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654 Little Lancer 十四話 01/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:37:42 ID:7f61Gauz
655 Little Lancer 十四話 01の2/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:38:11 ID:7f61Gauz
656 Little Lancer 十四話 02/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:38:50 ID:7f61Gauz
657 Little Lancer 十四話 03/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:39:30 ID:7f61Gauz
658 Little Lancer 十四話 04/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:40:17 ID:7f61Gauz
659 Little Lancer 十四話 05/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:40:57 ID:7f61Gauz
660 Little Lancer 十四話 06/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:42:30 ID:7f61Gauz
661 Little Lancer 十四話 07/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:43:02 ID:7f61Gauz
662 Little Lancer 十四話 07/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:43:51 ID:7f61Gauz
663 Little Lancer 十四話 08/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:44:55 ID:7f61Gauz
664 Little Lancer 十四話 09/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:45:36 ID:7f61Gauz
665 Little Lancer 十四話 10/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:46:08 ID:7f61Gauz
666 Little Lancer 十四話 11/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:47:07 ID:7f61Gauz
667 Little Lancer 十四話 12/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:47:42 ID:7f61Gauz
668 Little Lancer 十四話 13/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:48:11 ID:7f61Gauz
エリオ・モンディアルの墓はミッドチルダ北部・聖王教会本部脇の共同墓地の一角に在る。
そこは、共同墓地の中でも特に豪奢な墓碑の並ぶ一角で、騎士や富豪、旧貴族らが大勢眠っている場所でもある。
夕焼けに赤く染まる墓所に、一人の少年が訪れた。
齢に似合わぬ大人びた風貌と機械仕掛けの義手が目を引く、赤毛の少年だった。
墓の中で安らかに眠っている筈の、エリオ・モンディアル当人である。
彼は、己の名が刻まれた墓碑を見下ろし、唇を噛んだ。
『Erio Mondial 新暦65〜新暦75
命を賭してミットチルダを救った幼き騎士
我々は君を忘れない』
エリオの墓碑には、そんな言葉が刻まれている。
だが当のエリオには、ミッドチルダを救うなどという大それた事をしたつもりは無い。
ルーテシアを救うためにクアットロと対峙し、成り行きでトーレと戦い、只管に足掻いただけだ。
六課に帰還してから記者の取材を受けたり食事に誘われたりといった出来事が多く、次第にエリオは自身が分不相応な賞賛を浴びていると感じるようになった。
ミッドチルダに帰還してから、数え切れない程の人々に褒められた。礼を言われた。同じ六課である事を誇りに思うとまで言われた。
しかし、エリオにはもっと上手くやれたのではないかという悔恨こそあれ、自身を誇る気持ちなど持てよう筈が無かった。
墓碑の前には干乾びた花束の残骸や、駄菓子の袋が積み上げられている。
それらの残骸が、雄弁に語る―――この墓碑の前でどれだけ多くの人々が涙を流し、エリオの為に祈ったのかを。
キャロは此処を訪れる度に、必ず墓碑の前にストラーダを供えて跪き、日が落ちるまで身じろぎ一つせず祈り続けたと聞く。
誰もが此処で涙を流したと言う、己の墓碑。
エリオは、弱々しくそれに拳を打ちつけた。
新暦75年9月19日のあの日、確かに自分は死んだのだ―――エリオはそう思った。
その事実をすぐに受け入れられた者も、時間をかけて受け入れた者も居た。
だが、誰しもが三年と言う年月の中でエリオ・モンディアルの存在を、自分の中で過去のものとして区切りをつけたのだ。
最もエリオの死を受け入れるのに時間が掛かったのは、間違いなくフェイトとキャロの二人だろう。
フェイトはエリオの死に一時は精神を病みかけ、エリオを蘇らせる為に『プロジェクト「F.A.T.E」』の研究にまで手を出したと聞く。
キャロは、エリオの死を直視出来ず唯ひたすらにエリオの後を追い、エリオの槍術を鍛錬することで己を守ろうとしたと聞く。
そのフェイトとキャロの二人でも、三年という年月を掛けてエリオの死に対して己の中で決着をつけたのだ。
―――それは、とてもとても尊い事だと思う。
エリオは己の胸に去来する想いの数々を統べる事が出来ずにいた。
己の墓碑と対面することで、機動六課の仲間達がどれ程深く自分の事を思っていたのかを改めて知った。
……それが、嬉しく無い筈が無い。身に余る光栄に畏れすら感じてしまう。
同時に、自分が未熟だったせいで、多くの人々に悲しみや苦しみを与えてしまったことに深い悔恨を覚える。
特に、フェイトとキャロに与えた悲しみに対しては、償う方法も思い浮かばない。
―――自分がもっと強かったら、あんな事態にはならなかった。
只、そんな想いがエリオを苦しめる。
エリオ・モンディアルは13歳という年齢からは、考えられ無い程の真っ直ぐな精神を持った少年だ。
……それでも彼は、所詮は13歳の少年に過ぎなかった。
英雄とまで呼ばれる周囲からの賞賛も、死亡扱いになっていた事の反動から来る過剰な愛情も―――
―――彼にとっては、重荷でしかなかった。
そして、エリオ・モンディアルは普通ならば直視出来ない程の重責でも、真正面から立ち向かってしまう精神の持ち主だった。
“どう違う!?
体が肉で出来ているか、機械で出来ているかの違いしかない同じ作り物の君と僕が?
光の中で教育を受けたか、闇の底を舐めて育ったかの違いしかない同じ作り物の君と僕が!?
いいことを教えて上げるよ、エリオ・モンディアル。
キャロ・ル・ルシエはね、僕の姿を見た途端泣きながら抱きついて来たんだよ。
君が誰かなんて、君と僕以外の誰かにとってはどうでもいい、何の興味も無い事なんだ!!”
エリオの人形の言葉は全く正しいと思った。
三年前にエリオ・モンディアルは死に、今機動六課に居るのはエリオ・モンディアルという役を与えられたランス・月村だ。
……だが、己がその役を務める事で、救われる人が居るのなら。笑ってくれる人が居るのなら。
―――全身全霊を以って、僕は皆が望む英雄エリオ・モンディアルとなろう。
少年はその日、己の墓前で機動六課に望まれる通りのエリオ・モンディアルとなる事を誓った。
『Little Lancer 十四話』
剣と槍の鎬を削る音が絶え間なく訓練場に響く。
長身の剣士に矮躯の槍手が挑み懸かる光景は、この三年間の六課の訓練場の日常でもある。
キャロのシグナムとの稽古が再開したのだ。
主治医のシャマルはまだ安静にした方が良いと提言したが、キャロは一日でも早い稽古の再開を願った。
『Speerschneiden.』
ストラーダの斬撃がレヴァンティンに受け止められて火花を散らす。
以前にストラーダの第三形態を発動して、本心をシグナムに看破されて打ちのめされたキャロだったが、今の彼女の槍捌きは以前以上だ。
重症で臥せっていた事が信じられない程、体捌きも軽快である。
長く己を縛っていた迷いが晴れ、エリオに再会して改めてストラーダを託されたキャロは、今正に絶好調だった。
『Wing Shooter.』
ケリュケイオンを通じて、ストラーダに魔力を通して槍の穂先から直射弾をバラ撒く。
絶好調であっても、キャロの近接戦闘能力はシグナムに遠く及ばない。
その力量差を考慮して、シグナムを容易にクロスレンジに入れないように魔力弾で牽制し、その上で優位を保とうという戦法だ。
―――それは、以前のキャロでは決して採ろうとしなかった戦法だ。
シグナムの口元が吊りあがる。
今までのキャロの槍術は、どれ程足掻いてもエリオの槍術の模倣でしかなかった。
その方法論では、感覚や運動能力でエリオに劣るキャロでは、劣化したエリオにしか成り得ない。
だが、ここに来てキャロは、真に己の資質に適したストラーダの運用法に目覚めつつあった。
シグナムは切っ先に感じる槍の穂先の感触に、キャロが何か固い殻を脱ぎ捨てた事を感じていた。
楽しい。
シグナムは、初めてキャロとの手合わせで心の底からの楽しさを感じていた。
バトルマニアとして好敵手と立ち会う楽しさだけではない。
三年間、ずっと見守り続けてきた少女がついに己を取り戻した喜び。
これまでの特訓はキャロは裏切らなかったのだという安堵。
シグナムのこれまでのキャロとの手合わせは、キャロの心の傷口を押さえる程度の応急処置でしか無かった。
いつしか破綻するのは目に見えていたし、事実破綻は訪れた。
―――だが、キャロは蘇った。不死鳥の如く。
これ以上の歓びが何処にあるだろうか?
それらの感情が綯い交ぜになって、いつしかシグナムは剣を揮いながら笑顔を浮かべている自分に気付いた。
シグナムの全身は、何時に無く軽かった。
この三年間、彼女の心の深奥にはクアットロへの暗い復讐心が根付いていた。
それも、エリオの帰還とキャロの復帰と共に消えた。
クアットロはヴォルケンリッターの一同で誅した。
それは、復讐では無く斬奸であったのだとシグナムは信じている。
シグナムは闘志漲る笑みを浮かべて、何処からでも懸かって来いと、視線のみでキャロに告げる。
キャロは頷き、真っ直ぐにストラーダを構える。
その瞳は―――まるでエリオにそっくりだった。
炎の魔剣レヴァンティンが灼熱を宿す。シグナムがキャロとの立会いで魔力の炎熱変換を用いるのはこれが初めてだ。
キャロはその返礼とばかりに、全身の魔力をストラーダに注ぎこむ。
カートリッジがリロードされ、デューゼンフォルムの噴出口が全て後方を向き、魔力が収束されていく。
双方の闘志が極限に達した瞬間、引き絞られた矢の如くキャロは飛び出した。
凄まじい程の速度。
それでも、シグナムの技量には及ばない。
炎熱の燈るレヴァンティンで、ストラーダを跳ね上げようとして、―――瞬間キャロがストラーダから片腕を離した。
輝きを放つケリュケイオンで、そっとレヴァンティンの柄に触れ、囁くように呪を唱えた。
「猛きその剣に、更なる炎熱を」
瞬間、レヴァンティンが炎の暴発を起した。
◆
シグナムは驚愕した。受け攻め数手を予測していたが、百戦錬磨のシグナムからしても完全に予想外の一手だった。
あの凄まじい突進すらフェイク。
キャロは自身の全身全霊を以ってしてもシグナムに及ばない事を知り、妙手に出た。
己の全力に対してシグナムが強力な後の先を取る事を予想して、その更に後の先を取ったのだ。
それも、ブーストデバイスを用いて炎熱変換された魔力を暴発させるという斬新な方法で。
シグナムのレヴァンティンを握る右手は微かに燻っている。
「キャロ、見事だ」
シグナムは偽りない、心の底からの賞賛をキャロに送った。
だが、キャロは悔しそうに首を振る。
「いえ、今の技は―――失敗でした」
レヴァンティンに触れた左手が、ぶすぶすと煙を上げていた。
ブーストを行ってからの離脱が遅れたせいで、自身も暴発の巻き添えを喰らったのだ。
ケリュケイオンにも大きなダメージが見られる。これで、同じ技はもう使えまい。
キャロの魔力も底をつき、立っているのが精一杯という状況だ。
それでも、彼女はゆるゆるとストラーダを正眼に構える。
―――こんな所で立ち止まってる訳には行かない。エリオ君にストラーダを託されたのだから。
そんなキャロを想いを汲んだのか、シグナムは大きく頷きレヴァンティンを正眼に構える。
再び、剣先に炎の魔力が燈る。
「先の返礼だ。今度は、私から行こう―――紫電一閃!」
炎を纏ったシグナムの渾身の一撃は、キャロの意識を容易に刈り取った。
訓練場で、シグナムとキャロの立ち合いを見つめる影があった。
キャロの揮う魔槍ストラーダの本来の持ち主、エリオ・モンディアルである。
正直に言って、驚愕の連続だった。
午前中もなのはとフェイトを相手にした模擬戦で、フォワードの四名が危なげ無く勝利したの見たばかりだった。
スバルとティアナがAAAランクに相応しい力を身に着けていた事に驚愕した。
己の抜け番として入ったルーテシアとガリューが、見事に六課のフォワードの皆とフォーメーションを組んでいる事に驚愕した。
何より、キャロがストラーダによる直接戦闘と竜召喚とフルバックを臨機応変にこなす、万能の槍手に成長していた事に驚愕した。
そして、今またエリオはシグナムとキャロの立ち合いに驚愕していた。
キャロは、ストラーダを己のものとしていた。
ストラーダというデバイスの扱い難さについては、以前手にしていた自分が誰よりも良く知っている。
また、キャロが運動神経に乏しく、ストラーダのようなアームドデバイスの扱いに向いていない事も、以前の相棒である自分が誰よりも良く知っていた。
ここまでストラーダを扱えるようになるまで、一体どれだけの努力をキャロは重ねたのだろうか?
キャロの一挙手一投足からこれまでの苦労が滲み出てくるようだった。
キャロは、エリオのバリアジャケットを纏っている。
彼女が三年前のJS事件以来ストラーダを継ぎ、ずっとエリオの後を追って来たという話は周囲から良く聞かされている。
どれだけ深い友愛の情を持たれているのかを想い、エリオは胸の底が熱くなるのを感じた。
シグナムとキャロの立ち合いは益々激しさを増していく。
エリオは―――過去の己のシグナムとの稽古の日々を思った。
シグナムの横殴りの一撃がキャロを襲う。キャロはそれを、矮躯を生かして潜るように避けた。
……自分なら、どうするだろうか?
