光の庭へ・3

初出スレ:主従合同639〜

属性:エロなし


海に出て3日目。

「怖、怖い、お、降りたいですっ」
船の柱の最上部に作られた見張り台の上、手摺にしがみついて神官衣の少年がへたりこんでいた。
少年の名はジュネ。
満12歳の小さな上位神官である。
(僕は馬鹿だ。なんで登っちゃったんだろう)
自分をいくら罵ってももう遅い。船員に勧められるままホイホイと柱の梯子を登りきってしまったのだ。
登る最中「下を見ちゃ駄目!」との指示に素直に従っていたジュネは、見張り台から辺りを見て初めて真っ青になった。
小さな足場に立ち強い潮風に身を晒せば膝が笑う。
このまま吹き飛ばされ大海原にポチャンと落ちるんじゃないかとすら思えた。
海に生きる船乗りと毎日顔を合わせていたお陰で、ジュネの脳裏には鮮明に水難事故の末路が浮かんでいる。
パンパンに膨れた真っ白な溺死体。フジツボまみれの白骨死体。藻が絡んだ人体らしき塊。
(僕もあんな姿になるのかなぁ。お父さんもお母さんもきっと悲しむよぅわあぁあ)
震えるジュネの姿に甲板は騒然となった。
「神官殿固まってないか?」
「早く降ろして差し上げろ!」
船員が口々にわめいて慌てて柱の下に駆け寄るが、誰より早くその柱を登る影があった。
青い髪が残像を残し風を切る。
ジュネの護衛、女傭兵のカーナだ。
ジュネの声を聞くやいなや、カーナは柱に沿う梯子を目がけ床を蹴っていた。
右手の鉤爪を梯子に掛け、それを支えに振り子のように足を梯子に着ける。
カーナは瞬時に両手を伸ばし、猫科の獣のように身を屈めた。
ギチ、ギチ、ギチ
伸ばされた右腕の歯車が金属音をたてて回る。
そして、十分に勢いを溜めた後、カーナは弾けるように上に跳んだ。

――柱を縦に駆け上がっている。

船員達は唖然としてその人間離れした技に見入った。
ブーツの底が数段飛ばしで梯子を蹴る硬い音が、猛烈な勢いで連なる。
そして、カーナはたった一息の間で見張り台へと辿り着いた。
「ジュネ様」
台に乗り出すカーナの顔を見た時、ジュネは安堵のあまり泣き笑いになってしまった。
カーナの、いつもと同じ小作りな綺麗な顔。静かな青い瞳。
カーナが側に来てくれただけで恐ろしい妄想は途切れた。
しかしジュネのこわばる筋肉は未だほどけず、手摺から体が離れない。
「降ります」
ポツリと言い、カーナはジュネの背に左腕を伸ばし抱き寄せた。
とがった鋼の甲殻で組まれた右腕の義手は、主君を抱きしめるのに適格ではない。

しなやかな女性の腕に絡め取られ、ジュネの体はようやく手摺から引き離された。
「うう…ごめんね、ごめんねカーナ…」
ジュネは両腕両足をカーナの胴に巻き付け必死で捕まる。柔らかな胸に顔を埋め、景色を目に入れぬよう固く目を閉じた。
「降りて来たぞ」
甲板にホッとため息が満ちた。
ジュネを体にくっつけ、今度はゆっくりと両手両足で梯子を降りて来るカーナ。
その姿はさながら猿の母子、と思うが不敬なのでもちろん口にできない。
しかし、ようやく床に降ろされたジュネが「お騒がせしました」と周囲を見回した瞬間、お猿の映像がジュネに滑り込む。
ジュネは真っ赤になってうつむいた。

「見張り台から、白潮が見えました」
カーナが船員にポツリと告げた言葉に、その場に居た全員の顔色が変わった。
「ほ、本当ですか?」
船員に訊かれ、カーナは目線で頷いて短く答える。
「船の前方に」
すぐに望遠鏡を腰に下げた見張り係が梯子を登っていった。
何事か解らないジュネは、不安そうにカーナを見上げる。
その視線に気付き、カーナはジュネの正面に屈んだ。
「アアメという生き物をご存知ですか?」
言いながら神官衣の乱れを直してやる。

ジュネはうん、と首を縦に振った。
アアメは陸地の川辺でも多く見られる。海に多く生息し人間を好んで食う、一般的に魔物と呼ばれる類の生物だ。
「白潮とは、アアメが脱皮し海に捨てた皮を求め海蟲が群れ、海が白く濁って見える現象です」
「え…。じゃあアアメが近くにいるの?」
「はい」
「うえっ!じゃあこの船危ないよね!?」
「はい」
再び青ざめるジュネの耳を、見張り台から怒鳴る船員の声がつん裂いた。
「おい本当だ!進路一時の方向に白潮あり!距離はまだある!」
脅えてと首をすくめるジュネとは対照的に、船員達はカッと体熱を上げた。
船長への報告のため走る者。自らも望遠鏡で前方を覗く者。正に水を得た魚のようにいきいきと動き出す。
海を渡る人間ならば、魔物から船を守って戦うことも珍しくない。
瞳を覗かずとも、顔を見るだけでジュネには船員達の戦歌が聞こえてきた。
戦う。殺す。命をかけて。
男性的な狩りの悦びが高まれば、同時に種を残そうとする本能も高まる。
―護衛ちゃんとヤりたい。
―右腕がトゲトゲして邪魔だから、バックから抱きたい。
―とりあえず戦いの前に一発相手してくれないかな。紅一点だし。

うわ…見るんじゃなかった。
思わず、カーナを船員の視線に晒さぬよう立ち塞がってみるのだが、他人からはこの少年が何をしているかイマイチ解らない。
「神官殿、ご安心下さい。この船には魔物を迎撃する備えがありますから!」
力強く言ってくれる船員に、ジュネはひきつった顔で頷いてみせた。

戦いが、始まる。





関連作品:

 光の庭へ・1 / 光の庭へ・2 
2008年12月17日(水) 18:49:06 Modified by ID:H1hLfUggHw




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