109 名前:ノーヴェの純愛奮闘記 断罪の後聖夜 [sage] 投稿日:2010/12/30(木) 00:53:27 ID:rBC9YlQg [2/5]
110 名前:ノーヴェの純愛奮闘記 断罪の後聖夜 [sage] 投稿日:2010/12/30(木) 00:55:10 ID:rBC9YlQg [3/5]
111 名前:ノーヴェの純愛奮闘記 断罪の後聖夜 [sage] 投稿日:2010/12/30(木) 00:55:42 ID:rBC9YlQg [4/5]

ノーヴェの純愛奮闘記 断罪の後聖夜



 青年の頬を緊張の汗が流れる。
 飲食店特有のざわめきと食器の立てる硬質な音の中で、一箇所だけ空気が張り詰めていた。
 時刻は昼時、場所はクラナガン市街のレストラン。
 昼食時の混雑する店内で、向かい合うように整えられた二人用の席に彼らは腰掛けていた。


「その……怒って、る?」


 そう問うたのは青年だ。
 落ち着いたブラウンの髪に、端正な顔立ち、身に纏うのは普段着ている陸士隊制服ではなく清潔感ある私服。
 その彼の目の前には、恋人たる少女の姿がある。


「……」


 無言で目を細めるのは、青年と恋仲にある戦闘機人にして乙女、ノーヴェ・ナカジマだった。
 目にも鮮やかな赤毛、小柄だがメリハリを持ちなおかつ引き締まった肢体、金色の綺麗な瞳。
 そんな彼女を包むのは、普段の活動的な性格からは考えられないスカート姿の、いかにもデート用に揃えたという服装だ。
 だが、しかし。
 今のノーヴェの眼差しは、とてもデートに来た乙女のものではなかった。


「……」


 無言と共に投げかけられる視線の温度は、極寒。
 普段彼に見せる、恥じらいの混じった愛おしさなど影も形もない。
 あるのは心の芯まで凍て付きそうな寒さ。
 冬の雪原の中で獲物を冷酷に見据える野生の狼そのものである。
 青年は、愛する恋人のそんな眼差しを正面から受けて、静かに耐えた。
 生物的な本能から背筋には冷や汗と共に鳥肌が立っているが、関係ない。
 今は耐える時であり、そして謝罪するべき時なのだ。


「えっと、その……ごめんね。俺も色々あってさ、いや、あれは不本意っていうか、あ違うか、そうじゃなくてその……本当にごめんね」


 歯切れの悪い言葉で重ねる言葉。
 告げられる謝罪は、果たして何度目だっただろうか。
 青年も数など数えていないが、おそらく既に二桁は優に超えているだろう。
 愛すべき青年の告げるそれらの言葉を受け、しかしノーヴェは眉一つ動かさない。
 漂う空気どころか、表情さえも凍り付いていた。
 凍て付く眼差し、その奥に秘められた燃え滾る激情が青年を貫くように見据える。
 そして少女の瑞々しい唇から、静かに言葉が紡がれた。


「じゃあ、もう一回最初から聞くけどさ」

「う、うん……」

「この前のクリスマス、あたしと約束があったのに破ったのは急な出動があったから?」

「……うん」

「その仕事が長引いたのは同じ部隊の人が負傷して、その付き添いで病院まで行ったから?」

「……うん」

「で、その人は女の人だった?」

「……」

「あたしとの約束すっぽかして、一晩中他の女の人とおしゃべりしてた?」

「……」

「ねえ、楽しかった?」

「……」


 疑問符と共に身も凍るような憎悪を纏う少女の言葉に、青年は二の句が繋げなかった。
 そう、全てはノーヴェの言葉通りである。
 随分と前から二人はクリスマスにデートをする約束をしていたのだが、それは無常にも陸士レスキュー部隊の緊急出動という悲劇によって阻まれた。
 しかも、である。
 その時の出動で、青年は負傷した同僚の女性陸士隊員の搬送に付き合ったのだ。
 怪我自体は決して命に別状のあるものではなかった。
 いや、むしろそれこそが悲劇だったのかもしれない。
 デートを約束したノーヴェの事もあったが、傷を負い、一人夜を明かさねばならない同僚もいる。
 どちらを取るか、青年は迷った。
 だがデートならまた今度の機会に回せるし、その時にいつも以上に優しくしてあげれば許してくれるのではないか。
 熟考の上、彼はそう判断した。
 その日は行けぬという旨を綴ったメールを携帯端末に送り、青年は同僚に一晩中付き添った。
 だが彼は自分の携帯端末を一度確認すべきだった。
 その時、彼の端末にはこのような文字が返ってきていたのだから。

