不倶戴天
私の祖父は、戦争で、ソ連軍の捕虜になった。
シベリアの抑留で、ノルマをかせられた強制労働。
戦争とはいえソ連の人間に対する祖父の思いは、辛いものであったであろう。
不倶戴天の敵である!
今時代は変わり、国際化社会になってきている日本には、様々な国の人間が生活をしている。
世界各国の人間が、日本のどこかにいる事は当たり前になっている。
若い世界の人間にとって、過去の戦争は過去の人間のしたこと。
しかし、ひどい事をされた人間たちの子孫は、今なお恨みを抱いているということもある。
日本人だけではない。
対国としてではなく、対人間として違う国の人間と接すると、同じ人間なんだとつくづく思う。
その時代、戦争があり、国同士の情報もろくにないまま敵地に乗り込み、自国のためにと戦った。
殺しあわなければいけない人間は、
たとえ前線にいなくても、敵は敵であるから、酷い事もしただろう。
仕方が無かったことなのかもしれない。
実際その場にいたら、銃を持っている人間が目の前にいて、自分が銃を持っていたら、きっと殺される前に
引き金を引いているだろう。しかも面識の無い外国人だったら、殺してしまうだろう。
一番問題なのは、相手が銃を持っていないときに自分はどうするかであろう。
その人間が、自分の仲間を殺した人間であれば、、、殺してしまうかもしれない。
時代によってだろうな。
今日はこの角度からだけれども、色んな戦争がある。
また、このテーマで書いてみようと思う。
さく
シベリアの抑留で、ノルマをかせられた強制労働。
戦争とはいえソ連の人間に対する祖父の思いは、辛いものであったであろう。
不倶戴天の敵である!
今時代は変わり、国際化社会になってきている日本には、様々な国の人間が生活をしている。
世界各国の人間が、日本のどこかにいる事は当たり前になっている。
若い世界の人間にとって、過去の戦争は過去の人間のしたこと。
しかし、ひどい事をされた人間たちの子孫は、今なお恨みを抱いているということもある。
日本人だけではない。
対国としてではなく、対人間として違う国の人間と接すると、同じ人間なんだとつくづく思う。
その時代、戦争があり、国同士の情報もろくにないまま敵地に乗り込み、自国のためにと戦った。
殺しあわなければいけない人間は、
たとえ前線にいなくても、敵は敵であるから、酷い事もしただろう。
仕方が無かったことなのかもしれない。
実際その場にいたら、銃を持っている人間が目の前にいて、自分が銃を持っていたら、きっと殺される前に
引き金を引いているだろう。しかも面識の無い外国人だったら、殺してしまうだろう。
一番問題なのは、相手が銃を持っていないときに自分はどうするかであろう。
その人間が、自分の仲間を殺した人間であれば、、、殺してしまうかもしれない。
時代によってだろうな。
今日はこの角度からだけれども、色んな戦争がある。
また、このテーマで書いてみようと思う。
さく
2005年11月09日(水) 23:23:47 Modified by syusaku1121