811 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:07:09 ID:Kw1mynKU [3/30]
812 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:08:34 ID:Kw1mynKU [4/30]
813 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:09:24 ID:Kw1mynKU [5/30]
814 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:10:34 ID:Kw1mynKU [6/30]
815 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:11:26 ID:Kw1mynKU [7/30]
816 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:12:20 ID:Kw1mynKU [8/30]
817 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:12:56 ID:Kw1mynKU [9/30]
818 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:13:57 ID:Kw1mynKU [10/30]
819 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:14:35 ID:Kw1mynKU [11/30]
820 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:15:27 ID:Kw1mynKU [12/30]
821 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:16:32 ID:Kw1mynKU [13/30]
822 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:17:27 ID:Kw1mynKU [14/30]
823 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:18:21 ID:Kw1mynKU [15/30]
824 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:19:53 ID:Kw1mynKU [16/30]
825 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:20:37 ID:Kw1mynKU [17/30]
826 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:21:42 ID:Kw1mynKU [18/30]
827 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:22:51 ID:Kw1mynKU [19/30]
828 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:24:10 ID:Kw1mynKU [20/30]
829 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:25:22 ID:Kw1mynKU [21/30]
830 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:26:39 ID:Kw1mynKU [22/30]
831 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:27:34 ID:Kw1mynKU [23/30]
832 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:28:43 ID:Kw1mynKU [24/30]
833 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:29:23 ID:Kw1mynKU [25/30]
834 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:29:57 ID:Kw1mynKU [26/30]
835 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:31:35 ID:Kw1mynKU [27/30]
836 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:32:36 ID:Kw1mynKU [28/30]
837 名前:die hard [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 23:33:50 ID:Kw1mynKU [29/30]

【die hard】
1.〔粘り強く耐えて〕なかなか死なない
2.激しく戦って死ぬ
3.〔信念などに〕執着する
4.〔慣習・考え方などが〕なかなかなくならない
5.〔記憶・感情などが〕なかなか消えない[忘れられない・断ち切れない]
6.〔癖などが〕なかなかとれない
(『英辞郎 on the WEB』より"die hard"の定義を引用)





殺風景な部屋でフェイトは立ち尽くしていた。
部屋は凍えるほど寒かった。フェイトが息を吐くたびに白いもやができた。
薄暗い室内でみるリノリウムの壁や床はいつもよりいっそう無機質な感じがした。
奥の壁に据えつけられているロッカーのようなものは、「クリプト」と呼ばれる遺体安置用の箱の引き出しだった。
この部屋にはたくさんのボディが存在するが、動き回っているボディはフェイトだけだった。
今、フェイトの目の前にも、ボディが一体横たわっている。
このボディ――高町なのはは数時間前まで生きていた。今は生きていない。
何もかもが信じられなかった。
なのはは、任務中のアクシデントで撃墜され、病院に運び込まれたが処置の甲斐なく、数時間前に息をひきとったのだという。
フェイトは朝には彼女と通信機器越しに何気ない会話を交わしたのだが、夕方知らせを受けて駆けつけた時には物言わぬ彼女と対面するはめになった。
ショックのあまり、周囲の人々の話す言葉はすべて虚ろに聞こえ、まるで現実感がなかった。
茫漠とした記憶のなかにあるクロノの説明によれば、なのははアンノウン(未確認飛行物体)によって撃墜された。
そしてこの後は、アンノウンによって受けた身体の損傷を調査するために、司法解剖にまわされるだろうとのことだ。
解剖なんてとんでもない、とフェイトは思った。

なのはの柔らかい肌がメスによって切られ、中を開かれ、臓器を取り出され、隅々まで調査のためにモノのように弄繰り回されるのを想像すると、たまらない気持ちになった。
フェイトは親友の変色した顔を、腕を、胸を、足を、愛おしむように撫でてさすった。暗く変色した皮膚を手で押すと、そこの部分だけ元の肌の色に戻る。元のなのはに戻って欲しくて何度もさすった。
だが無駄なことだ。なのはが自分に笑いかけてくれることはもうない。「フェイトちゃん」と自分を呼んでくれる声はもう聞けない。
生まれてはじめてできた友だちは、もういなくなってしまった。自分を置いて逝ってしまった。フェイトの胸は悲しみで張り裂けそうだった。

彼女は、今にも崩れ落ちそうな黄ばんだ古紙の束を取り出した。
ここにくるまでの数時間で食い入るように読み込んだ論文の表紙に目を落とす。



   TITLE:   On the Method for the Contract to Make Humans into Familiar Spirits
           (人間を使い魔にするための魔法契約術式について)

   AUTHOR: Precia Testarossa
           (プレシア・テスタロッサ)



この論文は、違法な研究を行っていたある研究所のガサ入れに参加していた折に、偶然、見つけたものだ。
当初、タイトルと著者名を見たフェイトは仰天した。
なにしろ人間を使い魔にするという行為は、違法行為だ。
身分などの法律関係の問題や技術的なハードルを別にしても、まず倫理的観点から強く忌避される。
非人道的な技術開発の数々で知られる旧ベルカ大戦でさえ禁則事項とされた、魔導技術開発におけるタブー中のタブー。

しかし、論文の中身はそれ以上の衝撃を彼女にもたらした。
そこには往来のパラダイムを覆すようなあまりに斬新な術式構築論が記されていた。
過去の定説を粉々に粉砕していくプレシア理論に、フェイトは、度肝を抜かれた。
天才魔導工学者プレシア・テスタロッサの執念あるいは怨念が生み出した狂気の理論。
およそ正常な人間が考え出したとはとても思えないような難解で複雑怪奇な術式。
回り道、あるいはおよそナンセンスにしか思えないような箇所すらあった。まるで伝説にうたわれたアルハザードの叡智だった。
当のプレシア、そしてその使い魔リニスによって英才教育を叩き込まれたフェイトの頭脳をもってしても、その未知の理論を完全に理解することはできなかった。
特に魂魄の構成に関すると推測される部分で採用されている方式は完全に未知のもので、個々のごく細分化した術式の意味はところどころ分かるものの、全体として見たとき、どういう結果につながろうとしているのかその理を捉えることができなかった。
その箇所を見た瞬間のフェイトの気分は、たとえるなら、スペースシャトルの設計図を見せられた石器時代の原始人のようなものだった。

捜査活動中に発見したものは何であれ本来なら上に報告し提出しなければならない。
フェイトもそのことは分かっていたが、結局、この発見は彼女の胸のうちにしまわれたままになった。
当時、フェイトは職責に反する行為をおこなってしまったことで罪悪感を覚えた。
しかし今となっては、あの時あの場所でこの論文を見つけたことは今このときのための天の采配だったのではないか、とさえ思い始めていた。

フェイトにとって残念なことに、論文の最初と最後の数ページには、虫食いやページの欠落があって、読めない箇所があった。
しかし、本体である魔法式の載っているページは中盤にあったため、綺麗なままだ。
通例、この手の論文の最初には、論文の概略や先行研究が書かれている。
そして、論文の最終部では、著者の理論の総括、そして今後の課題などが書かれる。
理論には理解不能なものもまじっているので、万全を期すには、まとめ部分に書かれていたであろう考察についても読みたかった。
しかし、とフェイトは思った。
バイクの細かな内部機構を理解していなくても操作方法さえ知っておけば運転が可能なように、個々の術式の意味を理解していなくても、書かれている術式にしたがってさえいれば魔法を発動するのに問題はない、と。
実際、完全に術式の意味を理解していなくても、魔力とデバイスの助けがあれば魔法はつかえる。魔導理論を全く知らないままデバイスを渡されて魔法を行使したかつての高町なのはが良い例だ。

だから、問題、は、ない、はずだ……。
フェイトはゴクリと喉を鳴らし、燻っている不安をいっしょに無理やり飲みくだした。
今を逃せば、この術式をつかう機会は二度と訪れないかもしれない。
他の人の目があるときはできない。解剖に回されてしまった後は論外だ。

(やるなら、今しかない……)

