子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

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平家物語8 奇襲一の谷の巻(あすなろ書房)あとがき



おうちのかたへ

一の谷の合戦のことで、よく「鵯越」と「一の谷」の位置が問題になります。
『平家物語』には「一の谷のうしろ鵯越にうちあがり」とあります。つまり、一の谷の背後にあるのが鵯越という山で、義経は、そこから「さか落とし」したことになります。ところが、いま「鵯越」といわれる所と「一の谷」とは六、七キロメートルも離れているのです。
それではつじつまが合わないというので、明治時代から、いろいろな説が主張されました。しかし、前巻にも書いたように、いろんな『平家物語』があって、読み物として書かれたものには、たとえば「源氏ノ搦手鵯越ニソカゝリケル(中略)一谷ノ上ノ山二ソ至リニケル」と、鵯越を通過して一の谷の裏山についたといっているのもあります。
わたしは、各説を検討してみた結果、鵯越というのは平家の陣地一帯の北にあった山のことであり、そこを越えて一の谷城の背後にある山に出た―という設定で書くことにしました。そういう説がいちばん妥当だと考えたからです。
とはいえ、これは物語の世界です。読者は、いろいろな受け取り方をして、自由に想像して読んでほしいと願っています。ですから、あえてコースなど明確に示しませんでした。
ちなみに『平家物語』には、ほとんど「坂落」というように表記されていますが、正しくは「逆落とし」、つまり、さかさまに落ちていくという意味ですね。

生越嘉治
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