最終更新: nano69_264 2008年05月28日(水) 17:36:12履歴
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鉄拳の老拳士6
赤い赤い夕日のような哀愁に満ちた光の中で俺は眼を覚ました。
ここに来んのはこれで何回目だろうな。
何度も死にかけてはその度にここに来た、死ぬ一歩手前に見る冥府の入り口。
穏やかなせせらぎを響かせる河の前に俺は立っていた。
「ああ、やっぱ死ぬのかよ‥‥‥クソッタレが」
思わず毒づいて汚い言葉が出たがそれも毎度の事だ、別に聞かれて困る訳でもねえ。
どうせ俺が逝く場所なんざ“下”の方だろうからな。
別に地獄だろうがなんだろうが死んで逝くところに興味はねえが、ただ復讐も果たせず死ぬのが悔しくて堪らねえ。
そんな時に随分と懐かしい声が聞こえた、そう随分と懐かしいあの馬鹿ッタレの声だ。
「お久しぶりですゴードンさん」
「おう、久しぶりだな馬鹿ッタレ」
「馬鹿って‥‥相変わらず酷いです」
「何言ってやがる。若いカミさんと小せえ子供を残して死んだ野郎なんざ馬鹿で十分だ」
「‥‥‥そうですね、確かに俺は馬鹿だ」
「それでお前が死出の旅路の案内人って訳か? クライド」
この青二才の名前はクライド・ハラオウン。
若いカミさんとまだ年端の行かない子供を残して死にやがった大馬鹿野郎だ。
まあ俺をあの世に連れて行くのならこいつが適任って訳だろうぜ。
「違いますよ」
「何?」
「俺はただ“あの人”をここまで案内しに来ただけです」
「“あの人”?」
クライドの坊主がそう言いながら後ろ指差す、そこに立っていた人間を見た瞬間に俺は固まっちまう。
そこには数十年前に死に別れた筈の彼女があの日のままの姿で立っていた。
「それじゃあ俺はこれで失礼します、ゴードンさん。ではお元気で」
クライドはそう言うと何処かへと消えていった。
そして俺は彼女と二人残された、彼女は何も言わずゆっくりと俺に近づいて来る。
まるで数十年前のあの時のように、長くて綺麗な青い髪を揺らして、優しく柔らかい微笑を見せながら。
「メル‥‥セデス‥」
「久しぶりねアル」
それは数十年前に死んだ俺の妻、メルセデス。
その全てがあの時のままだった、白磁のように白い肌も、艶やかな長く美しい青い髪も、見ているだけで心の底から温かくなるような笑顔も、一つ残らず全てがあの日の思い出のまま。
それはまるで俺の記憶から抜き取ったかのように。
「ヒゲ生やしたのね」
「‥‥ああ」
「頭、ハゲちゃったわね」
「‥‥ああ」
「顔、シワだらけね」
「‥‥ああ」
そっけない返事しか口から出ない、本当はもっとたくさん話す事があるてえのに上手く思い浮かばねえ。
俺はただメルセデスの瞳に魅入られていた。
「メルセデス、俺を迎えに来たんじゃねえのか?」
「いいえ、違うわ。あなたはまだ死んでないの、ただ少し怪我してるだけ。それで私が勝手に会いに来たの」
「俺を止める為か?」
何をなんて言う必要も無え、俺がしてるのは自分自身の意思で復讐に走りこの手を血で濡らす修羅道だ。
もしメルセデスが知っているのなら確実に止めるだろう、彼女はそういう人間だ。
例えどんな理由があろうとも故意に人を傷つけるなんてまかり間違っても許せる人間じゃねえ。
だから次の瞬間、彼女が言った言葉に俺は息を飲んだ。
「いいえ」
「何だって?」
「私はあなたの復讐を止めるつもりは無いわ」
「‥‥君らしくねえな、じゃあ応援でもしてくれるのかい?」
「いいえ、私は否定も肯定もしない」
「‥‥‥どういう訳だ?」
彼女の言っている事が理解できなくて思わず聞き返した。
不可解そうな顔している俺に彼女は優しく微笑みながら、そっと俺の手を握る。
彼女の手の柔らかくて温かい懐かしい感触に俺の心の中の何かが溶けたような気がした。
「アル。もしあなたがそれを望むなら、私その全てを肯定する」
「‥‥良いのかい? 進んで人を殺そうってんだぜ?」
「ええ、それでも構わないわ。ただ一つだけお願いがあるの‥‥」
「お願い?」
メルセデスはそう言うと真っ直ぐに俺の目を見据える。
それはクイントやスバルと同じ、少しの迷いも一片の曇りも無い透き通った瞳。
決して曲がらない鋼の意思を持った眼差しだった。
「どんな事があっても決して後悔しないで。自分の心に嘘をつかないで」
「‥‥‥‥‥‥それだけかい?」
「ええ、それだけ。アルがそうして選んだ道なら私はそれを受け入れる」
「そうかい‥‥‥分かったよ、絶対に自分に嘘はつかねえ」
「うん‥‥ありがと」
そう言葉を交わすと俺達はどちらともなく抱き合った。
甘く香る髪の匂い、柔らかく温かい身体、全てがあまりに懐かしかった。
情けねえ話だが、最愛の妻との数十年ぶりの抱擁に年甲斐もなく泣きそうになっちまう。
「アル‥‥大好き」
「俺もだ」
「‥‥もう離したくない」
「ああ」
「ねえ知ってる? このままアルを離さなければ一緒に彼岸の彼方まで逝けるのよ」
「そいつぁ素敵な提案だ」
「‥‥でもダメよね」
「まだ向こうでやる事があるからな」
「‥‥分かってる、ごめんねワガママばっかり言って」
「君のワガママなら何でもOKさ、良い女はその方が良いぜ」
少し茶化した事を言いながら俺は彼女の髪をそっと撫でた。
そして数十年前と同じその心地良い感触に酔いしれる。
だがそんな時間も永くは続かねえ、メルセデスは何も言わず静かに俺の身体に回していた手を離した。
「‥‥もう時間みたい」
「そうか‥‥‥残念だ。でもまあ、どうせすぐ会えるだろうから気にすんな」
「もう‥‥そんな事言ったらダメよアル。私の分もあの子達と一緒に過ごしてあげなきゃ」
「それもそうだな」
抱き合っていた身体を離す刹那、俺はメルセデスの唇に自分のそれをそっと重ねる。
数十年ぶりに味わう彼女との口付けは相変わらず甘くて切なかった。
「続きはまた今度だ」
「うん、十年でも百年でも‥‥いつまでも待ってるわ。だから行って来て、あの子達の所に」
「ああ、それじゃちょっくら行ってくるぜ」
「ええ、行ってっしゃい」
メルセデスはその瞳をかすかに涙で濡らしながらそう言ってくれた。
まったくこんな時にも良妻を貫くなんて相変わらず最高の女だ、誰がなんと言おうと家のカミさんは宇宙一の美女だ。
でもやっぱり君の顔に涙は似合わねえぜ、拭ってやりたいと思ったがもう身体が上手く動かくなってやがる。
あの世のとの狭間にいられる時間は残酷にも過ぎて、俺をあっち(この世)に連れ戻しやがった。
だがその瞬間、メルセデスの隣にあの子の影を見た気がした。
「クイントオオォォッ!!」
俺の叫びも虚しく視界は白く染め上げられ、冥府との狭間は消え去った。
次に眼に飛び込んできたのは一面の黒、それが自分を覆っている瓦礫の山だと理解するのに時間はそうかからなかった。
邪魔クセえ、いつまでも気色の悪い石布団なんぞかけてんじゃねえ。
石っころの山をどかすくらいは、魔力なんぞ使わなくってもこれくらい自前の力だけで十分だ。
起きてみればあのクソッタレがスバルに汚え手を近づけていやがった。
「何してやがる糞野郎。てめえの相手は俺だぜ?」
俺はともかく喧嘩(ゴロ)の啖呵を切った。
これ以上このクソッタレをのさばらせはしねえ、しこたま拳骨(ゲンコ)くれてやるぜ腐れチ×ポ野郎。
□
瓦礫を押しのけて立ち上がったゴードンはドスの効いた太い声を響かせる。
だが纏う黒衣はあちこち焦げ付き、口元は血で濡れている、正に満身創痍としか言い様が無い状況。
だがその眼光は覇気に満ち溢れている。
この老兵には引く気も負ける気もサラサラ無いのだ。
「これはこれは、まだ生きていたのか。素晴らしい耐久力だ、賞賛に値するよ‥‥」
「黙りやがれ、クソッタレ」
ゴードンは不遜な態度のスカリエッティの言葉を相も変らぬ威勢の良い怒声で遮る。その迫力にスカリエッティは老兵と距離をおいてもなお背筋に寒気を感じた。
それは生物として感じる圧倒的な格の違い、巨大な肉食獣を相手に矮小な草食獣や虫けらでは決して抗えないのと同じ生きている以上は逃れられぬ死の恐怖である。
故にスカリエッティはこの歴戦の猛者を最速で葬り去る事にした。
「やれ、タイプδ。徹底的にな」
その言葉に異形の戦闘機械、タイプδはモノアイを不気味に光らせて応えると同時に下半身の多脚を走らせてゴードンへと迫る。
6本腕の内の2本、大口径ガトリングガンが唸りを上げて乾いた炸裂音を響かせて銃弾をゴードンに吐き出す。
ゴードンはその銃弾の嵐を即座に防御障壁を展開、攻撃を弾く事を念頭に置いた高硬度シールドで傾斜・角度をつけて銃弾を巧みに捌いた。
だがタイプδは構わず接近し、銃弾の雨と同時にもう2本の腕に備えられた巨大な棍棒を振り下ろす。
展開したシールドはそのままにゴードンは脚部ローラーブーツを走らせて回避、すると彼のいた場所を棍棒が叩き砕きコンクリートの床をありえない程に溶かした。
この棍棒はただの単純な鉄の塊でなく超高熱を帯びた破壊兵器なのだ、例えバリア越しでも受ければタダではすまないだろう。
普通ならばこれで安易に接近するという選択肢は捨てる筈だろう、だがこの老兵は“普通”ではない。
ゴードンはあろう事かコンクリートに埋まっていた高熱を帯びた棍棒を鉄拳で掴む、そしてそのまま魔力を込めた蹴りを叩き込み棍棒をへし折った。
「なっ!?」