キャロは、唐竹割りの一撃をストラーダの穂先で流してシグナムに突きかかる。
……自分なら、どうするだろうか?
……自分なら、どうするだろうか?
……自分なら、
……自分なら、
いつしかエリオは、槍を構えた姿勢を取ってシグナムに対峙していた。
鬼気迫る勢いで、エリオは架空の槍を揮い、己の裡に描いたシグナムと壮絶な戦いを開始した。
◆
エリオがシグナムに敗れたのは、キャロと全くの同時だった。
シグナムの紫電一閃を受けられずに、一撃の下に倒されたのだ。エリオは、改めて己の未熟を恥じた。
キャロは、シグナムの一撃を受け、訓練場の中央で昏倒している。
エリオはキャロに駆け寄った。
「シグナム師匠、最後の一撃は―――やり過ぎです。あれは、どんな状態でもキャロに受けられるものでは有りません。
それに、キャロの最後の技が通じなかった時点で、決着はついていたと思いますが?」
師と仰ぐシグナムだったが、最後の一撃には釈然としないものを感じてエリオは真っ直ぐに物申した。
そんなエリオのエリオらしさに、シグナムはクスと笑みを漏らす。
「心配するな、加減はしてある。それにアレはキャロへの褒美代わりだよ」
「……あれが、ですか?」
「ああ。エリオ、キャロの手当てをしてやれ」
そう言うと、シグナムは救急道具一式と、スポーツドリンクの入ったボトル、濡らしたタオルなどをエリオに投げた。
エリオはそれを慌てて受け取る。
「キャロが目を醒ますまで膝枕でもして、ゆっくり労わってやれ。それが、キャロへの一番の褒美だ」
「???」
エリオは理解出来ないとばかりに頭を捻る。それを見て、シグナムは悪戯げな笑みを浮かべた。
「―――キャロも苦労をするな。……どうだ、エリオ、キャロは強くなっただろう?」
「はい、とても。……キャロは努力したんですね」
「ああ。キャロはずっと、お前を目指して努力を続けてきたんだ。―――本当に、お前が生きていてくれて良かった……」
そう言って、シグナムはひらひらと手を振り去って行った。
エリオは、シグナムの言いつけを忠実に守り、キャロに膝枕をして、その顔を濡れタオルで拭った。
左掌に軽い火傷があったので、薬を塗って包帯を巻く。そのまま、彼女の目覚めを待った。
……キャロの寝顔は、安らかだった。
負けはしたが、己の全てを出し尽くす戦いが出来たからだろうか。
エリオは、今日一日のキャロの戦いぶりを改めて回想した。
キャロは確かに強くなった。ストラーダの扱いだけを取ってみても、B+に該当する力はあるだろう。
その上に、ケリュケイオンを用いたバックスとしての能力も健在である。
レヴァンティンの魔力を暴発させた手際から見ても、キャロの本来の資質は直接戦闘ではなく間接的な補助である事は明白だ。
更に、特筆すべきは竜召喚能力。若年竜だったフリードリヒはこの三年で一回り大きく育ち、その威容を増した。
さらには、六課の最大火力であるヴォルテールの召喚も可能である。
これらの汎用性の高い戦闘技能の数々を思えば、キャロの陸戦AAAランクは決して誇張では無い。
エリオは、己を省みた。
自身の魔導師ランクは―――B。キャロの3ランク下だ。
いや、そもそも、今のエリオは魔導師ですらない。武術として槍術を身につけているだけの、一般人だ。
果たして、今の自分でキャロに勝てるか?
―――斃せるか、と問われたなら、斃せると答える事ができる。
すれ違いざまに首を掻き切る事が出来る。背後から、容易に心臓を串刺しに出来る。
エリオが恭也から伝授された御神流の技術を使えば簡単な事だ。
……無論、そんなものがエリオの望む勝利である筈が無いのだが。
今なら、何故恭也が長らく御神流の武術を自分に教えてくれなかったのかが良く解る。
御神流の武術の方法論では、決して己の望む強さは得る事が出来ないからだ。
機動六課の戦力として己とキャロを比べたなら―――
余りにも馬鹿馬鹿しい問いに、エリオは自嘲した。
この三年間で自分の空けた穴は埋まり、ライトニング3は完全に不要なものとなった。
もう、機動六課は今の自分を必要としていない。
エリオは膝の上で安らかな寝顔を見せるキャロを見つめる。―――その手の握る槍は、かつて自分が握っていた槍だ。
彼は、嫉妬と羨望の混交した視線で、ずっとキャロの寝顔を見つめていた。
◆
「―――ん、んんっ……」
キャロが小さく吐息を漏らし、ゆっくりと目蓋を開いた。
ぼんやりの焦点を結んだキャロの瞳が見たものは、己を覗き込むエリオの瞳だった。
「ひああああっ!?」
キャロはびくりと体を痙攣させ、機械仕掛けの人形のように飛び起きた。
そうして、キャロはエリオに膝枕をされている自身の状況に気付いた。
「ああっ、まだ動いちゃ駄目だよ」
エリオは優しげにキャロを己の膝へと寝かしつける。
キャロはどうしていいか解らずに、唯々諾々とエリオに従った。
「あの、エリオ君、シグナムさんは……?」
「ああ、シグナム師匠なら先に帰ったよ。僕は手当てを任されてね。……うーん、顔が赤いね、やっぱり疲れが残ってるのかな?」
「ふええ、エリオ君、あの、あの―――」
「はい、スポーツドリンク。汗かいた後は水分補給が大事だよ」
エリオはボトルのキャップを開いて、キャロの口元に添えた。
「ううう……」
キャロは、幼子のようにこくこくとボトルのスポーツドリンクを嚥下する。
嬉しさと恥ずかしさが綯い交ぜになって、キャロの顔は耳まで朱に染まっていた。
忽ちのうちに、首筋に冷や汗が玉を成す。
それを、エリオは優しくタオルで拭った。キャロは露出の多いエリオのバリアジャケット姿だ。
彼女の柔肌を、エリオの握るタオルが優しく滑る。
ぷしゅ〜、と頭から湯気が出そうな程恥ずかしかった。
今すぐ逃げたしたい衝動と、ずっとこのままでいたい多幸感がごちゃ混ぜになって、どうしようもない。
「……キャロは、強くなったんだね」
エリオが、ぽつりとそう漏らした。
キャロは照れ笑いを浮かべて首を振った。
「まだまだ、だよ。エリオ君がシグナムさんみたいな騎士を目指してるんだよね?
わたしは、エリオ君みたいなはっきりした目標はないけど、大好きなみんなを守れるような力が欲しい。
だから、エリオ君に負けないようにわたしも頑張るんだ!」
キャロの純朴な言葉は、エリオの心を深く抉った。
騎士を目指す想いに変わりは無い。停止したリンカーコアも、いつかは元に戻ると信じている。
だが、今の己とキャロを比べれば―――どうしても、劣等感を覚えずには居られない。
何より、キャロが純粋な心で己を目指している事が辛かった。
フェイトもキャロも、自分を家族として認め、深く愛していてくれる事は解る。
……その愛情も、今のエリオには重たかった。
「嬉しいよ、キャロ。頑張って! ストラーダを、宜しくね」
だが、エリオの口から出たのはそんな言葉だった。
エリオの微笑みに、キャロが満面の笑みで頷く。
―――皆の望む、英雄エリオ・モンディアルたれ。
彼は、自らの墓前での誓いを忠実に守っていた。本当の自分がどんなものだろうが、関係無い。
ただ、己は皆の求めるエリオ・モンディアルであればいい。
―――キャロを守る騎士になりたかった。だが、今のキャロには自身の力など欠片も必要無い。
ならば、せめてキャロの求めるエリオとなって、キャロの心を守ろう。
そんな悲壮な決意を欠片も見せず、エリオはキャロに真っ直ぐ微笑みかけた。
◆
その日、エリオは機動六課部隊長八神はやてによる召喚を受けた。
隊長室ではやてがエリオに語ったのは、ロングアーチに配属されるエリオの今後の仕事内容についてだった。
「……ってな事で、基本は雑務担当で、後はうちが外出する時のボディーガードをお願いしたいんや。
勿論、魔導師のボディーガードも居るんやけど、魔法攻撃以外の襲撃には以外に小回りが利かへん所があってな。
いざという時の為に、恭也さんの秘蔵っ子のエリオにもお願いしたいんや」
そう言って、はやてはニヤリと笑った。
「それに、エリオは今や隊長陣にも劣らぬ機動六課の有名人で、ミッドチルダを救った英雄やからな。
エリオが一緒に居ってくれれば、うちも鼻が高いんや。
―――エリオ、きっとリンカーコアが止まってしもうた事でエリオは悩んどるんやないかと思う。
もしかしたら、自分は機動六課に要らへんのやないか〜、なんて事を考えとるんかもしれん。
でもな、エリオは三年前に十分過ぎるくらい機動六課での務めを果たしてくれた。
これからは、六課がエリオにお礼をする番や。エリオは胸を張って堂々と六課の中を歩いてくれたらええ。
エリオが居ってくれるだけで、六課の皆は嬉しいんや。
機動六課もあと半年で解散や。それまで、六課の皆の心の支えになったってや」
エリオは、はやての言葉を自分なりに要約してみた。
―――奇跡の少年エリオ・モンディアルは機動六課を象徴する存在になっている。
―――別に子供一人飼っておく位、今の六課では造作も無い事なので、お飾りとして六課に居続けてくれ。
別に、はやての言葉に悪意を感じた訳ではない。
海鳴で再開した時のはやての喜びようは、今も覚えている。はやても又、自分の大切な人の一人である事は間違い無い。
それでも、エリオは己の存在の必要性を感じ取る事が出来なかった。
ただ、六課の象徴たるエリオ・モンディアルという偶像が必要とされている事を感じただけだった。
それでもいい。―――それが、エリオの結論だ。
「ありがとうございます。また機動六課で働く事が出来て、こんなに嬉しい事はありません」
エリオはにっこりと微笑んでそう言った。
―――エリオ・モンディアルという偶像が必要なら、己がその役を担うまで。
その決意を胸に、エリオははやての笑みに見送られながら隊長室を退出した。
部屋に帰ると、一通のビデオレターが届いていた。
時空管理局を仲介して届いたそれは、ドイツの月村家からのビデオレターだった。
再生すると、突如画面一杯に雫の泣き顔が現れた。
「ランスお兄ぢゃん、早ぐ帰っでぎで〜〜〜」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、雫はランスという少年に哀願していた。
早く帰ってきて欲しいと、ランスが居ないと寂しいと。
そんな雫の頭をくしゃくしゃと撫でて、忍が困ったような顔を見せた。
「ごめんね、この子、ランスの本当の名前はエリオだって何度言い聞かせても聞いてくれなくって……
見ての通りで、雫が随分寂しがってるから、お仕事一段落したら遊びに来てね。
雫だけじゃなくて、私達はみんな貴方の事を家族だと思って待ってるから―――」
恭也もぶっきらぼうな顔を見せる。
「おう、ランス。お前の本名が何だろうとどうでもいい、この家に来る時はお前は月村ランスだ。いいな?
そっちの仕事が片付いたら、又俺の方の仕事を手伝わないか?
お前みたいな器用な助手が居ると色々便利なんだよ。本当に―――」
ノエルも、短いながらも言葉を残していた。
「……ランス様、お部屋は以前と変わりなく整えて居ります。……私も、ランス様のお帰りをお待ちしています―――」
いつしか、エリオは自分が涙を流している事に気付いた。
エリオ・モンディアルとしての記憶を取り戻してから、初めて自分が本当に必要とされた気がした。
機動六課が円満に解散し、誰も英雄エリオ・モンディアルを必要としなくなったら―――
―――あの、ドイツの月村の家に帰れるのだろうか?
エリオはそんな事を考えていた。
◆
「……どうしたの、エリオ?」
それは、とある夕方の事だった。
玲瓏な笑みを浮かべたルーテシアが、疲れきった表情で項垂れていたエリオに語りかけた。
「ああ、ルーか。ううん、別に何でも無いよ」
振り向いたエリオは、今までの疲れきった表情が嘘にように、真っ直ぐな笑顔を浮かべていた。
それでも、若干の焦りは隠せない。
ルーテシアは、エリオの最も苦手とする相手だった。
彼女を見つめると、何故か頬が上気するのを感じる。声が上ずって、上手く話せなくなる。
すらりと伸びた彼女の肢体を、水晶細工のような彼女の貌を見つめると―――どうすればいいか、解らなくなる。
皆の望む英雄のエリオ・モンディアルとして在る筈の自分が、壊れてしまいそうで―――
エリオは、ルーテシアが苦手だった。
無論、ルーテシアの『私は、エリオの物だから』という爆弾発言もエリオの中に深く根を下ろしている。
エリオはもじもじとしながら、ルーテシアにどう話しかければいいのか戸惑っていた。
ルーテシアは、静かに口を開く。
「……私は、機動六課の他の皆と違って、エリオの事を何も知らないから」
その言葉の本意を、すぐには理解できなかった。
「……JS事件の時には敵同士で、会話らしい会話もできなかったし、二人で話した事もほとんど無いよね?
