子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

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ドン・キホーテ(少年少女世界名作の森)

 

解説 草鹿宏

 『ドン・キホーテ』は、スペインの作家ミゲール・デ・セルバンテスが、今から370年以上も前に書いた大長編小説です。
 今ではドン・キホーテの名をだれでも知っていますが、あまりにも長いその原作を読み通した人は、ごく少ないでしょう。みなさんが絵本や劇を見たり、人の話を聞いたりして、ドン・キホーテとは向こう見ずで、おっちょこちょいな人物とばかり思い込んでいるとしたら、いささか残念なことです。
 確かにドン・キホーテは騎士物語を読みすぎて、自分が勇敢な騎士になったと信じ込み、従者のサンチョ・パンサとともに数々の失敗を重ねます。たとえば、風車を巨人と見間違えて突進したり、羊の群れを軍勢だと思って切り込んだり、誰でもふきだすような振る舞いを繰り返します。
 そのあげく、袋叩きにされ、まともな人間ではないと笑われながら、それが全て自分を勇者にするための試練だと信じて疑いません。どんなにばかばかしい失敗をしても、決して人を恨まず、今日の不幸は明日の成功を約束するものだと自分にいいきかせて、闘志をふるい起こすのです。
 つまり、ドン・キホーテは、いつも理想を追い求め、現実によって夢をさまされる人間として描かれています。でも、それを愚かと言い切れるでしょうか。何も行動を起こさなければ傷つくこともありません。夢を見なければ、幻滅を味わうこともないでしょう。しかしドン・キホーテのように、自分が正しいと信じたら、失敗をおそれず、まっしぐらに突き進むという生き方を笑うことはできません。
 人生とは、理想と現実のたたかいだともいえます。ドン・キホーテが正義のため、弱者を救うためと信じて、槍をふりかざし、やせ馬ロシナンテにむちうって、命がけの行動をする姿が、どんなにこっけいであろうと、思わず応援したくなるのは、わたしたちの心の中に、理想へのあこがれがあるからではないでしょうか。
 ドン・キホーテが「夢みる騎士」なら、サンチョは「現実的な従者」です。この二人が、時には対立し、時には同調しながら、いたわりあって旅を続ける物語の中に、セルバンテスは鋭い風刺や、ユーモアをおりこんで、人生の縮図を見せてくれたのです。
 さらにこの小説は、作者の生きざまとも深くかかわっています。セルバンテスは、若いころから詩を書いていましたが、その後、兵士としてレパントの海戦に参加し、左手を失ったり、乗っていた船が海賊におそわれて、五年間も奴隷になったり、無実の罪で三度も獄につながれるという、惨憺たる体験をしました。『ドン・キホーテ』は彼が五十歳を過ぎてから、牢獄の中で考え出されたものです。
 決して幸福ではなかったセルバンテスが、英雄を夢みた青春時代から、現実の荒波にもまれ、傷つき、人間の弱さや醜さを見つめて、なお希望を失わず、明日を信じて生き抜いた勇気と強い意志が、『ドン・キホーテ』を生み出したとはいえないでしょうか。最後まで人を愛し、善意を信じた彼は、ドン・キホーテに自分を託し、逆境の中でペンを走らせたのです。
 『ドン・キホーテ』は大好評を博し、ついににせものの続編が出るというさわぎで、セルバンテスは正編から十年後に続編を出版しました。こうして大長編が完結したのですが、彼は最後に「ドン・キホーテは、私のために生まれ、私は、ドン・キホーテのために生まれた」と書いています。
 この本は、ページ数に限りがあって、多くのエピソードを省かなければなりませんでしたが、できるだけ平易な文体をとりながら、原作の意図と味わいを損なわないように心がけました。セルバンテスがこの小説で何を書こうとしたかを、読者のみなさんがくみとってくだされば幸いです。

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