわけではない。それなら海について何も言わなかったとしてもおかしなことはない。
ないはずだ。
フェイトちゃんはもちろん、わたしたちが旅行に行ったことを知っているはやてちゃんたちにも、このことを尋ねることはできなかった。もし、山か海かそのどちらかが否定されたとしたら、わたしはもうこの世界を前と同じように見ることができなくなってしまいそうだったからだ。
あの絵は戸棚にしまいこんだ。
処分することはできなかった。
子供の時にキャーキャー騒いでいたような心霊写真の類ではない。霊など、絵の中のどこにも描かれていないし、絵の中のわたしたちにも少しもおかしなところはない。
だからこそ余計に不気味だった。あれを燃やしてしまうと、なにか取り返しのつかないことが起こってしまうのではないか。そんな気になってしまう。
あの絵は、今も戸棚の中にある。
新暦76年8月2日に描かれた絵が。
著者:111スレ614
- カテゴリ:
- 漫画/アニメ
- 魔法少女リリカルなのは
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