だから、私はエリオ・モンディアルがどんな人なのかを知らない。
エリオ・モンディアルは凄い少年だって、小さな英雄だって、皆は言うけど、それは噂のエリオであって貴方じゃない。
私は、本当のエリオが知りたいの。
だから、教えて。エリオ、貴方がどんな人なのか―――」
ルーテシアの言葉の意味を理解した瞬間、エリオの全身に戦慄が走った。
「……僕も、僕が人間なのか、よく解らないんだ。
だから、できるだけ皆の知ってるエリオと同じ人間になろうと思ってる」
エリオは、誰にも口にする積もりの無かった本心を口にした。
ルーテシアは優しげな笑みを浮かべた。
「昔、私を守ってくれた騎士が居た。名前はゼスト・グランガイツ。
彼は、本当に一度死んで蘇った人だった。僅かな時間の仮初めの蘇生だったけど、ゼストは本当に生き返ったの。
ゼストは未来を持たない人だったけど―――それでも、再び与えられた短い生の時間を全力で生きた。
ゼストは自分をただの死者だと言っていたけど、そんな事は私にはどうでもよくて、ただ大切な人だった。
だから、エリオが周りからどんな風に見られているかも、私にはどうでもいい。貴方も、私の大切な人。
ゼストに未来は無かったけど―――エリオには、ちゃんと未来がある。だから、精一杯生きて」
エリオは、泣きそうな顔で小さく「ありがとう」、とだけ言った。
「私はエリオがどんな人なのかを知らない。……でも、今ちょっとだけ解った事が有る。
エリオ、貴方はきっと凄く真っ直ぐな人で、凄く優しい人。……そして、凄く素敵な人―――」
そう言って、ルーテシアはさっと背伸びをするとエリオの唇を奪った。
エリオは身じろぎ一つ出来なかった。
「また、貴方を教えて。エリオ」
そう言うと、ルーテシアは燕のように踵を返して去って行った。
その日のクッキーは、会心の出来だった。
ようやくエリオに渡せる出来のクッキーが焼けて、キャロは満足げに微笑んだ。
綺麗に包んで、喜んでくれるようにお祈りをして。そして、キャロはエリオを探して駆け出した。
エリオは確か、訓練場で槍の稽古をしていたはず。どうやって話し掛けよう。何て言ってクッキーを渡そう。
喜んでくれるだろうか。美味しいと言ってくれるだろうか。
キャロは胸の高鳴りを押さえながら、エリオの居る訓練場を目指して走った。
―――エリオは、訓練場傍の休憩室に居た。……ルーテシアと一緒に。
その姿を見た瞬間、キャロの足は完全に歩みを止めた。
二人は何かを話しているようだったが、その声までは聞こえない。
夕日に照らされたエリオとルーテシアの姿は、一枚の絵画のようだった。
ルーテシアが、さっと背伸びをしてエリオに口づけをした。
硬直したエリオを残して、ルーテシアは去って行く。
「あはは、そうだよね。そうに、決まってるよね」
キャロは静かに涙を流しながら、笑った。
ずっと、エリオに再会した時から思っていた事だった。
―――エリオには、自分なんかよりルーちゃんのような綺麗な子の方がずっと似合ってる。
エリオは三年間で逞しく成長していた。隣に並ぶ事が恥ずかしい程だった。ルーテシアも又、ファンクラブが出来る程に美しく成長している。
心の底では、自分などがエリオに相手をされる筈無いと気付いていたけど、ただ認めたく無いだけだった。
―――だって、自分の身長では背伸びをしたって、エリオにキスする事など出来はしないのだから。
自分が恥ずかしくて、悔しくて。キャロは膝を抱えてぐずぐずと泣いた。
「うわっ、キャロ、どうしたのっ!?」
自主トレに来たスバルとティアナの叫び声が響く。キャロは泣き濡れた瞳を上げた。
その手には、綺麗にラッピングされたクッキーの包みが有る。
「……ごめん、大体の事情は掴めたわ。何があったかは知らないけど、エリオに渡す筈だった手作りのお菓子を渡し損ねて泣いてるんでしょ?」
「どうしてそれをっ!?」
「……どうして気付かれないと思えるのか、そっちの方が不思議だわ……」
「ねーねーキャロ、それクッキー? 一個もらってもいい?」
「って、ちょっとは空気読みなさいよこの馬鹿!!!」
丸ごとクッキーの包みを受け取ったスバルをティアナが張り倒した。
「キャロ、話してみて。あたしなら、相談に乗れるかもしれないし」
「う〜、ティア、彼氏持ちだからって調子に乗ってる……」
キャロは、俯いたまま、ぽつり、ぽつりと語り出した。
「―――だから、エリオ君はわたしの大事な人で、ルーちゃんはわたしの大事な友達だから、本当なら……
二人がお付き合いするのは凄く嬉しい事の筈なのに、どうしてもルーちゃんみたいに成れないのが悔しくって、悲しくって……
もう、どうしたらいいか解らなくって―――」
ティアナは嘆息をする。
「ルーもやるわねぇ。それにしてもキャロ、問題有るのは間違い無くあんたの態度よ。
最近女の子らしさを身に着けてきたのはいいけど、卑屈になってちゃ良い事なんて何一つ無いんだから。
エリオの入ってるお風呂に突撃した昔のあんたみたいに、ストレートに自分の想いをぶつけていけばいいのよ。
背伸びしても届かないなら、首筋にぶら下がって無理矢理キスしちゃえばいいの!」
「そうそうティアの言う通り。エリオも可哀相だね〜、こんな美味しいクッキー食べ損なっちゃって」
スバルはキャロ謹製のクッキーを齧りながら頷いた。
「それから、キャロはルーにちゃんと宣戦布告しないとね。絶対負けないよって」
キャロは子供っぽい仕草でごしごしと涙を拭って、大きく頷いた。
◆
キャロが部屋に戻った時には、既にルーテシアは床に着いていた。
明かりを点けてルーテシアを起さないように注意しながら、キャロも床へと潜り込んだ。
「……ルーちゃん」
小声で、親友にして恋敵の名を呼ぶ。
無論、返答など求めていなかった。
だが、予想に反してルーテシアは返事を寄越した。
「……キャロ」
「ごめん、ルーちゃん、起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫。ずっと起きてたから。私、キャロに伝えたい事があるの」
「……うん」
沈黙。キャロは、二段ベッドの階下へと耳を澄ます。
「私は、エリオの事が好き。キャロがずっとエリオの事が好きだったのは知ってるけど……それでも、私はエリオが好き」
「……うん」
「私はエリオが好きだけど、キャロの事も大事な友達だから。
だから―――キャロは私に遠慮をしたりしないで。
キャロが自分の心を殺してエリオから遠ざかるような事をすれば、エリオもきっと悲しむから」
「そんな事しないよ。今日はスバルさんとティアさんに怒られちゃった。
もっと自分の心をしっかり好きな人にぶつけて行かなきゃ駄目だって。
ルーちゃん、わたしも負けないように頑張るから、どっちが勝っても怨みっこ無しだからね」
うん、とルーテシアは頷くと、声のトーンを少しだけ下げて語りかけた。
「ねえキャロ、キャロはきっと、私よりもずっとエリオと仲良しで、私よりもエリオの事を良く知ってる。
でも、近すぎるから見えなくなるものも、きっとあるんじゃないのかな?
きっと、エリオにはキャロでも知らないような事が沢山ある筈だから。
私は、エリオの事をもっともっと良く知りたい。
エリオはミッドチルダの小さな英雄なんて呼ばれてるけど―――最近のエリオは、何だか寂しそう。
きっと、エリオにはエリオを解ってあげられる人が必要なんだと思う。
キャロは、エリオの家族なんだから、もっと色々エリオの事を知ってあげて」
エリオの事を理解する―――その考え方は、いつしかキャロの中から抜け落ちていた。
三年前のJS事件以来、キャロの中でエリオはエリオという偶像のイメージのままで固定されていた。
エリオが、ただエリオとして居てくれるだけでキャロは幸せだった。
だが―――エリオが生きて帰って来た以上、エリオがこの三年間で何を見て、どう感じて、どう変わったのかを知るべきだろう。
病院でエリオが語ったランスとしての三年間の話を思い出す。
エリオは、きっといつまでも昔のエリオのままでは無い。自分がこの三年間で恋を知り、給湯室の茶会で女の子らしさを少しは身に着けたように。
―――いつまでも、昔のエリオに甘えていてはいけない。
再びエリオのパートナーと成りたいのなら、今のエリオと真っ直ぐ向き合わなければ。
……昔、エリオの事が知りたくて男湯に独り足を踏み入れた時のように。
「……ありがとう、ルーちゃん。わたし、ずっとエリオ君に甘えてた。
また昔みたいにエリオ君の隣に並んで歩けるようになりたいから―――
ルーちゃんはわたしの親友だけど―――負けないよ。勝負、だからね」
「……うん」
キャロは、ルーテシアが二段ベットの階下で顔を綻ばせているのがはっきりと判った。
彼女達は想う。―――今、エリオはどうしているだろうと。
だが、流石の彼女達もその時エリオが自身を模した人形と、闇の中で対峙しているだろうとは想像だにしなかった。
◆
やあ、とエリオの人形は旧友にでも会ったかのように、片手を上げて気さくに笑った。
今日はレインコートとバリアジャケット姿ではなく、黒いパーカーをきてフードを目深に被っていた。
闇の中で黒いフードに覆われて、その表情をよく窺うことは出来ない。
ただ、三日月のように吊りあがった口元と爛々と輝く瞳が印象的だった。
「こんばんは、エリオ・モンディアル。こんな時間にどうしたんだい?
……まあ、君がこの場所に独りで来たという事は、当然僕に逢おうと思っていたんだろうけどね」
そう言って、エリオの人形はくつくつと嗤う。
「得物を持っていないという事は、今日は殺し合いに来た訳じゃ無さそうだけど―――
さて、満ち足りた毎日を送っておられる英雄エリオ様は、哀れなこの僕にどんな用事が有るのかな?」
エリオは自身の人形を正面から見据え、真っ直ぐに答えた。
「今日は、前回の返事をする為にやってきた。
―――僕は、君と戦うよ。
機動六課には、エリオ・モンディアルが必要なんだ。
そして、機動六課に必要なエリオ・モンディアルは君じゃない。
あの戦いで左腕を失くし、三年を経て帰ってきたこの僕だけが、機動六課のエリオ・モンディアルで在る事ができる。
だから、エリオ・モンディアルの名前が欲しいだけの君に、殺される訳には行かないんだ」
微塵の迷いも、戸惑いもない、真っ直ぐな決意の篭った声だった。
エリオの人形は狐に摘まれたような顔できょとんとしていたが、クスクスと笑みを零し、遂には腹を抱えて大笑を始めた。
「は、はははははははは、そうか、そうか、そういう事だったのか!
つまり、君は、エリオ・モンディアルとはそんな人間だったのか!!
これで、全てが繋がったよ! これで、全てが解ったよ、母さん!!!」
正気を逸した躁狂のような笑みに、エリオが不信の目を向ける。
エリオの人形は、尚も楽しげに嗤い続ける。
「一体何の話なんだ?」
人形は、大きく腕を広げて満足げに頷いた。
「ずっと……ずっと、疑問だったんだよ。お母さんが、どうして君みたいなちっぽけで詰まらない人間に拘っているのかって。
確かに、JS事件で君は大きな活躍をした。イレギュラーとなってお母さんの計画を散々引っ掻き回した。
でも、それだけだ。あの戦いの後に君は死亡扱いとなり、もはや何の脅威でも無くなった。
それなのに何故、姿容を模した僕という人形を作り、嬲り続けたのかさっぱり解らなかった。
―――だけど、これで、全てが解った」
エリオには理解出来ない。それも当然。何故なら―――
「エリオ・モンディアル、君は僕のお母さん、クアットロと真逆の人間だ。
お母さんは悪である事に快楽を覚え、常に悪足ろうとしてきた人間だ。
対して君は善である事に義務を感じ、常に善足ろうとしてきた人間だ。
常に悪で在る事を無上の喜びとしてきたお母さんが、常に善で在らないと生きて行けない君を許せる筈が無い。
成る程、真っ直ぐな良い目をしているね、エリオ・モンディアル。
君はクアットロお母さんと正反対でありながら―――同じ位狂ってるよ。
……確かに、君はお母さんを否定する存在だ。
確かに、君はお母さんの宿敵と呼ぶに値する存在だよエリオ・モンディアル。
ならばこそ、君は、僕が斃さなければ―――」
そう言って、エリオの人形は笑った。どうすれば、自分と同じ顔がここまで醜い貌を作れるのかと思う程の黒い笑みだった。
◆
エリオの人形は尚も悪魔の言葉を紡ぎ続ける。
「本音を言ってみせろよ、エリオ・モンディアル。君は僕が嫌いなんだろう?
……まあ、僕のような存在を好む人間が居る筈も無いんだが、君のそれは格別の筈だ。
ねえ、『二代目』エリオ・モンディアル。
君はずっと、自分が本物のエリオ・モンディアルで無い事に負い目を感じている。
誰よりも、唯一のエリオ・モンディアルであろうと願っている。
だから、君は誰よりも、僕の事を憎んでいる筈なんだ。違うかい?」
違わない。エリオにとって、エリオの人形は悪夢の具現に他ならない。
だが、エリオはそんな事を口に出したりはしない。何故なら―――彼は、英雄エリオ・モンディアルなのだから。
「ははは、徹底した聖人ぶりだね。流石はエリオ・モンディアル、ミッドチルダを救った小さな英雄だ。
いいかい、君はお母さんの真逆の人間だが―――僕の真裏の人間でもあるんだ。
僕は、お母さんが好きだったから、お母さんの望むエリオ・モンディアルであり続けた。
僕は、誰の強制も受けず、自分の自由意志でこの道を選んだ。
お母さんに罵られ、嬲られ、壊され、苦しむ事こそが僕の生きる意味だ。
君は、周りの皆が好きだったから、周りの皆の望むエリオ・モンディアルで在ろうとする。
君は、誰の強制も受けず、自分の自由意志でその道を選んだ。
周りの皆に褒められ、愛され、讃えられ、幸せに生きて見せる事こそが君の生きる意味だ。
僕が憎いだろう? 同族嫌悪を感じるだろう? 光を浴びているか、闇に沈んでいるかの違いしかない君と僕に。
僕は、君は光の中でのうのうと幸福を貪っているだけの人間だと思っていたが、どうやら違ったようだね。
その歪み方、僕の敵に相応しいよ。
僕は、君を殺して三代目の、そして唯一のエリオ・モンディアルとなるんだ」
エリオは人形の言葉を噛み締めるようにして、何度も自分の中で反芻していたが、一つだけ、問うた。
「ねえ、一つだけ聞かせて欲しい。
君は、僕を殺したらその後どうするつもりなの? 機動六課の皆も殺すの?