状況を観察していたスカリエッティは思わず声を上げて驚愕する。
普通ならこんな事はしない、防御障壁と鋼のデバイス越しといえどゴードンの指は高熱に焼かれているだろう、まともな思考能力があればあそこまで危険な戦い方などしない。
だがゴードンはそれだけに終わらなかった。
さらに連続した蹴りを叩き込みタイプδの防御シールドを破壊、思い切り振りかぶって手に掴んだままの棍棒の切れ端をタイプδの上半身左側の肩に突き立てる。
高熱を持ったままの棍棒により左側の腕3本の肩部が溶解、多砲門型ロケットランチャーと大口径ガトリングガンの機能を殺した。
突然自身の機能を大幅に破壊されたタイプδは即座に後退、残ったガトリングガンで牽制の銃弾を吐き出しながら熱線砲をチャージして遠距離戦に移行する算段である。
もちろんそれを簡単に許すゴードンではない。
「させるかあああぁぁっ!!!」
獣の如きゴードンの咆哮が響き渡り、同時に数多のウイングロードが展開。
その青き翼の道はタイプδの後退の軌道を塞ぐように展開され、逃げ場を殺す。
異形の戦闘機械は退路を確保する為に残ったもう1本の棍棒を振りかざしてウイングロードを破壊しにかかる。
だがその所作、歴戦の老兵からすればあまりに愚鈍極まる。
ゴードンは半分の火力となり下がったガトリングガンの銃火の内を高速で掻い潜り接近、回転により遠心力を乗せた最高の拳が叩き付けた。
「ガイアクラッシャアアアァァッ!!!!」
彼の持つ技の中でも最高の打撃力を誇るものの一つが炸裂、タイプδの装甲を軋ませて爆発的な衝撃によりその巨大な金属製のボディを吹き飛ばした。
戦闘機械は老兵の攻撃によって広大な工場内部を転がる、普通ならばここで勝負は決するだろう、この攻撃を喰らってタダで済むモノなどそうはいない。
だがこの異形の殺戮兵器もまた、老兵と同じく“普通”ではないのだ。
「けっ、いい加減に逝きやがれポンコツが」
ゴードンの鉄拳に転がったタイプδは何事も無かったかのように起き上がる。
歪ませた装甲はすでに元通りの形に戻っていた。恐らくは高性能の柔軟性を持った表面の装甲を持っているのだろう。
高濃度のAMF下で威力を著しく落としたゴードンの拳とはいえど、直接魔力で加速・強化したベルカ式の攻撃にここまでの耐性を持つとなると厄介極まりない。
その様子を眺めていたスカリエッティは狂ったように笑った。
「あーはっはっはっは!!! どうだい? この防御力は。高濃度のAMF発生装置に多重展開の防御シールド、そして極めつけは最高の防御力を誇る特殊複合装甲製のメインボディ!! 魔道師の個人レベルの戦闘力では中枢を破壊する事は絶対不能だ!!!」
攻撃用の腕ならば破壊する事は決して難しくない、だがボディ本体の防御力はスカリエッティの言う通りの絶大なる鉄壁である。
余力を考えればゴードンにもう余裕は無い、下手に戦いが長引けば造作も無く死に果てる。
ここは最大の大技で以って勝負を一気に決めなければならない、故に老兵は大磐石たる不退転の決意と覚悟を腹の内に呑み込んだ。
「いくぜ兄弟」
<おうよ兄貴、地獄の果てまでだって付いて行くぜ!!>
無骨なる鉄拳、鋼のデバイスが威勢良く応えて魔力を帯びた無敵の拳へと変わる。
自身の存在の全てを賭けて覚悟を決めたこの兄弟にとってこの世にはもはや敵となる者など無い、その五体既に絶対必勝。
その刹那ゴードンは駆け出す、烈風の如く、閃光の如く、矢の如く、弾丸の如く、その身は疾風迅雷となって敵へと一直線に突き進む。
銃火で以って迎え撃とうとも、風となった黒き影を捉える事など出来はしない、その速度はもはや異形の戦闘機械の応戦できるレベルを遥かに超えていた。
自身の拳足の間合いへと近づいたゴードンは急接近した勢いを乗せた拳を叩き込む、それは絶大なる威力を誇るアッパーカット。
轟音が響き鉄拳がタイプδのボディにぶつかった瞬間、ゴードンの足場に展開していたウイングロードが踏ん張りの重さに軋みを上げる。
その一撃はただ重いだけではない、老兵の拳は長年の修練によって体得した発剄・浸透剄で以って衝撃を敵の内部奥深くまで通していたのだ。
タイプδは外壁装甲の内部、その中枢まで衝撃を打ち込まれながらアッパーによって宙に浮かされた。
さらにゴードンは浮いた敵の巨体の周囲にウイングロードを形成、それは螺旋状をして囲い込みまるで檻の如く逃げ場を奪う。
そして老兵は螺旋の檻の中で宙に浮いた殺戮兵器に向かって再び上段に拳を振りかぶった。
それはまるで天に昇る龍の如く天を突き破るかの如く力強く、螺旋の中をさらに旋回しながら昇る拳打は美しくすらある。
「一撃天昇っ!!! スパイラル・ドラゴンンンン!!!!」
莫大な魔力を以って天すら穿つ螺旋の龍が、宙に打ち上げられた敵を貫かんと舞い上がる。
鋼の拳が厚く強固な装甲を強力な回旋で抉りながら突き刺さっていく。
だが敵の纏う鎧は硬く、破壊し難い事甚だしく、老練なる拳士の絶技にも堅牢に耐える。
そして異形は反撃に移る。
ゴードンの攻撃に晒されながらもタイプδは残った腕に具えられた高熱粉砕装置(ヒートクラッシャー)内蔵の棍棒を大上段に振りかざし、その重く強烈な一撃をゴードン目掛けて打ち下ろした。
タイプδの打撃が打ち込まれた瞬間、ゴードンは防御障壁を展開して防ぐが人外の金剛力で以って行使される暴力の力に障壁ごと吹き飛ばされた。
展開していたウイングロードも強制的に解除され、老兵の五体は再びコンクリートの壁に向かって飛ぶ。
だがこの老練なる兵(つわもの)が愚鈍な戦闘機械の攻撃に醜態を何度も晒す事などありえない。
ゴードンは瞬時に脚部ローラーブーツの下にウイングロードを展開し空中で体勢を立て直し着地、そして鋼の拳を構えてファイティングポーズをとる。
対するタイプδも即座に空中で下半身の多脚部に備え付けられた推進器(スラスター)で飛翔しながらガトリングガンの狙いをゴードンに定めて銃火の花を咲かせた。
これを再びシールドを使い巧みに捌く、だが敵の狙いはこの銃撃でゴードンを打倒する事では無かった。
この攻撃はあくまでも牽制、足止めの布石である、本命はチャージを待っていた熱線砲を用いた砲撃だ。
高町なのはの砲撃魔法すら凌駕するこの砲撃ならばいかにこの老兵が強かろうと死を免れえぬだろう。
タイプδは冷静な戦闘頭脳で導き出された完璧なる勝利への方程式に従い、老兵との距離をとり彼の足を止める事に成功した。
後はチャージし終えたこの熱線砲の砲門を解放し、現在敵対している人間を塵も残らず葬るだけだ。
絶対的なる危機的状況、このまま砲撃を許せば致死必死は確実である、だがゴードンは逃げも隠れもせず悠然と銃弾を防いでいる。
別に敵の砲撃の予兆を見逃しているのではない、測っているのだ反撃の好機を。
そして機は熟する。
タイプδのモノアイが対象物たるゴードンに照準を合わせ、熱線砲の砲門に莫大なる熱エネルギーが収束し解放された。
これを待っていたと言わんばかりにゴードンは超高速で足元に展開したウイングロードで上空へと回避。
難なく敵の持つ最大の攻撃能力を流すとその隙を逃さず急速接近、最高速度で懐に潜りんだ。
「オラアアアアァァッ!!!!」
まずは跳躍しての上段の回し蹴り、主力戦車でも転がす程の打撃力を持つその鉄脚の蹴りにタイプδの残った腕の内1本、ガトリングガンを搭載したものを破壊。
次いで空中で新に形成したウイングロードを足場にした左ストレートを打ち込んで敵の体制を崩す。
ゴードンの放つ怒涛の攻撃にタイプδはその巨体を揺らしてぐらついた。
そして老兵は自身の誇る最高最大の秘技を抜き放つ。
宙を舞うゴードンの身体から魔力が一瞬である一部へと集まった。
全身を巡る魔力の全て、防御障壁に回す魔力すらも含めた一切合財の全魔力が鉄の拳で覆われたゴードンの右手に集束。
それだけでも常軌を逸した行為だが、さらに驚くべきはその手の形である。
ゴードンの右手は握られた拳ではなく開かれて掌へと転じていたのだ。
「一刀両断んんんんん!!!!!」
空気を震わせる太い掛け声と共に手刀と化した右の掌に集まった魔力が形を作っていく。
それは手刀に沿って現われた一振りの刃、全てを断ち斬る聖なる閃き。
「イクスカリバアアアアァァッ!!!!!!」
ゴードンの叫びと共に、古き伝承に残る聖なる剣の名前を冠した断罪の刃が唸る。
体内の魔力の全てを一点に集めて作った刃は、彼自身の手刀をこの世に斬れぬ物の無い無敵の一刀へと変えたのだ。
拳から剣へと転じたこの一撃に敵の誇った鉄壁の装甲もチーズのように斬り裂かれた。
だがまだ足りない。
この攻撃は防御不可能な程の絶大なる破壊力を誇るが唯一の難点は間合いが極端に狭い事だ。
残念だがこの一撃を以ってしても巨大なる戦闘機械の中枢までは届いていない。
しかし老兵にとってはその程度は予想の範疇内、計算の内である。
敵を打ち倒す大技はまだこの後に放つ一撃だ。
「ウオラアアアァッ!! ぶち抜けええええええぇっ!!!!」
ゴードンは右手の形を手刀のままに振りかぶって自身の腕を深く敵の装甲に突き刺す。
先の一刀はこの貫手(ぬきて)を通す為の布石であったのだ、斬り込みを入れた装甲に腕を突き通す為のコンビネーションの一つ。
そしてゴードンはこの日初めてカートリッジを使う。凄まじい爆音が響き、両腕の鉄拳に備えられた回転式弾装の中に装填されていた大振りなカートリッジが全弾炸裂する。