ポケットからバルディッシュを取り出す。
黄金の三角形に、フェイト自身の顔が映った。
バルディッシュに映った顔はひどかった。泣きすぎて目元も鼻もすっかり真っ赤に腫れ上がっている。
血のように赤い双眸がフェイト自身を見つめ返す。
一瞬、沼のように濁った瞳のなかに人を惑わす鬼火のような光がちらちらと揺れるのが見えた気がした。
おぞましいものを隠すように、フェイトはバルディッシュを掌で覆い握り締めた。
震える手を押さえながら、目を閉じ、呼吸を意図してゆっくりとしたものに変える。
イメージ上で術式の手順の最終確認をおこなう。
最終確認をおえて、フェイトが目を開いたとき、ふと、声が聞こえたような気がした。
フェイトを諭す懐かしい声がする。

『いいですか、フェイト?』

『使い魔の術法は死亡の直前か直後の動物の肉体を依代に、魔法で生成した人造魂魄を宿らせるというものです』
『実際には、いのちを助けるわけでも、よみがえらせるわけでもない。わかりますね?』
『失ったいのちを取りもどすなんて魔法は、世界中のどこを探してもないんです』

フェイトの決心がぐらつきそうになる。
もう一度、わかりきった事実を心中で反芻した。
ここでなのはを使い魔として復活させたとしても、それは本当の「高町なのは」ではない。
頭では分かっている。それでも、フェイトはなのはと離れるのが嫌だった。
フェイトは思う。
自分は今、母親と同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれない、と。
いや、ひょっとすると母親よりなお性質が悪いのかもしれない。

プレシアの論文を読んだフェイトが真っ先に思いついた疑問――「どうして母さんはこれを使わなかったんだろう?」
フェイトはその答えをずっと考えていた。

理論にどこか欠陥があったのだろうか?
否。そうであるなら、論文にして残すはずがない。
プレシア・テスタロッサの術式は信じられないことに、主要記憶の継承が可能であったし、
契約の時期も、「死亡の直前か直後」という従来の動物相手の使い魔契約のような縛りがなかった。
また、使い魔は魔導師の魔力を消費して存在を維持するが、この理論ならその消費量も従来の20分の1に抑えられる。
良いこと尽くめである。
だのにプレシアはアリシアに対して用いることはなかった。
なぜか、とフェイトは考えた。
答えはひとつしか思い浮かばなかった。
きっとプレシアは分かっていたのだ。この術式を使っても、偽者ができあがるだけだと。
彼女は姿だけが似ている偽者を欲さなかった。あくまで本物の娘を求めた。
結果、フェイトが生まれた。掴まされたのは偽者だった。そして伝説の地アルハザードに一縷の望みをかけることになった。
フェイト・テスタロッサは、アリシアの偽者だ。その偽者が、今度また偽者を――

そこでフェイトは思考を強引に切った。
残っている良識がここぞとばかりにフェイトに囁いた。
(やっぱり、こんなことはいけない。
なのはだって、きっと、こんなこと望んでない。
さあ、お別れを済ませて、ここを出て行こう。)

彼女はもう一度、台の上に載せられているなのはを見た。
頭や体は包帯でぐるぐる巻きにされていて、肌の色は暗紫色になっている。
フェイトは上から覆いかぶさるようにして、なのはの胸に顔をうずめた。
そして息を何度も大きく吸い込む。錆び臭い血の匂いと甘ったるい死の匂いがした。
「なのは」、と名前を呼んでみた。昔、教えられた友だちになるための方法だ。
なのはから答えは返ってこない。いくら名前を呼んでも人形のように表情は動かない。
フェイトの目からまた新しい涙が零れ落ちた。

フェイトは非常に閉鎖的な環境で育った少女だった。
彼女の「世界」は狭かった。母親と自分を中心に、家庭教師のリニスや使い魔の狼アルフといった存在がならぶ。
バルディッシュを数にいれても、フェイトと日常的に接触のある者は最大でも4人。
リニスはフェイトの教育を終えると消えてしまったから、都合3人。内訳は、人間1人、狼1匹、デバイス1機。
当然のことながらフェイトが心を向ける比重は、唯一の人間であり、最も近しい肉親であるプレシアに圧倒的に傾いた。
母親の存在が全てといっても過言ではなかった。フェイトは母親を愛していた。そして母親に愛されたいと思った。
だが、プレシアの愛は自分に向けられなかった。
《生きていたいと思ったのは、母さんに認めてもらいたいからだった》
《それ以外に生きる意味なんかないと思っていた》
《それができなきゃ生きていけないんだと思ってた》
自分の生きた記憶が本当に自分自身のものであるかすら定かではない、曖昧な、幻のような自分。
プレシアがいなくなり、ぽっかりと空いた穴に代わりに嵌まり込んできたのが高町なのはだった。

PT事件以後の生活は以前とは全然違った。
義母となったリンディ、義兄のクロノ、ユーノ、地球で知り合ったアリサ、すずか、そして学校のクラスメイト。
フェイトの世界は、以前とは比べ物にならないほど大きくひろがった。
だがそれでもフェイトの心的構造は変わらなかった。
以前はプレシアとフェイトが中心にいて、そのまわりにアルフやリニスがいたように。
今度はなのはとフェイトという軸を中心に、義母や義兄、アースラの職員、地球で知り合った人々が並んだ。
もちろん、こういったイメージをフェイトがはっきりと意識していたわけではない。
この年頃の子供は、それでなくとも、家族よりも気の合った同性の友人のほうに心を寄せる傾向があるのだ。
それにフェイトの生まれや過ごした環境、生来の性格があわさって、彼女の高町なのはに対する並々ならぬ執着心――それこそプレシアにとってのアリシアのような――がうまれた。

遺体に縋りつきながら、名前を呼んだ。

なのは、

『うん』、となのはの声が答えた気がした。きっと幻聴だ。

なのは、

『うん』。また幻聴が聞こえる。

なのは、なのは、なのは、

『にゃはは、どうしたの、フェイトちゃん』

なのは、いかないで。なのは、なのは、

『……』。幻聴は困ったような苦笑を漏らした。

なのは、なのは、私が君を使い魔にしたら怒るよね?

『……』。幻聴が、少し驚き、ちょっと呆れたような吐息を漏らした。

なのは、ごめんね、嫌だよね?

『…………ううん、いいよ。フェイトちゃんなら』。あまりにも都合のいい返事がかえってきた。

それはきっと自分の願望がうみだした幻聴なのだろう。
想像の中のなのはに、自分の聞きたい言葉を言わせている。
まるでお人形遊びだ、とフェイトは思った。自分の浅ましさに叫びだしたくなった。
自分はなのはがモノのように弄繰り回される検死解剖を厭った。
だがなのはをモノのように扱おうとしているのは自分も一緒ではないか?
しかし、このままでは……

懊悩するフェイトの脳裡に複数の映像が現われる。
《受けてみて、ディバインバスターのバリエーション!》
《名前を呼んで? 最初はそれだけでいいの》
《私、高町なのは。なのはだよ》
フェイトの中で宝箱のように大切にしまわれている美しい思い出の数々が走馬燈のように次々に映し出される。
はにかんでいるなのは。凛々しいなのは。しょんぼりとうなだれているなのは。楽しそうななのは。
これらが過去のものになり、もう永久に失われてしまうのだと思うと、急速に寒気が襲ってきた。
もう難しいことはなにも考えられなくなった。

なのは、なのは、
なのは、なのは、なのは、なのは、なのは、
なのは、なのは、なのは、なのは、なのは、なのは、なのは、なのは、
なのは、なのはなのは、なのはなのはなのはなのはなのはなのは、なのはなのはなのはなのはなのはなのは
、なのはなのは、なのはなのはなのはなのは、なのはなのは、なのはなのはなのは
なのはなのはなのは、なのはなのはなのはなのはなのはフなのはなのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのは、なのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはェなのはなのはなのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのはなのはなのはイなのはなのはなのはなのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのはなのはトなのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのちはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのは
なのはなのはなのゃんはなのはなのはなのはなのはなのは、なのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはななかのは
なのはなの泣かはなののはなのはなのはなのはなのは
なのはないなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのは
なのではなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのは
なのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのはなのは


……

…………

………………

MIDCHILDA DALIY NEWS 新暦67年12月20日付記事
┌──────────────────────────────────────┐
│   【霊安室で葬儀を待つばかりだった管理局員、奇跡の生還】                 .│
│   メンラー記念病院で、タカマチなのはさん(11)が医務官から「死亡」と診断された後    .│
│   4時間後に霊安室で生き返っていたことが分かった。なのはさんは職務中に重傷を    │
│   負って意識不明のまま午後2時頃に病院に搬送された。午後3時頃に治療の甲斐  .....│
│   なく心肺停止状態に陥り、医務官がバイタルの消失を確認。死亡を宣告した。だが    .│
│   4時間後、なのはさんの友人のフェイト・T・ハラオウンさんが霊安室で遺体が動いて ......│
│   いるのに気づき、医務官を呼んだところ、バイタルが復活しているのが確認された。 ......│
│   なのはさんは再び治療室へと戻された。なお現在は、快方に向かっているとのこと。  ..│
│   この件について、病院側は担当の医務官の診断に問題がなかったか調べている。    .│
└──────────────────────────────────────┘