君がとても強いのは知ってる。でも、機動六課を君独りで潰すのは絶対に無理だ。そんな事、判りきってるだろう?
機動六課も後半年で解散だ。エリオ・モンディアルが必要とされるのもそう長くは無いよ。
エリオとしての僕が必要とされなくなったなら―――僕は、僕を必要としてくれる人の傍で静かに暮らすのもいいと思ってる。
でも、君は一体どうするつもりなの?」
人形はやれやれとばかりに、大げさに首を振る。
「君の愚鈍さだけは、お母さんとも僕とも似ていないんだね。……いや、だからこそ、かな?
僕にも、君にも、機動六課にも、この世界にも、―――その後なんて無い。
もうじき、全てが御破算になる。全てがお仕舞いになる。
―――その前に、僕はただ、僕である事をこの世界に示したい。
どの道、お母さんが居ないこの世界に未練なんて無い。
ただ、全てが終わる前に、君を殺して機動六課を穢して、お母さんの願いを叶えて逝きたいんだ」
エリオは困惑して叫んだ。
「全てが終わるって、一体何の事なんだ!? 一体何を知っている!? 何が起こるんだ!?」
エリオの人形は話は終わったとばかりに踵を返した。
黒いパーカー姿が闇に溶けていく。
「……もうじき判るよ、もうじき。君にも僕にも、もう時間は無い。
次に会う時は、槍を忘れないようにね」
そう言って、エリオの人形は闇に消えた。
エリオは、己が何か、もう引き返せない領域に踏み込んだ事を感じていた。
◆
―――それは正しく、晴天の霹靂として出現した。
秋風の吹く快晴のクラナガン上空に、突如として広域指名手配されている次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティが出現したのだ。
機動六課も地上本部も血眼になって探している超S級次元犯罪者の出現に、最大級の警戒態勢が取られた。
忽ちのうちにクラナガンに非常事態宣言が発令され、二重三重に包囲網が形成された。
繰り返し投降が呼びかけられるも、スカリエッティは無言である。
世紀の天才にして次元犯罪者であるスカリエッティは、何をするでもなく、クラナガンの上空に留まり地上を睥睨していた。
その余りの無防備さが却って不気味な威容を醸し出し、機動六課は攻勢に出れずに居た。
以前のフェイトとの交戦記録から、スカリエッティも高い戦闘力を持った魔導師である事は確認されているが、それでも現在の六課の敵ではない。
ただ独りの魔導師など、隊長クラスの数名で囲ってしまえば捕縛は容易い筈だ。
だが、スカリエッティの捕縛がそれ程簡単に済む訳が無い。
戦術の常道で言うならば、今のスカリエッティはあからさまな囮に間違い無い。
しかし、余りにあからさま過ぎて、ただの囮と断じてしまう事は出来なかった。
双方動かぬ不気味な沈黙の中、遂に機動六課が先手に出た。
囮か、時間稼ぎか、それとも単なる自棄なのか―――判別は出来ないが、どれであっても対応できる最強の空戦魔導師を送り込んだのだ。
この場合、最も好ましいのは高い防御力と長距離からの強力な攻撃力を誇る砲撃タイプ。
―――即ち、機動六課のエース・オブ・エース、高町なのはに他ならなかった。
「ジェイル・スカリエッティ、貴方は指名手配されています。すぐに武装の解除を―――」
幾度繰り返されたか判らない、定型通りの降伏勧告を繰り返しながら、なのはは不安感を隠せなかった。
このスカリエッティは、何かが違う。武装の解除を求めたものの、武装らしい武装は見られない。
今まで興味無さげにクラナガンを見下ろしていたスカリエッティは、なのはを振り向き―――
―――微笑んだ。
「―――っ!?」
その笑みを見た瞬間、高町なのはは全身全霊を以ってスカリエッティに挑まなければならないと確信した。
マガジンに収められていた6発のカートリッジを全て一気にリロードする。
「レイジングハート、スターライトブレイカーex-fb、一発目からおっきいの行くけど、お願いできる?」
『All right, my master. I with you forever.』
「……ありがとう、レイジングハート」
大きく腰を落とし、ブラスター3を解放する。バリアジャケットがエクシードモードへと切り替わり、桜色の魔力光がなのはを包んだ。
六枚のA.C.S.がレイジングハートの先端に展開され、神々しい光を放つ。
まるで流星の如く周囲の魔力が集束していく様子は、侵し難い神聖な光景だった。
「一発目からスターライトブレーカーやて!? 無茶や、なのはちゃん!」
はやてが叫ぶ。
歴戦を誇るSランク空戦魔導師高町なのは、彼女が己の最強砲撃魔法スターライトブレーカーを初手から用いるのは―――
……これが、初めてである。
『Count nine, eight, seven, six, five, four, three...』
「こふっ……」
なのはの口から、鮮血が溢れ出た。長年の戦いで痛めつけられた彼女の体は、ブラスター3の解放と前準備も無い大技で完全に限界に来ていた。
「駄目っ、なのはっ!」
フェイトが叫ぶ。それでも、彼女は真っ直ぐに前を向いてレイジングハートを握り直した。
それこそが、不屈のエース・オブ・エース、高町なのはの姿だった。
『Count three, two, one...』
「行きます! 全力、全開――――――」
『Count zero.』
「スターライト、ブレイカァァァ――――――」
かつて無い最強出力の一撃。全ての因果を断ち切る星の輝きが、一面を白く染め上げた。
◆
「こほっ……っっ、」
全ての力を使い果たしたなのはは、魔方陣の上に膝を着いた。
黒い淤血が口から溢れ出し、純白のバリアジャケットを赤黒く染めていく。
なのはは、厳しい瞳で前方を睨みつける。
彼女の、過去最高出力でのスターライトブレイカー。己の身体など省みず、非殺傷設定すら解除した一撃。
並みの魔導師なら一瞬で蒸発し、塵すら残さないだろう文字通りの全力全開の一撃。
彼女はこの一撃に賭けた。そして、願った。
―――僅かでもダメージを与える事が出来たなら、攻略の糸口に繋がる。毛の先程でも、ダメージを与える事が出来たなら―――
爆煙が晴れる。彼女の願いは―――空しく散った。
……直撃だった。なのはのスターライトブレイカーは、確かにスカリエッティに命中した。
だが、爆煙の向こうから現れたスカリエッティには傷一つ無かった。
草臥れた白衣も、乱れた長髪も、何一つ変わらずスカリエッティは口元に微笑を浮かべてなのはを見つめていた。
「これが、この世界の最高の砲撃魔術の一撃か。……いや、見事なものだったよ」
地を睥睨しながら虚言を弄するスカリエッティとは対照的に、なのはは血を吐きながら天上の敵を睨む。
彼女は、既に意識を保つだけで精一杯の状況だった。
スカリエッティは、満足げに頷いた。
彼にとっては、今のなのはは―――いや、きっと最初から―――敵ですら無かった。
手にかける価値も無い虫一匹に過ぎない。それに、スカリエッティは親しげに語りかける。
「君は、現代最高峰の魔導師の一人だろう。だが、所詮はこの時代この世界での最高峰に過ぎない。
―――見たいと思わないかね? あらゆる時代、あらゆる世界の最高峰の魔法というものを」
そう言うと、スカリエッティは右手を天に掲げた。その掌から、金色の光が膨れ上がる。
スカリエッティの眼から金色のコンタクトレンズが剥がれ落ちた。
その下の瞳は―――右目が翡翠、左目が紅玉のオッドアイ、なのはの愛娘ヴィヴィオと同じ「聖者の印」だった。
「……その、瞳、は―――?」
「うん。第97管理外世界の『夜の一族』は中々に面白い研究対象だったよ。自動人形の技術も然る事ながら、血液を媒体とした契約というシステムが面白い。
血液の交換、それは血の保有する能力の受け渡しに他ならない。
現在の『夜の一族』の血の交換は単なる契約儀式と化しているが、元々は血液を通じて能力を分け与える儀式だったのだろうな。
もしかしてと思い、『夜の一族』の血液を触媒にした聖王の血統の移植を試みたんだが、見事成功してね」
なのはは疑惑の目をスカリエッティに向ける。例えスカリエッティの技術を以ってしても、聖王の血統の移植などがそうそう簡単に出来るのだろうか?
いや、それ以前に、聖王の鎧を纏う事が出来ても、これ程圧倒的な戦闘能力を得る事が出来よう筈が無い。
以前の聖王と化したヴィヴィオとの戦いは、確かに熾烈極まりないものだったが、ここまで次元違いでは無かった。
なのはの表情から疑惑を読み取ったスカリエッティは、嬉しそうに笑った。
少年のような、悪意無い笑みだった。
「察しが良い子は好きだよ。勿論、聖王の血統の移植も、力の運用もそうそう簡単にいく筈が無い。
強力なロストロギアの助けでも借りなければね」
「まさか―――ジュエルシード……?」
「その通り、ジュエルシードだよ。私はクアットロの胎の中で、初めてジュエルシードに触れた。
驚いたよ、あの小さな結晶の中に漲る力の大きさにね。
そして、私はあの女の胎の中で十のジュエルシードの全てを呑み込んだ。
私はジュエルシードと一体になり、初めて理解したよ。あのロストロギアの本質を。
アレは『願いを叶える』と言った方向性を持った次元干渉型エネルギー結晶体だ。
『願いを叶える』―――素晴らしいと思わないか!
これこそ、『無限の欲望(アンリミテッドデザイア)』たるこの私に最も相応しいロストロギアだよ!」
なのはは、消えかけの電球のように点滅する意識の中で、戦慄を抑えられずにいた。
一個の全威力の何万分の一の発動で小規模次元震を発生させることができるジュエルシード。
それを十個も体内に保有し、己の魔力源として用いている。
勝算など、有ろう筈も無い最高の脅威だ。―――だが、もっと恐ろしい何かがある。彼女はそう予感していた。
◆
スカリエッティは嘆息する。
今や何人だろうと及ばない力を得た筈のスカリエッティは、詰まらなさそうに首を振る。
酷く、子供じみた仕草だった。
「だが、私は元々戦う者では無いんだ。降りかかる火の粉を払い除ける力さえあればいい。
―――さっきのようにね。
それを、だれも解っていない。聖王の血の真価を、誰一人として理解していない。
戦闘力などという詰まらないものにばかり目を向けて、本当に面白いものを解ろうともしない。
詰まらない。本当に詰まらないね。
だから、私が教えてあげよう。古代ベルカの血の真価を。聖王の血統の真の意味を。
……なに、簡単なレクチャーだよ」
スカリエッティは右手に金色の光を燈しながら、楽しげに語り続ける。
「聖王のゆりかごは、古代ベルカの時代から既にロストロギアとされていた。
ならば、それは一体何処で作られたのかと思うかね?
ゆりかごを動かす事ができる王族は、一体何処から渡って来たのかと思うかね?