追加された莫大な魔力に加えてゴードンの身体に残された魔力もその全てを燃やし尽くさんと燃え上がった。
「一拳滅砕っっっっ!!!!」
ゴードンの叫びと共に再び右手に集まる魔力の奔流。
カートリッジを一気に全弾使用したそれは先の攻撃を遥かに超える程の莫大なものであり、そのあまりの力に空間が歪んでさえ見える。
そして限界まで圧縮された魔力は一気に爆ぜた。
「カタストロフ・フィストオオオオオォォッ!!!!!!!!」
瞬間、異形の戦闘機械タイプδは内部から大爆発。
どんなに強固な装甲と防御力を誇ろうとも、無防備な内部からの発した力には抗う術などありはしない。
しかし驚くべきは自爆にも似た大技“カタストロフ・フィスト”である。
敵の内部に爆散する魔力を発生させるのはスバルの用いるディバインバスター・ゼロレンジにも似ているが、爆ぜる瞬間まで腕を突き入れたままという一点においてあまりにその性質を違える。
このような絶技を前にすればいかな敵とて大散華と散り果てるは必定。
だが最初から回避という選択捨て、敵もろとも爆炎の中に己が身を置くなど自殺行為に等しい。
濛々とあがる煙と炎に、この激闘の数少ない観戦者たるスバルとスカリエッティはゴードンの死を感じた。
だがスカリエッティにとっては自身の作った殺戮兵器の敗北のショックの方が大きかったようだ。
「ま、まさか‥‥タイプδが人間相手に負けるとは‥」
スカリエッティの言葉が響く中、異形の戦闘機械の部品が瓦礫と散る。
そしてその中を悠然と歩く黒き影が一つ。
「けっ、ご自慢のクソ機械も大した事ぁねえな」
ボロボロになった黒いバリアジャケット、傷だらけになった深くシワの刻まれた顔、そして熱く闘志の燃える鋭い眼光。
ベルカ最強の拳士と謳われた歴戦の猛者、アルベルト・ゴードンという一匹の漢(おとこ)である。
そしてゴードンは周囲に燃える炎で1本の葉巻に火を付けると深く吸って、濃い紫煙を吐いた。
「な、何故だ!! 何故生きている!? あんな爆発の中でどうやって‥‥」
「簡単な理屈だ、魔力を解放した瞬間に最低限の防御障壁を張ったのさ。まあ少しでも遅れれば死んでるだろうがな」
口から葉巻の甘ったるい紫煙を吐きながらゴードンは何でも無いことのように話す。
だがこれはムチャクチャな理屈だ、例えるならば放たれる矢を寸前で止めるような狂った行為。
だがこの老兵はまるで日常的なささいな出来事でも語るように話す、もはや常人に理解できる範疇を著しく逸脱した存在としか言えぬだろう。
そして老兵は静かに歩み寄りながら鋭い眼光を憎き仇に向けて放った。
「さあ、それじゃあ死ぬ時間だぜクソッタレ」
瞬間、あまりにも確実な死を感じたスカリエッティは懐から抜いた鉄塊を傍らの少女に向けた。
それは拳銃と分類される広く世界に浸透している兵器の一つ、引き金を引けば誰であろうと生物を殺傷しうる小型の火器である。
恐らくはスバルを人質にして逃走を図りたかったのだろう、しかしこれはあまりに愚かな行為だった。
言い換えるならば野獣の尾を踏むが如き愚行、スカリエッティは触れてはいけない龍の逆鱗に触れてしまったのだ。
「疾ぃっ!!!!」
声が響いた時には既に鉄拳は決まっていた。
拳銃弾に匹敵する加速を誇るゴードンの拳技にとって、十数メートルという距離は間合いの範囲である。
素早さのみを求めた超高速の直突きがスカリエッティの手首を捉える。
鉄拳は一瞬でスカリエッティの前腕を歪な形に圧し折り、彼の持っていた拳銃は弾き飛ばされた。
「ひぎいいいぃっ」
スカリエッティが情けない悲鳴を漏らし、前腕を破壊された痛みに呻く、激痛に股間からは尿すら失禁していた。
だがこの程度で復讐鬼の攻撃は終わらないのは明白である。
次の瞬間にはゴードンの足がスカリエッティの下腹部、恥骨の結合部に炸裂。
股間部の関節結合を無理矢理外されてスカリエッティは歩く能力を殺され、その場に倒れ伏す。
「さあクソッタレ、これで地獄に逝きやがれ」
ゴードンはそう言いながら下段突きに構えた拳の照準を倒れたスカリエッティの顔面に定める。
素手でさえ野生の熊の頭蓋骨を粉砕する程の威力を持つゴードンの拳、それが鋼のデバイスを纏って解放されれば人間の頭部などスイカの如く砕けるだろう。
遂に満願成就の時が来た、滾る怒りと憎悪が終焉を向かえ、復讐が果たされるのだ。
だがその刹那、少女の悲痛なる叫びが木霊した。
「ゴードンさん、やめてくださいっ!!」
先の戦闘で対人捕縛様のネットに絡まりながらスバルは叫んだ、目の前の蛮行を止める為に力の限り。
その言葉に一瞬思考を鈍らせるもゴードンは不退転の決意を揺るがせぬように、構えた拳に力を込めた。
「止めるな嬢ちゃん。こいつは俺の問題だ」
「ダメです! 絶対にダメです!! どんな理由があったって人を殺したりしたら」
「‥‥‥言うな」
少女は瞳に涙さえ浮かべて哀願する。
だが老兵はひたすらに心を殺して、憤怒に燃えて、憎悪に溺れて殺意を消さぬように努める。
しかし次の瞬間スバルに発した言葉にその決意は虚しく霧散した。
「おじいちゃん止めてえぇっ!!」
その言葉にゴードンの中の全てが凍りついた。
冷静な思考、滾る怒り、燃える憎しみ、そのどれもが作動を止める。
それ程にスバルの言葉の衝撃は大きかった。
「なんで‥‥そいつを知ってる‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥最初に会った時に“もしかして”って思ったんだ‥」
呻くようなゴードンの問いかけにスバルが静かに答えていく、澄んだ声で静かにしかし確かな意思をもって。
「いつも葉巻を咥えてるとか、バリアジャケットの形とか、デバイスを兄弟って呼ぶとか‥‥‥お母さんにいつも聞いてたおじいちゃんの姿にそっくりで。
‥‥きっとあたしのおじいちゃんはこんな感じなんだって思ってた。でも確信したのは今だよ‥‥スカリエッティをそこまで憎むなんて普通のハンターならありえないから‥」
「なら分かるだろ、俺がこいつを殺す理由も」
「‥‥分かるよ‥‥でも‥そんなのダメだよ」
「こいつはクイントを殺しやがったんだ!! 生かしてなんざおけねえだろうがっ!!」
ゴードンは堪らず激昂して叫ぶ。
それは獣の断末魔にも似た咆哮だったが、しかしどこまでも哀しき残響を孕んでいた。
だがそれでもスバルは悲痛な声で哀願する。
「それでもダメっ! お母さんは‥‥お母さんはそんな事望まないから‥おじいちゃんが人を殺す事なんて絶対に望んでないから!!」
その事実を理解していたが故に、スバルの言葉は復讐鬼となった老兵の心を大いに揺らした。
クイントは決して復讐など望まない、例え自分が殺されようとそれで遺恨を残すような娘でないなど父であるゴードン自身が一番よく分かっている事だ。
孫娘の言葉に老兵は改めて理解させられる、これはただ自身の内にある黒き虚を満足させる為の愚挙であると、ただの血塗られた凶行であると。
だが振り上げた拳を止める事など出来はしなかった。
「うおおおおおおぉっ!!!」
「止めてええぇっ!!」
凄まじい雄叫びと轟音が響き、床のコンクリートが砕かれて大きなヒビが入る。
スバルの悲鳴が木霊し、その残響が周囲に満ちる。
だが頭蓋や脳髄が鮮血を散華する事はなかった。
穿たれたのは目標の頭部を大きく反れた床、拳は空を切ってコンクリートのみを砕いたのだ。
「‥‥‥おじいちゃん」
「‥‥クソッタレが‥‥孫に言われて止まらねえ奴がいるかよ‥」
ゴードンはそう言うと床に深く埋まった拳を抜き去る。
スカリエッティは死の恐怖に完全に気を失っていた、殺すのは止めたがこのまま放置というのも癪なのでゴードンはせめてバインドで雁字搦めにしておいた。
そして老兵は改めて互いの関係を認識した孫娘と対面する。
「んじゃ、これ外すぜ」
「あ‥えっと‥‥お願いします」
ゴードンは言うや否やいとも簡単にスバルを捕縛していた網を引き裂いて彼女を拘束から解放した。
突然の事にスバルは唖然としてしまう、だがそれも無理も無いだろう。
いないと思っていた自分の祖父と対面すれば誰だって固まってしまうものだ。
「えっと‥‥おじいちゃんって呼んで良いのかな?」
「ああ、好きに呼んでくれや」
「あはは‥‥なんか照れちゃうね」
「だな」
スバルは頬を赤らめて恥らう、その様が愛らしくてゴードンは思わず彼女の頭を撫でようとした。
だがその瞬間、今まで過度の負担を掛け続けた老体は力を失って倒れ伏した、既に限界を超えていた巨体が無残にも床に転がる。
「おじいちゃん!? 大丈夫!? おじいちゃん!!!」
□
敵の戦力は全て打倒され、主犯格たる逃亡者スカリエッティも逮捕された。
事件は事も無く万事上手くいったかに思われたが最大の功労者たる民間協力者、アルベルト・ゴードンが意識を失って倒れたのだ。
現在ゴードンはアースラ内部の医務室でシャマルに治療を受けている、機動六課メンバーは一様にして医務室に前に集まり沈痛な空気の中に彼の安否を気遣っていた。
「ゴードンさん大丈夫なんかな‥‥」
思わず口から出たはやての言葉にスバルが身体を震わせる、六課メンバーも苦い表情を浮かべて眉を歪めた。
自分の肉親と知った人間の窮地に悲しむ少女の胸中はいかばかりか計り知れぬだけに、スバルに安易な慰めをかける言葉すらない。