高町なのはは霊安室からの帰還後、人間離れした速度でみるみる回復していった。
事故から約一ヶ月を待たずに、一般病棟に移ったぐらいだ。
あれほどの重傷を負いながらたったの一ヶ月で普通に食べたり会話したりするようになった。
そのようなことは、普通なら絶対にありえないのだが……。

地球からちょくちょくお見舞いにやってくる高町ファミリーは、「ミッドチルダの医療魔法って凄いんだなぁ」、と魔法のせいにして勝手に納得していた。
一方、なのはを診察していた医師たちは、「チキュウ人の回復力って凄いんだなぁ」、と未知の秘境たる管理外世界の生物進化の凄まじさに思いを馳せながら勝手に納得していた。

なのはが霊安室で息を吹き返したこと自体についても、周囲はとくに不審には思わなかった。
チキュウでもミッドチルダでも、こういったケースは稀ではあるが時折起こるものだったからだ。
ミッドチルダにも「通夜(Wake)」があり、夜通し親族が棺と一緒の部屋で過ごすのだが、これは死者が息を吹き返した場合に備える意味をもっているという説もあるくらいである。

フェイトからみて、なのはの記憶もほぼ完全であった。フェイトはプレシアに感謝した。
その性格も事故前と変わらずに見えた。
だから、誰もなのはがフェイトの使い魔になったとは気づいていないようだった。
フェイトが見る限り、本人すら気づいた素振りがない。
高町なのはの驚異的な回復について正しい心当たりをもつのは、さしあたってはフェイトのみのようだった。

全てがうまくいっていた。
なのはは順調に回復し、周囲はそれを見て喜ぶ。フェイトも嬉しかった。
失ったと思ったものが、かえってきたのだ。




Feb 2
なのはは元気そうだ。
桃子さんが持ってきたノートPCでゲームをしたりアニメを見て暇を潰している。

Feb 4
なのはは最近アニメばかり見ているようだ。
なのはってこんなにアニメ好きだったかな?

Feb 7
なのはの病室に白い小動物のぬいぐるみが鎮座していた。
アニメの人気キャラらしい。なのはにぴったりの白いぬいぐるみだ。可愛い。

Feb 8
病室のぬいぐるみにちゃっかりフェレット姿のユーノがまざっていた。
そんなことだからクロノにからかわれるんだよ、ユーノ……。

Feb 9
最近なのはが事あるごとに「わけがわからないよ」と言うようになった。
頭を打った後遺症かもしれない。

Feb 10
どうやらデバイスの改造に興味を持ち始めたらしい。
レイジングハートがおかしな改造をされていた。ラーメンタイマー機能は必要なの?

Feb 13
なのはがバルディッシュに高枝切り鋏機能をつけたらどうかと言いだす。
わけがわからないよ。

Feb 15
私にそろそろバリアジャケットのデザインを変えたらどうかと言いだす。
なのはの考えることはよくわからない。

Feb 17
なのはは私のバリアジャケットに不満があるらしい。
なぜ急にそんなことを言い出すのだろう。

Feb 18
なのははバール型デバイスに興味があるらしい。
レイジングハートの将来が心配だ。

Feb 19
なのはが完全に歩けるようになった。
医者が人間離れしたありえない回復力と言っていた。

Feb 21
なのはがまた私のバリアジャケットのデザインに文句をつけはじめた。
しつこい。なのははこんなにしつこ……かったっけ、そういえば。

Feb 22
深夜病院の屋上で多重魔法弾の練習をしているなのはを発見した。
ひとりで「圧倒的じゃないか。わが軍は……」と呟いて悦に浸っていた。

Feb 23
なのはは私のバリアジャケットの防御力の薄さが気になるらしい。
「紙装甲」とはっきり言われてしまった。6月の執務官試験がおわったら変更を考えよう。

Feb 25
なのはが「お父さんってロリコンなのかな?」と悩んでいた。
桃子さんと恭也さんの年齢を考えるとロリコン疑惑がでてきたらしい。

Feb 26
士郎さんはロリコンではなかったらしい。よかったねなのは。



フェイトは病室の扉をノックした。中から快活な声が返答する。
扉を開けて病室に入ると、柑橘類の甘酸っぱい香りが鼻をついた。
小テーブルの上に、ヘタの部分が凸状に隆起したオレンジのようなフルーツが山積みにされていた。
病室は日当たりの良い個室だった。
開け放たれた窓からは暖かい日射しと、早春の清冽な風が入ってきた。
なのははパジャマ姿でベッドの上に起き上がって座っていた。
血色が良く、とても怪我人とは思えないほどだった。

「お久しぶり、フェイトちゃん。あっ、これね、デコポンっていうんだって。お母さんからの差し入れ」

「デコポン? 面白い名前だね」

「九州の親戚のひとが送ってくれたんだって。甘くておいしいの。フェイトちゃんも食べていいよ」

「うん。じゃあ、ひとつもらおうかな」

フェイトはポンカンを剥いて、薄皮のついた房をひとつ口に入れた。
爽やかな甘みが舌の上に広がる。
なのはを使い魔にした後は、体調を崩していたフェイトだったが、今は持ち直しつつあった。
周囲は、受験前の無理のしすぎやなのはの事故の心労が重なったのだろうと解釈したが、
実態は、なのはという一個の人間を使い魔にしたことによる精神的重圧と魔力負担のせいだった。
しかし今は、使い魔であるなのはの存在維持に割いている魔力リソースの負担にもだいぶ慣れた。
あまりにもうまく行き過ぎていて、怖いくらいだった。

フェイトはポンカンを一房なのはの口に放り込んだ。
なのはが美味しそうに与えられた一房を咀嚼する。
蜜柑があるとフェイトはよくその皮を剥いて、なのはに食べさせてやっていた。
動物に餌付けしているみたいで何となく可愛かったので海鳴に来た年の冬中ずっと続けていた。
そうしたら、いつの間にか習慣になってしまったのだ。
図らずも今では、「主人がペットに餌を与えている」と言っても間違いではないのだが……。

「調子よさそうだね、なのは」

「にゃはは、おかげさまでね」

彼女がこうしてここにいるのは文字通りフェイトの「おかげさま」だ。
なのはの言葉に他意はないのだろうが、フェイトはほんの少しドキリとした。

「フェイトちゃんこそ大丈夫なの? 執務官試験の後、倒れたって聞いたけど」

なのはが気遣うようにフェイトを見ながら、言った。
重傷だったのは自分の方なのにこうして他人の心配をするあたりが如何にもなのはらしく感じられてフェイトは嬉しくなった。

「うん、もう元気だよ。心配してくれてありがとう、なのは」

ついでになのはの口にポンカンをまた一房放り込んだところで、室内にノックが響き、また新たに人が入ってきた。

まず、「あー、また二人でベタベタしてる〜!」と騒々しいアリサ・バニングス。
そしてすぐ後から、「アリサちゃん、病院なんだから静かに」と冷静な月村すずか。
最後に、女の子だらけの室内にやや遠慮がちに、「やあ」とユーノ・スクライアが顔をのぞかせる。

それから、他愛のない談笑がはじまった。互いの近況や最近の出来事がほとんどだった。
なのはの経過が順調であることを喜んだあとは、フェイトの執務官試験、そしてアリサの犬が宿題プリントを食べてしまった珍事、それから学校の体育の授業でのすずかの活躍に話が移っていった。

「それでね。すずかったら、1人で相手チームを全員倒しちゃったのよ」
「相変わらずすずかはドッジボールがうまいね」
「いえいえ。そういうフェイトちゃんだって」

地球の学校での出来事に少しユーノも関心があるようだった。
ドッジボールとは何かと尋ね、それが学校で一番人気のある遊びだと分かると、すこし羨ましそうに言った。

「ぼくもやってみたいな、そのドッジボールというのを」
「ユーノもやればいいじゃない。ルールは簡単だからすぐできるわよ」
「そうですね、アリサちゃん。今度みんなでやりましょう」