古代ベルカの聖王は、別称として『鍵の聖王』とも呼ばれる。
この鍵は、一体何の鍵だと思うかね? ―――ああ、ゆりかごの鍵なんていう詰まらない答えは無しだよ」
なのはは、答えない。霞む瞳で、スカリエッティの全身を虹色の魔力光「カイゼル・ファルベ」が包んでいく様を無言で見つめる。
「……解らないなら、見せてあげよう。これが、全ての魔法の始まりにして終わりの地―――」
スカリエッティの体内でジュエルシードが、指向性を持った次元振動を巻き起こすのを感じる。
スカリエッティの右手に収束した光が、空間に孔を穿っていく。
それは正に、扉が開く如き光景だった。
その向こうにあるのは黄金の都だ。聖王のゆりかごと同級の戦艦が空を埋め尽くし、巨大な高層建築群が空に昇る。
この世界ではあらゆるものが、今は失われた秘術によって構成されている。
……次元世界の狭間に存在するという、既に遺失した古代世界。
……卓越した技術と魔法文化を持ち、そこに辿り着けばあらゆる望みが叶う理想郷。
……彼の地の名は―――
「―――アルハザード」
スカリエッティは満足げに頷いた。
「その通り、アルハザードだ。聖王の血統とは即ち、アルハザードから古代ベルカへ漂着した人々の血筋に他ならない。
聖王の血統の真価とは、その遺伝子の中にアルハザードの存在した位相が刻まれているという点にある。
それを解析し、次元振動によって扉を開く事の出来る者こそが、付属品の能力を振り回すだけの偽者とは違う、真の聖王だよ。
『鍵の聖王』とは、アルハザードへ通じる扉を開く鍵たる者という意味だったのだよ」
なのはの体から、最後の魔力の一片が消える。
空中に自身の体を維持していた魔方陣が掻き消え、彼女の体は宙を舞った。
不屈のエース・オブ・エースは再び地に堕ちた。
天上には、全次元世界を揺るがしかねない危機が迫っている。
その光景は、ただ一言「絶望」と称されるものだった。
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目次:Little Lancer
著者:アルカディア ◆vyCuygcBYc
655 Little Lancer 十四話 01の2/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:38:11 ID:7f61Gauz
656 Little Lancer 十四話 02/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:38:50 ID:7f61Gauz
657 Little Lancer 十四話 03/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:39:30 ID:7f61Gauz
658 Little Lancer 十四話 04/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:40:17 ID:7f61Gauz
659 Little Lancer 十四話 05/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:40:57 ID:7f61Gauz
660 Little Lancer 十四話 06/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:42:30 ID:7f61Gauz
661 Little Lancer 十四話 07/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:43:02 ID:7f61Gauz
662 Little Lancer 十四話 07/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:43:51 ID:7f61Gauz
663 Little Lancer 十四話 08/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:44:55 ID:7f61Gauz
664 Little Lancer 十四話 09/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:45:36 ID:7f61Gauz
665 Little Lancer 十四話 10/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:46:08 ID:7f61Gauz
666 Little Lancer 十四話 11/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:47:07 ID:7f61Gauz
667 Little Lancer 十四話 12/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:47:42 ID:7f61Gauz
668 Little Lancer 十四話 13/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/03/16(日) 22:48:11 ID:7f61Gauz
エリオ・モンディアルの墓はミッドチルダ北部・聖王教会本部脇の共同墓地の一角に在る。
そこは、共同墓地の中でも特に豪奢な墓碑の並ぶ一角で、騎士や富豪、旧貴族らが大勢眠っている場所でもある。
夕焼けに赤く染まる墓所に、一人の少年が訪れた。
齢に似合わぬ大人びた風貌と機械仕掛けの義手が目を引く、赤毛の少年だった。
墓の中で安らかに眠っている筈の、エリオ・モンディアル当人である。
彼は、己の名が刻まれた墓碑を見下ろし、唇を噛んだ。
『Erio Mondial 新暦65〜新暦75
命を賭してミットチルダを救った幼き騎士
我々は君を忘れない』
エリオの墓碑には、そんな言葉が刻まれている。
だが当のエリオには、ミッドチルダを救うなどという大それた事をしたつもりは無い。
ルーテシアを救うためにクアットロと対峙し、成り行きでトーレと戦い、只管に足掻いただけだ。
六課に帰還してから記者の取材を受けたり食事に誘われたりといった出来事が多く、次第にエリオは自身が分不相応な賞賛を浴びていると感じるようになった。
ミッドチルダに帰還してから、数え切れない程の人々に褒められた。礼を言われた。同じ六課である事を誇りに思うとまで言われた。
しかし、エリオにはもっと上手くやれたのではないかという悔恨こそあれ、自身を誇る気持ちなど持てよう筈が無かった。
墓碑の前には干乾びた花束の残骸や、駄菓子の袋が積み上げられている。
それらの残骸が、雄弁に語る―――この墓碑の前でどれだけ多くの人々が涙を流し、エリオの為に祈ったのかを。
キャロは此処を訪れる度に、必ず墓碑の前にストラーダを供えて跪き、日が落ちるまで身じろぎ一つせず祈り続けたと聞く。
誰もが此処で涙を流したと言う、己の墓碑。
エリオは、弱々しくそれに拳を打ちつけた。
新暦75年9月19日のあの日、確かに自分は死んだのだ―――エリオはそう思った。
その事実をすぐに受け入れられた者も、時間をかけて受け入れた者も居た。
だが、誰しもが三年と言う年月の中でエリオ・モンディアルの存在を、自分の中で過去のものとして区切りをつけたのだ。
最もエリオの死を受け入れるのに時間が掛かったのは、間違いなくフェイトとキャロの二人だろう。
フェイトはエリオの死に一時は精神を病みかけ、エリオを蘇らせる為に『プロジェクト「F.A.T.E」』の研究にまで手を出したと聞く。
キャロは、エリオの死を直視出来ず唯ひたすらにエリオの後を追い、エリオの槍術を鍛錬することで己を守ろうとしたと聞く。
そのフェイトとキャロの二人でも、三年という年月を掛けてエリオの死に対して己の中で決着をつけたのだ。
―――それは、とてもとても尊い事だと思う。
エリオは己の胸に去来する想いの数々を統べる事が出来ずにいた。
己の墓碑と対面することで、機動六課の仲間達がどれ程深く自分の事を思っていたのかを改めて知った。
……それが、嬉しく無い筈が無い。身に余る光栄に畏れすら感じてしまう。
同時に、自分が未熟だったせいで、多くの人々に悲しみや苦しみを与えてしまったことに深い悔恨を覚える。
特に、フェイトとキャロに与えた悲しみに対しては、償う方法も思い浮かばない。
―――自分がもっと強かったら、あんな事態にはならなかった。
只、そんな想いがエリオを苦しめる。
エリオ・モンディアルは13歳という年齢からは、考えられ無い程の真っ直ぐな精神を持った少年だ。
……それでも彼は、所詮は13歳の少年に過ぎなかった。
英雄とまで呼ばれる周囲からの賞賛も、死亡扱いになっていた事の反動から来る過剰な愛情も―――
―――彼にとっては、重荷でしかなかった。
そして、エリオ・モンディアルは普通ならば直視出来ない程の重責でも、真正面から立ち向かってしまう精神の持ち主だった。
“どう違う!?
体が肉で出来ているか、機械で出来ているかの違いしかない同じ作り物の君と僕が?
光の中で教育を受けたか、闇の底を舐めて育ったかの違いしかない同じ作り物の君と僕が!?
いいことを教えて上げるよ、エリオ・モンディアル。
キャロ・ル・ルシエはね、僕の姿を見た途端泣きながら抱きついて来たんだよ。
君が誰かなんて、君と僕以外の誰かにとってはどうでもいい、何の興味も無い事なんだ!!”
エリオの人形の言葉は全く正しいと思った。
三年前にエリオ・モンディアルは死に、今機動六課に居るのはエリオ・モンディアルという役を与えられたランス・月村だ。
……だが、己がその役を務める事で、救われる人が居るのなら。笑ってくれる人が居るのなら。
―――全身全霊を以って、僕は皆が望む英雄エリオ・モンディアルとなろう。
少年はその日、己の墓前で機動六課に望まれる通りのエリオ・モンディアルとなる事を誓った。
『Little Lancer 十四話』
剣と槍の鎬を削る音が絶え間なく訓練場に響く。
長身の剣士に矮躯の槍手が挑み懸かる光景は、この三年間の六課の訓練場の日常でもある。
キャロのシグナムとの稽古が再開したのだ。
主治医のシャマルはまだ安静にした方が良いと提言したが、キャロは一日でも早い稽古の再開を願った。
『Speerschneiden.』
ストラーダの斬撃がレヴァンティンに受け止められて火花を散らす。
以前にストラーダの第三形態を発動して、本心をシグナムに看破されて打ちのめされたキャロだったが、今の彼女の槍捌きは以前以上だ。
重症で臥せっていた事が信じられない程、体捌きも軽快である。
長く己を縛っていた迷いが晴れ、エリオに再会して改めてストラーダを託されたキャロは、今正に絶好調だった。
『Wing Shooter.』
ケリュケイオンを通じて、ストラーダに魔力を通して槍の穂先から直射弾をバラ撒く。
絶好調であっても、キャロの近接戦闘能力はシグナムに遠く及ばない。
その力量差を考慮して、シグナムを容易にクロスレンジに入れないように魔力弾で牽制し、その上で優位を保とうという戦法だ。
―――それは、以前のキャロでは決して採ろうとしなかった戦法だ。
シグナムの口元が吊りあがる。
今までのキャロの槍術は、どれ程足掻いてもエリオの槍術の模倣でしかなかった。
その方法論では、感覚や運動能力でエリオに劣るキャロでは、劣化したエリオにしか成り得ない。
だが、ここに来てキャロは、真に己の資質に適したストラーダの運用法に目覚めつつあった。
シグナムは切っ先に感じる槍の穂先の感触に、キャロが何か固い殻を脱ぎ捨てた事を感じていた。
楽しい。
シグナムは、初めてキャロとの手合わせで心の底からの楽しさを感じていた。
バトルマニアとして好敵手と立ち会う楽しさだけではない。
三年間、ずっと見守り続けてきた少女がついに己を取り戻した喜び。
これまでの特訓はキャロは裏切らなかったのだという安堵。
シグナムのこれまでのキャロとの手合わせは、キャロの心の傷口を押さえる程度の応急処置でしか無かった。
いつしか破綻するのは目に見えていたし、事実破綻は訪れた。
―――だが、キャロは蘇った。不死鳥の如く。
これ以上の歓びが何処にあるだろうか?
それらの感情が綯い交ぜになって、いつしかシグナムは剣を揮いながら笑顔を浮かべている自分に気付いた。
シグナムの全身は、何時に無く軽かった。
この三年間、彼女の心の深奥にはクアットロへの暗い復讐心が根付いていた。
それも、エリオの帰還とキャロの復帰と共に消えた。
クアットロはヴォルケンリッターの一同で誅した。
それは、復讐では無く斬奸であったのだとシグナムは信じている。
シグナムは闘志漲る笑みを浮かべて、何処からでも懸かって来いと、視線のみでキャロに告げる。
キャロは頷き、真っ直ぐにストラーダを構える。
その瞳は―――まるでエリオにそっくりだった。
炎の魔剣レヴァンティンが灼熱を宿す。シグナムがキャロとの立会いで魔力の炎熱変換を用いるのはこれが初めてだ。
キャロはその返礼とばかりに、全身の魔力をストラーダに注ぎこむ。
カートリッジがリロードされ、デューゼンフォルムの噴出口が全て後方を向き、魔力が収束されていく。
双方の闘志が極限に達した瞬間、引き絞られた矢の如くキャロは飛び出した。
凄まじい程の速度。
それでも、シグナムの技量には及ばない。
炎熱の燈るレヴァンティンで、ストラーダを跳ね上げようとして、―――瞬間キャロがストラーダから片腕を離した。
輝きを放つケリュケイオンで、そっとレヴァンティンの柄に触れ、囁くように呪を唱えた。
「猛きその剣に、更なる炎熱を」
瞬間、レヴァンティンが炎の暴発を起した。
◆
シグナムは驚愕した。受け攻め数手を予測していたが、百戦錬磨のシグナムからしても完全に予想外の一手だった。
あの凄まじい突進すらフェイク。
キャロは自身の全身全霊を以ってしてもシグナムに及ばない事を知り、妙手に出た。
己の全力に対してシグナムが強力な後の先を取る事を予想して、その更に後の先を取ったのだ。
それも、ブーストデバイスを用いて炎熱変換された魔力を暴発させるという斬新な方法で。
シグナムのレヴァンティンを握る右手は微かに燻っている。
「キャロ、見事だ」
シグナムは偽りない、心の底からの賞賛をキャロに送った。
だが、キャロは悔しそうに首を振る。
「いえ、今の技は―――失敗でした」
レヴァンティンに触れた左手が、ぶすぶすと煙を上げていた。
ブーストを行ってからの離脱が遅れたせいで、自身も暴発の巻き添えを喰らったのだ。
ケリュケイオンにも大きなダメージが見られる。これで、同じ技はもう使えまい。
キャロの魔力も底をつき、立っているのが精一杯という状況だ。
それでも、彼女はゆるゆるとストラーダを正眼に構える。
―――こんな所で立ち止まってる訳には行かない。エリオ君にストラーダを託されたのだから。
そんなキャロを想いを汲んだのか、シグナムは大きく頷きレヴァンティンを正眼に構える。
再び、剣先に炎の魔力が燈る。
「先の返礼だ。今度は、私から行こう―――紫電一閃!」
炎を纏ったシグナムの渾身の一撃は、キャロの意識を容易に刈り取った。
訓練場で、シグナムとキャロの立ち合いを見つめる影があった。
キャロの揮う魔槍ストラーダの本来の持ち主、エリオ・モンディアルである。
正直に言って、驚愕の連続だった。
午前中もなのはとフェイトを相手にした模擬戦で、フォワードの四名が危なげ無く勝利したの見たばかりだった。
スバルとティアナがAAAランクに相応しい力を身に着けていた事に驚愕した。
己の抜け番として入ったルーテシアとガリューが、見事に六課のフォワードの皆とフォーメーションを組んでいる事に驚愕した。
何より、キャロがストラーダによる直接戦闘と竜召喚とフルバックを臨機応変にこなす、万能の槍手に成長していた事に驚愕した。
そして、今またエリオはシグナムとキャロの立ち合いに驚愕していた。
キャロは、ストラーダを己のものとしていた。
ストラーダというデバイスの扱い難さについては、以前手にしていた自分が誰よりも良く知っている。
また、キャロが運動神経に乏しく、ストラーダのようなアームドデバイスの扱いに向いていない事も、以前の相棒である自分が誰よりも良く知っていた。
ここまでストラーダを扱えるようになるまで、一体どれだけの努力をキャロは重ねたのだろうか?
キャロの一挙手一投足からこれまでの苦労が滲み出てくるようだった。
キャロは、エリオのバリアジャケットを纏っている。
彼女が三年前のJS事件以来ストラーダを継ぎ、ずっとエリオの後を追って来たという話は周囲から良く聞かされている。
どれだけ深い友愛の情を持たれているのかを想い、エリオは胸の底が熱くなるのを感じた。
シグナムとキャロの立ち合いは益々激しさを増していく。
エリオは―――過去の己のシグナムとの稽古の日々を思った。
シグナムの横殴りの一撃がキャロを襲う。キャロはそれを、矮躯を生かして潜るように避けた。
……自分なら、どうするだろうか?
キャロは、唐竹割りの一撃をストラーダの穂先で流してシグナムに突きかかる。
……自分なら、どうするだろうか?