そして唐突にそれは起こった。
「きゃあああぁっ!!」
何の前触れも無く医務室の中から響き渡った悲鳴、声の主は説明するまでも無く医務官シャマルのものだ。
この異常事態に顔を青くした六課メンバーはドアを蹴破って医務室内部に雪崩れ込む。
「シャマルどないしたん!?」
「おじいちゃん!!!」
はやてが発した言葉が木霊し、スバルの悲痛な声が響く。
そこで皆が見たものは‥‥
「ちょっ! やめてください〜」
「いや、すまねえな。嬢ちゃんの尻があまりに魅力的だったんでつい」
ベッドから伸ばした手でシャマルの尻を撫でまわしているゴードンだった。
その姿に六課メンバーはずっこけた、それはもう盛大に。
「よう、嬢ちゃん方。皆してお揃いかい?」
「な、なにしとるんや!? この色ボケ爺さんはっ!!!」
「“なに”ってカワイ子ちゃんとのスキンシップさ。もしくは男の嗜みってやつかねぇ」
「もう、おじいちゃん!!」
「ははっ、すまねえすまねえ。そう怒るない」
ゴードンはまるで悪びれた様子も無く豪快に笑うと傍に置いてあった銀のシガレットケースから極太の葉巻を出して口に咥えた。
「ちょっ! ゴードンさん、医務室は禁煙ですから!」
「ん? ああ、そうだったな。つい癖でねぇ、すまないねえ」
「もう」
「ん〜、怒った顔も魅力的だ。今度一緒にメシでも喰いに行かないかい?」
「ふえっ? えっと‥‥どうしましょう」
ゴードン、全身包帯に巻かれた傷だらけの癖にしっかりと女を口説いているあたりかなりの好色者を伺わせる、しかもシャマルの方も案外乗り気なだったりした。
その様にもはや呆れるより他は無く、六課の皆々は思わず苦笑を零す。
「まったくこの爺さんは‥‥ともかくその感じやとケガの方は大した事ないみたいやね」
「まあ、頑丈さだけがウリなもんでね」
常人ならば3度死んでも余りある傷と疲労もこの老兵にとっては日常的なものだろう。
ともかく、ゴードンの安否を知ったスバルは子犬のようにじゃれついて彼に抱きついて甘えていた。
場には和やかな笑い声が響き、温かい空気が流れる。
こうしてアースラは一人の死者を出す事無く無事にミッドチルダへと帰りついた。
□
「スバル〜」
「ギン姉」
「スバル、なんとか無事だったみたいだな」
「お父さん」
ミッドの帰還した機動六課メンバーは様々な人々に出迎えられる。
その中でスバルは自身の二人の家族、父ゲンヤと姉ギンガの二人に温かく迎えられた。
そしてそんな親子3人に近づく影が一つ、まあ言うまでも無く最強の老兵であるのだが。
「ようゲンヤ、久しぶりだな」
「ええ久しぶりですね‥‥‥って! ひいぃぃぃっ!! お、お義父うさん!?」
ゴードンの姿を眼にしたゲンヤは情けないくらいの悲鳴を上げた。
まあ無理も無いだろう、かつてクイントとの交際の折にかなり本気で殺されかけたのだから。
そして悪夢の如く最悪の戦闘能力を持つ義父が眼前に再来したのだ。
「え!? “お義父うさん”って?」
「ああ、ギン姉。この人あたし達のおじいちゃんなんだ」
「ふえっ? ほ、本当なの!?」
スバルから事の経緯が説明され、ゲンヤとギンガは事情を知る。
ギンガは初めて見る祖父にスバル同様に嬉しそうに眼を輝かせるが、ゲンヤはひたすら顔を青くしていた。
「おう、ゲンヤ。ちょいとてめえに言いてえ事があるんだがな‥‥」
「は、はいいぃっ! な、何でありましょうか!?」
ゴードンのドスの効いた太い声にゲンヤは思わず悲鳴にも似た声を上げてしまう。
そんな彼の前に老兵は静かに歩み寄り鋭い眼光を浴びせた。
剣呑な空気が流れるかに思われたが、次の瞬間にゴードンのとった行動は周囲の予想を大きく違えるものだった。
「すまなかった」
「えっ!? お、お義父うさん?」
ゴードンはそう言うと深々と頭を下げたのだ。
突然の事態にゲンヤは眼を白黒させて驚愕に口を開く。
「スバルを見てよく分かったぜ、真っ直ぐに綺麗な心を持った最高の娘だ。お前はちゃんとこの子を育ててくれた」
「そ、そんな事は‥‥」
「俺がクイントとの仲を反対したのは間違いだったぜ、お前さんは良い父親だ‥‥俺と違ってな」
「お義父うさん、顔をあげてください。俺はもう昔の事は気にしてません」
「いや、これは俺のケジメだ。気の済むまでやらせてくれ」
自分の非を自分自身が許せない、アルベルト・ゴードンとはそういう無骨であまりに不器用にしか生きられない、こういう男なのだ。
その様にゲンヤの中の男が震えた痺れたと言ってもいい、このような男と同じ血筋を結べる事に喜ばぬ男はいないだろう。
「お義父うさん、それじゃあ一つだけお願いがあります」
「おう、なんだ? 何でも言ってくれ」
「これからは親義父(おやじ)って呼ばせてください。それで手打ちにしましょうや」
「そんなんで良いのかい?」
「はい」
「そうかい‥‥それで済むなら好きなように呼んでくれや」
「はい、親義父さん」
ゴードンとゲンヤはそう言葉を交わすと固く拳を握った。
この時、ゴードンは自身の心に初めて新たなる家族の全てを迎え入れた。
□
ミッドチルダのとある墓地、そんな場所を老いた男が一人歩いている。
2メートルを超える長身に、着こなしたラフなジャケットを盛り上げる筋肉の隆起は熊にでも匹敵せんばかりの逞しさだ。
禿げ上がった頭に生え揃ったヒゲが男の高齢を物語っているが、瞳に宿った頑固はいささかの衰えなど感じさせず覇気に満ちている、むしろ目つきには下手な若者よりも生気を放っていた。
そして口に咥えた太い葉巻からは高級な葉巻特有の甘ったるい紫煙を止めどなく吐き出していた。
男の名はアルベルト・ゴードン、ベルカ最強の拳士と謳われた古き老兵である。
そして彼の手にはとても大きな花束が握られていた。
その量たるや、大の大人でも持ちきれるか分からぬ程の凄まじい量である。
この事実は彼が墓参りする墓が一つや二つでない事を物語っていた。
ゴードンはまず一番近くにある墓に花を添えた。
「よう、久しぶりだな皆」
墓所に似つかわしくない気さくな声を上げて老兵は次々に墓に花を添えていく。
その全てがかつて彼と共に戦った戦友、若くして散っていった古き友。
ゴードンは数十の墓に花を手向けていき、最後に一つの墓石の前に立った。
それは愛する一人娘、今はナカジマの姓を名乗る娘クイントの眠る墓である。
「クイント‥‥今まで来れなくってすまなかったな‥‥‥俺は意地っ張りだからよ‥素直になるのに随分と時間かかっちまったぜ」
ゴードンは静かに言葉を噛み締めながら大輪の花を娘の墓石の前に手向けていく。
慈しむ様に、愛でる様に、優しく、そっと一輪ずつ。
「ギンガやスバルに会ったぜ、お前に似た本当に良い子達だ。俺のことを“おじいちゃん”なんて呼んでくれるんだ、嬉しくって堪らねえやな」
墓石を撫でながらゴードンは娘に様々な事を語った、可愛い孫娘達の事を、愛する家族の事を。
そして今まで自分が感じていたクイントとゲンヤに対する負い目も含めて一切合財の全ての想いを。
そして老兵は去り際に静かに呟いた。
「お前の分も、メルセデスの分も、せいぜい残り少ねえ余生をあの子達と過ごしてみるぜ、そっちに逝くのはまだまだ先になりそうだが二人で待っててくれや」
老兵の言葉に答える者などこの場所には誰もいなかった、だが彼の耳には確かに聞こえた。
愛した家族の声の残響が確かにその耳に。
『ええ、二人で待ってるわ。アル』
『うん、皆をよろしく頼むねお父さん』
その声に思わず振り向けば、そこには色とりどりの花に飾られた墓石が一つだけ。
だが確かに天に還った死せる家族の想いは男に届いた。
「ああ、任せときな」
ゴードンは濃い紫煙を吐きながら再び小さく呟いた。死せる者にも届く想いはあると知っているから。
蒼穹の青き空の下、老兵は亡き家族に向けて温かな笑みを見せた。
終幕。
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目次:鉄拳の老拳士
著者:ザ・シガー
691 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:34:12 ID:Vq2BCeIw
692 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:34:50 ID:Vq2BCeIw
693 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:35:20 ID:Vq2BCeIw
694 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:35:50 ID:Vq2BCeIw
695 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:36:31 ID:Vq2BCeIw
696 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:37:06 ID:Vq2BCeIw
697 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:37:44 ID:Vq2BCeIw
698 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:38:52 ID:Vq2BCeIw