 曰く――送信できませんでした、と。

 そしてその晩がホワイトクリスマスな事もさらなる悲劇を招いた。

 デートの待ち合わせ場所でノーヴェは、晴れと告げた天気予報を信じて傘も差さずに立っていたのだから。
 冬の寒空の下、降り行く雪を身に受けながら、少女は恋人を待ち続けた。
 純粋な厚意や、またはノーヴェの容姿に下心を覚えた者達が何度も声を掛けて来たが、彼女はその悉くを拒絶した。
 肌を刺すような寒さを耐え忍び、ノーヴェはひたすら愛する男を待ち続けた。
 さながら某世界の忠犬が如き健気さである。
 しかし、待てども待てども、彼は来なかった。
 午後六時の待ち合わせ時間を遥かに過ぎ、結局ノーヴェがびしょ濡れで家に帰ったのは夜中の二時だった。
 さて、以上の事があり、現状は混迷を極めるものとなる。
 クリスマスの埋め合わせとして二人は今日デートする事になったのだが、無論そうなればあの日に何があったか説明する義務が発生する。
 最初こそ理性で感情を抑えて彼の謝罪と説明を聞いていたノーヴェだが、当日病院で共に夜を過ごした相手が女性と知るや……切れた。
 主に堪忍袋の緒、的な意味で。
 怒ったノーヴェは恐ろしい。
 普段は不機嫌そうにしつつも、その実彼女のそれは単なる虚勢であったり、照れ隠しだ。
 真の意味での怒りではない。
 ノーヴェが本当に怒った時、そこに激情はないのだ。
 あるのは……極寒の凍気。
 表面的に見える感情の揺らぎは皆無でありながら、瞳の奥には地獄の業火。
 さながら存在自体が人を責める罰のような様と化す。
 青年は、心の底から罪悪感を感じた。
 普段は照れて恥らいながらも甘えん坊な彼女が、こんなにも凍て付いた怒りに身を染めるとは。
 全ては自分のまいた種だった。


「あのさ、ノーヴェ……その……」


 言葉を探す。
 何か彼女を慰める言葉はないか、何か彼女に投げかけられる謝罪の言葉はないか。
 いつもはノーヴェを少しからかったりしている彼だが、この日ばかりは軽口や冗談を出せる空気ではない。
 青年が言葉に迷う中、ふと、少女の顔が俯く。
 そして次の瞬間出たのは、想像もしていなかった言葉だった。


「……ごめん、なさい」 


 と。
 ノーヴェの震える唇が、静かに言葉を紡いだ。
 理解できない。
 何故怒っているノーヴェがそう言うのか。
 青年は呆けたような顔で問い返す。


「な、なんでノーヴェが謝るんだよ。悪いのは俺で……」

「違う」


 静かだが、断固たる意思を持つ言葉が遮る。
 そしてさらなる言葉が連なる。


「ごめん」


 顔を上げたノーヴェは、冷たい怒りの中に寂しさを溶かしたような、切ない目で彼を見た。


「デートに来れなかった理由も、メール届かなかったのも、あたし以外の女の人と一緒だったのも……全部悪くないって分かってる……偶然で、どうしようもない事だったって……でもさ」