フェイトも満面の笑みで頷いた。
が、

「うんうん、そうだね。私も久しぶりにやりたいな、ドッジボール」

なのはの言葉に表情が固まった。

(えっ……)

フェイトは「ドッジボールがやりたいと言ったなのは」を、奇妙な怪物でも見るかのようにマジマジと見つめた。
確かに、顔も、声も、口調も、身振りも、全部なのは本人のものだ。
しかし。
彼女の知っているなのはは、ドッジボールの時間が好きではなかった。

明るい陽射しの中で友人たちが談笑している光景。
それが、一瞬で、澱んだ色に変わったようにフェイトの目にうつった。

「へー、珍しいじゃん。なのはがそういうこと言うなんて。明日は雨が降るかもね」
「珍しいって? ああ、なのはは運動が得意ではないんだったね。魔法はあんなに凄いのに」
「そうよ、なのはったら、昔っから体育が苦手で。水泳をさせれば溺れるし! 鉄棒をさせれば落ちるし! 50m走も9秒を切ったことがないのよ!!」
「にゃはは……」
「ドッジボールだっていっつもフェイトが……フェイト?」

アリサにつられて、なのは、すずか、ユーノがフェイトに視線を移す。
フェイトの顔が青白くなっていた。
調子が悪いのではないかと皆が心配すると、フェイトは朝食を抜いたから貧血気味なのだろうとごまかした。
そして、さりげない風を装って用事があるからとその場を辞した。

病室から病院の出口へと向かう廊下の途中、前方から高町桃子が来るのが見えた。
フェイトは軽く会釈して通り過ぎた。
桃子はいつにもましてにこやかな顔をしていた。娘が快癒しつつあるのが嬉しいのだろう。

フェイトは思った。もしも桃子が、娘の中身が別の何者かにとって代わられていると知ったらどう思うだろう。
――大丈夫。なのはは前と変わってない。
フェイトはそう思いこもうとした。
病院から出ても、しばらくフェイトはなのはのいるあたりの病室を外から眺めていた。




Mar 1
なのはがドッジボールをしたいと言いだした。
なのはらしくないと思った。

Mar 2
学校にいっしょに登校した。
なのはの歩き方が前とちがっている気がする。

Mar 3
社会の時間、先生が原爆という兵器が落とされた都市はどこかと聞くと、なのはが手を挙げて正解を答えた。
おかしい。なのはは社会は苦手で、入院中は勉強もそんなにできなかったはずなのに。

Mar 5
なのはが砲撃の高速化に取り組むらしい。
おかしい。なのはなら高速化より威力増強を考えるはずだ。

Mar 8
密度を絞ったSLBとか連射できるSLBとか。
恐ろしすぎる。仮想標的に私を使おうとしないで欲しい。

Mar 10
なのはの部屋に盗聴器をしかけてきた。
これで家の中でのなのはの様子がわかる。

Mar 11
盗聴できなくなった。盗聴器が壊れたかどうかしたみたいだ。安物だったからだろう。
なのはが何か言いたそうな目でこちらを時々見ているような気がするけど、きっと気のせいだ。

Mar 13
なのはがペプシコーラを飲んでいた。
前はコカコーラだったはず。

Mar 15
なのはのメールの文面が前とちがうような気がする。
それに顔文字や絵文字が減ってきている。やっぱり本物のなのはとは違うのかな。

Mar 18
なのはの歯磨き粉が以前とはちがっていた。
前はメロン味をつかっていたのに、大人が使うような歯磨き粉をつかっている。

Mar 20
病院から帰ってきて以来なのはの部屋の本が増えた。
前はこんなに本や漫画やDVDを見たりすることはなかったのに。
はやては本について語れる相手が増えたって喜んでいる。

Mar 23
なのはが最近体力づくりのために自分から走りこみや筋トレをするようになった。
なのはらしくない行動が目立つ。

Mar 25
なのはが新しく考案した戦術シミュレーションを見せてもらった。
五重に罠を張り仕掛けてきた相手を動けなくしておいて砲撃で蜂の巣にするというえげつない戦法だった。
こんな怖いことを考えるなんてなのはらしくない

と思ったが、よく考えてみると、やっぱりなのはらしい気もした。

Mar 29
なのはの腹筋が割れてきたらしい。なのはは誇らしげだ。
こんなの私のなのはじゃない。

Apr 2
なのはが最近あのオレンジ色の服を着なくなった。
ジーンズをよく着るようになった。洋服のセンスも変わってしまったみたいだ。

Apr 6
最近クロノやリンディ母さんが私に休暇をとるように言う。
私は別に疲れてなんかいないんだけど。

Apr 7
久しぶりにすずかの家で5人で遊んだ。
なのはが紅茶に入れたミルクの量がこころなしか前より少ない。

Apr 8
なのはの髪型が変わった。ツインテールからポニーになった。
まるでなのはじゃないみたいだ。

Apr 9
なのはの口調がときどき以前と少し違うときがある。

Apr 10
なのはの雰囲気が変わった。アリサやすずかは分からないみたいだけど。
どうしてみんな気づかないんだろう。

Apr 11
なのはがどんどん変わっていく。
私の知っているなのはからどんどん離れていく。
最初は息をして動いているなのはを見るだけですごく嬉しくなったのに、最近見ているだけで辛くなる。
なんでだろう。




フェイトは二度目の執務官試験受験にむけてリビングで勉強をしていた。
フェイトにとっては実技試験よりも、筆記試験のほうが難関だった。
法律科目を中心として、覚えることがたくさんあった。

フェイトが手にしている参考書には、条文とその解釈や判例についの解説がみっちりと書かれている。
法律も単純ではない。まずひとつの原則がある。しかしその原則には必ずといっていいほど例外がついてまわる。
この原則とそれに付随するいくつかの例外を覚えるだけでも大変なのに、例外にもさらにまた例外がついてくることがある。
条文に含まれる語句ひとつとっても、いろいろと解釈があって、それらの学説にも目を通す必要がある。

フェイトは思わずため息をついた。
目は字を追っていても、肝心の内容がなかなか頭に入っていかない。
考えるのは、なのはのことばかりだ。
なのはが前のなのはと違うところを発見すると、もうなんでもかんでも違って見えた。
小さな違いを発見し、数え上げるたびにフェイトはがっかりした。
そしてそういう風にがっかりする自分自身が嫌いになった。

テーブルの向かい側では、義兄のクロノがなにかのレポートを読んでいた。脇にも書類の束が見える。
また仕事を家に持ち帰ってやっているのだろうか。
昨日も徹夜で調べ物をしていたせいか、クロノの目元にはクマができている。
コーヒーと睡眠打破用のドリンクをかたわらに仏頂面で作業をしている義兄。
その様子をぼんやりと見つめながら、フェイトは何とはなしに口を開いた。

「ねえ、クロノ」
「なんだ……?」

睡眠不足で朦朧としているのか、クロノの声には張りがなかった。

「人間を使い魔にすることは法律で禁止されているけど、実際にそういう事をやった人はいるの?」

クロノは読んでいたレポートから目を離さないまま言った。

「まあ……規制対象になるぐらいだから、そういう試みをする奴はいたんだろうな……」
「でも判例集を検索してもこの条項に違反したケースは見つからなかった」
「判例集でカバーしていない時代――旧暦時代にまで遡ればあるんじゃないか?」

会話が途絶えた。
クロノはレポートを読み終えると、呆れたように頭を振って、手元の書類になにかを書き込みはじめる。

「どうして動物は使い魔にできるのに人間は使い魔にできないんだろう?」

フェイトは小さく呟いた。自分の声がひどく遠く聞こえた。
それはクロノに尋ねているというより、ひとりごとに近かった。
だから答えは期待していなかった。
だが、クロノは作業をしながらだったが律儀に反応を返した。

「急にどうしたんだ?」

別に、とフェイトは答えた。
まさか、人間を使い魔にしてしまいました、
などとは口が裂けても言えない。
だから、別に、としか答えられなかった。

「まさか、やるつもりじゃないだろうな。フェイト?」

フェイトの心臓が跳ね上がった。
見抜かれた……?
そう思って、すぐさま内心で否定した。クロノはきっと冗談で言っているのだ。
だがそれにしては低い声だった気がする。いや、きっと気のせいだ。
フェイトは、巣穴から周囲をさぐる小動物のように、義兄の表情を慎重にうかがった。
疲労の色濃い仏頂面からはなにを考えているのかよく読めなかった。