699 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:39:54 ID:Vq2BCeIw
700 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:40:49 ID:Vq2BCeIw
701 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:42:13 ID:Vq2BCeIw
702 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:43:13 ID:Vq2BCeIw
703 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:43:57 ID:Vq2BCeIw
704 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:44:31 ID:Vq2BCeIw
705 鉄拳の老拳士 sage 2008/03/12(水) 21:46:18 ID:Vq2BCeIw
鉄拳の老拳士6
赤い赤い夕日のような哀愁に満ちた光の中で俺は眼を覚ました。
ここに来んのはこれで何回目だろうな。
何度も死にかけてはその度にここに来た、死ぬ一歩手前に見る冥府の入り口。
穏やかなせせらぎを響かせる河の前に俺は立っていた。
「ああ、やっぱ死ぬのかよ‥‥‥クソッタレが」
思わず毒づいて汚い言葉が出たがそれも毎度の事だ、別に聞かれて困る訳でもねえ。
どうせ俺が逝く場所なんざ“下”の方だろうからな。
別に地獄だろうがなんだろうが死んで逝くところに興味はねえが、ただ復讐も果たせず死ぬのが悔しくて堪らねえ。
そんな時に随分と懐かしい声が聞こえた、そう随分と懐かしいあの馬鹿ッタレの声だ。
「お久しぶりですゴードンさん」
「おう、久しぶりだな馬鹿ッタレ」
「馬鹿って‥‥相変わらず酷いです」
「何言ってやがる。若いカミさんと小せえ子供を残して死んだ野郎なんざ馬鹿で十分だ」
「‥‥‥そうですね、確かに俺は馬鹿だ」
「それでお前が死出の旅路の案内人って訳か? クライド」
この青二才の名前はクライド・ハラオウン。
若いカミさんとまだ年端の行かない子供を残して死にやがった大馬鹿野郎だ。
まあ俺をあの世に連れて行くのならこいつが適任って訳だろうぜ。
「違いますよ」
「何?」
「俺はただ“あの人”をここまで案内しに来ただけです」
「“あの人”?」
クライドの坊主がそう言いながら後ろ指差す、そこに立っていた人間を見た瞬間に俺は固まっちまう。
そこには数十年前に死に別れた筈の彼女があの日のままの姿で立っていた。
「それじゃあ俺はこれで失礼します、ゴードンさん。ではお元気で」
クライドはそう言うと何処かへと消えていった。
そして俺は彼女と二人残された、彼女は何も言わずゆっくりと俺に近づいて来る。
まるで数十年前のあの時のように、長くて綺麗な青い髪を揺らして、優しく柔らかい微笑を見せながら。
「メル‥‥セデス‥」
「久しぶりねアル」
それは数十年前に死んだ俺の妻、メルセデス。
その全てがあの時のままだった、白磁のように白い肌も、艶やかな長く美しい青い髪も、見ているだけで心の底から温かくなるような笑顔も、一つ残らず全てがあの日の思い出のまま。
それはまるで俺の記憶から抜き取ったかのように。
「ヒゲ生やしたのね」
「‥‥ああ」
「頭、ハゲちゃったわね」
「‥‥ああ」
「顔、シワだらけね」
「‥‥ああ」
そっけない返事しか口から出ない、本当はもっとたくさん話す事があるてえのに上手く思い浮かばねえ。
俺はただメルセデスの瞳に魅入られていた。
「メルセデス、俺を迎えに来たんじゃねえのか?」
「いいえ、違うわ。あなたはまだ死んでないの、ただ少し怪我してるだけ。それで私が勝手に会いに来たの」
「俺を止める為か?」
何をなんて言う必要も無え、俺がしてるのは自分自身の意思で復讐に走りこの手を血で濡らす修羅道だ。
もしメルセデスが知っているのなら確実に止めるだろう、彼女はそういう人間だ。
例えどんな理由があろうとも故意に人を傷つけるなんてまかり間違っても許せる人間じゃねえ。
だから次の瞬間、彼女が言った言葉に俺は息を飲んだ。
「いいえ」
「何だって?」
「私はあなたの復讐を止めるつもりは無いわ」
「‥‥君らしくねえな、じゃあ応援でもしてくれるのかい?」
「いいえ、私は否定も肯定もしない」
「‥‥‥どういう訳だ?」
彼女の言っている事が理解できなくて思わず聞き返した。
不可解そうな顔している俺に彼女は優しく微笑みながら、そっと俺の手を握る。
彼女の手の柔らかくて温かい懐かしい感触に俺の心の中の何かが溶けたような気がした。
「アル。もしあなたがそれを望むなら、私その全てを肯定する」
「‥‥良いのかい? 進んで人を殺そうってんだぜ?」
「ええ、それでも構わないわ。ただ一つだけお願いがあるの‥‥」
「お願い?」
メルセデスはそう言うと真っ直ぐに俺の目を見据える。
それはクイントやスバルと同じ、少しの迷いも一片の曇りも無い透き通った瞳。
決して曲がらない鋼の意思を持った眼差しだった。
「どんな事があっても決して後悔しないで。自分の心に嘘をつかないで」
「‥‥‥‥‥‥それだけかい?」
「ええ、それだけ。アルがそうして選んだ道なら私はそれを受け入れる」
「そうかい‥‥‥分かったよ、絶対に自分に嘘はつかねえ」
「うん‥‥ありがと」
そう言葉を交わすと俺達はどちらともなく抱き合った。
甘く香る髪の匂い、柔らかく温かい身体、全てがあまりに懐かしかった。
情けねえ話だが、最愛の妻との数十年ぶりの抱擁に年甲斐もなく泣きそうになっちまう。
「アル‥‥大好き」
「俺もだ」
「‥‥もう離したくない」
「ああ」
「ねえ知ってる? このままアルを離さなければ一緒に彼岸の彼方まで逝けるのよ」
「そいつぁ素敵な提案だ」
「‥‥でもダメよね」
「まだ向こうでやる事があるからな」
「‥‥分かってる、ごめんねワガママばっかり言って」
「君のワガママなら何でもOKさ、良い女はその方が良いぜ」
少し茶化した事を言いながら俺は彼女の髪をそっと撫でた。
そして数十年前と同じその心地良い感触に酔いしれる。
だがそんな時間も永くは続かねえ、メルセデスは何も言わず静かに俺の身体に回していた手を離した。
「‥‥もう時間みたい」
「そうか‥‥‥残念だ。でもまあ、どうせすぐ会えるだろうから気にすんな」
「もう‥‥そんな事言ったらダメよアル。私の分もあの子達と一緒に過ごしてあげなきゃ」
「それもそうだな」
抱き合っていた身体を離す刹那、俺はメルセデスの唇に自分のそれをそっと重ねる。
数十年ぶりに味わう彼女との口付けは相変わらず甘くて切なかった。
「続きはまた今度だ」
「うん、十年でも百年でも‥‥いつまでも待ってるわ。だから行って来て、あの子達の所に」
「ああ、それじゃちょっくら行ってくるぜ」
「ええ、行ってっしゃい」
メルセデスはその瞳をかすかに涙で濡らしながらそう言ってくれた。
まったくこんな時にも良妻を貫くなんて相変わらず最高の女だ、誰がなんと言おうと家のカミさんは宇宙一の美女だ。
でもやっぱり君の顔に涙は似合わねえぜ、拭ってやりたいと思ったがもう身体が上手く動かくなってやがる。
あの世のとの狭間にいられる時間は残酷にも過ぎて、俺をあっち(この世)に連れ戻しやがった。
だがその瞬間、メルセデスの隣にあの子の影を見た気がした。
「クイントオオォォッ!!」
俺の叫びも虚しく視界は白く染め上げられ、冥府との狭間は消え去った。
次に眼に飛び込んできたのは一面の黒、それが自分を覆っている瓦礫の山だと理解するのに時間はそうかからなかった。
邪魔クセえ、いつまでも気色の悪い石布団なんぞかけてんじゃねえ。
石っころの山をどかすくらいは、魔力なんぞ使わなくってもこれくらい自前の力だけで十分だ。
起きてみればあのクソッタレがスバルに汚え手を近づけていやがった。
「何してやがる糞野郎。てめえの相手は俺だぜ?」
俺はともかく喧嘩(ゴロ)の啖呵を切った。
これ以上このクソッタレをのさばらせはしねえ、しこたま拳骨(ゲンコ)くれてやるぜ腐れチ×ポ野郎。
□
瓦礫を押しのけて立ち上がったゴードンはドスの効いた太い声を響かせる。
だが纏う黒衣はあちこち焦げ付き、口元は血で濡れている、正に満身創痍としか言い様が無い状況。
だがその眼光は覇気に満ち溢れている。
この老兵には引く気も負ける気もサラサラ無いのだ。
「これはこれは、まだ生きていたのか。素晴らしい耐久力だ、賞賛に値するよ‥‥」
「黙りやがれ、クソッタレ」
ゴードンは不遜な態度のスカリエッティの言葉を相も変らぬ威勢の良い怒声で遮る。その迫力にスカリエッティは老兵と距離をおいてもなお背筋に寒気を感じた。
それは生物として感じる圧倒的な格の違い、巨大な肉食獣を相手に矮小な草食獣や虫けらでは決して抗えないのと同じ生きている以上は逃れられぬ死の恐怖である。
故にスカリエッティはこの歴戦の猛者を最速で葬り去る事にした。
「やれ、タイプδ。徹底的にな」
その言葉に異形の戦闘機械、タイプδはモノアイを不気味に光らせて応えると同時に下半身の多脚を走らせてゴードンへと迫る。