……自分なら、どうするだろうか?
……自分なら、
……自分なら、
いつしかエリオは、槍を構えた姿勢を取ってシグナムに対峙していた。
鬼気迫る勢いで、エリオは架空の槍を揮い、己の裡に描いたシグナムと壮絶な戦いを開始した。
◆
エリオがシグナムに敗れたのは、キャロと全くの同時だった。
シグナムの紫電一閃を受けられずに、一撃の下に倒されたのだ。エリオは、改めて己の未熟を恥じた。
キャロは、シグナムの一撃を受け、訓練場の中央で昏倒している。
エリオはキャロに駆け寄った。
「シグナム師匠、最後の一撃は―――やり過ぎです。あれは、どんな状態でもキャロに受けられるものでは有りません。
それに、キャロの最後の技が通じなかった時点で、決着はついていたと思いますが?」
師と仰ぐシグナムだったが、最後の一撃には釈然としないものを感じてエリオは真っ直ぐに物申した。
そんなエリオのエリオらしさに、シグナムはクスと笑みを漏らす。
「心配するな、加減はしてある。それにアレはキャロへの褒美代わりだよ」
「……あれが、ですか?」
「ああ。エリオ、キャロの手当てをしてやれ」
そう言うと、シグナムは救急道具一式と、スポーツドリンクの入ったボトル、濡らしたタオルなどをエリオに投げた。
エリオはそれを慌てて受け取る。
「キャロが目を醒ますまで膝枕でもして、ゆっくり労わってやれ。それが、キャロへの一番の褒美だ」
「???」
エリオは理解出来ないとばかりに頭を捻る。それを見て、シグナムは悪戯げな笑みを浮かべた。
「―――キャロも苦労をするな。……どうだ、エリオ、キャロは強くなっただろう?」
「はい、とても。……キャロは努力したんですね」
「ああ。キャロはずっと、お前を目指して努力を続けてきたんだ。―――本当に、お前が生きていてくれて良かった……」
そう言って、シグナムはひらひらと手を振り去って行った。
エリオは、シグナムの言いつけを忠実に守り、キャロに膝枕をして、その顔を濡れタオルで拭った。
左掌に軽い火傷があったので、薬を塗って包帯を巻く。そのまま、彼女の目覚めを待った。
……キャロの寝顔は、安らかだった。
負けはしたが、己の全てを出し尽くす戦いが出来たからだろうか。
エリオは、今日一日のキャロの戦いぶりを改めて回想した。
キャロは確かに強くなった。ストラーダの扱いだけを取ってみても、B+に該当する力はあるだろう。
その上に、ケリュケイオンを用いたバックスとしての能力も健在である。
レヴァンティンの魔力を暴発させた手際から見ても、キャロの本来の資質は直接戦闘ではなく間接的な補助である事は明白だ。
更に、特筆すべきは竜召喚能力。若年竜だったフリードリヒはこの三年で一回り大きく育ち、その威容を増した。
さらには、六課の最大火力であるヴォルテールの召喚も可能である。
これらの汎用性の高い戦闘技能の数々を思えば、キャロの陸戦AAAランクは決して誇張では無い。
エリオは、己を省みた。
自身の魔導師ランクは―――B。キャロの3ランク下だ。
いや、そもそも、今のエリオは魔導師ですらない。武術として槍術を身につけているだけの、一般人だ。
果たして、今の自分でキャロに勝てるか?
―――斃せるか、と問われたなら、斃せると答える事ができる。
すれ違いざまに首を掻き切る事が出来る。背後から、容易に心臓を串刺しに出来る。
エリオが恭也から伝授された御神流の技術を使えば簡単な事だ。
……無論、そんなものがエリオの望む勝利である筈が無いのだが。
今なら、何故恭也が長らく御神流の武術を自分に教えてくれなかったのかが良く解る。
御神流の武術の方法論では、決して己の望む強さは得る事が出来ないからだ。
機動六課の戦力として己とキャロを比べたなら―――
余りにも馬鹿馬鹿しい問いに、エリオは自嘲した。
この三年間で自分の空けた穴は埋まり、ライトニング3は完全に不要なものとなった。
もう、機動六課は今の自分を必要としていない。
エリオは膝の上で安らかな寝顔を見せるキャロを見つめる。―――その手の握る槍は、かつて自分が握っていた槍だ。
彼は、嫉妬と羨望の混交した視線で、ずっとキャロの寝顔を見つめていた。
◆
「―――ん、んんっ……」
キャロが小さく吐息を漏らし、ゆっくりと目蓋を開いた。
ぼんやりの焦点を結んだキャロの瞳が見たものは、己を覗き込むエリオの瞳だった。
「ひああああっ!?」
キャロはびくりと体を痙攣させ、機械仕掛けの人形のように飛び起きた。
そうして、キャロはエリオに膝枕をされている自身の状況に気付いた。
「ああっ、まだ動いちゃ駄目だよ」
エリオは優しげにキャロを己の膝へと寝かしつける。
キャロはどうしていいか解らずに、唯々諾々とエリオに従った。
「あの、エリオ君、シグナムさんは……?」
「ああ、シグナム師匠なら先に帰ったよ。僕は手当てを任されてね。……うーん、顔が赤いね、やっぱり疲れが残ってるのかな?」
「ふええ、エリオ君、あの、あの―――」
「はい、スポーツドリンク。汗かいた後は水分補給が大事だよ」
エリオはボトルのキャップを開いて、キャロの口元に添えた。
「ううう……」
キャロは、幼子のようにこくこくとボトルのスポーツドリンクを嚥下する。
嬉しさと恥ずかしさが綯い交ぜになって、キャロの顔は耳まで朱に染まっていた。
忽ちのうちに、首筋に冷や汗が玉を成す。
それを、エリオは優しくタオルで拭った。キャロは露出の多いエリオのバリアジャケット姿だ。
彼女の柔肌を、エリオの握るタオルが優しく滑る。
ぷしゅ〜、と頭から湯気が出そうな程恥ずかしかった。
今すぐ逃げたしたい衝動と、ずっとこのままでいたい多幸感がごちゃ混ぜになって、どうしようもない。
「……キャロは、強くなったんだね」
エリオが、ぽつりとそう漏らした。
キャロは照れ笑いを浮かべて首を振った。
「まだまだ、だよ。エリオ君がシグナムさんみたいな騎士を目指してるんだよね?
わたしは、エリオ君みたいなはっきりした目標はないけど、大好きなみんなを守れるような力が欲しい。
だから、エリオ君に負けないようにわたしも頑張るんだ!」
キャロの純朴な言葉は、エリオの心を深く抉った。
騎士を目指す想いに変わりは無い。停止したリンカーコアも、いつかは元に戻ると信じている。
だが、今の己とキャロを比べれば―――どうしても、劣等感を覚えずには居られない。
何より、キャロが純粋な心で己を目指している事が辛かった。
フェイトもキャロも、自分を家族として認め、深く愛していてくれる事は解る。
……その愛情も、今のエリオには重たかった。
「嬉しいよ、キャロ。頑張って! ストラーダを、宜しくね」
だが、エリオの口から出たのはそんな言葉だった。
エリオの微笑みに、キャロが満面の笑みで頷く。
―――皆の望む、英雄エリオ・モンディアルたれ。
彼は、自らの墓前での誓いを忠実に守っていた。本当の自分がどんなものだろうが、関係無い。
ただ、己は皆の求めるエリオ・モンディアルであればいい。
―――キャロを守る騎士になりたかった。だが、今のキャロには自身の力など欠片も必要無い。
ならば、せめてキャロの求めるエリオとなって、キャロの心を守ろう。
そんな悲壮な決意を欠片も見せず、エリオはキャロに真っ直ぐ微笑みかけた。
◆
その日、エリオは機動六課部隊長八神はやてによる召喚を受けた。
隊長室ではやてがエリオに語ったのは、ロングアーチに配属されるエリオの今後の仕事内容についてだった。
「……ってな事で、基本は雑務担当で、後はうちが外出する時のボディーガードをお願いしたいんや。
勿論、魔導師のボディーガードも居るんやけど、魔法攻撃以外の襲撃には以外に小回りが利かへん所があってな。
いざという時の為に、恭也さんの秘蔵っ子のエリオにもお願いしたいんや」
そう言って、はやてはニヤリと笑った。
「それに、エリオは今や隊長陣にも劣らぬ機動六課の有名人で、ミッドチルダを救った英雄やからな。
エリオが一緒に居ってくれれば、うちも鼻が高いんや。
―――エリオ、きっとリンカーコアが止まってしもうた事でエリオは悩んどるんやないかと思う。
もしかしたら、自分は機動六課に要らへんのやないか〜、なんて事を考えとるんかもしれん。
でもな、エリオは三年前に十分過ぎるくらい機動六課での務めを果たしてくれた。
これからは、六課がエリオにお礼をする番や。エリオは胸を張って堂々と六課の中を歩いてくれたらええ。
エリオが居ってくれるだけで、六課の皆は嬉しいんや。
機動六課もあと半年で解散や。それまで、六課の皆の心の支えになったってや」
エリオは、はやての言葉を自分なりに要約してみた。
―――奇跡の少年エリオ・モンディアルは機動六課を象徴する存在になっている。
―――別に子供一人飼っておく位、今の六課では造作も無い事なので、お飾りとして六課に居続けてくれ。
別に、はやての言葉に悪意を感じた訳ではない。
海鳴で再開した時のはやての喜びようは、今も覚えている。はやても又、自分の大切な人の一人である事は間違い無い。
それでも、エリオは己の存在の必要性を感じ取る事が出来なかった。
ただ、六課の象徴たるエリオ・モンディアルという偶像が必要とされている事を感じただけだった。
それでもいい。―――それが、エリオの結論だ。
「ありがとうございます。また機動六課で働く事が出来て、こんなに嬉しい事はありません」
エリオはにっこりと微笑んでそう言った。
―――エリオ・モンディアルという偶像が必要なら、己がその役を担うまで。
その決意を胸に、エリオははやての笑みに見送られながら隊長室を退出した。
部屋に帰ると、一通のビデオレターが届いていた。
時空管理局を仲介して届いたそれは、ドイツの月村家からのビデオレターだった。
再生すると、突如画面一杯に雫の泣き顔が現れた。
「ランスお兄ぢゃん、早ぐ帰っでぎで〜〜〜」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、雫はランスという少年に哀願していた。
早く帰ってきて欲しいと、ランスが居ないと寂しいと。
そんな雫の頭をくしゃくしゃと撫でて、忍が困ったような顔を見せた。
「ごめんね、この子、ランスの本当の名前はエリオだって何度言い聞かせても聞いてくれなくって……
見ての通りで、雫が随分寂しがってるから、お仕事一段落したら遊びに来てね。
雫だけじゃなくて、私達はみんな貴方の事を家族だと思って待ってるから―――」
恭也もぶっきらぼうな顔を見せる。
「おう、ランス。お前の本名が何だろうとどうでもいい、この家に来る時はお前は月村ランスだ。いいな?
そっちの仕事が片付いたら、又俺の方の仕事を手伝わないか?
お前みたいな器用な助手が居ると色々便利なんだよ。本当に―――」
ノエルも、短いながらも言葉を残していた。
「……ランス様、お部屋は以前と変わりなく整えて居ります。……私も、ランス様のお帰りをお待ちしています―――」
いつしか、エリオは自分が涙を流している事に気付いた。
エリオ・モンディアルとしての記憶を取り戻してから、初めて自分が本当に必要とされた気がした。
機動六課が円満に解散し、誰も英雄エリオ・モンディアルを必要としなくなったら―――
―――あの、ドイツの月村の家に帰れるのだろうか?
エリオはそんな事を考えていた。
◆
「……どうしたの、エリオ?」
それは、とある夕方の事だった。
玲瓏な笑みを浮かべたルーテシアが、疲れきった表情で項垂れていたエリオに語りかけた。
「ああ、ルーか。ううん、別に何でも無いよ」
振り向いたエリオは、今までの疲れきった表情が嘘にように、真っ直ぐな笑顔を浮かべていた。
それでも、若干の焦りは隠せない。
ルーテシアは、エリオの最も苦手とする相手だった。
彼女を見つめると、何故か頬が上気するのを感じる。声が上ずって、上手く話せなくなる。
すらりと伸びた彼女の肢体を、水晶細工のような彼女の貌を見つめると―――どうすればいいか、解らなくなる。
皆の望む英雄のエリオ・モンディアルとして在る筈の自分が、壊れてしまいそうで―――
エリオは、ルーテシアが苦手だった。
無論、ルーテシアの『私は、エリオの物だから』という爆弾発言もエリオの中に深く根を下ろしている。
エリオはもじもじとしながら、ルーテシアにどう話しかければいいのか戸惑っていた。
ルーテシアは、静かに口を開く。
「……私は、機動六課の他の皆と違って、エリオの事を何も知らないから」
その言葉の本意を、すぐには理解できなかった。
「……JS事件の時には敵同士で、会話らしい会話もできなかったし、二人で話した事もほとんど無いよね?