「人間を使い魔にできないのは……それが違法だからだ」

フェイトの返答を聞かないまま、半分眠っているような声でクロノが続けた。
違法だから、やってはいけない。
法の番人らしい答えだった。しかし、フェイトが聞きたいのはその先だ。
そしてクロノならその先を聞かせてくれる気がした。

「それはどうして?」

「人が、人を隷属させ、操ることになるんだ。これを認めれば、人間という存在の……尊厳が崩れてしまう。
それに人工魂魄を入れるのだから、外見は同じでも中身は別人だ。生理的に良い気持ちはしないだろう」

まったくの正論だった。フェイトの心が暗くなる。
それでも、フェイトは縋るように言う。

「でも、もし、記憶や性格が生前と一緒のままだったら?」

「それでも……」

クロノがなにかを言いかけて、次の瞬間、ハッとしたように身をこわばらせた。
向かっていたレポートや書類の山からはじめて顔をあげ、フェイトを見た。
もう眠たげな様子は吹き飛んでいた。
口元が厳しく引き結ばれ、苦虫を噛み潰したような顔になっていた。自分の失敗を悔やんでいるときの顔だった。

「フェイト……」

しばらくの沈黙の後、言った。

「君はまだ気にしているのか。自分の生まれのことを……?」

それでフェイトも気づいた。
フェイトはなのはのことを念頭に置いて聞いていたが、
クロノが言った言葉は、そのままフェイト自身にも当てはまる。
だからクロノは苦虫を噛み潰した顔をしたのだ。失言だったと。
彼は気遣うような調子で、フェイトに言った。

「君は君なんだ。誰かの代わりものなんかじゃない」

だが、それは。
今のフェイトにとっては苦い言葉だった。

「うん……わかってるよ」

それでも、フェイトはなんとか言葉を搾り出した。
気遣ってくれたクロノに、本当は気の優しい義兄に、これ以上気まずい思いをさせたくなかった。
フェイトは無理に笑顔をつくり、法律書を閉じると、リビングを出て自分の部屋に向かった。
ベッドに背をもたれかけさせて、クロノの言葉の意味を考えた。

アリシアとフェイトとプレシア。
怪我をした狼とアルフとフェイト。
死んだなのはと生き返ったなのはとフェイト。

人間模様が頭のなかでぐるぐると渦をまきながら絡み合い、考えれば考えるほどわけがわからなくなりそうだった。

――私はなんで生きているんだろう……。

突然、フェイトはこの世から自分を消し去りたい衝動に襲われた。

私はどうして生きているんだろう。
プレシア母さんが虚数空間に落ちたときに、一緒に落ちればよかった。
なのはが死んだとき、あの日、私も死ねばよかった。
そうしたらさみしい思いもしなくてすんだ。
こんな取り返しのつかないことをしてしまった私は、やっぱり母さんの娘だった。

駄目な子でごめんなさい……。

馬鹿なことをしてごめんなさい……。

生まれてきてごめんなさい……。




Apr 12
体がだるい。熱をはかったら39℃を超えていた。

Apr 15
みんなお見舞いにきたらしいが、顔をあわせられない。

Apr 16
メールに返信するのも億劫だ。
やっぱりなのはの文は前とちがう気がする。

Apr 20
けっきょく一週間もやすんでしまった。
熱はさがった。でも食欲がない。

Apr 22
リンディ母さんがひどく心配するので、少し食べた。
でも味をかんじない。

Apr 25
エイミィがゲームをもってきて遊んでくれる。
けど、なにをやっても楽しくない。

Apr 29
宿題を家にわすれた。先生はめずらしくおこらなかた。
だいじょうぶなのかってすごく心配された。

May 4
エイミィはカンが鋭いから気をつけないと。

May 12
調子がでない。集中力がすぐきれる。
仕事でも現場よりデスクワークにまわされることが多い。

May 18
アリサが私がおかしいと言う。
そういえば最近なのはと話していない。おかしいな。

May 23
体重が半年前より10キロ減っていた。

May 27
夜あまりねむれない。

Jun 1
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

Jun 5
どうしてみんな私に構いたがるんだろう。
こんな私なんかに。

Jun 8
クロノが今度の執務官試験はパスしたらどうかと言ってきた。
この頃なんだか妙にやさしい。

Jun 12
はやての家で睡眠薬があるのを見つけた。

Jun 17
もうすぐ試験なのに条文全然覚えてない。
実技も駄目かもしれない。おなかが痛い。頭も痛い。




フェイトは、沈んだ顔で管理局施設の廊下をとぼとぼと歩いていた。
二度目の執務官試験の結果の通知を先ほど受け取ったところだった。
結果は、不合格だった。

フェイトはそれを意外だとは思わなかった。むしろ当然そうなるだろうと思っていた。
ずっと調子が悪かった。
不眠症気味のうえ、食欲がない。食べても味を感じない。なにをやるにも集中力が続かない。
以前は楽しかったシグナムとの模擬戦にも心が躍らない。なにもかもがうまくいかない。

この半年、勉強はしてきた。
だが、以前――なのはの事故の前――と比べるとそれほどの熱意をもてなかった。
勉強はするが、もはや機械的な作業と化していた。
勉強中にでてくる「正義」や「自由」、「尊厳」といった文言を見るたびに、自分が糾弾されているように感じられた。
自分などに執務官になる資格があるのかどうか疑わしかった。
こんな心構えで受かるはずがなかった。

フェイトは歩きながら、廊下ですれ違う青や黒の制服を着ている人たちを眺めた。
みな立派に見えた。
自分が場違いなところにいる気がした。
そのまま歩いていくと、書店コーナーに出た。新刊案内のPOPがところせましと棚の間を踊っている。
フェイトは気分転換をしようと、そちらに足を向けた。
ファッション誌やビジネス誌コーナーを素通りして、デバイス雑誌コーナーでいくつか雑誌を手にとってパラパラとめくる。
社会科学書や人文科学書を通り過ぎて、魔導科学書を眺める。フェイトの関心は魔法関連に偏っていた。
幼い頃から読む本といえば魔導書ばかりだった。プレシアの役に立ちたい一心で読んでいた。
ハラオウン家の養子となってからも、読む本の傾向はあまり変わらなかった。
どんどん奥に、書店の奥に足を進める。

「あれ……?」

フェイトは、思いがけない人物がいるのに気づいて眉をひそめた。
その人物は立ち読みをしていた。
読んでいる本の表紙には「資格Allガイド」とある。色んな資格の内容について書かれた本のようだ。
不審に思ったフェイトはそっと音を立てずにその人物の後ろに回りこんだ。
肩越しに読んでいる頁の内容を盗み見た。
一瞬、呼吸がとまった。

そこには「執務官」・「執務官補佐」の資格について書かれていた。
フェイトは頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。

突然、その人物――「高町なのは」が振り返る。

「わぁ、なんだ。フェイトちゃんか。びっくりした」

目の前のなのはにそっくりな何かは、なのはそっくりの顔で、なのはそっくりの口調で、なのはそっくりのことをしゃべった。
フェイトの胸からドス黒いものが湧き上がった。
だがそれをおくびにも出さず、何気ない風を装って尋ねる。

「……ずいぶん熱心に見てたけど、執務官に興味があるの?」

照れたように頬を掻き、視線をさまよわせるなのは。

「にゃはは……その、興味ってほどじゃないんだけど……」

「教導隊に入るんじゃないの? 前そう言ってたじゃない」

フェイトが聞くと、なのはは他にもどんな仕事があるのか色々と検討してみたい
というような趣旨のことをモゴモゴと言った。

フェイトは思った。本物のなのはなら、こんなに簡単に自分の決めた道を変えるはずがない。
なのははあれで結構な頑固者なのだ。
好きなだけ航空戦技を追求することができる教導隊は、誰がどう見てもなのはにぴったりだ。
なのは自身も、入局直後から教導隊を志望していたではないか。
空隊など空にかかわるような道に変更するのならまだ分かる。
デバイスを扱う技術系の道でもまあ納得するかもしれない。
それが、執務官?
どうみても、なのはが選びそうもない職種だ。適性にも疑問がある。
執務官は法務職だ。膨大な量の法的知識を暗記しなければいけないし、事務仕事や折衝・交渉など面倒な仕事も多い。
まったくといっていいほど興味はなかったはずだ、以前のなのはなら。