6本腕の内の2本、大口径ガトリングガンが唸りを上げて乾いた炸裂音を響かせて銃弾をゴードンに吐き出す。
ゴードンはその銃弾の嵐を即座に防御障壁を展開、攻撃を弾く事を念頭に置いた高硬度シールドで傾斜・角度をつけて銃弾を巧みに捌いた。
だがタイプδは構わず接近し、銃弾の雨と同時にもう2本の腕に備えられた巨大な棍棒を振り下ろす。
展開したシールドはそのままにゴードンは脚部ローラーブーツを走らせて回避、すると彼のいた場所を棍棒が叩き砕きコンクリートの床をありえない程に溶かした。
この棍棒はただの単純な鉄の塊でなく超高熱を帯びた破壊兵器なのだ、例えバリア越しでも受ければタダではすまないだろう。
普通ならばこれで安易に接近するという選択肢は捨てる筈だろう、だがこの老兵は“普通”ではない。
ゴードンはあろう事かコンクリートに埋まっていた高熱を帯びた棍棒を鉄拳で掴む、そしてそのまま魔力を込めた蹴りを叩き込み棍棒をへし折った。
「なっ!?」
状況を観察していたスカリエッティは思わず声を上げて驚愕する。
普通ならこんな事はしない、防御障壁と鋼のデバイス越しといえどゴードンの指は高熱に焼かれているだろう、まともな思考能力があればあそこまで危険な戦い方などしない。
だがゴードンはそれだけに終わらなかった。
さらに連続した蹴りを叩き込みタイプδの防御シールドを破壊、思い切り振りかぶって手に掴んだままの棍棒の切れ端をタイプδの上半身左側の肩に突き立てる。
高熱を持ったままの棍棒により左側の腕3本の肩部が溶解、多砲門型ロケットランチャーと大口径ガトリングガンの機能を殺した。
突然自身の機能を大幅に破壊されたタイプδは即座に後退、残ったガトリングガンで牽制の銃弾を吐き出しながら熱線砲をチャージして遠距離戦に移行する算段である。
もちろんそれを簡単に許すゴードンではない。
「させるかあああぁぁっ!!!」
獣の如きゴードンの咆哮が響き渡り、同時に数多のウイングロードが展開。
その青き翼の道はタイプδの後退の軌道を塞ぐように展開され、逃げ場を殺す。
異形の戦闘機械は退路を確保する為に残ったもう1本の棍棒を振りかざしてウイングロードを破壊しにかかる。
だがその所作、歴戦の老兵からすればあまりに愚鈍極まる。
ゴードンは半分の火力となり下がったガトリングガンの銃火の内を高速で掻い潜り接近、回転により遠心力を乗せた最高の拳が叩き付けた。
「ガイアクラッシャアアアァァッ!!!!」
彼の持つ技の中でも最高の打撃力を誇るものの一つが炸裂、タイプδの装甲を軋ませて爆発的な衝撃によりその巨大な金属製のボディを吹き飛ばした。
戦闘機械は老兵の攻撃によって広大な工場内部を転がる、普通ならばここで勝負は決するだろう、この攻撃を喰らってタダで済むモノなどそうはいない。
だがこの異形の殺戮兵器もまた、老兵と同じく“普通”ではないのだ。
「けっ、いい加減に逝きやがれポンコツが」
ゴードンの鉄拳に転がったタイプδは何事も無かったかのように起き上がる。
歪ませた装甲はすでに元通りの形に戻っていた。恐らくは高性能の柔軟性を持った表面の装甲を持っているのだろう。
高濃度のAMF下で威力を著しく落としたゴードンの拳とはいえど、直接魔力で加速・強化したベルカ式の攻撃にここまでの耐性を持つとなると厄介極まりない。
その様子を眺めていたスカリエッティは狂ったように笑った。
「あーはっはっはっは!!! どうだい? この防御力は。高濃度のAMF発生装置に多重展開の防御シールド、そして極めつけは最高の防御力を誇る特殊複合装甲製のメインボディ!! 魔道師の個人レベルの戦闘力では中枢を破壊する事は絶対不能だ!!!」
攻撃用の腕ならば破壊する事は決して難しくない、だがボディ本体の防御力はスカリエッティの言う通りの絶大なる鉄壁である。
余力を考えればゴードンにもう余裕は無い、下手に戦いが長引けば造作も無く死に果てる。
ここは最大の大技で以って勝負を一気に決めなければならない、故に老兵は大磐石たる不退転の決意と覚悟を腹の内に呑み込んだ。
「いくぜ兄弟」
<おうよ兄貴、地獄の果てまでだって付いて行くぜ!!>
無骨なる鉄拳、鋼のデバイスが威勢良く応えて魔力を帯びた無敵の拳へと変わる。
自身の存在の全てを賭けて覚悟を決めたこの兄弟にとってこの世にはもはや敵となる者など無い、その五体既に絶対必勝。
その刹那ゴードンは駆け出す、烈風の如く、閃光の如く、矢の如く、弾丸の如く、その身は疾風迅雷となって敵へと一直線に突き進む。
銃火で以って迎え撃とうとも、風となった黒き影を捉える事など出来はしない、その速度はもはや異形の戦闘機械の応戦できるレベルを遥かに超えていた。
自身の拳足の間合いへと近づいたゴードンは急接近した勢いを乗せた拳を叩き込む、それは絶大なる威力を誇るアッパーカット。
轟音が響き鉄拳がタイプδのボディにぶつかった瞬間、ゴードンの足場に展開していたウイングロードが踏ん張りの重さに軋みを上げる。
その一撃はただ重いだけではない、老兵の拳は長年の修練によって体得した発剄・浸透剄で以って衝撃を敵の内部奥深くまで通していたのだ。
タイプδは外壁装甲の内部、その中枢まで衝撃を打ち込まれながらアッパーによって宙に浮かされた。
さらにゴードンは浮いた敵の巨体の周囲にウイングロードを形成、それは螺旋状をして囲い込みまるで檻の如く逃げ場を奪う。
そして老兵は螺旋の檻の中で宙に浮いた殺戮兵器に向かって再び上段に拳を振りかぶった。
それはまるで天に昇る龍の如く天を突き破るかの如く力強く、螺旋の中をさらに旋回しながら昇る拳打は美しくすらある。
「一撃天昇っ!!! スパイラル・ドラゴンンンン!!!!」
莫大な魔力を以って天すら穿つ螺旋の龍が、宙に打ち上げられた敵を貫かんと舞い上がる。
鋼の拳が厚く強固な装甲を強力な回旋で抉りながら突き刺さっていく。
だが敵の纏う鎧は硬く、破壊し難い事甚だしく、老練なる拳士の絶技にも堅牢に耐える。
そして異形は反撃に移る。
ゴードンの攻撃に晒されながらもタイプδは残った腕に具えられた高熱粉砕装置(ヒートクラッシャー)内蔵の棍棒を大上段に振りかざし、その重く強烈な一撃をゴードン目掛けて打ち下ろした。
タイプδの打撃が打ち込まれた瞬間、ゴードンは防御障壁を展開して防ぐが人外の金剛力で以って行使される暴力の力に障壁ごと吹き飛ばされた。
展開していたウイングロードも強制的に解除され、老兵の五体は再びコンクリートの壁に向かって飛ぶ。
だがこの老練なる兵(つわもの)が愚鈍な戦闘機械の攻撃に醜態を何度も晒す事などありえない。
ゴードンは瞬時に脚部ローラーブーツの下にウイングロードを展開し空中で体勢を立て直し着地、そして鋼の拳を構えてファイティングポーズをとる。
対するタイプδも即座に空中で下半身の多脚部に備え付けられた推進器(スラスター)で飛翔しながらガトリングガンの狙いをゴードンに定めて銃火の花を咲かせた。
これを再びシールドを使い巧みに捌く、だが敵の狙いはこの銃撃でゴードンを打倒する事では無かった。
この攻撃はあくまでも牽制、足止めの布石である、本命はチャージを待っていた熱線砲を用いた砲撃だ。
高町なのはの砲撃魔法すら凌駕するこの砲撃ならばいかにこの老兵が強かろうと死を免れえぬだろう。
タイプδは冷静な戦闘頭脳で導き出された完璧なる勝利への方程式に従い、老兵との距離をとり彼の足を止める事に成功した。
後はチャージし終えたこの熱線砲の砲門を解放し、現在敵対している人間を塵も残らず葬るだけだ。
絶対的なる危機的状況、このまま砲撃を許せば致死必死は確実である、だがゴードンは逃げも隠れもせず悠然と銃弾を防いでいる。
別に敵の砲撃の予兆を見逃しているのではない、測っているのだ反撃の好機を。
そして機は熟する。
タイプδのモノアイが対象物たるゴードンに照準を合わせ、熱線砲の砲門に莫大なる熱エネルギーが収束し解放された。
これを待っていたと言わんばかりにゴードンは超高速で足元に展開したウイングロードで上空へと回避。
難なく敵の持つ最大の攻撃能力を流すとその隙を逃さず急速接近、最高速度で懐に潜りんだ。
「オラアアアアァァッ!!!!」
まずは跳躍しての上段の回し蹴り、主力戦車でも転がす程の打撃力を持つその鉄脚の蹴りにタイプδの残った腕の内1本、ガトリングガンを搭載したものを破壊。
次いで空中で新に形成したウイングロードを足場にした左ストレートを打ち込んで敵の体制を崩す。
ゴードンの放つ怒涛の攻撃にタイプδはその巨体を揺らしてぐらついた。
そして老兵は自身の誇る最高最大の秘技を抜き放つ。
宙を舞うゴードンの身体から魔力が一瞬である一部へと集まった。
全身を巡る魔力の全て、防御障壁に回す魔力すらも含めた一切合財の全魔力が鉄の拳で覆われたゴードンの右手に集束。
それだけでも常軌を逸した行為だが、さらに驚くべきはその手の形である。
ゴードンの右手は握られた拳ではなく開かれて掌へと転じていたのだ。
「一刀両断んんんんん!!!!!」
空気を震わせる太い掛け声と共に手刀と化した右の掌に集まった魔力が形を作っていく。
それは手刀に沿って現われた一振りの刃、全てを断ち斬る聖なる閃き。
「イクスカリバアアアアァァッ!!!!!!」
ゴードンの叫びと共に、古き伝承に残る聖なる剣の名前を冠した断罪の刃が唸る。
