517 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 22:47:29 ID:okZ6bPYN
518 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 22:49:56 ID:okZ6bPYN
519 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 22:50:23 ID:okZ6bPYN
521 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 22:55:30 ID:okZ6bPYN
522 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 22:56:00 ID:okZ6bPYN
523 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 22:56:49 ID:okZ6bPYN

「少々寒いな、ウーノ」
「そうですね、ドクター。上着を持ってきましょうか」
「そうだね、頼むよ」

 周囲の山々は徐々に紅や黄など多彩な色合い染まり、多くの者を魅了する。
 電車が一時間に一本しか来ないような小さな町の丘の上にある、これまた小さな診療所。
 その入り口の前に長身で少しくたびれたような外見の男と、男に寄り添うようにして立つすらっとした体型が特徴の女。
 二人は始めて体験する紅葉という四季の移り変わりに感嘆しつつ、これからの生活に思いを馳せるのだった。
 小さな町の小さな診療所、クリニック・F。その一日が綺麗なオレンジに輝く太陽の姿とともに、今日も終わりを告げようとしていた。







○ 小さな町の小さな診療所 クリニック・F ○





 女はこれまたくたびれた感じを受ける茶色の外套を男に渡すと、自身も同じような色合いのダウンコートをいわゆるナース服の上から羽織る。
 男は手渡された外套を白衣の上から着込み、そして手を後ろに組み直し、周囲の山々に再び目を向ける。

「どうしたものか、ここでの暮らしもそんなに悪い気はしなくなってきた」
「私もです。ドクター」
「ふむ、薬で抑えているとは言っても『無限の欲望』の能力は健在だ。それなのに、なぜ?」

 考え込むような仕草をする長身の男に微笑みを送りながら女が言う。

「きっと、」
「きっと?」
「きっと、この場所が、この風景が、あなたの心を宥めているのでしょう」
「……ククク」

 心底おかしいと言ったふうに男は顔を下に向けて口元をゆるめる。
 女は何がそんなにおかしかったのか分からずに、顔を羞恥の色に染めてこう言う。

「な、何がおかしいんですかドクター!」
「いや、すまない。……クク、キミがそんな詩的なことを言うなんてね」

 女は未だ顔を紅に染めながらふんっ、とそっぽを向いてしまう。
 男は「ああ、悪かった悪かった」と謝罪をしてはいるが、苦笑ともとれる笑顔を浮かべながら片手を頭に当てている。反省などしていないのは誰の目から見ても明白だった。
 しかし、女はそれに「もう、ドクターは冗談が過ぎます」と疑いの目をしながらも男に向き直ってしまう。その二人の間には誰にも入り込めないような一種の聖域が存在していたと言っても言い過ぎではなかった。
 そんな昼下がりのこと。唐突に事件は起きる。


「ジェイルせんせー!」
「反省してる…………ん?」

 どこからか、まだ幼い少年の声がジェイル、という名前を呼んでいた。
 その声はやがてジェイルと女―――ウーノの方向へと近づいてくる。
 ジェイルは気にしていなかったが、ウーノは今までの自分の姿が見られていないかと酷く慌てた様子だった。
 もっとも、未だ小学校を卒業していないような少年に今までの会話の方向性が見えるわけが無いのは分かり切っていたことだったが、ウーノには自分の痴態を見られたという思考にはそんなことを考える余裕さえなかった。
 やがて、その声の主が見える位置まで来たところで、ジェイルは片腕を上げて聞こえたの合図を送る。この時点でやっと、ウーノの心は落ち着いていた。

「どうしたんだい、護くん?」
「えっと、鞍馬さんちのネコが居なくなっちゃって。こっちにも来ていないかな、と思ってさ」

 少年の名は深山護(ふかやま まもる)と言った。近所に住む小学校六年生で、ジェイル自身も虫取りの途中でよく診療所を訪ねてくる彼のことは既に周知していた。
 そして鞍馬(くらま)さん、というのは近所で茶屋を改造した鞍馬荘という旅館を営んでいる一家のことだ。
 女将の伊吹(いぶき)とウーノは気が合うらしく、診療所が暇でジェイル一人で事足りるときは軒先の長椅子に座ってお茶と羊羹を一緒に食しているところを見ることが出来る。
 聞けば、ネコが居なくなったらしい。ネコというのは本来自由奔放な生き物で、居なくなるとは言ってもただの散歩という可能性もある。それが居なくなったとはどういうことか。ジェイルはあごに手を当てて護に聞く。

「それは散歩ではないのかい?」
「鞍馬さんちのネコってすっごく臆病でさ、絶対に外に出たりしないんだよ」
「なるほど、それで外に出て行ってしまったと」
「そうなんだ。だからオレもこの辺りを探してるんだけど見つからなくってさ。あいつ、臆病だからそんなに遠くへ入ってないと思うんだけど……」

 ジェイルもそのネコなら見覚えがあった。
 以前に調達しなければならなくなった物があって、後橋まで行かなければならなくなった時のことだ。
 帰り道に鞍馬荘の軒先で伊吹と一緒にネコを撫でているウーノを見かけたことがある。確かミケ、という名の三毛猫だったな、とジェイルはその時のことを思い出す。
 その時のウーノは、始めておもちゃをもらったときの子どものような目でネコを撫でていて、彼女にも可愛い一面が―――

「ドクター! 関係ないことを考えないでください!」
「失敬な。そもそも私が何を考えていると言うんだい?」
「か、関係有りません! そ、そんな私のことを可愛いだなんて…………あ」

 ウーノは顔を真っ赤に染めて一瞬硬直した後、視線をジェイルから外し、手を顔に当て後ろを向いてしまった。
 よほど恥ずかしかったのだろう。顔だけでは飽きたらず、うなじの辺りまで肌が赤く染まっている。
 ちなみに先程の科白をウーノが理解できたのは、ジェイルが自身の頭で思考していたのではなく、単純に口から言葉として発していたためだ。当然、ジェイルの策略である。

「さて、それでは今日の診療も終わったことだし、ネコ探しに付き合おうじゃないか。なあ、存外にネコが好きな可愛らしいウーノよ」
「し、知りませんっ!」

 護は言語力の不足からかやり取りの真意を理解しかねつつ、「あと探していないのは立川書店のあたりだけなんだ」と二人を先導して歩き出す。
 それに付き従うようにジェイルが後ろを歩き、更にその後ろを未だそのまま沸騰してしまうのではないかという顔をしたウーノが顔を俯かせて「か、可愛い? 私が?」と呟きながら歩いているが、その声はジェイルに届くことはない。


 奇妙な三人組が丘の上から三毛猫を目指して歩き出した。つくづく平和な町である。


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目次:小さな町の小さな診療所 クリニック・F
著者:554

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