「――――官補佐なら――――ちゃんの役に――――かなって――――。
――――するより――ないから――ちゃんの魔力リソースの負担も減――――。
ね、駄目かな? あれ……聞いてる? ねぇ、フェイトちゃん。ねぇってば……」

考え事に耽って、フェイトは相手の言う事をまったく聞いていなかった。
気づくと、なのはの姿をした何かが、不安げな瞳でフェイトを見ていた。
怖気の経つような不快感がフェイトの胃からせりあがってきた。
なのはと変わらない姿、なのはと変わらない声。しかし中身は別の正体不明の何かだ。

『だから実際には、命を助けるわけでも、よみがえらせるわけでもない。わかりますね?』
『失った命を取り戻すなんて魔法は、世界中のどこを探してもないんです』

リニスの声が脳裡に響く。
分かっていた。これが、自分の好きだったなのはそのものではないことは。
最初から分かっていた。
……いや、やはり自分は本当の意味では分かっていなかったのだ。
目の前のモノは、なのはに依存しきっていた自分の弱さが引き起こした罪そのものだった。
それをみていると、フェイトはとてつもなく気分が悪くなった。胃の中のものをぶちまけそうなくらいに。

「ううん、何でもない。そっか、なのはは、執務官にも興味があるんだね……」

目の前の何かが、微妙な表情をした。
何か言いたげだが、フェイトにそれを突っ込む気力はなかった。
フェイトは笑おうとしたが、口元はボンドで固められたかのように堅くなっていた。
それをありったけの意志の力で強引に緩めた。
多分いつものように微笑むことができたはずだ、とフェイトは思った。

「じゃあ、私、そろそろ帰るから……」

そう言いながら、フェイトはきびすを返した。

「フェイトちゃん、待って」

フェイトが声につられて一瞬立ち止まった。
その短い間に、なのはがフェイトの手を掴んでいた。
ゆっくりとフェイトは振り返った。
そこには強い光を湛えた眼差しがあった。

《最初で最後の本気の勝負――》
いつかを思い出させる眼差しだった。

「ね。フェイトちゃん、久しぶりにちょっとお話しよう?」

なのはの手は温かかった。昔と同じように。
フェイトは思わず抱きつきたい衝動に駆られた。
このなのはを、本物のなのはだと思い込んでしまえればどんなに楽だろう。

「レイジングハートをメンテナンスに出しているから、その間、暇なの。
カフェでなにか飲もうよ。それに、私、フェイトちゃんとお話したいことあるんだ」

なのはが微笑んでいた。
以前と変わらない見るものの心を温かくさせてくれるような笑みだった。

(でも……君は、やっぱりなのはじゃないんだ……)
フェイトは心の中で呟いた。
ここで、このなのはに縋りついてしまうことは、本物のなのはを裏切ってしまうような気がした。
いや、もう既に、なのはを使い魔にすると決めたあの日に裏切ってしまったのかもしれない。
だがそれでも、
いやだからこそ、

「……もう私に構わないで」

できるだけ冷たく聞こえるようにして言うと、フェイトは鬱陶しいと言わんばかりに掴まれた手を振り払った。
なのはの顔が、驚きでこわばり、それから悲しみで歪んだ。
フェイトは素早く背を向け、その場から離れようとした。
前から来た誰かと肩がぶつかったが、とっさに謝罪の言葉をかける余裕すらなかった。
ごめんなさい、と口の中で呟きながら逃げるように立ち去る。
後ろから彼女の名前を呼ぶ声が聞こえたが、もうフェイトは振り返らなかった。




フェイトはただ歩いた。前だけを見ていた。だが、よく前が見えなかった。視界がにじんでいた。
前方にぼんやりと見えるのは、区画の出口のゲートの金属枠か。
その出口ゲートまであと十歩かそこらというとき、
突然、フェイトの首筋にぞわりと静電気のようなものが走った。

《 Sir! .... s ....n ... ing 》

バルディッシュの電子音声がノイズまじりの警告を発する。
施設内を照らしていた照明が一斉にダウンする。
どよめきがわきおこる。
すぐさま非常用灯がつき、喧騒がトーンダウンする。
だが、暗闇の中にぼうっと浮かび上がる小さなあかりは蝋燭のように心もとない。

「なんだ!」
「おかしいな。通信魔法がはたらかない」
「通信だけじゃねえ。魔力結合そのものができなくなってる」
「これは……たぶんアンチ・マギリンク・フィールドだ。それも広範囲の」

高濃度のAMFが広範囲にわたってかけられている、らしい。
すわテロかと、あたりは騒然とした雰囲気に包まれる。
どこからか地響きのような低い音が響き、局員たちの顔にさっと不安がよぎった。

「ジャーマーフィールド? しかしまさかこんなところで……!」

うわずった声で誰かが叫んだとき、雷鳴のような轟音があがった。
それとともに、フェイトが来た方向から廊下と天井が波打つようにして崩れだす。
逃げろ、と誰かが怒鳴る。
大多数の局員が一斉に出口の方向へ、つまりフェイトのいる方向へ駆け出す。
建物が崩れかけ、高濃度のAMFがかかっている状態では、ここにいてもどうにもならない。
AMFの効果範囲外へ離脱しようとするのは当然の判断だ。
フェイトもまたその流れにのろうと動き出した。
彼女が身を翻す刹那の、ほんの一瞬の間、後ろに置き去りにしてきたなのはのことが思いだされた。
そういえばなのははレイジングハートをメンテナンスに出したと言っていた……。

まがい物のなのは。フェイトが愛そうとして愛せなかったなのは。
管理局の施設で高濃度AMFが発生し建物が崩壊しかかっている、この異常事態。
たぶんテロだろう。このまま、アレが巻き込まれて亡くなってしまったらどうだろう。
都合が良いのではないか?
もともとなのはは死んでいるのだ。あの偽者が消えたところで、振り出しに――もとあるべき姿に戻るだけだ。
フェイトも苦しまなくて済む。この半年間のことは、忘れてしまえばいい。
そうすれば楽になる。

ひどく甘美な考えだった。ここでフェイトが逃げても誰も不審に思わない。
AMFで魔法も碌に発動できないのに、わざわざ戻る馬鹿はいないのだから。
逃げたかった。知らん振りを決め込んで出口へ行きたかった。
罪に向き合えず、いつも迷いがちな弱い心が、逃げの一手を選択しようとした。
しかし今にも逃げだそうと動きだしかける体を、精神の一滴が押しとどめた。
小さいが、深く打ち込まれてなかなか抜けない楔のようなものが、
フェイトの精神の底に引っ掛かっていた。

《ただ捨てればいいって訳じゃないよね。逃げればいいって訳じゃ、もっとない》

はっと我にかえったときには、もうフェイトの体は人の波にさからって動きだしていた。
高濃度のAMFにさらされながら、必死で魔力を操作してバルディッシュを掲げ、
《Drive Ignition》
戦斧を出現させる。
バリアジャケットと自身を包み込むような薄い膜状のフィールドを起動させる。
AAAランクのフェイトの実力をもってしても、AMF下での魔力運用は至難の技だった。
しかも、もと来た道を走れば走るほどAMF濃度が高くなっていた。
せっかく起動させたフィールドが削り取られるようにどんどん薄くなる。
《The performance is being cut down by 42 percent.》

走りながらフェイトは「魔が差した」というチキュウ語の慣用句を連想した。
悪魔が心に入りこんだように一瞬の判断や行動を誤る、という意味のことばだ。
これはそのケースにあてはまるだろうか?

進行方向から、断続した爆発音と甲高い金属音、そして悲鳴の入りまじった人の叫び声が聞こえてきた。
助けを求めている人がいる。
それがわかった瞬間、フェイトの迷いの糸が切れた。
フェイトは走った。もと来た道を、崩れかけた道を、ひたすら走った。

非常灯に照らされた薄暗い視界の中、床に倒れている人々が見えた。
さらに、遠く、宙に浮かぶ妙なものが目に入った。
人間大の大きさの節足動物を連想させるおかしな機械だった。
それが縦横無尽に飛び回り、局内の壁や天井や床を破壊していた。
人間はほぼ全員倒れ伏していた。ただ一人をのぞいて。

(……!)