体内の魔力の全てを一点に集めて作った刃は、彼自身の手刀をこの世に斬れぬ物の無い無敵の一刀へと変えたのだ。
拳から剣へと転じたこの一撃に敵の誇った鉄壁の装甲もチーズのように斬り裂かれた。
だがまだ足りない。
この攻撃は防御不可能な程の絶大なる破壊力を誇るが唯一の難点は間合いが極端に狭い事だ。
残念だがこの一撃を以ってしても巨大なる戦闘機械の中枢までは届いていない。
しかし老兵にとってはその程度は予想の範疇内、計算の内である。
敵を打ち倒す大技はまだこの後に放つ一撃だ。
「ウオラアアアァッ!! ぶち抜けええええええぇっ!!!!」
ゴードンは右手の形を手刀のままに振りかぶって自身の腕を深く敵の装甲に突き刺す。
先の一刀はこの貫手(ぬきて)を通す為の布石であったのだ、斬り込みを入れた装甲に腕を突き通す為のコンビネーションの一つ。
そしてゴードンはこの日初めてカートリッジを使う。凄まじい爆音が響き、両腕の鉄拳に備えられた回転式弾装の中に装填されていた大振りなカートリッジが全弾炸裂する。
追加された莫大な魔力に加えてゴードンの身体に残された魔力もその全てを燃やし尽くさんと燃え上がった。
「一拳滅砕っっっっ!!!!」
ゴードンの叫びと共に再び右手に集まる魔力の奔流。
カートリッジを一気に全弾使用したそれは先の攻撃を遥かに超える程の莫大なものであり、そのあまりの力に空間が歪んでさえ見える。
そして限界まで圧縮された魔力は一気に爆ぜた。
「カタストロフ・フィストオオオオオォォッ!!!!!!!!」
瞬間、異形の戦闘機械タイプδは内部から大爆発。
どんなに強固な装甲と防御力を誇ろうとも、無防備な内部からの発した力には抗う術などありはしない。
しかし驚くべきは自爆にも似た大技“カタストロフ・フィスト”である。
敵の内部に爆散する魔力を発生させるのはスバルの用いるディバインバスター・ゼロレンジにも似ているが、爆ぜる瞬間まで腕を突き入れたままという一点においてあまりにその性質を違える。
このような絶技を前にすればいかな敵とて大散華と散り果てるは必定。
だが最初から回避という選択捨て、敵もろとも爆炎の中に己が身を置くなど自殺行為に等しい。
濛々とあがる煙と炎に、この激闘の数少ない観戦者たるスバルとスカリエッティはゴードンの死を感じた。
だがスカリエッティにとっては自身の作った殺戮兵器の敗北のショックの方が大きかったようだ。
「ま、まさか‥‥タイプδが人間相手に負けるとは‥」
スカリエッティの言葉が響く中、異形の戦闘機械の部品が瓦礫と散る。
そしてその中を悠然と歩く黒き影が一つ。
「けっ、ご自慢のクソ機械も大した事ぁねえな」
ボロボロになった黒いバリアジャケット、傷だらけになった深くシワの刻まれた顔、そして熱く闘志の燃える鋭い眼光。
ベルカ最強の拳士と謳われた歴戦の猛者、アルベルト・ゴードンという一匹の漢(おとこ)である。
そしてゴードンは周囲に燃える炎で1本の葉巻に火を付けると深く吸って、濃い紫煙を吐いた。
「な、何故だ!! 何故生きている!? あんな爆発の中でどうやって‥‥」
「簡単な理屈だ、魔力を解放した瞬間に最低限の防御障壁を張ったのさ。まあ少しでも遅れれば死んでるだろうがな」
口から葉巻の甘ったるい紫煙を吐きながらゴードンは何でも無いことのように話す。
だがこれはムチャクチャな理屈だ、例えるならば放たれる矢を寸前で止めるような狂った行為。
だがこの老兵はまるで日常的なささいな出来事でも語るように話す、もはや常人に理解できる範疇を著しく逸脱した存在としか言えぬだろう。
そして老兵は静かに歩み寄りながら鋭い眼光を憎き仇に向けて放った。
「さあ、それじゃあ死ぬ時間だぜクソッタレ」
瞬間、あまりにも確実な死を感じたスカリエッティは懐から抜いた鉄塊を傍らの少女に向けた。
それは拳銃と分類される広く世界に浸透している兵器の一つ、引き金を引けば誰であろうと生物を殺傷しうる小型の火器である。
恐らくはスバルを人質にして逃走を図りたかったのだろう、しかしこれはあまりに愚かな行為だった。
言い換えるならば野獣の尾を踏むが如き愚行、スカリエッティは触れてはいけない龍の逆鱗に触れてしまったのだ。
「疾ぃっ!!!!」
声が響いた時には既に鉄拳は決まっていた。
拳銃弾に匹敵する加速を誇るゴードンの拳技にとって、十数メートルという距離は間合いの範囲である。
素早さのみを求めた超高速の直突きがスカリエッティの手首を捉える。
鉄拳は一瞬でスカリエッティの前腕を歪な形に圧し折り、彼の持っていた拳銃は弾き飛ばされた。
「ひぎいいいぃっ」
スカリエッティが情けない悲鳴を漏らし、前腕を破壊された痛みに呻く、激痛に股間からは尿すら失禁していた。
だがこの程度で復讐鬼の攻撃は終わらないのは明白である。
次の瞬間にはゴードンの足がスカリエッティの下腹部、恥骨の結合部に炸裂。
股間部の関節結合を無理矢理外されてスカリエッティは歩く能力を殺され、その場に倒れ伏す。
「さあクソッタレ、これで地獄に逝きやがれ」
ゴードンはそう言いながら下段突きに構えた拳の照準を倒れたスカリエッティの顔面に定める。
素手でさえ野生の熊の頭蓋骨を粉砕する程の威力を持つゴードンの拳、それが鋼のデバイスを纏って解放されれば人間の頭部などスイカの如く砕けるだろう。
遂に満願成就の時が来た、滾る怒りと憎悪が終焉を向かえ、復讐が果たされるのだ。
だがその刹那、少女の悲痛なる叫びが木霊した。
「ゴードンさん、やめてくださいっ!!」
先の戦闘で対人捕縛様のネットに絡まりながらスバルは叫んだ、目の前の蛮行を止める為に力の限り。
その言葉に一瞬思考を鈍らせるもゴードンは不退転の決意を揺るがせぬように、構えた拳に力を込めた。
「止めるな嬢ちゃん。こいつは俺の問題だ」
「ダメです! 絶対にダメです!! どんな理由があったって人を殺したりしたら」
「‥‥‥言うな」
少女は瞳に涙さえ浮かべて哀願する。
だが老兵はひたすらに心を殺して、憤怒に燃えて、憎悪に溺れて殺意を消さぬように努める。
しかし次の瞬間スバルに発した言葉にその決意は虚しく霧散した。
「おじいちゃん止めてえぇっ!!」
その言葉にゴードンの中の全てが凍りついた。
冷静な思考、滾る怒り、燃える憎しみ、そのどれもが作動を止める。
それ程にスバルの言葉の衝撃は大きかった。
「なんで‥‥そいつを知ってる‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥最初に会った時に“もしかして”って思ったんだ‥」
呻くようなゴードンの問いかけにスバルが静かに答えていく、澄んだ声で静かにしかし確かな意思をもって。
「いつも葉巻を咥えてるとか、バリアジャケットの形とか、デバイスを兄弟って呼ぶとか‥‥‥お母さんにいつも聞いてたおじいちゃんの姿にそっくりで。
‥‥きっとあたしのおじいちゃんはこんな感じなんだって思ってた。でも確信したのは今だよ‥‥スカリエッティをそこまで憎むなんて普通のハンターならありえないから‥」
「なら分かるだろ、俺がこいつを殺す理由も」
「‥‥分かるよ‥‥でも‥そんなのダメだよ」
「こいつはクイントを殺しやがったんだ!! 生かしてなんざおけねえだろうがっ!!」
ゴードンは堪らず激昂して叫ぶ。
それは獣の断末魔にも似た咆哮だったが、しかしどこまでも哀しき残響を孕んでいた。
だがそれでもスバルは悲痛な声で哀願する。
「それでもダメっ! お母さんは‥‥お母さんはそんな事望まないから‥おじいちゃんが人を殺す事なんて絶対に望んでないから!!」
その事実を理解していたが故に、スバルの言葉は復讐鬼となった老兵の心を大いに揺らした。
クイントは決して復讐など望まない、例え自分が殺されようとそれで遺恨を残すような娘でないなど父であるゴードン自身が一番よく分かっている事だ。
孫娘の言葉に老兵は改めて理解させられる、これはただ自身の内にある黒き虚を満足させる為の愚挙であると、ただの血塗られた凶行であると。
だが振り上げた拳を止める事など出来はしなかった。
「うおおおおおおぉっ!!!」
「止めてええぇっ!!」
凄まじい雄叫びと轟音が響き、床のコンクリートが砕かれて大きなヒビが入る。
スバルの悲鳴が木霊し、その残響が周囲に満ちる。
だが頭蓋や脳髄が鮮血を散華する事はなかった。
穿たれたのは目標の頭部を大きく反れた床、拳は空を切ってコンクリートのみを砕いたのだ。
「‥‥‥おじいちゃん」
「‥‥クソッタレが‥‥孫に言われて止まらねえ奴がいるかよ‥」
ゴードンはそう言うと床に深く埋まった拳を抜き去る。
スカリエッティは死の恐怖に完全に気を失っていた、殺すのは止めたがこのまま放置というのも癪なのでゴードンはせめてバインドで雁字搦めにしておいた。
そして老兵は改めて互いの関係を認識した孫娘と対面する。
「んじゃ、これ外すぜ」
「あ‥えっと‥‥お願いします」
ゴードンは言うや否やいとも簡単にスバルを捕縛していた網を引き裂いて彼女を拘束から解放した。
突然の事にスバルは唖然としてしまう、だがそれも無理も無いだろう。
いないと思っていた自分の祖父と対面すれば誰だって固まってしまうものだ。
「えっと‥‥おじいちゃんって呼んで良いのかな?」
「ああ、好きに呼んでくれや」
「あはは‥‥なんか照れちゃうね」