だから、私はエリオ・モンディアルがどんな人なのかを知らない。
エリオ・モンディアルは凄い少年だって、小さな英雄だって、皆は言うけど、それは噂のエリオであって貴方じゃない。
私は、本当のエリオが知りたいの。
だから、教えて。エリオ、貴方がどんな人なのか―――」
ルーテシアの言葉の意味を理解した瞬間、エリオの全身に戦慄が走った。
「……僕も、僕が人間なのか、よく解らないんだ。
だから、できるだけ皆の知ってるエリオと同じ人間になろうと思ってる」
エリオは、誰にも口にする積もりの無かった本心を口にした。
ルーテシアは優しげな笑みを浮かべた。
「昔、私を守ってくれた騎士が居た。名前はゼスト・グランガイツ。
彼は、本当に一度死んで蘇った人だった。僅かな時間の仮初めの蘇生だったけど、ゼストは本当に生き返ったの。
ゼストは未来を持たない人だったけど―――それでも、再び与えられた短い生の時間を全力で生きた。
ゼストは自分をただの死者だと言っていたけど、そんな事は私にはどうでもよくて、ただ大切な人だった。
だから、エリオが周りからどんな風に見られているかも、私にはどうでもいい。貴方も、私の大切な人。
ゼストに未来は無かったけど―――エリオには、ちゃんと未来がある。だから、精一杯生きて」
エリオは、泣きそうな顔で小さく「ありがとう」、とだけ言った。
「私はエリオがどんな人なのかを知らない。……でも、今ちょっとだけ解った事が有る。
エリオ、貴方はきっと凄く真っ直ぐな人で、凄く優しい人。……そして、凄く素敵な人―――」
そう言って、ルーテシアはさっと背伸びをするとエリオの唇を奪った。
エリオは身じろぎ一つ出来なかった。
「また、貴方を教えて。エリオ」
そう言うと、ルーテシアは燕のように踵を返して去って行った。
その日のクッキーは、会心の出来だった。
ようやくエリオに渡せる出来のクッキーが焼けて、キャロは満足げに微笑んだ。
綺麗に包んで、喜んでくれるようにお祈りをして。そして、キャロはエリオを探して駆け出した。
エリオは確か、訓練場で槍の稽古をしていたはず。どうやって話し掛けよう。何て言ってクッキーを渡そう。
喜んでくれるだろうか。美味しいと言ってくれるだろうか。
キャロは胸の高鳴りを押さえながら、エリオの居る訓練場を目指して走った。
―――エリオは、訓練場傍の休憩室に居た。……ルーテシアと一緒に。
その姿を見た瞬間、キャロの足は完全に歩みを止めた。
二人は何かを話しているようだったが、その声までは聞こえない。
夕日に照らされたエリオとルーテシアの姿は、一枚の絵画のようだった。
ルーテシアが、さっと背伸びをしてエリオに口づけをした。
硬直したエリオを残して、ルーテシアは去って行く。
「あはは、そうだよね。そうに、決まってるよね」
キャロは静かに涙を流しながら、笑った。
ずっと、エリオに再会した時から思っていた事だった。
―――エリオには、自分なんかよりルーちゃんのような綺麗な子の方がずっと似合ってる。
エリオは三年間で逞しく成長していた。隣に並ぶ事が恥ずかしい程だった。ルーテシアも又、ファンクラブが出来る程に美しく成長している。
心の底では、自分などがエリオに相手をされる筈無いと気付いていたけど、ただ認めたく無いだけだった。
―――だって、自分の身長では背伸びをしたって、エリオにキスする事など出来はしないのだから。
自分が恥ずかしくて、悔しくて。キャロは膝を抱えてぐずぐずと泣いた。
「うわっ、キャロ、どうしたのっ!?」
自主トレに来たスバルとティアナの叫び声が響く。キャロは泣き濡れた瞳を上げた。
その手には、綺麗にラッピングされたクッキーの包みが有る。
「……ごめん、大体の事情は掴めたわ。何があったかは知らないけど、エリオに渡す筈だった手作りのお菓子を渡し損ねて泣いてるんでしょ?」
「どうしてそれをっ!?」
「……どうして気付かれないと思えるのか、そっちの方が不思議だわ……」
「ねーねーキャロ、それクッキー? 一個もらってもいい?」
「って、ちょっとは空気読みなさいよこの馬鹿!!!」
丸ごとクッキーの包みを受け取ったスバルをティアナが張り倒した。
「キャロ、話してみて。あたしなら、相談に乗れるかもしれないし」
「う〜、ティア、彼氏持ちだからって調子に乗ってる……」
キャロは、俯いたまま、ぽつり、ぽつりと語り出した。
「―――だから、エリオ君はわたしの大事な人で、ルーちゃんはわたしの大事な友達だから、本当なら……
二人がお付き合いするのは凄く嬉しい事の筈なのに、どうしてもルーちゃんみたいに成れないのが悔しくって、悲しくって……
もう、どうしたらいいか解らなくって―――」
ティアナは嘆息をする。
「ルーもやるわねぇ。それにしてもキャロ、問題有るのは間違い無くあんたの態度よ。
最近女の子らしさを身に着けてきたのはいいけど、卑屈になってちゃ良い事なんて何一つ無いんだから。
エリオの入ってるお風呂に突撃した昔のあんたみたいに、ストレートに自分の想いをぶつけていけばいいのよ。
背伸びしても届かないなら、首筋にぶら下がって無理矢理キスしちゃえばいいの!」
「そうそうティアの言う通り。エリオも可哀相だね〜、こんな美味しいクッキー食べ損なっちゃって」
スバルはキャロ謹製のクッキーを齧りながら頷いた。
「それから、キャロはルーにちゃんと宣戦布告しないとね。絶対負けないよって」
キャロは子供っぽい仕草でごしごしと涙を拭って、大きく頷いた。
◆
キャロが部屋に戻った時には、既にルーテシアは床に着いていた。
明かりを点けてルーテシアを起さないように注意しながら、キャロも床へと潜り込んだ。
「……ルーちゃん」
小声で、親友にして恋敵の名を呼ぶ。
無論、返答など求めていなかった。
だが、予想に反してルーテシアは返事を寄越した。
「……キャロ」
「ごめん、ルーちゃん、起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫。ずっと起きてたから。私、キャロに伝えたい事があるの」
「……うん」
沈黙。キャロは、二段ベッドの階下へと耳を澄ます。
「私は、エリオの事が好き。キャロがずっとエリオの事が好きだったのは知ってるけど……それでも、私はエリオが好き」
「……うん」
「私はエリオが好きだけど、キャロの事も大事な友達だから。
だから―――キャロは私に遠慮をしたりしないで。
キャロが自分の心を殺してエリオから遠ざかるような事をすれば、エリオもきっと悲しむから」
「そんな事しないよ。今日はスバルさんとティアさんに怒られちゃった。
もっと自分の心をしっかり好きな人にぶつけて行かなきゃ駄目だって。
ルーちゃん、わたしも負けないように頑張るから、どっちが勝っても怨みっこ無しだからね」
うん、とルーテシアは頷くと、声のトーンを少しだけ下げて語りかけた。
「ねえキャロ、キャロはきっと、私よりもずっとエリオと仲良しで、私よりもエリオの事を良く知ってる。
でも、近すぎるから見えなくなるものも、きっとあるんじゃないのかな?
きっと、エリオにはキャロでも知らないような事が沢山ある筈だから。
私は、エリオの事をもっともっと良く知りたい。
エリオはミッドチルダの小さな英雄なんて呼ばれてるけど―――最近のエリオは、何だか寂しそう。
きっと、エリオにはエリオを解ってあげられる人が必要なんだと思う。
キャロは、エリオの家族なんだから、もっと色々エリオの事を知ってあげて」
エリオの事を理解する―――その考え方は、いつしかキャロの中から抜け落ちていた。
三年前のJS事件以来、キャロの中でエリオはエリオという偶像のイメージのままで固定されていた。
エリオが、ただエリオとして居てくれるだけでキャロは幸せだった。
だが―――エリオが生きて帰って来た以上、エリオがこの三年間で何を見て、どう感じて、どう変わったのかを知るべきだろう。
病院でエリオが語ったランスとしての三年間の話を思い出す。
エリオは、きっといつまでも昔のエリオのままでは無い。自分がこの三年間で恋を知り、給湯室の茶会で女の子らしさを少しは身に着けたように。
―――いつまでも、昔のエリオに甘えていてはいけない。
再びエリオのパートナーと成りたいのなら、今のエリオと真っ直ぐ向き合わなければ。
……昔、エリオの事が知りたくて男湯に独り足を踏み入れた時のように。
「……ありがとう、ルーちゃん。わたし、ずっとエリオ君に甘えてた。
また昔みたいにエリオ君の隣に並んで歩けるようになりたいから―――
ルーちゃんはわたしの親友だけど―――負けないよ。勝負、だからね」
「……うん」
キャロは、ルーテシアが二段ベットの階下で顔を綻ばせているのがはっきりと判った。
彼女達は想う。―――今、エリオはどうしているだろうと。
だが、流石の彼女達もその時エリオが自身を模した人形と、闇の中で対峙しているだろうとは想像だにしなかった。
◆
やあ、とエリオの人形は旧友にでも会ったかのように、片手を上げて気さくに笑った。
今日はレインコートとバリアジャケット姿ではなく、黒いパーカーをきてフードを目深に被っていた。
闇の中で黒いフードに覆われて、その表情をよく窺うことは出来ない。
ただ、三日月のように吊りあがった口元と爛々と輝く瞳が印象的だった。
「こんばんは、エリオ・モンディアル。こんな時間にどうしたんだい?
……まあ、君がこの場所に独りで来たという事は、当然僕に逢おうと思っていたんだろうけどね」
そう言って、エリオの人形はくつくつと嗤う。
「得物を持っていないという事は、今日は殺し合いに来た訳じゃ無さそうだけど―――
さて、満ち足りた毎日を送っておられる英雄エリオ様は、哀れなこの僕にどんな用事が有るのかな?」
エリオは自身の人形を正面から見据え、真っ直ぐに答えた。
「今日は、前回の返事をする為にやってきた。
―――僕は、君と戦うよ。
機動六課には、エリオ・モンディアルが必要なんだ。
そして、機動六課に必要なエリオ・モンディアルは君じゃない。
あの戦いで左腕を失くし、三年を経て帰ってきたこの僕だけが、機動六課のエリオ・モンディアルで在る事ができる。
だから、エリオ・モンディアルの名前が欲しいだけの君に、殺される訳には行かないんだ」
微塵の迷いも、戸惑いもない、真っ直ぐな決意の篭った声だった。
エリオの人形は狐に摘まれたような顔できょとんとしていたが、クスクスと笑みを零し、遂には腹を抱えて大笑を始めた。
「は、はははははははは、そうか、そうか、そういう事だったのか!
つまり、君は、エリオ・モンディアルとはそんな人間だったのか!!
これで、全てが繋がったよ! これで、全てが解ったよ、母さん!!!」
正気を逸した躁狂のような笑みに、エリオが不信の目を向ける。
エリオの人形は、尚も楽しげに嗤い続ける。
「一体何の話なんだ?」
人形は、大きく腕を広げて満足げに頷いた。
「ずっと……ずっと、疑問だったんだよ。お母さんが、どうして君みたいなちっぽけで詰まらない人間に拘っているのかって。
確かに、JS事件で君は大きな活躍をした。イレギュラーとなってお母さんの計画を散々引っ掻き回した。
でも、それだけだ。あの戦いの後に君は死亡扱いとなり、もはや何の脅威でも無くなった。
それなのに何故、姿容を模した僕という人形を作り、嬲り続けたのかさっぱり解らなかった。
―――だけど、これで、全てが解った」
エリオには理解出来ない。それも当然。何故なら―――
「エリオ・モンディアル、君は僕のお母さん、クアットロと真逆の人間だ。
お母さんは悪である事に快楽を覚え、常に悪足ろうとしてきた人間だ。
対して君は善である事に義務を感じ、常に善足ろうとしてきた人間だ。
常に悪で在る事を無上の喜びとしてきたお母さんが、常に善で在らないと生きて行けない君を許せる筈が無い。
成る程、真っ直ぐな良い目をしているね、エリオ・モンディアル。
君はクアットロお母さんと正反対でありながら―――同じ位狂ってるよ。
……確かに、君はお母さんを否定する存在だ。
確かに、君はお母さんの宿敵と呼ぶに値する存在だよエリオ・モンディアル。
ならばこそ、君は、僕が斃さなければ―――」
そう言って、エリオの人形は笑った。どうすれば、自分と同じ顔がここまで醜い貌を作れるのかと思う程の黒い笑みだった。
◆
エリオの人形は尚も悪魔の言葉を紡ぎ続ける。
「本音を言ってみせろよ、エリオ・モンディアル。君は僕が嫌いなんだろう?
……まあ、僕のような存在を好む人間が居る筈も無いんだが、君のそれは格別の筈だ。
ねえ、『二代目』エリオ・モンディアル。
君はずっと、自分が本物のエリオ・モンディアルで無い事に負い目を感じている。
誰よりも、唯一のエリオ・モンディアルであろうと願っている。
だから、君は誰よりも、僕の事を憎んでいる筈なんだ。違うかい?」
違わない。エリオにとって、エリオの人形は悪夢の具現に他ならない。
だが、エリオはそんな事を口に出したりはしない。何故なら―――彼は、英雄エリオ・モンディアルなのだから。
「ははは、徹底した聖人ぶりだね。流石はエリオ・モンディアル、ミッドチルダを救った小さな英雄だ。
いいかい、君はお母さんの真逆の人間だが―――僕の真裏の人間でもあるんだ。
僕は、お母さんが好きだったから、お母さんの望むエリオ・モンディアルであり続けた。
僕は、誰の強制も受けず、自分の自由意志でこの道を選んだ。
お母さんに罵られ、嬲られ、壊され、苦しむ事こそが僕の生きる意味だ。
君は、周りの皆が好きだったから、周りの皆の望むエリオ・モンディアルで在ろうとする。
君は、誰の強制も受けず、自分の自由意志でその道を選んだ。
周りの皆に褒められ、愛され、讃えられ、幸せに生きて見せる事こそが君の生きる意味だ。
僕が憎いだろう? 同族嫌悪を感じるだろう? 光を浴びているか、闇に沈んでいるかの違いしかない君と僕に。
僕は、君は光の中でのうのうと幸福を貪っているだけの人間だと思っていたが、どうやら違ったようだね。
その歪み方、僕の敵に相応しいよ。
僕は、君を殺して三代目の、そして唯一のエリオ・モンディアルとなるんだ」
エリオは人形の言葉を噛み締めるようにして、何度も自分の中で反芻していたが、一つだけ、問うた。
「ねえ、一つだけ聞かせて欲しい。
君は、僕を殺したらその後どうするつもりなの? 機動六課の皆も殺すの?