通路の奥の踊り場。フェイトの視界ぎりぎり。
「高町なのは」が白ジャケットをなかば赤く染めた姿で、崩れかけた壁にもたれかかっていた。
これだけの高濃度のAMF下だ。デバイスのない状態ではやはりきつかったらしい。
だが、すぐにフェイトは気づく。空間中の魔力の流れの違和感に。

(これは……この魔力素の流れは……)

SLB(スターライトブレイカー)――それも威力を絞った改良版を撃つつもりだ。
その身で実際に受けたことのあるフェイトだからこそ気づけた。

フェイトの予感は正しかった。
見る間に、魔力の流れがなのはに向かっていく。SLBの発射シークエンスがはじまる。
場に漂っている魔力素が美しい軌跡を描いてなのはの手元へ集束していく。
おかしな機械兵器がそれに気づく。十機はあるだろうか、機械兵器が一斉になのは目がけて殺到する。

「バルディッシュ!」

《Yes, sir. Blitz Rush》

SLBの発射シークエンスはまだ途中だ。
なのはの迎撃は間に合わない。
こちらから射撃魔法を撃って援護するのも駄目だ。
AMF下でどれだけの威力・発射速度になるか不明瞭だ。
しかも、跳弾や崩れた瓦礫がなのはのほうに行く可能性が高い。

無我夢中だった。
危機にあるなのはの姿を目にした瞬間、
本物だとか偽者だとかそういったこだわりはすっかり消えていた。
守らなければ!

《Sonic form.》
もともと薄かった装甲をさらに薄くする。
より高い高速機動ができる反面、
攻撃に当たれば致命傷になりかねない。
だが今は速度が勝負だった。

《Load Cartridge.》
カートリッジの薬莢がニつ排出される。
一気に加速。
まだ速度が足りない。
さらにカートリッジを連続で消費。
高熱を帯びた空の薬莢が四つ弾き出される。
さらに加速。

それでも足りない。
なのはと機械兵器との間に滑り込むには、まだ速度が足りない。
《Jacket Purge.》
バリアジャケットをバージ。
装甲がほぼゼロになる。
フェイトの体に重いGがかかる。
皮膚がひきつる。
血管が収縮し、骨がギシリと音をたてる。
加速。
加速。
加速。

(間に、合え――)

機械兵器が鎌のような足をなのはに振りかぶる。
なのはのSLBのシークエンスはまだ完了してない。
フェイトが到達するまで、あと3m。
だが、加速に加速を重ねたフェイトが滑り込むには、充分。

間に合う。

そう彼女が確信した瞬間、

――がちり、と手足に枷が嵌まる音がした。

「なっ」

レストリクトロックだった。
高町なのはがもっとも得意とする拘束魔法。

「なっ。なっ。なっ」

愕然とするフェイトの目の前で、十数対の機械兵器の鎌がなのはの体を真正面から刺し貫いた。
鮮血が噴き上がって、フェイトの頬を濡らす。
同時にSLBの発射シークエンスが完了する。
肉を切らせて骨を断つゼロ距離砲撃。
なのはの指が振り払われる。圧縮された魔力が一気に解放される。
高水圧のホースから噴出する水のように、ぎゅっと締まった魔力の奔流が機械兵器を襲う。
集束砲は建物を壊すことなく、正確に機械兵器だけを打ち砕いた。神業ともいえる砲撃技術だった。
次の瞬間には、機械兵器はあとかたもなく一掃されていた。
残ったのは血の花の咲いた壁にもたれかかるように座り込んでいるなのはだけだ。

レストリクトクロックが解除される。
フェイトは放心したように、膝から崩れ落ちた。
なにが起こったのか理解できなかった。
助けようとしたのに――

「なんで、なんで、なんで……なんで……!」

気が狂ったように同じことを呟きながら、這うようにしてなのはのもとへ向かった。
フェイトの手足は震えて思うとおりに動かなかった。自分の体ではないようだった。
なのはは滅多刺しにされてどこもかしこも血だらけだった。赤いペンキを上からぶっ掛けたような惨状。
死んでるかも……。
フェイトは卒倒しそうになる己を叱咤する。
慄きながら声をかけようとすると、なのはが目をひらいて億劫そうにフェイトのほうを見た。
それから掠れた声をあげた。

「フェ……トちゃ……泣い……てるの……?」

泣いている? 私が?
フェイトは自分が涙をこぼしていたことにやっと気づいた。
だが、今はそんなことより聞きたいことがあった。
なんであんなことをしたのか。フェイトは責めるように聞いた。

「なんでって……それ、こっちの台詞だよ……」

なのはの顔が呆れたような苦笑に変わった。

「だって……あんな……馬鹿みたいな、高速機動で突っ込んできて、
バリアジャケットも、つけないで……自殺でも、する気だったの……?
それに……私は、フ、ェイトちゃんの、つk……っか……はっ」

そこまでだった。
なのはの口からごぼりと血が溢れ出す。

「しゃべっちゃ駄目だ……今、医療班を――」

フェイトが立ち上がりかけると、なのはがフェイトの服の裾を掴んで引っ張った。
なのははまどろむような目つきで何かいいたそうに口を動かしていた。
フェイトが屈みこむと、念話でなのはが話しかけてきた。

(フェイトちゃん……お願いがあるの……)



……

…………

………………

MIDCHILDA TODAY 新暦68年7月2日付記事
┌──────────────────────────────────┐
│  【管理局でテロ、局員1人死亡】                            ...│
│  1日午後5時50分頃、時空管理局本局M区画で機械兵器十五体によるテロ   .│
│  攻撃があり、少なくとも局員1人が死亡した。今回攻撃に使われた兵器は先   │
│  年に管理局員を襲ったものと同型であるとされる。現場の目撃証言などから  .│
│  当局は今回の攻撃を「テロ」と断定し、犯人の特定を急いでいる。         .│
└──────────────────────────────────┘



新暦130年3月13日――。
この日、大きな事件が二つ起こった。
奇しくもどちらの出来事にもテスタロッサの姓をもつ者が関係していた。

まず一つ目。
往年の大魔導師であるプレシア・テスタロッサが遺した論文の一部が見つかったという発表がなされた。
これは昼のニュース番組でトップニュースのひとつとして扱われた。
注目を集めたのは、PT事件の主犯でもあるプレシア・テスタロッサの遺稿ということもあるが、内容が問題だった。
見つかった論文は、人間を使い魔にするための魔法契約術式について書かれたものだった。
そのテーマだけでもじゅうぶんにセンセーショナルなものであったが、見つかった論文の終章に書かれていたことが、世の魔導学者たちに衝撃を与えた。
彼女が開発した術式の場合、契約の際に人口魂魄ではなく、使い魔にする素体の生前有していた本来の魂魄を用いることができるというのだ。
人間を使い魔にするという行為の是非をとりあえず脇におくと、これは事実上、死者を完全な形で蘇らせることが可能となる画期的な術式といえる。
ところが、論文は、導入部『序論』と最後の『まとめ』や参考文献の頁のみしか見つからず、肝心の術式が書かれている『本論』の頁が欠落していた。
そのため、世間ではさまざまな論が飛び交った。
管理局が、術式を世に出すことによる混乱をおそれて『本論』の部分だけ抜き取ったのではないか。
こんなに凄い魔法術式を開発していたのなら、プレシア・テスタロッサはPT事件を起こす必要はなかったのではないか。
本当は『本論』――人間を使い魔にする術式の書かれた頁など最初からなく、誰かの捏造なのではないか……。




二つ目は、ミッドチルダの南部郊外にあるアルトセイム空港で起こった炎上爆破テロ事件だった。

「かまわん! 邪魔な車両はすべて移動させろ!」
「航空隊はまだか!」
「こっちに投光器をよこせ!」

「おい! 崩れるぞ!」

救助隊員たちの目の前でまたひとつ空港の地上施設の一部が崩れ落ちて瓦礫の山と化した。
砕けたガラスやコンクリートの残骸、熱でひしゃげた鉄骨が、救助に向かおうとする隊員達を阻む。
あたりには地獄の釜のような熱気がたちのぼり、近づく者の肌をチリチリと焦がす。
どす黒い煙、火花のような灰、鼻を刺す刺激臭がたちこめる。

「なんてこった……」

現場の救助隊員たちのリーダー格の男が歯噛みした。
火の元は何箇所もあったらしく、しかも火の回りが異常にはやかった。
アルトセイム空港全体が火に包まれていた。
航空隊からの支援がアルトセイムに到達するころには、中にいる要救助者は皆蒸し焼きになってしまっているだろう。
本局の戦技教導隊員のような卓越した技量をもつ魔導師がいればまた別だろうが、首都から遠く離れた辺鄙な田舎、ここアルトセイム地方に常時駐留している陸士部隊にはそこまでの戦力はない。

「クソ……まだ中に子どもがいるっていうのに!」

男は毒づいた。
社会科見学の一環で来ていた聖テルスン初等学校の生徒八十名のうち、十二名が空港内に取り残されている可能性が高いという報告を受けていた。
タイミングの悪いことに自由見学時間中だったらしく、避難もバラバラで、引率していた教職員も生徒全員の位置を把握できなかった。
生命反応探査装置の反応を見る限り、連絡の取れない子どもたちはほとんど地下の深部層にいるようだった。
だがどうやってそこまで行く?
辿りついたところでどうやって救助する?