「だな」
スバルは頬を赤らめて恥らう、その様が愛らしくてゴードンは思わず彼女の頭を撫でようとした。
だがその瞬間、今まで過度の負担を掛け続けた老体は力を失って倒れ伏した、既に限界を超えていた巨体が無残にも床に転がる。
「おじいちゃん!? 大丈夫!? おじいちゃん!!!」
□
敵の戦力は全て打倒され、主犯格たる逃亡者スカリエッティも逮捕された。
事件は事も無く万事上手くいったかに思われたが最大の功労者たる民間協力者、アルベルト・ゴードンが意識を失って倒れたのだ。
現在ゴードンはアースラ内部の医務室でシャマルに治療を受けている、機動六課メンバーは一様にして医務室に前に集まり沈痛な空気の中に彼の安否を気遣っていた。
「ゴードンさん大丈夫なんかな‥‥」
思わず口から出たはやての言葉にスバルが身体を震わせる、六課メンバーも苦い表情を浮かべて眉を歪めた。
自分の肉親と知った人間の窮地に悲しむ少女の胸中はいかばかりか計り知れぬだけに、スバルに安易な慰めをかける言葉すらない。
そして唐突にそれは起こった。
「きゃあああぁっ!!」
何の前触れも無く医務室の中から響き渡った悲鳴、声の主は説明するまでも無く医務官シャマルのものだ。
この異常事態に顔を青くした六課メンバーはドアを蹴破って医務室内部に雪崩れ込む。
「シャマルどないしたん!?」
「おじいちゃん!!!」
はやてが発した言葉が木霊し、スバルの悲痛な声が響く。
そこで皆が見たものは‥‥
「ちょっ! やめてください〜」
「いや、すまねえな。嬢ちゃんの尻があまりに魅力的だったんでつい」
ベッドから伸ばした手でシャマルの尻を撫でまわしているゴードンだった。
その姿に六課メンバーはずっこけた、それはもう盛大に。
「よう、嬢ちゃん方。皆してお揃いかい?」
「な、なにしとるんや!? この色ボケ爺さんはっ!!!」
「“なに”ってカワイ子ちゃんとのスキンシップさ。もしくは男の嗜みってやつかねぇ」
「もう、おじいちゃん!!」
「ははっ、すまねえすまねえ。そう怒るない」
ゴードンはまるで悪びれた様子も無く豪快に笑うと傍に置いてあった銀のシガレットケースから極太の葉巻を出して口に咥えた。
「ちょっ! ゴードンさん、医務室は禁煙ですから!」
「ん? ああ、そうだったな。つい癖でねぇ、すまないねえ」
「もう」
「ん〜、怒った顔も魅力的だ。今度一緒にメシでも喰いに行かないかい?」
「ふえっ? えっと‥‥どうしましょう」
ゴードン、全身包帯に巻かれた傷だらけの癖にしっかりと女を口説いているあたりかなりの好色者を伺わせる、しかもシャマルの方も案外乗り気なだったりした。
その様にもはや呆れるより他は無く、六課の皆々は思わず苦笑を零す。
「まったくこの爺さんは‥‥ともかくその感じやとケガの方は大した事ないみたいやね」
「まあ、頑丈さだけがウリなもんでね」
常人ならば3度死んでも余りある傷と疲労もこの老兵にとっては日常的なものだろう。
ともかく、ゴードンの安否を知ったスバルは子犬のようにじゃれついて彼に抱きついて甘えていた。
場には和やかな笑い声が響き、温かい空気が流れる。
こうしてアースラは一人の死者を出す事無く無事にミッドチルダへと帰りついた。
□
「スバル〜」
「ギン姉」
「スバル、なんとか無事だったみたいだな」
「お父さん」
ミッドの帰還した機動六課メンバーは様々な人々に出迎えられる。
その中でスバルは自身の二人の家族、父ゲンヤと姉ギンガの二人に温かく迎えられた。
そしてそんな親子3人に近づく影が一つ、まあ言うまでも無く最強の老兵であるのだが。
「ようゲンヤ、久しぶりだな」
「ええ久しぶりですね‥‥‥って! ひいぃぃぃっ!! お、お義父うさん!?」
ゴードンの姿を眼にしたゲンヤは情けないくらいの悲鳴を上げた。
まあ無理も無いだろう、かつてクイントとの交際の折にかなり本気で殺されかけたのだから。
そして悪夢の如く最悪の戦闘能力を持つ義父が眼前に再来したのだ。
「え!? “お義父うさん”って?」
「ああ、ギン姉。この人あたし達のおじいちゃんなんだ」
「ふえっ? ほ、本当なの!?」
スバルから事の経緯が説明され、ゲンヤとギンガは事情を知る。
ギンガは初めて見る祖父にスバル同様に嬉しそうに眼を輝かせるが、ゲンヤはひたすら顔を青くしていた。
「おう、ゲンヤ。ちょいとてめえに言いてえ事があるんだがな‥‥」
「は、はいいぃっ! な、何でありましょうか!?」
ゴードンのドスの効いた太い声にゲンヤは思わず悲鳴にも似た声を上げてしまう。
そんな彼の前に老兵は静かに歩み寄り鋭い眼光を浴びせた。
剣呑な空気が流れるかに思われたが、次の瞬間にゴードンのとった行動は周囲の予想を大きく違えるものだった。
「すまなかった」
「えっ!? お、お義父うさん?」
ゴードンはそう言うと深々と頭を下げたのだ。
突然の事態にゲンヤは眼を白黒させて驚愕に口を開く。
「スバルを見てよく分かったぜ、真っ直ぐに綺麗な心を持った最高の娘だ。お前はちゃんとこの子を育ててくれた」
「そ、そんな事は‥‥」
「俺がクイントとの仲を反対したのは間違いだったぜ、お前さんは良い父親だ‥‥俺と違ってな」
「お義父うさん、顔をあげてください。俺はもう昔の事は気にしてません」
「いや、これは俺のケジメだ。気の済むまでやらせてくれ」
自分の非を自分自身が許せない、アルベルト・ゴードンとはそういう無骨であまりに不器用にしか生きられない、こういう男なのだ。
その様にゲンヤの中の男が震えた痺れたと言ってもいい、このような男と同じ血筋を結べる事に喜ばぬ男はいないだろう。
「お義父うさん、それじゃあ一つだけお願いがあります」
「おう、なんだ? 何でも言ってくれ」
「これからは親義父(おやじ)って呼ばせてください。それで手打ちにしましょうや」
「そんなんで良いのかい?」
「はい」
「そうかい‥‥それで済むなら好きなように呼んでくれや」
「はい、親義父さん」
ゴードンとゲンヤはそう言葉を交わすと固く拳を握った。
この時、ゴードンは自身の心に初めて新たなる家族の全てを迎え入れた。
□
ミッドチルダのとある墓地、そんな場所を老いた男が一人歩いている。
2メートルを超える長身に、着こなしたラフなジャケットを盛り上げる筋肉の隆起は熊にでも匹敵せんばかりの逞しさだ。
禿げ上がった頭に生え揃ったヒゲが男の高齢を物語っているが、瞳に宿った頑固はいささかの衰えなど感じさせず覇気に満ちている、むしろ目つきには下手な若者よりも生気を放っていた。
そして口に咥えた太い葉巻からは高級な葉巻特有の甘ったるい紫煙を止めどなく吐き出していた。
男の名はアルベルト・ゴードン、ベルカ最強の拳士と謳われた古き老兵である。
そして彼の手にはとても大きな花束が握られていた。
その量たるや、大の大人でも持ちきれるか分からぬ程の凄まじい量である。
この事実は彼が墓参りする墓が一つや二つでない事を物語っていた。
ゴードンはまず一番近くにある墓に花を添えた。
「よう、久しぶりだな皆」
墓所に似つかわしくない気さくな声を上げて老兵は次々に墓に花を添えていく。
その全てがかつて彼と共に戦った戦友、若くして散っていった古き友。
ゴードンは数十の墓に花を手向けていき、最後に一つの墓石の前に立った。
それは愛する一人娘、今はナカジマの姓を名乗る娘クイントの眠る墓である。
「クイント‥‥今まで来れなくってすまなかったな‥‥‥俺は意地っ張りだからよ‥素直になるのに随分と時間かかっちまったぜ」
ゴードンは静かに言葉を噛み締めながら大輪の花を娘の墓石の前に手向けていく。
慈しむ様に、愛でる様に、優しく、そっと一輪ずつ。
「ギンガやスバルに会ったぜ、お前に似た本当に良い子達だ。俺のことを“おじいちゃん”なんて呼んでくれるんだ、嬉しくって堪らねえやな」
墓石を撫でながらゴードンは娘に様々な事を語った、可愛い孫娘達の事を、愛する家族の事を。
そして今まで自分が感じていたクイントとゲンヤに対する負い目も含めて一切合財の全ての想いを。
そして老兵は去り際に静かに呟いた。
「お前の分も、メルセデスの分も、せいぜい残り少ねえ余生をあの子達と過ごしてみるぜ、そっちに逝くのはまだまだ先になりそうだが二人で待っててくれや」
老兵の言葉に答える者などこの場所には誰もいなかった、だが彼の耳には確かに聞こえた。
愛した家族の声の残響が確かにその耳に。
『ええ、二人で待ってるわ。アル』
『うん、皆をよろしく頼むねお父さん』
その声に思わず振り向けば、そこには色とりどりの花に飾られた墓石が一つだけ。
だが確かに天に還った死せる家族の想いは男に届いた。
「ああ、任せときな」
ゴードンは濃い紫煙を吐きながら再び小さく呟いた。死せる者にも届く想いはあると知っているから。
蒼穹の青き空の下、老兵は亡き家族に向けて温かな笑みを見せた。
終幕。
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目次:鉄拳の老拳士
著者:ザ・シガー
- カテゴリ:
- 漫画/アニメ
- 魔法少女リリカルなのは
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このページへのコメント
俺はただ一言だけ言いたくてコメント欄に向かったんだよ
「GreatJob…全俺が泣いたよ」ってな…