君がとても強いのは知ってる。でも、機動六課を君独りで潰すのは絶対に無理だ。そんな事、判りきってるだろう?
機動六課も後半年で解散だ。エリオ・モンディアルが必要とされるのもそう長くは無いよ。
エリオとしての僕が必要とされなくなったなら―――僕は、僕を必要としてくれる人の傍で静かに暮らすのもいいと思ってる。
でも、君は一体どうするつもりなの?」
人形はやれやれとばかりに、大げさに首を振る。
「君の愚鈍さだけは、お母さんとも僕とも似ていないんだね。……いや、だからこそ、かな?
僕にも、君にも、機動六課にも、この世界にも、―――その後なんて無い。
もうじき、全てが御破算になる。全てがお仕舞いになる。
―――その前に、僕はただ、僕である事をこの世界に示したい。
どの道、お母さんが居ないこの世界に未練なんて無い。
ただ、全てが終わる前に、君を殺して機動六課を穢して、お母さんの願いを叶えて逝きたいんだ」
エリオは困惑して叫んだ。
「全てが終わるって、一体何の事なんだ!? 一体何を知っている!? 何が起こるんだ!?」
エリオの人形は話は終わったとばかりに踵を返した。
黒いパーカー姿が闇に溶けていく。
「……もうじき判るよ、もうじき。君にも僕にも、もう時間は無い。
次に会う時は、槍を忘れないようにね」
そう言って、エリオの人形は闇に消えた。
エリオは、己が何か、もう引き返せない領域に踏み込んだ事を感じていた。
◆
―――それは正しく、晴天の霹靂として出現した。
秋風の吹く快晴のクラナガン上空に、突如として広域指名手配されている次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティが出現したのだ。
機動六課も地上本部も血眼になって探している超S級次元犯罪者の出現に、最大級の警戒態勢が取られた。
忽ちのうちにクラナガンに非常事態宣言が発令され、二重三重に包囲網が形成された。
繰り返し投降が呼びかけられるも、スカリエッティは無言である。
世紀の天才にして次元犯罪者であるスカリエッティは、何をするでもなく、クラナガンの上空に留まり地上を睥睨していた。
その余りの無防備さが却って不気味な威容を醸し出し、機動六課は攻勢に出れずに居た。
以前のフェイトとの交戦記録から、スカリエッティも高い戦闘力を持った魔導師である事は確認されているが、それでも現在の六課の敵ではない。
ただ独りの魔導師など、隊長クラスの数名で囲ってしまえば捕縛は容易い筈だ。
だが、スカリエッティの捕縛がそれ程簡単に済む訳が無い。
戦術の常道で言うならば、今のスカリエッティはあからさまな囮に間違い無い。
しかし、余りにあからさま過ぎて、ただの囮と断じてしまう事は出来なかった。
双方動かぬ不気味な沈黙の中、遂に機動六課が先手に出た。
囮か、時間稼ぎか、それとも単なる自棄なのか―――判別は出来ないが、どれであっても対応できる最強の空戦魔導師を送り込んだのだ。
この場合、最も好ましいのは高い防御力と長距離からの強力な攻撃力を誇る砲撃タイプ。
―――即ち、機動六課のエース・オブ・エース、高町なのはに他ならなかった。
「ジェイル・スカリエッティ、貴方は指名手配されています。すぐに武装の解除を―――」
幾度繰り返されたか判らない、定型通りの降伏勧告を繰り返しながら、なのはは不安感を隠せなかった。
このスカリエッティは、何かが違う。武装の解除を求めたものの、武装らしい武装は見られない。
今まで興味無さげにクラナガンを見下ろしていたスカリエッティは、なのはを振り向き―――
―――微笑んだ。
「―――っ!?」
その笑みを見た瞬間、高町なのはは全身全霊を以ってスカリエッティに挑まなければならないと確信した。
マガジンに収められていた6発のカートリッジを全て一気にリロードする。
「レイジングハート、スターライトブレイカーex-fb、一発目からおっきいの行くけど、お願いできる?」
『All right, my master. I with you forever.』
「……ありがとう、レイジングハート」
大きく腰を落とし、ブラスター3を解放する。バリアジャケットがエクシードモードへと切り替わり、桜色の魔力光がなのはを包んだ。
六枚のA.C.S.がレイジングハートの先端に展開され、神々しい光を放つ。
まるで流星の如く周囲の魔力が集束していく様子は、侵し難い神聖な光景だった。
「一発目からスターライトブレーカーやて!? 無茶や、なのはちゃん!」
はやてが叫ぶ。
歴戦を誇るSランク空戦魔導師高町なのは、彼女が己の最強砲撃魔法スターライトブレーカーを初手から用いるのは―――
……これが、初めてである。
『Count nine, eight, seven, six, five, four, three...』
「こふっ……」
なのはの口から、鮮血が溢れ出た。長年の戦いで痛めつけられた彼女の体は、ブラスター3の解放と前準備も無い大技で完全に限界に来ていた。
「駄目っ、なのはっ!」
フェイトが叫ぶ。それでも、彼女は真っ直ぐに前を向いてレイジングハートを握り直した。
それこそが、不屈のエース・オブ・エース、高町なのはの姿だった。
『Count three, two, one...』
「行きます! 全力、全開――――――」
『Count zero.』
「スターライト、ブレイカァァァ――――――」
かつて無い最強出力の一撃。全ての因果を断ち切る星の輝きが、一面を白く染め上げた。
◆
「こほっ……っっ、」
全ての力を使い果たしたなのはは、魔方陣の上に膝を着いた。
黒い淤血が口から溢れ出し、純白のバリアジャケットを赤黒く染めていく。
なのはは、厳しい瞳で前方を睨みつける。
彼女の、過去最高出力でのスターライトブレイカー。己の身体など省みず、非殺傷設定すら解除した一撃。
並みの魔導師なら一瞬で蒸発し、塵すら残さないだろう文字通りの全力全開の一撃。
彼女はこの一撃に賭けた。そして、願った。
―――僅かでもダメージを与える事が出来たなら、攻略の糸口に繋がる。毛の先程でも、ダメージを与える事が出来たなら―――
爆煙が晴れる。彼女の願いは―――空しく散った。
……直撃だった。なのはのスターライトブレイカーは、確かにスカリエッティに命中した。
だが、爆煙の向こうから現れたスカリエッティには傷一つ無かった。
草臥れた白衣も、乱れた長髪も、何一つ変わらずスカリエッティは口元に微笑を浮かべてなのはを見つめていた。
「これが、この世界の最高の砲撃魔術の一撃か。……いや、見事なものだったよ」
地を睥睨しながら虚言を弄するスカリエッティとは対照的に、なのはは血を吐きながら天上の敵を睨む。
彼女は、既に意識を保つだけで精一杯の状況だった。
スカリエッティは、満足げに頷いた。
彼にとっては、今のなのはは―――いや、きっと最初から―――敵ですら無かった。
手にかける価値も無い虫一匹に過ぎない。それに、スカリエッティは親しげに語りかける。
「君は、現代最高峰の魔導師の一人だろう。だが、所詮はこの時代この世界での最高峰に過ぎない。
―――見たいと思わないかね? あらゆる時代、あらゆる世界の最高峰の魔法というものを」
そう言うと、スカリエッティは右手を天に掲げた。その掌から、金色の光が膨れ上がる。
スカリエッティの眼から金色のコンタクトレンズが剥がれ落ちた。
その下の瞳は―――右目が翡翠、左目が紅玉のオッドアイ、なのはの愛娘ヴィヴィオと同じ「聖者の印」だった。
「……その、瞳、は―――?」
「うん。第97管理外世界の『夜の一族』は中々に面白い研究対象だったよ。自動人形の技術も然る事ながら、血液を媒体とした契約というシステムが面白い。
血液の交換、それは血の保有する能力の受け渡しに他ならない。
現在の『夜の一族』の血の交換は単なる契約儀式と化しているが、元々は血液を通じて能力を分け与える儀式だったのだろうな。
もしかしてと思い、『夜の一族』の血液を触媒にした聖王の血統の移植を試みたんだが、見事成功してね」
なのはは疑惑の目をスカリエッティに向ける。例えスカリエッティの技術を以ってしても、聖王の血統の移植などがそうそう簡単に出来るのだろうか?
いや、それ以前に、聖王の鎧を纏う事が出来ても、これ程圧倒的な戦闘能力を得る事が出来よう筈が無い。
以前の聖王と化したヴィヴィオとの戦いは、確かに熾烈極まりないものだったが、ここまで次元違いでは無かった。
なのはの表情から疑惑を読み取ったスカリエッティは、嬉しそうに笑った。
少年のような、悪意無い笑みだった。
「察しが良い子は好きだよ。勿論、聖王の血統の移植も、力の運用もそうそう簡単にいく筈が無い。
強力なロストロギアの助けでも借りなければね」
「まさか―――ジュエルシード……?」
「その通り、ジュエルシードだよ。私はクアットロの胎の中で、初めてジュエルシードに触れた。
驚いたよ、あの小さな結晶の中に漲る力の大きさにね。
そして、私はあの女の胎の中で十のジュエルシードの全てを呑み込んだ。
私はジュエルシードと一体になり、初めて理解したよ。あのロストロギアの本質を。
アレは『願いを叶える』と言った方向性を持った次元干渉型エネルギー結晶体だ。
『願いを叶える』―――素晴らしいと思わないか!
これこそ、『無限の欲望(アンリミテッドデザイア)』たるこの私に最も相応しいロストロギアだよ!」
なのはは、消えかけの電球のように点滅する意識の中で、戦慄を抑えられずにいた。
一個の全威力の何万分の一の発動で小規模次元震を発生させることができるジュエルシード。
それを十個も体内に保有し、己の魔力源として用いている。
勝算など、有ろう筈も無い最高の脅威だ。―――だが、もっと恐ろしい何かがある。彼女はそう予感していた。
◆
スカリエッティは嘆息する。
今や何人だろうと及ばない力を得た筈のスカリエッティは、詰まらなさそうに首を振る。
酷く、子供じみた仕草だった。
「だが、私は元々戦う者では無いんだ。降りかかる火の粉を払い除ける力さえあればいい。
―――さっきのようにね。
それを、だれも解っていない。聖王の血の真価を、誰一人として理解していない。
戦闘力などという詰まらないものにばかり目を向けて、本当に面白いものを解ろうともしない。
詰まらない。本当に詰まらないね。
だから、私が教えてあげよう。古代ベルカの血の真価を。聖王の血統の真の意味を。
……なに、簡単なレクチャーだよ」
スカリエッティは右手に金色の光を燈しながら、楽しげに語り続ける。
「聖王のゆりかごは、古代ベルカの時代から既にロストロギアとされていた。
ならば、それは一体何処で作られたのかと思うかね?
ゆりかごを動かす事ができる王族は、一体何処から渡って来たのかと思うかね?
古代ベルカの聖王は、別称として『鍵の聖王』とも呼ばれる。
この鍵は、一体何の鍵だと思うかね? ―――ああ、ゆりかごの鍵なんていう詰まらない答えは無しだよ」
なのはは、答えない。霞む瞳で、スカリエッティの全身を虹色の魔力光「カイゼル・ファルベ」が包んでいく様を無言で見つめる。
「……解らないなら、見せてあげよう。これが、全ての魔法の始まりにして終わりの地―――」
スカリエッティの体内でジュエルシードが、指向性を持った次元振動を巻き起こすのを感じる。
スカリエッティの右手に収束した光が、空間に孔を穿っていく。
それは正に、扉が開く如き光景だった。
その向こうにあるのは黄金の都だ。聖王のゆりかごと同級の戦艦が空を埋め尽くし、巨大な高層建築群が空に昇る。
この世界ではあらゆるものが、今は失われた秘術によって構成されている。
……次元世界の狭間に存在するという、既に遺失した古代世界。
……卓越した技術と魔法文化を持ち、そこに辿り着けばあらゆる望みが叶う理想郷。
……彼の地の名は―――
「―――アルハザード」
スカリエッティは満足げに頷いた。
「その通り、アルハザードだ。聖王の血統とは即ち、アルハザードから古代ベルカへ漂着した人々の血筋に他ならない。
聖王の血統の真価とは、その遺伝子の中にアルハザードの存在した位相が刻まれているという点にある。
それを解析し、次元振動によって扉を開く事の出来る者こそが、付属品の能力を振り回すだけの偽者とは違う、真の聖王だよ。
『鍵の聖王』とは、アルハザードへ通じる扉を開く鍵たる者という意味だったのだよ」
なのはの体から、最後の魔力の一片が消える。
空中に自身の体を維持していた魔方陣が掻き消え、彼女の体は宙を舞った。
不屈のエース・オブ・エースは再び地に堕ちた。
天上には、全次元世界を揺るがしかねない危機が迫っている。
その光景は、ただ一言「絶望」と称されるものだった。
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目次:Little Lancer
著者:アルカディア ◆vyCuygcBYc
- カテゴリ:
- 漫画/アニメ
- 魔法少女リリカルなのは
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