男が、黒煙と炎に包まれた空港を睨みつけていると、出し抜けに後ろから声をかけられた。

「子どもがいるの? どこ? 位置データを送って。私が行きます」

「アンタは、……」

声をかけてきたのは一人の老婦人だった。
歳をくってはいたが、凛とした佇まいの美しい老婦人だった。
どこかでみた顔だった。

「死ぬつもりですか? あんなの、AAランク級でもきつい」

「私はSランクオーバーよ」

老婦人は管理局の魔導師ライセンスを見せながら、深くソフトな声音で、もう一度データの引渡しを促した。
救助隊員の男は、データを彼女のデバイスに送りながら、脳内で老婦人の情報を検索した。
すぐに思い出した。
かつてフェイト・ザ・ブリット(鉄砲玉のフェイト)と呼ばれ、誰よりも先にすすんで最前線に飛んでいく怖いもの知らずの執務官として名が通っていた。
伝説の三提督の後継者の一人と目されていたこともある人物だったが、結局、一介の執務官という身分のまま先年退役したと聞いている。

「子どもたちは見つけ次第、小分けにして長距離転送でこっちに送ります」

そう言うと、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは飛び出した。

「バルディッシュ、レイジングハート、行くよ!」

《Get set.》
《All right.》

瞬時に、黒を基調とした服に白い外套を纏った姿に変わる。
そのまま老人とは思えぬ速さで、戦斧型のデバイスを携えて、燃え盛る業火の中に飛び込んでいった。




「これで最後、かな」

フェイトは額に浮き出た汗をぬぐい、荒い息をつきながら呟いた。
空港内に突入した彼女は、行方がわからなくなっていた子供たちを全員探し出すことができた。
ちょうど今しがた、中距離転送魔法で、最後のグループを安全な地点まで転送させおえたところだった。

「やっぱり、昔のようには、いかないか……」

右手に持ったバルディッシュが重く感じられる。昔は軽々と振り回していたものだが。
全盛期の頃の彼女なら、この空港の最深部にも、もっとずっとはやく来れたはずだ。
転送魔法をたかが十回連続で使用したくらいで死ぬほど息があがることもなかった。
もう精密な転送魔法を使う余力は残っていない。

轟音とともに空港内部が揺れ始める。
ここももう長く持たないだろう。
フェイトの向かい側から伸びる長い通路の奥で、上階につながる扉がバァンと音を立てて消し飛んだ。
扉の吹き飛んだところから、炎が大蛇のようなうねりをあげて躍り込んでくる。

(私も年貢の納め時かな……)

フェイトは死をおそれない。
それどころか、むしろ死を渇望してきた。
なのはを死なせてしまったあの日、どんなに死にたいと思ったことか。
大切な友だちの命をもてあそんだ罪悪感。
守ると誓った相手を守りきれなかった無力感。
依存する相手を喪失したことによる空虚感。

だが約束があったから、今日まで自分から命を絶つことができなかった。
今まで何度も死にそうな目にはあったが、そのたびに生き延びた。
不思議にピンチになると、誰かが助けにきてくれた。
だが、今回はそうはいかないだろう。

フェイトは、死んでしまった大切な人たちの名前を呟いた。

なのは、

『うん』、となのはの声が答えた気がした。きっと幻聴だ。

クロノ、

『ああ』、と義兄の声が聞こえた。きっと幻聴だ。

はやて、

『なんやぁ辛気臭い顔して』。はやては幻聴でも相変わらずだった。

リンディ母さん、アルフ、ユーノ、エイミィ姉さん、シグナム、シャマル先生、リイン、ヴィータ、ザフィーラ。
みんな先に逝ってしまった。

寂しくてたまらなかった。
それでも生きつづけていたのは、なのはとの約束があったからだった。
目の前に、自分の手の届く範囲に「泣いている子」がいたら助けずにはいられなかった。

(フェイトちゃん……お願いがあるの……)
(私ができなかった分まで……私の代わりに……)
(泣いている子を救ってあげて……)

それで結局フェイトは60年近く奔走するはめになった。
まったく、すべてなのはのせいだった。
死に際に、なんてことを願うんだろう。
「助けて」とか「死にたくない」とか「私を忘れないで」とか。
普通は死ぬ間際は、そういったことを言うものではないか?
それが、泣いている子を助けてあげてだなんて……。

フェイトは時々なのはを恨めしく思わずにはいられなかった。
後を追って死ぬほうがはるかに楽だったというのに。
なのはの願いを叶える為にフェイトは生きて奮闘しなければならなかった。
もちろん苦しいことばかりではなかった。
家族や友人、同僚にも上司にも部下にも恵まれた。
生きていくなかでは楽しいこともたくさんあった。
子どもたちの笑顔を見ると救われた気分になった。

けれど、とフェイトは思った。
もう疲れた。
疲れてしまった。
私は歳をとった。もう立派なおばあちゃんだ。
なにもかも若いときのようにはいかない。
そろそろ、みんなのもとへ……なのはのもとへ逝きたいところだった。
だが、あんなにひどいことをしたのだから、彼女とは同じ場所にいけないかもしれない。
フェイトがなのはにしたことを知ったら、なのははきっと恨みに思うことだろう。

フェイトは朝刊に書かれていた記事の内容を思い出した。
フェイトがあのとき見ることのできなかった論文の欠落部分が見つかったという報道。
プレシアの術式は、人工魂魄ではなく素体の本来の魂魄を使う術式だったという――たぶん、本当だろう。
あの魔法術式の、自分には理解できなかった箇所に織り込まれていたのだ。
なら、フェイトの使い魔になったあのなのはは、偽者などではなく、本物だった。
フェイトは驚かなかった。なんとなく予感はあった。
だが実際に事実を突きつけられると、堪えた。
時間は巻き戻せない。もう取り返しがつかない。
あれだけ本物のなのはとは違う、と悩んでいたのが馬鹿みたいだった。
否、事実、馬鹿だ。
歳を重ねた今ならわかる。人はまったく変わらずにはいられない。
なのはの成長を、偽者だからなのだ、と邪推した過去の自分を叩き殺したくなる。

フェイトは深いため息をつくと、壁によりかかって目を閉じた。

「もう泣いている子は、残ってないよね?」

《That's right, sir. 》

右手に持った戦斧――バルディッシュが肯定の意を返す。
それで彼女が安心した矢先。

待機状態で首からかけられている紅玉――レイジングハートが、

《NEGATIVE. Still we have the one. 》

否定を寄越した。

食い違う報告に首をかしげながら、フェイトは聞いた。

「レイジングハート、どこにいるっていうの?」

(泣いている子を救ってあげて……)

泣いている子がいるなら、自分は救わねばならない。
約束は果たさねばならない。
どこだ?
泣いている子はどこにいる?

彼女は立ち上がった。あたりを見回した。誰もいない。
ふと、横を見た。ガラス張りのスイング・ドアがあった。
この高温と揺れでも、奇跡的に無事のままのガラス張りのドア。
スイング・ドアに近づく。そして気づく。
泣いている子がいる。
ガラスの表面に、映っている。

レイジングハートが勝手に起動した。
フェイトの左手に収まったのは、音叉型のバスターモード。
なのはが一番得意としていた、砲撃に特化した型だ。

(フェ……トちゃ……泣い……てるの……?)

レイジングハートが、静かな口調で言った。

《Here's the last person left.... You should help her....... 》

どうしてなのはが最後にあんな願い事をしたのか。
フェイトは60年かけてやっとその意味がわかったような気がした。





END


著者:鬼火 ◆RAM/mCfEUE

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