 つぅ、と、少女の白い頬を一筋の雫が伝う。
 呟くような声音が、告げられる。


「でも……それでも、許せないとか、怒っちゃうのとか……止められない……こんなのダメだよね。あたし彼女なのに、信じてあげなきゃいけないのに……」


 青年は絶句した。
 ノーヴェの怒りは本物である。
 だがその中で、冷静に物事を判断できる彼女の理性は己の怒りすら恐れていた。
 言葉の裏にある感情を青年は理解した。
 それは恐怖だ。
 彼女は恐れている。
 制御しきれない怒りを発露し、それで自分に嫌われてしまう事を。
 それを理解した瞬間、胸が締め付けられた。
 こんな良い子に愛された事に、そして自分には彼女を幸せにする義務がある事にだ。


「……ぁ」


 少女の唇から漏れた、声にもならぬ呟きが漏れる。
 いつの間にか、テーブルの上に置かれていたノーヴェの手に彼の手が重なっていた。
 温もりが伝わり、ギュッと握られる。
 視線を上げれば、熱意と愛情を孕む彼の眼差しが金色の瞳を捉えた。


「ノーヴェは悪くないよ。悪いのは、全部俺だから」 

「……あたしのこと、嫌いになったりしてない?」

「するわけないだろ。絶対にない」


 そっと手が伸びる。

 大きく温かい彼の手が、少女の頬を濡らす雫を優しく拭った。
 今まで極寒の凍気を以って怒りに染まっていた眼差しが、いつもの恥じらいと愛しさを孕んだものへ変わる。
 そして、乙女はこくんと頷いた。


「うん……わかった」 

「許してくれる?」

「……」


 もう一度こくんと頷き、ノーヴェは彼を許した。
 そして顔を上げ、どこか物欲しそうな眼差しを向ける。


「じゃあ……条件」

「なに? なんでも聞くよ。ノーヴェが許してくれるなら」

「……本当に? 嘘つかない?」

「俺はノーヴェに絶対に嘘なんてつかないよ」

「……」


 青年の真摯な眼差しと言葉を、乙女は上目遣いで図るように、じぃ、と見つめる。
 しばし黙考を続けた後、ノーヴェの桜色の唇は、静かに開かれ……爆弾を投げつけた。


「じゃあ――今からうちに行ってお父さんに挨拶してもらおっかな」

「え、ちょッ!?」


 突然の事に驚き、彼は思わずイスを揺らして仰け反った。
 家に行って親に挨拶。
 すなわち、つまり……そういう意味で。
 いきなり恋人にこんな事を乞われて驚かぬ男などいない。
 そういう挨拶には相応の手順や間というものがあるのだ。
 戸惑う青年。
 だが、ノーヴェはそんな彼の姿をじっと見つめると、破顔した。


「ふふ、嘘だよ。いきなりそんな事したらみんな驚いちゃうし……あたしだってまだ心の準備できてないし」


 まるで悪戯が成功した子供のように、ノーヴェは微笑した。
 普段からかわれている分の意趣返しという意味もあっただろう、少女の笑みは嬉しげだ。
 そこにはもう、先ほどの怒りも切なさもない。
 愛する乙女のちょっとした悪戯心に、青年は自分がからかわれた事も忘れたかのように、つられて笑みを浮かべた。
 これでおあいこ、という事なのだろう。
 この世の誰より大好きな少女を泣かせた対価としては軽すぎるくらいだ。


「ありがとう、ノーヴェ」

「べ、別に……お礼言われるほどのことじゃないよ」

「そういうところも含めて、ありがとうだよ。それじゃあ、そろそろ注文する?」

「あ、うん……そうだね」

「今日は俺のおごりだから、好きなだけ食べていいよ」

「いつもおごられてる気がするけど……」

「そうだな。でも言いたかったから」

「……そ、そっか」


 少女は恥じらいと嬉しさを、青年は愛おしさと優しさを以って、場には和やかな空気が満ちた。
 その後二人は丸一日たっぷりとデートを楽しみ、幸せな時間を満喫した事は言うまでもない。



 しかし。
 余談ではあるが、その晩も二人の間にアッチのほうの進展はなかったそうだ。
 歯がゆき事は純愛すぎる男女関係に他ならぬなり。



続く。


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目次:ノーヴェの純愛奮闘記
著者:ザ・シガー

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